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EP01 覚醒――5歳の夜に計算した、国家滅亡までの猶予期間

ご覧いただきありがとうございます。


30年間、病室で何も成せなかった男が、異世界で「技術エンジニアリング」という武器を手に運命と戦う物語です。


5歳の子供が、世界の終わりを「計算」する瞬間から物語は始まります。


全27話で完結予定です

草むらが風に揺れる微かな音。土の湿った香り。頭上で木々の葉が擦れ合うささやき。

レオンは息を弾ませながら、輝く青色の球体を追いかけていた。それはぷるぷると跳ね、陽光の下で翡翠のようにきらめく。五歳の子供にとって、それはただの不思議な虫──森に数多くいるスライムの一匹に過ぎない。

「待てよー!」

幼い声が甲高く響く。足元の根が絡みつき、彼の小さな体は前に投げ出された。

瞬間、世界が白く染まった。

頭蓋骨に鈍い衝撃が走る。視界が歪み、光の輪が幾重にも重なる。耳の中で高音の耳鳴りがけたたましく響く。

そして静寂が訪れた。

■□■

無機質な白い天井。規則的な電子音。鼻腔を刺す消毒液の匂い。

『心拍数、七十二。血圧、九十ー六十。酸素飽和度、九十六パーセント』

モニターの機械的な音声。点滴剤が静脈に流れ込む冷たい感覚。呼吸するたびに軋む肺の音。

『田中さん、今日の検査は終わりですよ。ゆっくり休んでください』

看護師の優しい声。だが、その声はどこか遠く、ガラス越しに聞こえるようだった。

三十年間。人生のほとんどをこの四畳半の空間で過ごしてきた。先天性免疫不全症。外の世界は危険に満ちていた。窓の外に見える青空も、触れることのできない幻想だった。

『本をお持ちしました。先週リクエストされていた流体工学の専門書です』

ページをめくる指先は蒼白で細い。筋肉は萎縮し、関節はいつも痛んだ。ただの深呼吸さえ、意識的な努力を要する行為だった。

最も鮮明な記憶は、最後の瞬間だ。モニターのアラームが途切れなく鳴り響く。看護師たちが駆け寄る足音。しかしそれらはすべて、深い水の底から聞こえるように曖昧だった。

そして──静寂。

■□■

「……っ!」

鋭い痛みがレオンを現実に引き戻した。

額の打ち所が灼熱のように疼く。瞼を開けると、視界にはまだ白い斑点が残っている。

最初に意識したのは匂いだった。湿った土の香り。腐植土の甘酸っぱい aroma。草の青臭さ。これらはすべて、前世の無菌室とは対極的な「生」の証しだった。

次に音。風が葉を揺らすささやき。遠くで鳥のさえずり。自分の肺から出る荒い呼吸音。これらはすべて、死の静寂とは正反対の生命の騒音だった。

そして痛み。額の鈍痛。手のひらに食い込んだ小石の感触。這うように動く指先に伝わる草の葉先の微かな抵抗。

痛み──それは生きているという確かな証拠だった。

レオンはゆっくりと右手を上げた。泥と草の汁で汚れた小さな手。指は太短く、爪の根元には遊び傷がいくつも刻まれている。

『指令:指を屈伸させよ』

人差し指が微かに震える。第二関節、第一関節が順番に曲がる。神経伝達、正常。運動機能、問題なし。

『指令:手首を回転させよ』

手首の関節が滑らかに動く。可動域、制限なし。関節痛なし。

『呼吸深度、テスト』

深く息を吸い込む。肺が膨らみ、横隔膜が収縮する。酸素が血液中に取り込まれる感覚。肺活量、十分。呼吸器系、正常作動。

『心拍、確認』

胸に手を当てる。鼓動が力強く、規則的に打っている。心血管系、健全。

レオンの目に涙が浮かんだ。しかしそれは痛みの涙ではない。三十年間、不自由な体に閉じ込められていた者が、完璧に機能する五体を手に入れた驚愕と感謝の涙だ。

「動く……すべてが動く……」

彼は小声で呟くと、今度は左手の指を一本ずつ動かし始めた。親指、人差し指、中指──すべてが意思に忠実に反応する。

「神経伝達、正常。運動機能、異常なし。肺活量、十分。心拍、力強い……」

エンジニアとしての癖が自然に出る。自分自身をシステムとして点検し、各部分の機能を確認していく。これは前世で何度も繰り返した術中検査の手順だ。ただしかつては、衰退していく自分自身の体を診断するためのものだった。

今、彼が診断しているのは、完璧に健康な五歳児の体だ。

レオンは地面に転がったまま、ゆっくりと頭を横に向けた。眼前には、彼を転倒させた原因である青色のスライムがいた。

それはぷるぷると微小な震動を続けながら、半透明の体内で光を屈折させている。覚醒前のレオンには、これはただの奇妙な生物でしかない。

しかし今──エンジニアとしての知識が蘇った今、彼の見る世界は一変していた。

「あれは……生体高分子構造体……?」

レオンの頭脳が高速で分析を始める。スライムの粘性ある体液は、某かのコロイド溶液あるいはゲル状物質に似ている。光の屈折率から推測するに、含水量は九十パーセント以上。しかし単なる水の塊ではない。何某かの高分子が網目構造を形成し、形状を保持している。

「細胞膜らしい構造は確認できない……むしろ、均一なコロイド溶液として振舞っている……それでいて自己の形状を維持できるのはなぜか……」

前世の化学知識が、この未知の生物を解析しようとする。スライムは微かに動き、体内で光がきらめく。それはレオンにとって、もはやただの生物ではなく──未知の材料科学的現象として映る。

彼の思考はさらに拡大する。自分が今横たわっている地面。腐植土に富んだ土壌。周囲の植生──広葉樹が主体の森林環境。建築樣式から推測するに、中世ヨーロッパ風の技術レベルか。

そして自分自身の服装。頑丈な木綿の服。騎士の子息に相応しい、実用性を重視した作り。

「転移……? いや、記憶の継承か……」

脳内で知識と観察結果が照合され、現在の状況が徐々に明確になっていく。騎士の息子として生まれ変わったこと。前世の記憶と知識を保持したまま、五歳の体で蘇ったこと。

レオンは深く息を吸った。新鮮な空気が肺の隅々まで行き渡る感覚。草の香り。土の匂い。これらすべてが、前世では決して体験できなかった感覚だ。

彼は再び自分の手を見つめた。泥で汚れ、小さな傷ついた、しかし力強い五歳児の手。

「動く体……自由に動ける体……」

囁くようにそう言うと、レオンは静かに笑った。それは三十男の達観した笑いでありながら、五歳児の無邪気さを帯びていた。

眼前で、スライムがぷるりと震えた。陽光の下で、その青色の体液は宝石のように輝いている。

レオンはその光芒を静かに見つめながら、ゆっくりと目を閉じた。額の痛みはまだ続いているが、それはむしろ心地よいほどだった。

生きていることを、そしてこれから動き出すことを約束する痛みとして。


最後までお読みいただきありがとうございます。


自分の誕生日がそのまま「世界の終わり」になる。

そんな絶望を知ってしまった5歳のレオンですが、前世で培った「エンジニアの意地」が彼を突き動かします。


果たして、彼はゴミ扱いされている「スライム」で、どうやって国を救うのか。


「続きが気になる!」「エンジニア視点のファンタジーは面白そう」と思ってくださった方は、ぜひ【ブックマーク登録】と、下の【☆☆☆☆☆】からポイント評価をいただけると、執筆の大きな励みになります!


次回、第2話「スライムの物性と絶縁体としての可能性(仮)」に続きます。

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