第五十九話 帝都大備忘録・捌 山は分かれた
「……しばらくは出てこねぇな。」
ハルドが短剣を振り、付着した肉片を地面に振り落とす。
「ああ、けど油断するな。あれはそのうち再生する。」
俺は膝をつき、地面に手を当てた。震動はない、森の鼓動は静かだ。
「てことは……」
ハルドの声が低くなる。
「逃げる準備だ。」
俺は顔を上げ、護衛たちへ視線を走らせる。
「魔車と魔獣を全て用意しろ!動けるやつらは負傷者をまとめろ! 今のうちに街の方へ抜ける!」
「おい、聞いたな!」
護衛の隊長が叫び、兵たちが一斉に動き出す。荷物が積み直され、血まみれの負傷者が担ぎ上げられる。
「急げ、また這い出してきたら森ごと飲まれるぞ!」
ハルドが護衛の背を蹴るように急かす。
空気はまだ熱を含み、煙が肌にまとわりつく。
俺は振り返り、燃え落ちる森を一瞥する。
「……ここも長くはもたねえ。火が消えたら、また狩り場になる。」
「街まで行く気ですか、旦那様。」
護衛の一人が俺を見上げ、息を切らしながら問う。
「行くしかねえだろ。ここに残ればまた喰われる。」
俺は血管を切れた腕先に絡め、焼けただれた皮膚を縛る。
「俺がもう一度立てなくなる前に、出発だ。」
「あいよ、エバンドルの旦那!」
ハルドが力強く答え、荷車の準備へと駆ける。
手配を頼んだあと、俺は土に片膝をつき、左腕を見下ろす。
(疲れた...本当に...)
腕の残った部分は皮膚が銀と赤のまだら模様に覆われて、脈打つような熱を感じさせる。
そして焼けた匂いが腕から立ち上る。
「逃げる準備だ。」
俺は声を張った。
まだぼうとしているやつらに向かって。
「食料だけだ!そして護衛はハルドにつけ、村の奥の方で魔車と魔獣を全部用意しろ! 動けるやつらは負傷者をまとめろ! 今のうちに街に向かうぞ!」
護衛たちが一斉に動き出す。
俺もすかさず飛び起きてついていく。
じゃらん ジャリン
村の奥に並べられていた魔車が揺れ、御者台の明かりが灯される。
隣では魔獣たちが鼻息を荒くして地面を掻き、荷車からかかる鎖が鳴る。
ハルドが走り、荷車の積荷を確認し始めた。
「おい、荷は半分捨てろ! 食料と水、治療道具だけ残せ! そういったすぐ使えるものだけだ、武器でもなんでも。あとは、残りは燃やせ!」
「燃やすんですか!?」と若い護衛が振り返る。
「速さなんだよ!やれ!」
俺が言うと、護衛はしかめ面を抑えたような表情で頷き、荷車の箱をひっくり返し、爵銀の結晶体などを捨てる。
(もったいないが、修練して吸い取る暇はねぇ。)
村人たちも納屋や家から飛び出してくる。子どもを抱えた女が泣き叫び、老人が杖をついてよろめきながらも、焦りの現れのように息を切らしながら歩く。
俺はその行動を見極め、指示を飛ばす。
「老人と子どもは先に魔車へ! 力のある者は荷物を運べ!」
(俺らしいのか、誰かを助けてやるのは...?めんどくさいな。)
土の地面を引きずるように麻袋が運ばれ、荷車に積み込まれる。
地面はまだぬめっていて、足元に赤黒い水たまりが光る。滑って転んだ村人を、護衛が片腕で引き起こした。
ハルドが駆け寄り、俺の前に立つ。
「旦那、魔獣は三頭生き残ってます。残り二頭は脚をやられてる。置いてくか?」
「よこせ、儀式に使う。ちょうどいい回復になる。
俺は森を振り返る。赤黒い煙の向こうで、まだ何かが蠢いている。
護衛二人が短剣を抜き、倒れた魔獣の首筋を裂いた。血が地面に流れ、熱を帯びて蒸発する。むっとする匂いが辺りに広がる。
しばらく儀式をする。
(儀式...待てと...いや、待てよ...そもそも儀式は肉体と魂のはずだ..?ならば何で俺は自身の腕を儀式に使っても回復できた...)
