十二、別れ
お忍びに出かけた日の夜となります。
今回いつもより本文長めとなりますので、お時間ある時にでも読んでやってくださいませ。
疲れて気絶するように眠ることもあれば、悩みに苛まれ眠れないこともある。
街で過ごした興奮、自覚したアイリーシャへの想い――たくさんの感情が押し寄せてはロゼの頭を悩ませ覚醒させる。今日は眠れない夜だった。
時計を見るのが怖い。明日の顔色と肌艶も怖い。早く寝なければと必死になるほど気がかりが増えていく。例えばノアの意味深な発言とか――
風に頬を撫でられ、ロゼは飛び起きた。窓は閉めていたはずだ。
「誰かいるの?」
声こそ怯えているが、その姿勢は勇ましい。いざとなればもちろん戦う算段である。部屋に隠している武器の位置を確認しているところだ。
「俺だよ」
「ノア!?」
闇を縫うようにもたらされた声に緊張が解ける。
「何かあったの?」
ショールを羽織りながらベッドを飛び降りた。
「普通は王女の部屋に無断で入ったことを咎められる場面なんだけどね。そう心配されるとは思わなかったよ」
「咎められるはずないでしょう! だって貴方……」
「俺が?」
「寂しそうだわ」
「ああ、正解。別れって、寂しいものなんだね。ちょっと驚いてる。もう決心が鈍りそうだ」
「ノア?」
「ロゼ、これを」
目の前までやってきたノアに暗闇の中差し出されたのは小さな箱だ。ロゼの好きなピンク色のリボンが結んである。
「わたくしが開けても?」
「もちろん君に」
そうまでいうからには今ここで開けろということなのだろう。何が出てくるというのか……リボンを解き箱を開けるだけの動作に緊張してしまう。
「これって――」
すぐにロゼは瞳を輝かせた。
「なんて素敵なナイフなの!」
おそらくロゼでなければ女性にナイフかよとツッコミを入れたであろう場面だ。しかし相手はロゼである。
「ほらね、俺じゃ普通のプレゼントにはならない。これでわかったでしょ」
「プレゼント?」
「そう。気に入ってくれた?」
「わ、わたくしに!?」
さらっとロゼが普通ではないといっているのだが感動のあまりスルーしてしまった。
「これ本当にとても素敵よ。小ぶりで、柄も握りやすいわ。しかもケースまで付属しているなんて、これならドレスに隠していつでも持ち歩けそう!」
「うん、そうして。それにしても、やっと花を選ぶ君の気持ちがわかったよ。贈り物って緊張するんだね」
「緊張?」
「そうだよ。初めてだって言ったよね? それでしっかり自分の身を守ってほしい。本当は俺がずっと傍にいられたら良かったけど」
まるで別れの言葉だ。暗殺者という単語がロゼの心を占めていく。昼間に繋いだはずの手が震えていた。
(また次があると、そう期待していたのはわたくしだけだったの?)
ノアは瞳に強い決意を宿して告げる。
「俺は護衛に向いていない。だから、ここを出ていく」
(ええ。それは前から知っていたわ)
ノアの本質が護衛ではなく暗殺に特化していることはロゼブルプレイヤーには常識である。
「どこへ、行くの?」
「さて、どこだろう……」
まだ決めかねているのかもしれない。それとも去ること自体に迷いを抱いているのかもしれない。まだ止めることは出来るのだろうか。
「貴方、エレレンテが嫌になってしまったの? わたくしたち、せっかく友達になれたのに!」
好敵手だけではなく友達と呼べる関係を築けたはずだった。けれど彼はゲームの運命に身を投じようとしている。もしも行かないでと伝えれば、留まってくれるだろうか――
「俺はね、君の友達になりたいわけじゃない」
ノアは悲しげに目を伏せている。
本当はすぐにでも「行かないで」と叫ぶはずだった。けれどここまで明確な拒絶を告げられてはとても口にすることは憚られた。
(そんなこと、わかっていた。わかっていたことよ。本来出会うはずのないわたくしたちが友達になれるなんて、あり得ないことなのね。彼はリーシャと出会うために存在しているのだから。それでも……)
「貴方が嫌でも、わたくしは貴方と友達でいたかった」
たとえ止められなくても、これが最後なのだとしたら、せめて伝えておきたかった。
(この人はわたくしの言葉では止められないのね)
だって、友達でもなんでもないのだから。
「うん、ありがとう」
それなのに狡い人だ。友達になりたくなかったと突き放しておきながらありがとうなんて、あまりに酷い。期待してしまいそうになる。
「だからこそ俺は、ここにはいられない」
「それは……どういう……?」
「例えば君が国王陛下の暗殺を企てたとする」
「しないわよ!? さらっと怖いこと言わないでちょうだい!」
ビックリして決壊寸前の涙も吹き飛んだ。危険思想の片棒を担がせてくれるな。
「俺じゃ陛下を守れない。それじゃあ護衛失格だって、ボスにも言われた」
「えっと、ノア。いくらなんでも、わたくしより貴方の方が強いでしょう」
何度も膝をつかされてきたのはロゼの方だ。同じことをしても息一つ切らさずにこなしてみせるのがノアである。
「そうだね。でも、それでも俺は君を殺せない」
ノアの判断基準がいまいちわからない。
「ノア、一つだけ確認したいのだけど……貴方エルレンテが嫌いなわけではないのね? こんな国亡んでしまえー、とか願ったりしていない!?」
「もちろん。俺には祖国というものがないけどこの国は好きだよ。だって君がいる。だから約束する。必ず君がいるエルレンテに帰ってくるよ」
