第八十五話 日記
怒号が嵐と共に過ぎ去れば、焦げた死体を埋めてやった。
空はまだ灰色に淀み、煙が低く垂れ込めていた。森は焼け野原と化し、かつての緑は黒い炭と灰の海に変わっていた。木々の残骸が無数に突き立ち、根元から折れた巨木が横たわり、川は煮えたぎった湯のように白い湯気を上げていた。熱はまだ大地に残り、足を踏み入れるたびに靴底が焦げる音がした。
ベギンヌの兄弟、ひいてンウバリたちは、雷の一撃で炭化した姿のまま転がっていた。
皆、火の粉に焼かれた背中を泥で消したものの、息は絶えていた。
「...助からないのは知っていたがひどいな、まるで自然災害とでも思ったほうがいいだろうか。」
(少し憎い気がする)
俺はなんとなくあの声が憎かった。先ほどまで会話した存在を殺された。
俺は何もできなかった。
医術で助けるなんてできないかもしれない、庇うことだってできない、が、それでも俺はただ隠れていた。隠れてしまった...なんて自分の中で不機嫌になっている。
「はぁ...」
(もっとも、こんなことを思うのは俺だけだろうが。この世で)
土を掬っては少しばかり地面に落ちたそれをみる。
感触はじめじめしているけど、ジャリジャリした感じもする。
雷で打たれたせいだろうか?
思いながらにとにかく穴を掘る。
「..野晒しにしたくないから..けど墓は無理だ。土に帰るといい。郷土ではないが」
俺は彼ら、おそらく兄弟三人を、土の中に埋めた。鍬も何もないから、手で土を掻き、焦げた肉の塊を一つ一つ押し込んだ。
血の匂いはもう消え、代わりに焼けた皮と骨の臭いが鼻を刺した。
埋め終える頃には、泥まみれだった指の間が黒く煤け、爪の下に赤いものが入り込んでいた。
「…安らかに」
声に出した言葉は、自分自身に向けたものだったのかもしれない。
(どうも独り言が多くなってしまっている。)
俺はまだ死なない。死ねない。だが、彼らは死んだ。俺のせいではない。俺が引き起こしたのではない。
サ
と音を立てる。
立ち上がり、埋め終わると、俺は川辺に戻った。
やはりここの場所には長い流れる川がある。
水は熱く、まだあの凄まじい雷の熱を感じさせる。
「...ん?」
水面には魚の死骸が白く浮かんでいた。
(...食べてみようかな?)
顔を洗うと、水面に映るのは、変わらぬ青白い肌と、血と灰で汚れた顔。
(そもそもぬるいし、これはスープでは?これで顔を洗っていいのか?)
ざり
髭は伸び放題で、青い髪は煤で黒ずみ、今の音も何か石か、砂か、はたまた泥が髭あるいは髪の間に入ってた音だ。
「結構取れたけど、まだありそうだな」
(さて次はどうしよう、流れる水とはいえ死んだ大量の魚は疫病を起こさないだろうか?)
「...人はいるか?」
地図は無事だった。ベギンヌたちの天幕から拾ったものだ。
粗末な羊皮紙に
(とは言っても羊皮紙はそこまで手に入るわけでもないが)
見れば墨で描かれた島の輪郭。
中央に“黄金の神殿”と書かれて、赤い印が付けられ、周辺にこの地“禁足地数多”“黒潮の渦”“三柱神の聖軍来れる”と注記があった。
俺はそれを手で押さえて広げて、少し湿った指でなぞった。
島の北東に、遺跡の印。そこまで、川沿いに歩けばあざっと半日ほどか。
しかし飢えは、再び戻ってきた。兎の血で一時的に抑えられたはずなのに、焼け跡の静けさの中で、腹の底から這い上がってくる。
半日の距離で冷静を失わないどうか気になる。
だが、今は人間の血肉を求める衝動より、別のものが強かった。
(待っているにもいかない。できない)
知りたい。この島の秘密を。
俺をここに連れてきた黒い影を。あの雷神のような存在を。
ゴサ、ガザ
歩き始めた。焼けた森は、歩くたびに灰が舞い、足跡が黒く残った。
時折、焼け残った木の幹から、ぱちぱちと火の粉が落ち、俺の肩に当たる。
痛みは感じるが、すぐに消える。体は、やはり普通の人のそれではない。
川を離れたく、内陸へ向かう。
道はなく、ただ動物の通った跡を辿るだけだった。灰の下から、緑の芽がわずかに顔を覗かせている場所があった。
(しかしまだ川が続くなんて)
生命は、こんなにも脆く、こんなにも頑強なのか。
この川の恵みによるのだろうか。
俺はなんとなくそれを踏まないように進んだ。