「旦那ぁまだでっか!」
「ああ、すぐだ!すぐにいく。」
「荷物を載せて用意しろ!出る用意だ!」
「あいよ!」
「荷車三台、魔車一台、先頭は俺が行く。」
俺は荷車の上に立ち上がり、声を張る。
「隊列は細長く組め! 森の道は狭い、横並びはするな! 槍と盾は後ろに回せ!」
護衛たちが慌ただしく配置につく。槍を持つ者が最後尾へ走り、盾を持った者が村人の外周に立つ。
村人の一人が俺の裾を掴んだ。
「エバンドル様、家は……家は燃やすのですか……?」
俺は短く頷く。
「残せば腐るだけだ。火をつけろ。」
老人が嗚咽しながら家に火を放つ。藁葺き屋根がぱちぱちと音を立て、炎が赤々と立ち上る。
その炎が防壁の血痕を照らし、焦げた匂いと混じり合って夜を赤く染める。
魔車が一台ずつ門の前へ移動する。御者台に護衛が座り、魔獣の首輪を締める。鎖が鳴り、鼻息が荒く響く。
「出発まであともう少し!とっとするんだぁ!爺さんも泣くんでねぇ!あっしだって!」
ハルドが叫ぶ。
俺は森を見据え、血管を腕に巻き付けた。皮膚の下で蠢く脈がまだ早い。
霧の奥からかすかなざわめきがする。肉が擦れ合うような、湿った音。
(この感覚は...体が少しずつ、超常的な感じに戻っている。これが...俺がこの世界に拮抗しているのか...)
ふと思い出す
地火風水のこと。
(あの時にも... 確かにあった、世界の循環とかで、小さくある世界を作り出せると...まさかここも精神を糧にした..もう一つが世界?)
「急げ、奴らが目を覚ますぞ!」
護衛声に、村人たちの足が速まる。
俺の早まる意識も引き戻される。
「ええい、あっしにまさせろぉ!」
ハルドは待っていられなく、泣き叫ぶ子どもを抱え、最後の荷車へ駆け込む。
魔獣が前足で地面を叩き、鎖が一斉に鳴る。
「旦那、準備整った!」
ハルドが駆け戻り、俺に頷いた。
「よし……出すぞ!」
俺は片手を振り下ろし、魔車が一台ずつ森の道へ進み始める。
(実力だけで勝ったがこういう時は、彼のような性格が一番だろうな。こういう苦しい時に重宝したい)
「む...」
荷車がぎしぎしと音を立て、村人の列が続く。最後尾に槍兵が並び、盾を構える。
門がきしみ、土の上を引きずられる音が響く。
俺は最後にもう一度森を見た。煙がわずかに消えるように動く。肉のうねる影が、奥で身じろぎした。
「……遅かったな。」
俺は血管を巻き直し、最後尾へ歩く。
荷車が門を抜ける瞬間、背後で森がざわりと揺れた。
「走れ! 街まで止まるな!」
列が一気に動き出し、村の遠くへと消えていった。
「来るなら来い...」
「うえぇ...ひどぇ。」
「確かに酷くぐらつくな。」
道は細く、魔車の車輪が泥をはね上げるほど歩きにくい。また泥が上がるほどに揺れるたび、前後の列を気にしてしまう。
荷車に乗れなかった護衛や村人は横を全力で駆け、息が荒くなるたびに鎖の音と鼻息がする。
「旦那様、速度そ落としますか? 魔獣が荒れています。」
前方から一人の声の声が飛ぶ。
(名は確か...)
