第七十三話 巨獣
「おい!石を構えろ!」
「剣はいい!近接は俺が防ぐ!頼む!友よ!」
「承知した」
そう頼めば俺は空へ飛ばなくてはならない。
男は手に持つ大槌を振り回して回転をつけてはそのまま空へと飛び上がる。
下から見上げて行けば、やつは全身を光らせる鱗のようなもので体を完全に包み込む。
雷霆のせいで見えないものも多いだろう。
そう、こいつはガルシドュース、今やガルシドュースの体から迸る雷で誰もが視線を塞がれるだけだろうが、今回は違う。
「大きく...山ほどに」
セオリクの声だ。
「ああ、確かに大きいな!」
答えだけをしては、返事も待たずしてドゥラグナ・ニリマ・スラグド(勇敢なる突進)で加速しては飛行をする。
風が裂けた。
それは音というよりも、世界が軋むような感触だった。
(...ずいぶんと詩的だな、俺の考えらしくもない...また誰かの記憶か。)
続く感覚には乾いた空が揺れ、雷の粒が霧を割る。
そう感じてしまうこと。
気のせいか空を見てもどこか淀んでいて...そういわば上空では風層がいくつも重なり、層の境界ができたんじゃないか。
きっと飛翔する者の視界には、ただ灰と稲光しかない。
ほかに誰がいてもそうだろうと。
「ん?」
雲海の下、ひときわ濃い影が蠢いていた。
山脈
(なんだ?)
そう見えたのは、ほんの一瞬だけだった。
その稜線は呼吸していた。
谷の底で霧が吸い込まれ、山の頂で白煙が吐き出される。
まるで大地が肺となり、山脈が呼吸しているかのように。
大きすぎる。
重厚、鈍重、堅牢、膨大、甚大。
いくつと言葉を並べてもこれが生物だと理解したくとも無理だとしか言えない。
あまりにも大きすぎてしまう。
(生きているのか?)
風は重く、鉄の味がした。
(生き物が持つ匂いか?!これは?)
雷にでも土を焼かれたように湿った焦げの匂いが鼻を刺す。近いせいか。大きすぎるせいか。両者か。
これはとても大きくあるように感じてしまう。
(もっと上へ行くか...全貌がまるで見えない。)
遥か下、平原はすでに見えない。
(ここまでくれば...)
霧の海がすべてを飲み込み、空と地の境界すら曖昧になっていた。
やつが出した霧だ。
その上を人が影。雷霆を放ちながら炎を身に纏う姿を果たして人と呼ぶべきか。
それはわからない。
(いや人だろ、見ろよ俺の鎧を、服を、鎧か服かもわからないこれを。)
やがて、霧の奥から“動き”が現れた。
時間を取りすぎたせいではない。
ガルシドュースという存在は考えながらに戦いては動いては未だになんら弱くなることも、彼が鈍ることもない。
しかしそれは変わっていく。変わって行った。どんどんと進んでいく変化がある。
最初は地殻が変動のように、地が浮き上がるほどか?そうもわからないような。静かな隆起だった。
だが、時間が伸びるにつれ、それは形を持ちはじめる。
黒い峰がうねり、岩肌のような表面が脈打つ。
岩ではない。金属のような光沢を帯びた甲殻だ。
(何か起き上がってくる!!)
縦に裂けた隙間から、赤い光が滲み出ている。
脈動のたびに、光が点滅する。
その周期は心臓の鼓動に似ていた。
霧が割れる。
(あっつ?!風!?熱風!!)
熱を孕んだ風が上昇し、空を押し上げる。
(炎を纏う俺だぞ!?)
不自然な暑さに衝撃を感じる。確かに衝撃力のある突風で体が少しだけぐらつくようになる。
やがて雷霆がその輪郭を照らしたとき、ガルシドュースは理解するだろう。
――これは山ではない。
(ん?何を行って...え?)
広がりの概念が崩壊する。
峰が十、二十と数えられぬほど並び、それぞれが筋肉の隆起のように連なっている。
だがそれは単なる筋肉の動くだ。
肉が大きすぎて見えなくなっただけで、全貌がまだある。
あまりにも大きい。
ひとつひとつが街ひとつを覆うほどの巨大な盛り上がり。
それは筋肉が組織の一つでしかない。
それらがゆっくりと波打ち、地表を押し上げていく。
いいや違う。
山脈が波打つ━━ありえない動き。
これは山ではない。全部何かの体だ
現実としてそこにあった。
黒い殻の表面には、無数の亀裂が走っている。
その隙間から青白い閃光が漏れ、内部を走る何かが透けて見えた。
光の筋は流体のように脈動し、甲殻の下を循環している。
まるで血流だ。
だが、血ではない。電流だ。
雷鳴が、そこから発せられている。
(ち...血が...?雷..?)
(いや待てよ...雷..以前どこかで?そう言えば俺の二つの神術はなんらかの関係があるはずでは?)