なぜか敬意を示したくなったからだ、この長い川に。
やがて、焼け跡が途切れ、綺麗な岩場が現れた。
黒い岩が積み重なり、苔が薄く張り付いている。
風が吹き抜け、後ろの灰を巻き上げる。
「はぁ」
(新鮮な空気だ)
「ん?」
そこに、足跡があった。明らかに人間のものではない何かの跡が深く刻まれ、岩を削っている。獣か、それとも……。
匂いを嗅ぐ。微かな土と焦げの臭いそして草木の匂い、遠くから潮風。数多の匂いが奥に、かすかに鉄の匂い。
血だ。新鮮な血。俺の体が震えた。
飢えが、喉の奥で唸る。人には決してわからない小さな血の匂い。こういう時は自分の体質に少しばかりは...僥倖か。
岩場の向こうに、開けた場所があった。
そこは、まるで人工的に削られた広場のように平坦で、中央に石柱が立っていた。柱は三本。風化して形は崩れているが、頂部に何か彫刻が残っている。
頭が削れた像、雷の形のものを握った右手
下には何かの文字が刻まれていたが、俺には読めなかった。
ただ、胸の奥で、何かが...胸あたりが痛いと言ったところだ。
「……いて」
(骨でも折れたのか?息を深く吸って痛いわけでもないが)
俺はなんとなく石台に近づき、手を触れた。
(...何もない)
何も起こらなかった。
ただの石台だ、確かにそれは冷たく、気になるほどの冷たさもあった。
そうだったが指先が触れても何の反応も返さなかった。
ただの古い石。
風化の跡が深く、彫刻の輪郭はぼやけているが、雷を象徴するものが握られた手は、さきほどの雷神を思わせる。
(だから触ったが、やっぱり単に骨が折れたんじゃ?)
俺は手を離し、周囲を見回した。
広場は不自然に平らで、周りを黒い岩が囲んでいる。
(誰かが作ったのは間違いない)
合理的に考えれば儀式の場のように。
だが、これ、今ただの廃墟だ。
「う...うぅ!」
飢えが再び疼き始めた。血の匂いは薄れているが、喉の渇きは増す。
地図を広げて確認する。北東に何かある、地点まで、まだ距離がある。
川を離れたが、水音は遠くに聞こえる。
結局あそこを探索するように歩けばいいだろうか。
この島は川が網の目のように張り巡らされていし、生命の源か?ならばもっといろいろと生物がいてもおかしくないのに、大きな獣の姿なんて見ない。
「...しかし、祭祀の場と来れば?やはり陰謀では..?いく先がないとしても、避けるべきじゃ?」
しばらくぶつぶつと呟きして、あたりをぐるぐるしていた。
当然疲労はないから疲れもなく、こんな見た目じゃ拾う船はあのくそ野郎こと、俺をこんな怪物にしたあの元船長だけだろう。
仕方なく歩き続ける。
作られた跡が徐々に薄れ、自然な場所に差し掛かると、思ったがただ緑が多い場所だった。
(なんでこうもこんなに同じ場所が多いんだ?もしかしてこの付近は、以前何かのやつらが生息していた?)
異文化には少し抵抗感があるもので、怯えながらに歩いた。
しかし記憶は曖昧な俺にとっての異文化はなんだろうか?
そこから先は、岩場が続き、苔むした石段が現れた。普通のやつらが見れば、不機嫌になりそうなほど、長く続きている、しかし俺は幸いなのか疲労がないために、ただ突き進んだ。
段を登ると、崩れた壁が並ぶ。
崩れているか、言えば石積みの遺構で、蔓が絡まり、風が抜けるたびに葉ずれのような音がする。
壁には模様が刻まれ、雷の紋様を想起させるような物がある。
象徴するような図柄、先ほどの雷のあれに関係するか。
(しかし、俺には理解できるなら...そこまで異地でもないのか?さっぱりわからない、そもそもくそうやろうの船にいるのしか知らなかった。)
「...これは?」
中央に円形の窪みがあり、かつて祭壇だったのかもしれない。
さらに上への段が続くから、登ってみるが、そこからは少しずつ前の全貌が見渡せないようになっている。霧が低く垂れ込め、視界を遮る。
散策を続ける。遺跡は多岐にわたる。小さな祠、倒れた石像、埋もれた石板。
石板には文字か記号化絵か?まったく読めない。
指でなぞるが、何も変な気もしない。
「うぅおおお!!!」
飢えが苛立ちを増している。間違いない、俺の体は聞き、ダメだ!
血の匂いが、遠くから再び漂う。新鮮だ。獣か、人か。
(ダメだ!何か、ほしい!血が!)