「帰ってきて、くれるの?」
「誓うよ」
当たり前のように望んでいた答えをくれた。
「なら、わたくしは!」
(行かないでなんて言えない。ならせめてわたくしから伝えられることは――)
「貴方が帰るエルレンテを守ります。ずっと、ずっと、エルレンテは亡びませんから!」
ノアは祖国がないと言った。けれどエルレンテを好きだと言ってくれた。だとしたらノアが悲しまないように国を守るのがロゼに出来ることだ。
「よろしくね」
「もう行ってしまうの?」
「色々と挨拶は済ませたからさ。冷やかされる前に退散するよ」
「わたくし冷やかしたりしないわよ?」
そんなに無粋だと思われているのか。無粋といえば確かに、別れの場面だというのにロゼは貰ってばかりだ。普通は残る方が旅立つ相手に贈る場面だろう。
「もっと早く言ってくれたら、わたくしも何か用意しておいたのに」
そこには少しの不満が混じっていた。エルレンテのことを忘れてほしくなかったし、ノアの無事を祈るためにも何か用意しておきたかったのだが。
「……ねえ」
傍にあった人影が動く。
ロゼの肩に手が触れ、羽織っていたショールを頭から被せた。まるで結婚式のヴェールのように視界が閉ざされる。けれどノアは目の前にいた。そして――
ほんの一瞬、二人の影が重なった。
「これでいいよ」
唇が触れ、離れていく。それは二人だけの秘め事となった。
「い、今――、貴方っ!」
吐息が触れそうな距離に彼がいて、言葉を紡ぐことさえ躊躇う。
「二十三歳まで結婚できなかったらさ、その時は俺が貰ってあげるよ。だから安心していればいい」
「あ、の……それは、それって……」
どう答えればいいのだろう。
どう応えることが出来るのだろう。
ロゼは王女だ。本当に必要があれば嫁がなければならない。必ずしも二十三歳までという我儘を貫き通せる保証はどこにもない。この先戦争になれば――必要となれば首を差し出すことだってある。何よりも……
(貴方はいつかリーシャと出会うかもしれないのに!)
彼はいつかアイリーシャが好きになるかもしれない人。
いつかアイリーシャを好きになるかもしれない人。
未来の光景が浮かんでは消える。そこにいるのは主人公とノアだ。
(こんな、エンドロールに名前も載らないようなわたくしではなくて、本当はリーシャと出会いたかったでしょう? わたくしは、わたくしの存在で貴方を縛りたくないのよ)
「貴方に相応しい人はきっと……太陽を浴びて輝く金に、何物にも代えがたい紫の瞳を携えた女性だと思うの」
ノアのためにも確かなことは言えないし、言ってはいけないと思う。いつかロゼという存在が足かせにならないように細心の注意を払う。
「だからこれは約束なんかじゃなくて、拘束力なんてものないわ。いつでも忘れてくれて構わないのよ!? でも、でもね……」
せめてこれだけは伝えたい。
ロゼは背を向けた。彼の表情を見ているのが怖かった。見つめていたらそれだけで泣いてしまいそうになる。
「貴方がいてくれるなら、安心ね」
絞り出した想いは届いただろうか。いっそ一思いに嬉しいと告げられたらどんなによかっただろう。けれどそれはロゼの矜持が許さなかった。
「行ってらっしゃい」
帰ってくると約束をした。ならば送り出す言葉に別れの挨拶は相応しくないだろう。
「うん、ありがとう。行ってきます」
風が揺れ、ノアが振り返ることはなかった。きっとロゼの顔を見ていたら抱きしめに戻っただろう。そして今度こそ物陰から冷やかされていたに違いない。
ロゼはその姿が闇に消えるまで見つめていた。一人になってからはナイフを握りしめていた。あるいは立ったまま固まっているともいえる。
「ノア。わたくしね、本当は……」
(とても嬉しかったのよ)
決して口にしてはならないことを思う。
別れた道はどんな未来へ続くのだろう。また道が交わることはあるだろうか。
(わたくしはそれまで生きていられるのかしら)
一人世界に取り残されてしまったように穴が開いている。これを寂しさと呼ぶのだろう。いっそついて行きたいと願ってしまえば楽だったのかもしれない。
(いいえ。あり得ない未来ね)
苦しくてもここで生きると決めたのはロゼ自身なのだから。
それにノアは約束してくれた。
(守りたい未来に、貴方との約束がある)
今宵エルレンテは将来リーシャが治める国であり、ノアが帰る国となった。
(わたくしは主人公ではないけれど、もう一度ノアに会いたい。だったらこんなところで人生終わらせるわけにはいかないの。足掻いて足掻きまくってやるわ!)
滅亡回避への決意がより一層高まった夜である。
こういう話が読みたかったんです……なので自分で書きました!
いきなり失礼いたしました。
はじめましての皆様、数ある作品の中からページを開いてくださいましたこと、まことにありがとうございます。
いつもお付き合いくださる皆様、引き続きロゼたちを見守ってくださってありがとうございます。
本日の連続更新はここまでとなります。続きはまた明日になりますが、まだまだお届けしたい場面はたくさんありますので、またお付き合いくださると嬉しいです!
ここまでの閲覧、ありがとうございました。いつもより本文が長くてすみません! 二人のことを想うと切れませんでした! それではまた明日――
たくさんの評価にお気に入り、とても感動しております!