「グラル・ガッヤか、おお、けどまだだ、せめてもう少し、出来る限りだ、そうだ夜が開けるまでにしてもらいたい。グラル・ガッヤ。」
魔獣の首輪を操る鎖がぎしぎし鳴り、御者台で男が必死に体を倒して手綱を抑えているのが見えた。
「しかし...うぉおお大変申し訳ござい」
俺は片手で血管を巻きつけてもなお血の滴る腕を押さえ、息を吸った。
「まだだ、ここで止まったら追いつかれる。森を抜けるまでは全速だ。頼む...」
「...」
ハルドが荷車から飛び降りては、前方へと。
手綱を押さえる御者に声をかけながら、魔獣が引く荷車を押す。
魔獣は鼻を鳴らし、泥を蹴って再び速度を上げた。
荷車に揺られる村人たちが悲鳴を上げる。車体が跳ね、積まれた麻袋が落ちそうになるたび、護衛が片腕で押さえた。
「おい!荷台から落ちたら拾えねぇぞ、頭下げてろ!」
護衛の怒声に、泣きじゃくっていた子どもが声を詰まらせて黙り込む。
(...ずいぶんと大変になった...俺はただ魔女を倒して終わりと思っていた..そもそも魔女ってなんだ...セオリクの妄想だったりして...)
こうして考えが深まり、気がつくと光が少しだけと出てきた。
「旦那ぁ、後ろは静かです! ですよね!んじゃ今んうちに休ませんで?」
「いや、ここで止まれば気が抜ける。いっそ走らせろ、体力が尽きるまでだ。」
「へい、おっかねぇ、おっかねぇ、うぇい」
ハルドが息を切らしながらも笑ったり変顔をしたりして、まるで、いやおそらく、気を紛らわせたり、周囲に気を紛らわせたりさせたいようだ。
事実こいつの笑い声に、荷車の上の子どもが少し泣き止む。
俺はで小さく息を吐いた。
(やはり、こういう時に必要な男だ。)
「旦那、とっと よっとと」
ハルドが魔車の窓を開けて、そこに手をかけ、話す。
「こんだけ村を捨てちまったあとで、本当に街に辿り着けるんでしょうかね。悪事で悪人ぽくてあっしやんすよ。」
「辿り着くしかねえだろ...森から出た方向がおかしくて...屋敷に近い街の方には行けないし...」
俺は言い切った。今、絶望的な現状だ。
「だから、街までだ。ここで死ぬわけにはいかねえ。お前も嫌だろ、村の中で肉の塊になるのは。」
「ま、そりゃそうですけどね。」
ハルドは鼻を鳴らし、前方に視線を戻す。
魔獣が鼻息を荒くし、蹄で泥を蹴った。
列の横を走る護衛が、落ちそうになった荷を押さえつける。
「水、回せ!補水しろ、まず動ける護衛!次に負傷者、最後に弱い奴らだ!」
俺が叫ぶと、後方の護衛が皮袋を開け、荷車の上で渡していく。
しばらくしてやっと子どもらに回る。
泣き疲れた子どもがごくごくと飲み、母親が小さく礼を言った。
「旦那ぁ、あっしらや護衛の兄さんはともかく、そうあにさんらはとんかく、どうも村人がもたねぇかも。」
「だから水をやってる。泣き声があるうちはまだ走れる。」
「暖かいこと言いやすね。」
「違う、冷たいのさ。そう思え。冷たいくらいがちょうどいい。俺は熱い男だからな。わかる?熱い。」
「へい?」
「これ冗談だよ?」
「...ん?今のは聞いてないことにしやす。」
俺は腕を押さえ、皮膚の下で脈打つ熱を感じた。
まだ痛むが、動かないわけじゃない。
それよりも恥ずかしさが少しばかり強い。
恥ずかしいことをすると腕を抑えたくなるものさ。
(気を紛らわしたい。)
回復が早すぎるのも気になるが、今は考えている暇はない。
「旦那。」
今度は列の中ほどから声が上がった。
老人を支えていた護衛の一人が、息を切らしながら言う。
「後ろに置いてくしかないものがおそらく、次に...いかがなさいますか。」
「置いてけ。足の止まった奴は拾えねえ。」
即答すると、護衛は一瞬黙り、やがて短く頷いた。
その顔に妙な色はない。ただ状況を呑み込んだ者の顔だった。
「旦那、冷徹ですな。」
ハルドが小声で笑った。
「弱さを見せると付け上がる。問題があれば俺がどうにかする、こんな程度で捨てるわけはないが、駄々を捏ねさせないためだけに。」
俺はハルドの耳元で小声で淡々と答える。
「こういう時は、助かる数を増やすことしか考えるな。迷えば全員が終わる。」
「……あいよ。」
ハルドは納得したように息を吐き、また列の先へ走った。
俺は列の最後尾を見渡しながら、もう一度振り返った。
森は相変わらず黒々と沈黙している。追ってくる音はないが、それがかえって不気味だった。
(……本当に、あれは止まったのか?)