匂いを避けようとさらに奥へ。
今度は森が再び現れ、木々が密集する。
「消えろ!消えろ!消えろ!」
俺は感じている、まだ血の匂いを、そして自分が制御を失うだろうということも感じた。
己が決して人と出会ってはいけない存在だと、自分の中で感じた。
「うぅう...森だ、緑の匂いが隠して...」
(あとは運良く兎でもいれば...ん?小島に兎って...生息しているわけないだろう。)
遺跡が森に飲み込まれている、こんな場所に、遺跡がある小島、しかも周りは海だ、兎がいていいのも、おかしいような気がした。
でもそこに幸せのような物でも感じた、森が匂いを隠してくれる。けっと。
ヒュン
突然、風を切る音。
鋭い矢が俺の肩をかすめ、木に突き刺さる。
痛みは一瞬。
振り返るが、影はない。次の一矢が足元に。
(敵だ。誰かいる!!!)
俺はすぐにも身を低くし、岩陰に隠れるようと逃げ惑う。矢は続く、三本、四本。弓の音が森に響く。
なぜ俺を狙う? ベギンヌの仲間か、だが俺はまだ逃げられる。体に痛みこそあるが常人のようにすぐに動けなくなるのもない。
たまに自分の変な体質に感謝したくなる、もちろんくそ野郎は絶対に殺す。
(この矢の数、多すぎる!!逃げる!)
逃げる。木々を縫い、岩を飛び越える。矢は後を追うが、徐々に遠ざかる。
(疲れたのか?にしてもすごかった、どこからも飛んでくる、まるでこの地を完全に知って...知ってたりするのか?そうか、俺には未知なだけだし)
「う、うおおおおあああああ!」
息は切れないが、飢えが邪魔をする。
血の渇望が集中を削ぐ。
森を抜け、川辺に戻る。
長い川だ。
いや、別の支流か。
この島の川は複雑だ。水音がきっと俺の足音を隠す、飛び込んでしまえるほどに深いようで、そのまま中に飛んだ、そしてそこが本当に深かった。
(待てよ...こんな深いなら、でかい魚でもいないか?)
海上生活で出会した危険なそれを思い出して当時は相当に焦っていた。
しかし追手がいるのも事実でただ息を潜め、深くへと沈んだ。
だが、血の匂いが強い。
(水中だぞ、外のやつらがうまく...水の中にいるのか?!)
近くだ、下にに潜ると、岩の隙間に何か転がっている。
というよりは足が挟まっている
死体だ。矢が胸に刺さり、血が流れ出していない。
おそらくは男だ、すごい骨太の女かもしれんが、それは装いからして、何かを祀っているものと俺は思った、そこら中に飾りをつけては、どれも同じような風格だ。
(どれも同じならやはり何かの系統...?司祭か?)
その少し枯れた顔は苦痛に歪み、目は見開かれている。
沈んでいる割には綺麗な姿をして手には本を抱き、血で染まっている。
聖環連盟の司鐸...か?
水の中だからよく見えない、体にそう書かれているものがある気がするが、上に引き上げないとみるのは難しかった。
(後で必ず埋葬するから。)
そうして、拾えそうな、本を拾って上に上がった。
かなり時間経ってから
(何にもない...矢も飛んでこない....)
「ふぅ...」
その本は革張りの日記帳だ、めくると墨で書かれた文字、帝国の共通語だ。通ドルザ語だ、俺には読めるぞ。
(少し色が落ちているがまだ読めるなんてなぁ)
内容は大まかに彼の身分と、ここに来た経緯。
「我は聖環連盟の司鐸、ラアンドリウス・ン・ヴェリオンズ、連盟が天啓を受け、我こそはと、この未知の島へ向かおう。
三柱の神の教えを広め、異教の地に光を灯すべし。
ここまでに船は大海を渡り、嵐を乗り越え、ようやくと島影を見た。
我らが船隊は多くの損失を受けては、皆疲弊する。
しかしこれもまた、試練にしかすぎぬ!