突ッ!
風の層が乱れた。
(うっ、考えてる場合じゃない!風が!でも雷と火が気に)
「わぁ!」
熱波が一瞬、上昇して空気を歪める。
距離が狂い、遠くの何もかもが幻覚のように揺らぐ。
黒鉄の山体が、ゆっくりと姿勢を変える。
谷が崩れ、砂が吸い込まれていく。
下に霧が吸われ、雲が吸い込まれていく。
いや上がっているとでもいうか。
上空から見れば、なお大きい
(果ては何処だ?)
空全体が、巨大な肺の中に変わっていた。
(うっ!吸われる!何処で息をしてやがる!)
風の流れは一点に収束し、霧が渦を巻いて吸い込まれる。
その中心、暗い裂け目が口を開く。
(何処にある何処を言っている!何処にある話だ!教えろ!)
内部には、白磁のような膜が幾重にも折り重なっている。
まだ閉じたままの瞼。
「瞼ッ!」
(は?まさか瞼を開けているだけでこの威力とでも!?!」
光が、瞼の裏で走った。
稲光ではない。
内側から、青く柔らかな光が滲み出る。
それは雷光のように暴力的ではなく、まるで心臓の拍動を映すような静謐な光。
山体全体がそれに呼応し、震え、蠢き、そして止まる。
そう視線だ。視界だ。
ただの名が光を集めているだけで、あまりにも大きすぎるからとても大きな光を放っているように見える。
一瞬、静寂。
風も、音も、止んだ。
霧がその場で凍りつく。
無音の世界。
「何が..」
(声がうまくで、光もない、まさか瞼を閉じて?それだけで?)
轟ッ!
次の瞬間空気が押し上げられた。
目に見えぬ波が走り、雲が弾け飛ぶ。
重い低音が地の底から這い上がってくる。
音というより、衝撃だった。
(音がこうなるわけないだろ!)
大地が呼吸する。
谷が開く。
霧が吸われる。
空が沈む。
どれほどの時間が過ぎたか分からない。
やがて、山脈の中央部が隆起した。
それは背骨のように見えた。
稜線が連なり、連なり、さらに連なって一つの曲線を描く。
まるで..そのものが、この生物が背を伸ばすように。
(やってられるか!これ以上動けば周りが全て消される!やらなきゃ!)
(降りるしかないな……)
雷を纏い、風を裂き、身体を傾けて落ちる。
空気がひときわ重くなる。
視界に映る“山脈”はあいも変わらず巨大で、遠近感を狂わせる。
だが、その稜線に近づけば近づくほど、確かな“生の熱”を感じ取れた。
(生きている物が皮膚にしては……温かすぎる。熱がどんどん近づいくる。まるで火山だ、山ほどあるこいつんは火山に近い感じだ。)
靴底が霧を踏み抜くように、黒鉄の表面へと降り立った。
着地の衝撃が、まるで液体の上に足を置いたように柔らかく吸われる。
(くそ、硬いな。)
甲殻だ。だが、ただの金属ではない。
打つたびにわずかな反響があり、低くくぐもった脈動が返ってくる。
(近づかないと神術の最大を流せないと思ったか想像以上の硬さだ。表面で高密度に神術を圧縮したのがわかる。)
そう、近いからか、密度が高すぎて漏れないか。
こいつに近づいてやっと硬さがわかった。
神術を集中させて、性質を変化させているほどの硬さまである。
(俺にはまだできない高度な技だ、少なくとも今の俺じゃ無理だ...だとすれば...どう破ればいいんだ...?)
ドクン。
ドクン。
(……やっぱり、生きてやがる。)
視界の端では、青白い線が皮膜の下を走っていた。
それは血管のようでもあり、雷脈のようでもある。
足下を伝う微振動が、内部を走る電流の流れを感じさせた。
「……走るか。」
触ることで感触を確かめないとわからないこともある。
それも長く触ることが必要かもしれない。
足を踏み出した瞬間、表面が低く唸った感覚。
まるで、自分の存在を察知して応じるように。
黒の甲殻は硬く、冷たく、それでいて柔軟。
(変化している!?ここまで大きさが違う俺がわかるのか!?)
踏みしめればわずかに沈み、次の瞬間には弾力をもって押し返してくる。
動いている。いや、呼吸している。
(どっちだ!)
走る。
雷が金属質な鱗状のもので出来た靴底と一緒に火を散らせば火花が大きく飛び散り火柱へと変わる。
(距離感の失われた世界かここは、自分の足音だけが確かな現実だッ!そう言いたくなる。)
進む近くだけわかり、霧が裂け、足下の亀裂が青く光ることが疎なのがわかってくる。
その間隔が次第に広がっていく。
(まるで……背骨...骨の節々みたいだな。)
走るほどに、段差と窪みが明瞭になる。
山の稜線だと思っていたものは、隆起した筋肉の束か。
谷だと思っていたのは、関節の間の窪みか。
地形が解体されていく。解明されていくというべきか。
(大きすぎる...)
