第四話 オッズの裏側
午後九時
新西京三区ダウンタウン クラブ『コキュートス』(斎藤誠二)
木製の両開きの重い扉を開けると――いや、重いわ。
あきらかに普通のヒューマンには開けられない重さ――外の寒気さえ恋しくなるような極低温の空気が俺を出迎える。コキュートスという名に恥じないようにか、いつもガンガンに冷房が効いている。
省エネという概念はこの店のオーナーの辞書には載っていないのだろう。
照明は青一色。内装は黒を基調としたメタリック。
壁際に設置された地下九階まで続く螺旋階段は、まるで奈落へ誘う蛇の背骨のようだ。
一定距離降りていくと踊り場が設置されており、地下三階以降は会員のランクに応じて立ち入る区画が制限される。
中央には最下層まで見下ろせる吹き抜けがあるが、俺は怖いから当然近寄らない。年に三人が酔っ払って落下死するという噂だが、俺は疑っている。
この店に来る連中の質を考えれば、三人は少なすぎる見積もりだ。
BGMは一年中デスメタル。俺は繊細な性分だ。
ロックは好きだが、鼓膜を削るような爆音までは愛せない。
ビートルズとかオアシスとか流せよまったく……。
客はオーク、トロール、オーガ――どれも夜道で出会いたくない連中ばかりだ。
店内を闊歩するウエイトレスは裸と見間違えるレベルにきわどい衣装を着たエルフ、ドワーフ、オーク、トロール、ヒューマン……おいおい、客じゃないならヒューマンはオッケーなのか?
深刻な男女差別を感じながら俺は歩みを進める。
俺に聞こえるように、知性のかけらもない独り言がわざとらしく投げかけられた。
「おかしいな……ヒューマンの臭いがしやがる。バキュームカーを呼んで汲みあげて貰おうぜ」
そんなことを言いながら俺の方に近づいてくるトロールの男。
二メートル五十センチくらいの身長か。
三ヶ月前の俺なら、奴が言葉を終える前に顎を砕いていただろう。だが、俺はもう立派な大人だ。
馬鹿を無視してバーカウンターに歩み寄り、オークのバーテンに声をかける。
「あちらのたくましいトロールのタフガイに一杯奢ってやってくれ」
俺はタフガイ気取りのトロールを親指で指さして言う。
俺に因縁をつけようとしていたトロールはそれを聞き、呆気にとられて硬直する。その隙に俺はさっさと最下層まで降りて行った。
最下層はまさにコキュートスの名にふさわしい場所だ。
一部の会員のみが立ち入れることのできるダンスフロア。
隅に設置されているバーカウンターに俺の探しているノームのノミ屋の男――山田ボブ――を見つけた。
ボブは緑色のジャンパー、カーキ色のズボンを履いている。
金髪のぼさぼさ頭は、最後に櫛を通したのがいつか思い出せないような有様だ。
まずは挨拶だ。俺は親し気に声をかけた。
「ボブ。景気はどうだ?」
そう言って二十ワットくらいのスマイルを飛ばす。
「おいおいおいおいおいおいおいおい! 誠二か。ご無沙汰だな。俺達の再会を祝して何か飲むか?」
ボブの口癖は昔から変わらない。
どうやら俺のスマイルで警戒心が溶けたようだ。
良い滑り出しだぞ誠二。
「良いな。じゃあお前に一杯奢るよ。俺はいらん」
なにかもくそも、この店はウオッカしか売っていない。ふざけた店だ。
俺の肝臓はそこまでタフではない。
「で、何のようだ?」
給仕ドローンが運んできたウオッカを手に取りながらボブが俺に聞いてくる。
「旧交を温めに来たのさ。何しろこの店は寒いからな」
「そうか? じゃあ金に困ってきたのか? 良い船があるぜ?」
……何で皆、俺が金に困っている前提で話をするんだ?
「良い船?」
だが、ここで冷たくあしらって機嫌を損ねたくはない。
軽く雑談につきあい、相手の警戒心をほぐす――これがプロの探偵スキルだ。
「南太平洋でマグロ漁船よ。三か月戻ってこれねーがなーに、無事戻ってきたら大金が――」
ちょっと待て。聞いたことがあるぞ。
「それ、リヴァイアサンやらクトゥルフやらの目を搔い潜ってやるやつだろ? 行くわけねーだろ」
「大丈夫だって! 生還率六十三パーセントはあるらしい」
そう言うとボブはウオッカで喉を潤した。
六十三パーセント……高いのか低いのか。適度に警戒心もほぐれてきた頃合いだ――そろそろ本題に入ろう。気を抜くとまじでマグロ漁船送りにされてしまう。
「……日本シリーズのブックメーカー。やってるんだろ?」
まずは軽く探りを入れる。
「なんだよ誠二。お前もやっと興味を持ち出したのか? おせーよ。今はレイヴンズとタイタンズの日本シリーズが熱いぜ」
ま、こいつが嚙んでいないわけが無い。
問題は次だ。だが、ここまできちんと段階を踏んでやってきた。
奴は自白剤を打たれたスパイのように語りだすはずだ――
「あーそう、それなんだが……タイタンズの勝ちに変な賭け方しているやついないか?」
「おいおいおいおいおいおいおいおい! お前また何かひっかきまわすつもりじゃあないだろうな!!」
――ことはなかった。なんでだよ!
