会議
翌日、今日も国会では高速道路の話しをしている。
「吉岡議員、先日のテレビ番組はご覧になりましたよね、2軒の民家ために高速道路がそれでも必要なんですか?」
「あのテレビで発言をしていた方がどなたか存じ上げませんが、調査されたんですか?」
私はこう言って高速道路の話をそらした。
「調査も何も、すなわちあの番組はやらせだとおっしゃいたんですよね?吉岡議員。」
「いえ、そのような意図の発言は行っていません。」
そしてこの日は私の発言について議論が繰り返され、道路の話はしないで済んだ。
翌日も、国会で高速道路の話しをしている。
「吉岡議員、昨日は話が少しそれてしまいましたので、再度お聞きします。国家財政がこれほどまでに悪化しているのに、それでも高速道路がそれでも必要なんですか?」
「ですから、高速道路がないから悪化してしまっているんです。テレビでご覧になったと思いますが、そもそも高速道路がないので人がほとんど住んでないんです。」
質問者がイライラしているのが良く分かる。
5年間も繰り返される変わらないやり取り。
そしていつまでも判断を下さない政府にはきっと国民もイライラいしているはずだ。
ちなみにその内の一人に私も含まれている。
仮に私が折れればそれで多数の人のイライラが収まるだろう。ただそうした場合、私の支援者はイライラしてしまう。
本当はもっと前向きの話がしたいのに・・・・。
いつもそう思っている。だけどこの仕事は辞められないのだ。
一旦受けてしまっているし、もし辞めてしまうようなことがあれば、後にいろいろ面倒なことが待っていることが容易に想像できる。
事務員で退屈だった私にとって、父の後継者の話はとても魅力的に感じた。地方の会社に親のコネで入った私に、ようやく輝かしい未来が訪れたかのように見えた。先に上京していた博に頻繁に会えるようになることも一つあった。
ただ、今は一旦受けてしまったことで、がんじがらめになってしまっていることを知っている。地方にいた自分にとても魅力的に写った未来が現実に変わり、私は自分の居場所が故郷にあることをひしひしと感じるようになった。
高速道路建設反対派に寝返ってもいい。というか今更他人のことはどうでもいいとも考える。
そしたら、自分の居場所である地元に帰れなくなる。支援者からの嫌がらせも避けては通れないだろう。
自分の居場所を守るために、道路族を続けるか、それとも居心地の悪い場所に留まり、自分の居場所を守るか・・。
この板ばさみから解放されるのはいつになるのだろうか・・。
考えれば考えるだけ気持ちが閉ざされていくのを感じた。