黒潮の渦をくぐり、禁足地と呼ばれる森に上陸した。同行の兄弟たちはやはり勇猛、皆、これぞ神の聖軍として選ばれし者。」
(なんだ....ずいぶんと...まぁ)
俺はいろいろと腹の調子がおかしいような気がしてならないが、それを読み進める。
日記は詳細だ。
大航海、伝道、いろいろ読んでれば情景を思わせるが、この人の世界独自の色合い。
その連盟の教えは三柱の神、法劫帝、玉勇上帝、軍神、そのためにいかなる布教の苦難が綴られても、ただ彼らの名が優先だった。
思わずに浸ってしまうものがあるなぁと、そう思わせる。
そう、我らが神の名の下にて。
「ラアンドリウス・ン・ヴェリオンズ、聖環連盟が司鐸、神が名を代行して宣言する。」
「連盟の本拠たる大陸より、船に乗りて大海を渡る。神の導きにより、異邦の地に教えを届けんよ皆。」
「船は風に恵まれ、星の道を辿るも、途中、巨浪に襲われ、数多の兄弟を失う。しかし、神の試練なり。彼らの殉教は神聖なり。」
「今は、祈りを捧げ、進まんとしよう、この島が地にて。」
「然り!然り!我ら天啓を得たり、今より、彼が住まう国を行こう、浄土へと。」
皆も士気は高揚している。
島に着きしは、霧の場所。進めば見えるのは島は豊かなり。川が多く、森深く、生命に満ちる。
「良いところではありませんか。必ずや彼の地にしましょう、ラアンドリウス兄弟」
だが、住民は見えず。古き遺跡のみが点在す。
禁足地と呼ばれる場所に近しいゆえんか。
上陸後、兄弟たちと天幕を貼りて、基地を張る。
地図を作られし、中央の黄金の神殿を目指す。
異郷のものならば、罠があれば、それもまた試練なり。
布教せしむるが我らが命。
初日、森を探索。獣の跡あり、だが人影なし。
夜、祈りの儀式を行う。主に感謝を捧ぐ。
「我らが兄弟に導きがあらんこと」
時はへて、島にて二日目ぞ。
川沿いに進めば、それは長く、綺麗に清く、魚豊かな川流なり。
「素晴らしき地ではないか、民をこれより...」
「ん、ギレホウスン兄弟?」
して奇妙なる気配。
何かがいる、兄弟の一人が、矢に射られ傷つく。
忌まわしき影をしても、必ずや、彼が名を。
「しかと....これぞ...我らが弱き体...気のすることなどない...全ては強くある魂により、彼に向かった...」
「...使命を...だが今はまずその体を」
「無用、私も共に行かせてくれ、兄弟よ、友よ。」
「ならば、彼が名の元に、トラドゥル(すべて真にせよ)」
三日目、遺跡を発見。頂に邪神の象徴。
偽りに祈りを捧ぐも、何も起こらぬと言うのに。
「トラドゥル...哀れなり」
四日目 襲われては、食料をなくして、飢えに襲われぬように...
「ここは食料乏しく、魚を捕るしかない...だが、水が熱くなり、魚死す。」
雷の気配。空が暗く、嵐来る。兄弟たちと隠れる。雷撃恐ろしく、森燃ゆ。我々は逃げ、だが一人が撃たれ、炭化す。神の怒りか、それとも異教の呪いか。
五日目、焼け跡を歩む。死体を埋め、祈る。島の民らしき影を見ゆ。弓を構え、我々を狙う。なぜか?
布教の敵対者か。逃げ、岩場に隠る。矢が飛び、兄弟また一人倒る。
我は傷つき、血を流す。ここにて日記を示す、祈る。神よ、導きたまえ。
六日目、独りとなる。兄弟たち失い、飢えと傷に苦しむ。
「....私は...まだ使命を...あの若人たちが帰りを...リドゥ...」
バタ
本を閉じる。まだ残る部分はあるがところどころ水浸しで見にくいし止めた。
幸い余っている部分はまだ書けそうだし。使わせてもらう。
もちろんいい場所を見つけて丁寧に書く
だからもう日も暗い、明るい時で何か隠れを見つけないと。
しかし...天啓か...
(俺の思いすぎだといいか...こうもいろんな存在が集まるとどうも...まさか全て線引きされているんじゃないのか?)
「しかし、誰もいない、矢もこない」
しばらく読んでも何もない。ならば頑張ってあれを拾うとするか。
遺体を埋める。土を掻き、川辺に。安らかに、と呟く。
「...しかし現実的に考えれば死んだものに財産なんて...なら使えそうな...いいやダメ...ん?そういえば日記には水が熱く...あれ、最近にも起こったことじゃ?」
なので日記は持っておく。
地図に重ねて進めばいかないと。
目指す先はないため今しばしは、待機したい方がいいだろう。
死者が沢山出ている。こんな短い間に沢山見た
しかし、好奇心が上回る、今は知りたい。この島の秘密、何もない、何もできない俺にできる、死者への捧げ...だろうか。やれることはそれだけだと思う。
「それに、場所を知りて、己は進むべき道を知る。古にの諺が一つ、アザガストの言うことらしい。」
この日記は何か導きをもたらしてくれかは知らないが、今のところ面白い話や、自分がやってきたことを教えてくれるから、丁重に扱いたいものだ。
それがまさか..少し面倒なことに繋がるとは思いもしなかった。