「人聞きの悪いことを言うな。引っ掻き回すどころか、俺はいつだってこの街の清掃活動に貢献している」
まだだ、まだ終わっちゃいない。俺は精いっぱい誠実な作り笑いを浮かべる。
「引っ搔き回したことしかないだろうが!!」
おかしい、笑顔が効かん。やはり男だからか。
ま、男にまで通用してしまったら俺の身が持たんしな。
しかたない……斎藤誠二の探偵術その四。笑顔より物で釣れ、だ。
「今回は大丈夫だって。ほら、ウオッカ追加で飲めよ」
ホロメニューでウオッカをタップ。追加注文。
クソ! 経費で落ちるんだろうなこれ! 無理か……トルネロだしな。
「フン。で、何だ?」
俺の読み通り――追加ウオッカの効果は抜群だ。
「その日本シリーズの賭けだよ。タイタンズに変な賭け方しているやついないか? しかもそれで儲けてるやつだ」
「おいおいおいおいおいおいおいおい! お前、俺が顧客情報漏らすと思ってんのかよ?」
この野郎! いらんところでホスピタリティを発揮するんじゃねぇ!
「え? やっぱ無理? ほら、追加でおかわりどう?」
仕方ない、追加ウオッカで――
「おかわりは貰うけど顧客情報は漏らせねーよ!」
――やはり駄目か。
切りたくは無かったが、俺は奥の手を切る。
「そうか……じゃあ、アルゴス・セキュリティにお前の情報を垂れこんで奢らされたぶんくらいの金は回収しとくか……」
俺は目の温度を三十度から十八度まで落とすことにした。
「ふざけんなよ誠二!」
ボブの目が怒りに震え始める。
こいつには悪いが――ここで引くわけにはいかない。
「ふざけてんのはお前だよボブ。この間の『デュエル』。どうせ俺に賭けてたんまり儲けたんだろうが」
俺の鋭い指摘にボブは目を逸らす。ふん、やはりな。
「お、おいおいおいおいおいおいおいおい!! 言いがかりは辞めろ!! お前が『デュエル』したなんて知らねーなぁ」
言いがかりだと? その通りだ!!
だが――
「俺は確か――『おいおいおいおいおいおいおいおい!! 誠二が勝算もなく『デュエル』をやるわけがねぇ!! しかもオッズは圧倒的に誠二が高い! これは賭けるしかねぇ!!』 ってコメントを目にしたんだがな?」
「ま、待てよ誠二! 確かに俺はお前に賭けたが、あの時はそんなコメントなんて――あっ」
――かかった。
俺はニヤリと邪悪の権化のような笑みを浮かべ、人差し指でボブを指差して銃を撃つ真似をする。
「……糞っ。わかったよ」
その言葉を聞いた俺は、店の監視カメラからボブをカバーする位置に立つ。
ボブは懐からメモ用紙を取り出し、何やら書きつけて俺に渡してきた。
「ほら」
「すまんな。また来るぜ」
俺は感謝の言葉を送る。
「いや、もう来なくて良いぞ」
ボブはそう言うと追加のウオッカを一気に飲み干した。
「そう言うなよ」
それを見届けた俺はウインクを飛ばし、階段を登り始めた。
まぁ、はっきり言ってかなりの詭弁と難癖なのはその通り。
しかし本当の最終手段――雪風にハックさせるよりは遥かに良いだろう。
華麗な交渉戦の成果に満足し、うきうきで階段を四階まで上がる。
そこで俺に声をかけてくる暇人が居た。
さっき俺に因縁をつけてきたトロールだ。
「おいヒューマン! これをみろよ!」
そう言うとフロアの隅に吊り下げられたサンドバッグ(トロール用)を連続で殴り始めた。蹴りを織り交ぜサンドバッグが何度も天井付近まで吹き飛ばされる。
それに合わせてサンドバッグを吊り下げているチェーンが悲鳴を上げた。
トロールが最後にミドルの回し蹴りをサンドバッグに叩き込むと――サンドバッグは天井まで吹き飛び、チェーンの軋む音を伴奏にして振り子のように揺れる。
ふむ。マーシャルアーツの打ち方だ。
身体の中心を軸にしての打ち込み。
悪くはないが、これしか使えないとなると話は別だ。
「どうだ? お前もなかなかやるって聞いてるぜ。やってみろよ」
どうやら、俺の噂をどこかで聞きかじったらしい。直接殴り合うのは怖いが、力比べなら勝てると踏んだわけだ。
「誠二。なめられてるぞ! やってしまうがよい!!」
リーナスが焚きつけてくるが、こいつ……スルー力を高めて欲しい。
俺は盛大にでかい溜息をついた。
「四十五点だ」
俺は採点結果をトロールのタフボーイに教えてやる。
「は?」
一瞬意味が解らなかったのだろう。
数秒後、トロールの顔は怒りに染まっていた。
「てめぇ――ヒューマンごときが――」
俺に向かって近寄ってくる。
「これが百点のコンビネーションだ」
言葉と同時――俺は雪風を高速で抜き撃ち、三連射。
瞬きよりも速く、銃はすでにホルスターに戻っている。
トロールの目には、ただ火花が散ったようにしか見えなかったはずだ。
突然店内を駆け抜けた銃声にBGM以外の全てが凍り付く。
良いね。
俺は常々、この店はコキュートス《氷結地獄》という店名にしては騒がしすぎると思っていた。
凍り付いた時間の中――穴の開いたサンドバッグから砂が零れ落ち、床に小さな山を作る。
呆然とするトロールに、俺は頭にかぶってもいない帽子の縁を指でつまみ上げるふりをして挨拶。
「サンドバッグの代金は、あちらのタフガイにつけといてくれ」
すぐ隣で固まっている、ほとんど裸同然の恰好のエルフのウエイトレスにそう声をかける。
そして俺は――氷の底から地上へと戻っていった。