疑念が頭をかすめる。
あの肉塊は、時間が経てばまた動き出す。
森が完全に眠ることはない。だからこそ、急がねばならない。
「旦那ぁ、でっけ丘が先に、もうきついかも!
」
前方からハルドの声。
確かに、明かりが丘を照らし、大きさをとても示してくる。
「止まれ!」
俺の声に、列が一斉に減速する。
荷車の車輪が泥をはね、村人たちが息を切らしながらしがみつく。
護衛が横を並走し、転びかけた者を支える。
「おとなしくなれよオラァ!疲れすぎて狂ってんのぉ!」
ハルドが叫び、魔獣を抑える。
魔獣が嘶き、さらに悶える。
丘に差し掛かると、闇が一気に広がった。
村人たちが悲鳴を上げる。
「黙れぇ!」
俺は爵銀を纏って 声を張り上げる。
騒々しい声が一瞬で途絶え、誰もが再び黙々と走る。
ただ。車輪が土を削り、荷車が揺れる音、鎖が鳴り、蹄の音が続く音のみが残る。
森の黒い影が頭上や背後に広がり、風が冷たく吹き抜ける。
「旦那……止まりましたぜ。」
ハルドが御者台から身を乗り出し、息を切らして笑った。
村人の何人かが啜り泣きし、互いに抱き合った。
「泣くのは後だ。少し休憩だ」
俺はそう言って最後尾まで歩き、森を振り返り見た。
あの闇はまだそこにあり、じっと俺たちを見ているように思えた。
(まだ終わっちゃいねぇ。)
俺は胸の奥でそう呟き、へたり込んだ。
空がかすかに白み始め、木々の影が薄らいでいく。しかし大きな丘、いや山というべきそれに夜影で、夜の底から抜け出したことを全員が肌で感じられるのだろうか。
どちらにせよ。
疲労は溜まりに溜まっているようで。
誰もがその場に座り込み、声も出せず肩で息をしていた。
「……ふぅ、死ぬかと思った。」
ハルドが尻もちをつき、空を仰いで大げさに息を吐く。
「旦那ぁ、どうせ休むなら火、焚きやしょう。食わなきゃ誰も立てやしませんぜ。」
「火を……」
俺は一瞬考え、周囲を見回した。森はここでは浅く、空が開けている。煙を上げてもすぐに気づかれることはないだろう。
(それに、森のあの火の勢い、多分大丈夫なはずだ。)
「……いい、焚け。ただし煙を立てすぎるな。湿った枝は避けろ。」
「あいあいあいあい、あいよ。」
ハルドが立ち上がり、近くの護衛に指示を飛ばす。彼らは手早く枝を集め、いくつかの小さな焚き火が並んだ。
火が灯ると、村人たちがその周囲に集まる。泣き疲れた子どもが母親に抱かれたまま眠りこけ、老人が杖を膝に立てかけて座り込む。
護衛たちは荷車から麻袋を降ろし、水を焼けば。干し肉と黒パンを入れてみる。
(...にしても貴族にしては随分...食事が...もしかしてこの場所は俺が知る...現実世界より、生産性が低いのか...?普通なら柔らかいパンが多くあるはずで。)
「ほれ、まずは旦那やお嬢、次に動けるあっしら」
ハルドが言うと、護衛たちがうなずき、順番を崩さぬように配給を続ける。
干し肉と黒パンは固く、煮ても塩辛い。
だが村人たちは夢中で食して、飢えた胃を満たした。
護衛たちには水袋が回され、喉を鳴らして飲む音が夜明けの森に響いた。
俺は焚き火の端に腰を下ろし、左腕を確かめる。
皮膚の銀と赤のまだら模様は少しずつ薄れている。熱は残っているが、指先は動かせた。
「……回復が早いな。」
思わず呟くと、隣に座ったハルドが片眉を上げた。
「お、やっと落ち着いた顔になりましたな、旦那。どうです、今のうちに寝ちまいやすか?」
「寝れるかよ。まだ半分も逃げちゃいねぇ。こんな丘の下。」
「そりゃそうだけどもよぉ。だってさ。」
「……あんた、よく喋るな。」
俺が言うと、ハルドは肩をすくめる。
「黙ってたら、あっしも怖くなっちまうんでね。喋ってる間は死んでない気がするんですよ。」