理解が、音を立てて崩れていく。
(これ……四足か?)
立ち止まり、目を凝らす。
遠くの地平に、二つの巨大な弧を描く構造が見える。
まるで肢体の上部...いうとすれば、その上にある肩の方の肉か。嘘だとしか思えない。
さらにその奥、霧の向こうには、尾のように伸びる黒影があった。
全貌はまだ掴めない。
だが確かに、この“山”は地に伏したままの四肢を持つ。
動くたび、地表が波打つ。
その波に合わせて風層が唸り、稲妻が尾を引く。
筋肉のうねりか?
(生物の規模じゃねぇ……これは、デカすぎて言いたくなる...世界そのものが動いてるみたいだ。)
試しに掌を甲殻へと当てる。
表面は金属の冷たさと肉の温もりが同居していた。
掌の内で、微細な振動が周期的に伝わる。
電磁の鼓動――いや、鼓動を電流で模倣しているのかもしれない。
(驚くな落ち着け..考えが適当になっちゃいけない!)
「……お前は何なんだ。」
呟きが風に呑まれた。
答えはない。
ただ、巨大な存在なのだけは分かった。
「ん?」
また実感する
ふと風が変わる。
下方から、乾いた咆哮のような音が響いた。
低く、深く、腹の底を撫でるような音。
(いや、血の流れに近いな...走りすぎて疲れている時の脈動に近く感じるぞ。)
(……呼吸の再開か?いや、目覚めか...それだ。)
「なんだって前で何か、いや足元も動いてはいる...」
背骨の列が、ゆっくりと伸びる、伸びているんだな。
地が軋み、空が揺らぐ。
稜線の端か、前肢のような構造が、ほんのわずかに持ち上がる。
見える?長い、雲を突き抜けるから先が見えない。
山が、山脈が立ち上がろうとしている。
(なんだこれ...)
ゴゴゴゴゴ
地が、鳴った。
低く鈍る地鳴りが山の骨を伝って広がる。
空気が震え、霧が一瞬で退いた。
山肌に見えた黒鉄の大地が、ゆっくりと割れていく。
稜線が波打ち、隆起がある。
なぜならば “それ”は起き上がろうとしていた。
まず、背が伸びる。広がるというべきか。
人が肩を広げて背中を大きく見せるように見えていく。
次に、肩のような部分が盛り上がる。
岩のような塊が左右にたくさんと広くずれ、
霧の底から二本の巨大な前脚が徐々に上へと上げられては現れた。
飛んでいるから全体が見えない。
だが黒い鋼のような爪が、地を抉り、破片が散っていく。
地表の岩盤が粉砕されていく。
どの破片も山ほど、もっと的確に言えばガルシドュースの数十倍の大きさか。
(前脚……あれが、脚なのか?大きすぎる...俺の数十倍だと?)
脚が持ち上がる。
山が持ち上がる。
それだけで、地平が崩れ、谷が反転した。
崖が宙へ舞い、砂塵が逆巻く。
災害のような光景が起こる。
やがて消える。
風に全て吸い上げられたからだ。
それは動いている体。
そyしてその巨体は、前脚を掲げた。
黒い影が、太陽を覆う。
その輪郭が空を押し潰しては重い何かであたりがねじれたように感じる。
膝から垂れる岩の塊が剥がれ落ちた音が響く
次で山のひとつが、まるで泥の塊のように崩れた。
ボオオオオオ!
咆哮。
空が割れた。
耳ではなく、骨で聞く音。
(骨まで響く!統制法で制御しなくては!)
地の奥底から押し出されるような、純粋な力の放出。
対抗するか。
雷鳴が一斉に走り、雲が砕け、
空気が燃えるような音を立てる。
霧が弾かれ、風が裏返る。
視界が白く飛び、
山肌を砕いた衝撃波が先まで走った。
(あれは!アスフィンゼらが!まずい!)
前脚がゆっくりと地を叩く。
その一撃で、谷が崩壊する。
空気がうねり、砂が舞い上がる。
まるで世界そのものが、
一匹の獣の咆哮に従って震えているかのようだった。
ただ空中に浮かび、その光景を見下ろしていただけでもゾッとする。
(いいからどうすればいいんだ!頭の声なり止めよ!)
巨獣は霧の中で再び呼吸し胸の奥で雷のような音を鳴らしている。
(呼吸だと?!やばいいずれ当たる!)
ゆっくりと、そう、それは四足の姿勢を取り戻す。
空気が押し潰されるような音を残しながら。
生きてる。完全に。
(生きる?そうだ生き物は何を)
ボオオオオオ!
その背は、もはや天よりも高かった。
光を呑み、影を産む。
黒い獣が、世界の上で息をしていた。
(跳ねやがった!どうやって!俺の頭上までか!?)