「そうか。...実は俺もそんな気がする、お前が喋るとみんな少しだけ暗い顔じゃなくなるから、多分...」
そのとき、焚き火の向こうから小さな声が聞こえた。
「エバンドル様……」
見ると、さっき家に火をつけた老人だった。震える手で黒パンを握りしめ、深々と頭を下げている。
(そこまで皿がないからな...しかしこの爺さんの歯でいけるのか?)
「助けていただき、ありがとうございます……村は……村はもう……」
言葉が続かず、老人は嗚咽した。周囲の村人も黙り込み、火の音だけが響く。
俺はしばらく黙ってから言った。
「生きてるだけましと思え、街に着いたら俺が新しくやってやる。」
老人は顔を上げ、涙をぬぐった。
「……はい。」
火に照らされる村人たちの顔に、わずかな安堵が広がる。
不安は消えないが、絶望ではなくなったはずだ。
啜り泣きしていない限り。
「よし、全員食ったな。もう少していくぞ。」
話をしては、護衛がこちらに水袋を持って回る。
俺は残りを食べ終え、給水すればゆっくりと立ち上がった。
「本当に出発はまだでっか?」
ハルドが問う。
「あと少しだけ休ませろ。足が動かなくなる前に、もう一度走る。」
「へい。」
ハルドは焚き火に手をかざし、目を細める。
「……こうしてると、さっきの森の中のことが夢みてぇですな。」
「夢ならいいがな。ともかく街だ、次に帝都だ。」
俺は森の方を一瞥した。夜明けの光で影は薄れたが、あの闇が消えたわけではない。
(走り続けるしかねえ……まだ終わっちゃいねぇ。)
「しかし旦那ぁ、あんた帝都のお方と知り合う大物なんで?」
俺は深く息を吸い、焚き火を足で崩した。
火が消え、白い煙が立ちのぼる。
(...今更言えるか、帝都がなんとなくすごそうと思って、助けてもらえるんじゃないかって感で決めてたなんて。)
「――さあ、行くぞ。次は街まで止まらねえ。」
「何度目で?エバンドルの旦那?その話」
無視して、護衛たちの方を見る。
護衛たちが立ち上がり、荷車に再び荷を積む。
村人たちも名残惜しげに火から離れ、列に戻る。
「いや、待て。いいこと思いついた。」
「はて?なんで旦那?」
「投石器を知っているか。」
「ええ、そうで。」
丘のすぐ下で息を整えながら、俺は目の前に広がる黒い山塊を睨んだ。
「この山を回り込む時間はねえ。抜けるなら、ここを一気に越えるしかねえな。」
ハルドが目を剥いた。
「越えるって……まさか登る気じゃねえでしょうな、旦那。」
「登るより早い方法がある。」
俺は深く息を吐き、土の地面に手を突いた。あたりの冷気が骨まで染みる。
「山の腹を吹き飛ばして、跳ぶ。」
一瞬、誰も声を出さなかった。
次の瞬間、護衛のひとりが咳き込んだように笑いか、驚きか。
「は、あ!跳ぶ!?」と叫ぶ。
「そうだ、跳ぶんだ。爆風で。」
俺は立ち上がり、荷車の積荷を指差す。
「回復ようの魔蘇薬が三つあったな、大きいなあれだ。あれと油瓶、残りの火種を全部出せ!。」
「正気か、旦那!」
ハルドが頭をかかえる。
「あれは単に回復で飛べるわけ。」
「いや飛べるさ。俺にいい考えがある、ありまくる。」
「そう、谷に向ければ吹き飛ぶのは空気だけだ。岩を崩すんじゃねえ、ただ空を蹴るだけだ。」
俺は言い切った。
「いいか、今止まって休めば、明け方に追いつかれる。ここで跳ばなきゃ全員死ぬぞ!ヘイ!しゃっあ!うりゃ!」
迷いのない指示に、落ち着いたように動き出す者が出てくる。
何人かはヘイ!ってなんだと言ってくるが気にしない。
荷車の蓋が次々に開き、油瓶と魔蘇薬が地面に並べられた。
一つとって飲んでみる。
(この感覚...癒着だ...ならば、癒着する際の反発ならどうだ?)
「ハルド、護衛を集めろ。荷車を横倒しにして台にする。」
「おう!」
ハルドが号令を飛ばし、護衛と、勝手にきた村の若者が駆け集まる。
ぎしぎしと軋む音とともに荷車が持ち上がり、谷に面した側に横倒しにされる。
「魔車は?」
「もう結晶はほとんどありません」御者が叫ぶ。
「よし、先頭に並べろ。爆風を制御させる。」
「へぇおっかねぇでっせ、あっし。恐ろしくてガクガクブルブル。」
俺は地面にしゃがみ込み、簡単な計算を頭の中で組み立てた。
(爆風の角度、距離……山腹の傾斜、荷車の位置、魔車の重量……)
果てに動力。
(やはり。)
脳裏に、かつて我が戦場で見た大きく、投石機、あの跳躍弧がよみがえる。
(...我が..?なんだ今のは?)
「……行ける。-あとは土の確認だ。」
岩と土が混じった硬い地盤だ。これなら十分耐える。
(癒着、それは、裂けた肉を引き寄せて結びつけるだろう。だが、過剰に使えば、結びついた瞬間に反発が起こる。まるで弓を引き切ったあと、弦が戻るように..おそらくは難しい...だが魔法があれば机上の理論は現実になる。)
俺は立ち上がり、護衛たちへ振り向いた。
「全員、荷車と魔車にしがみつけ! 手を離したら死ぬぞ!そしては、魔車よ!動けと言ったら全ての最大を出せ!」
「仰せのままに!」
村人たちがざわめきながら荷車へ群がる。
泣き叫ぶ子どもを母親が抱きしめ、必死に荷台へ押し上げる。
老人も護衛に引きずられるようにして車輪の陰に伏せた。
「火矢用意!」
護衛が弓を構え、火のついた布を巻いた矢を番える。
ハルドが俺の隣に立ち、短剣の刃を火矢に当て、火を移した。
「旦那、これ、本当に飛ぶんですよね……?」
「飛ばなきゃ俺が一番先に死ぬ。」
そう言って俺は笑い、魔蘇薬の栓を抜き、丘の麓の各所に撒く。
むっとする硝煙の匂いが溢れ、鼻を刺す。
(こんなもの飲んでは体に悪そう。
油瓶を割り、魔蘇薬にかける。粘つく音が夜に響いた。
「後ろに下がれ!」
俺は杖を掴み、深呼吸してそこへ向かって投げ放った。
理屈はいらない。魔法であれば理屈はいる。
だが神術は違う。
神術はきっと常にある。
俺の中。この世界。何もかも存在している。
呼び出せなくても神術はある。
「神術よ俺はお前に命じる!我が意のままに!はぜろ!」
――ザリ。
乾いた破裂音。
地面に染み込んでいた魔蘇薬が一斉に光り、緑と赤の光脈が蜘蛛の巣のように道に広がる。
理由は一つ。
地面が“治る音”を響かせながら、ぎゅうっと縮む。
杖の先から迸る逆位相の、たかが想像上の魔法が、それを拒絶する。
矛盾する命令が衝突し──
山は開く。
「いまだ!はなてぇ!」
轟ッ!
ただの轟音ではない。
弓の弦が弾ける音、骨がはぜる音、巨大な螺子が解放される音。
荷車が、魔車が、地面ごと前方に跳ね飛んだ。
瞬間、山が揺れた。
炎が一気に立ち上り、爆風が地面を削る。
衝撃で 体が座席から浮き、胃が喉に押し上げられる。
耳がちぎれそうな音とともに、世界が白くなる。
きっと爆風が顔を切り裂き、目を切ったのだろうか。
だって耳の奥で血が沸騰する。
「しがみつけぇえええ!」
ハルドの絶叫と同時に、荷車ごと全員が宙へ浮き上がった。
体が地面から離れ、まるで天に引きずり上げられるように飛ぶ。
「うおおおおおっ!!」
誰かが叫ぶ声。
風が顔を切り裂き、煙と火花が視界を流れる。
驚きで口を開けて叫ぼうとしても、すぐに早すぎて口内に風が叩かれるようで息ができない気分だ。
幸い俺は飛べる。
全身が圧縮されるような感覚に押しつけられ、腹が裏返りそうになる。
でも飛べればいい。
苦しいか、恐ろしいか。
体が効かない感覚。
それでも
(...あっ、浮遊感が続くけどうまく動けない...もしかしたら...そういえば今は飛べないかも。)
「うおおおお!絶景でっせぇ!」
ハルドは呑気だ。相当俺の力を信頼してかもしれん。
(でも確かに...これは絶景だ。)
山に隠された、の向こうの景色が、一瞬で開けた。
遠くに街道が見える。森を抜けた空気が、朝の匂いを運んでくる。
でも浮遊感が止まらない。
(どうしよう、これが最後の景色だったら、正直降りたいかも。)
考えが
「うっああああばばあ!」
荷車が宙を舞い、次の瞬間、地面へ叩きつけられた。
衝撃が全身を突き抜ける。
車輪が軋み、誰かが転がり落ちる音がした。
ドォォォン!
「あれ...?痛くない?」
ふわりと受け止められた気分だ。
予想外に地面が“治る”ように沈み、衝撃を吸収していく。
(...あれ本当なら...なんだろうこれ?もっと砕ける感じだと思ったけど...なんで乾いた大地を踏みしめるこれ...死んでない?)
いや、思い出した。
(魔蘇薬!?あれか!)
魔蘇薬で地面が癒えた反動で山が飛んだ時に、魔蘇薬も飛んでいた。
きっとその破片が岩に土や車輪などを地面と接合や癒着させたんだ。
(これは....まるで柔らかな生き物の腹の上に落ちたかのようだ。心地よい。けど運悪ければ地面と一体化してたか...)
「ッんんだとぉ!生きてるかぁ!!」
俺は声を張り上げた。
呻き声があちこちから上がる。だが、誰も死んではいなかった。石の怪物にもなっていなかった。
「……飛んだ……!」
護衛のひとりが呆然とつぶやいた。
ハルドが笑いながら土を吐き出し、荷車を叩く。
「旦那ぁ!あっしら、本当に飛んじまいましたぜ!」
「あああぁあ!」
たくさん叫んだのに不思議と声は枯れない、上の空気が濡れていたのか。
そんな俺の声に、全員が再び立ち上がった。
恐怖と興奮とで顔を紅潮させながら、もたつきながらも、やがて列が再び整う。
「行くぞ!興奮が冷めんとこで。」
荷車が軋み、魔車が鼻を鳴らす。
丘を越えた先の道は緩やかに街へと続いている。
朝霧が流れ、空がかすかに白んでいく。
背後で山の爆煙がまだ上がっていた。あの谷はしばらく通れまい。
(これで追いつかれることはない……少なくとも、今日は。)
俺は先頭に立った。
「行くぞ! もうすぐで街だ!」
いい知らせだろうか。
この言葉で列が一斉に動き出し、まだ冷たい風の中を走り抜けていった。




