第五十三話 帝都大備忘録・参 剣客
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霧の中の影は、ゆっくりとこちらに振り返った。
俺の背筋が緊張で硬直する。
しかし、その姿は――
「……おや、旦那様。」
腰の曲がった老人であった。
片手には錆びた剪定ばさみ、もう片手には水桶。外套だと思ったのは、泥にまみれた作業用の厚布だった。
庭師だ。
俺の握った拳は、空しく宙に漂ったまま。
(……バカみてえだな俺。こんなんに力んでどうする。)
庭師は気にも留めず、口元に小さく笑みを浮かべて言った。
「朝は冷えますな。噴水もすっかり凍りついてしまって……。旦那様は、散策で?」
「あ、ああ……霧の加減を見に来ただけだ。」
「なるほど。旦那様は目がよろしい。ここは庭の中でも霧が深いところ。屋敷の方々はあまり寄りつかれませんが、わしは好きでしてな。」
言いながら老人は噴水へと歩く。
「……庭師、か。」
「ええ。わしはこの庭を三十年ばかり任されておりましてな。霧の朝は、特に手入れを怠ると枝折れや虫が増えるんです。はて、わしの顔に何か?」
老人は自然な口調で話す。俺は頷いた。
「何でもない、ただ散策しているだけだ。」
そう話しているうちも老人は手や足は止めずに噴水の縁に腰を下ろし、杖で氷の張った水面を軽く突いた。ピシリと音が走り、白いひびが波紋のように広がっていく。
俺はその音に妙な不安を覚えた。夢か現か判じ難い場所で、やけに現実的な音だけが大きく耳に残るのは逆に恐ろしい。
(こう言う時に呑気に錯覚と言うやつはいるが錯覚でも確かめておきたい。)
「旦那様。」
庭師は俺を見上げ、穏やかに微笑んだ。
「もしよろしければ、奥の林まで足を運ばれては。今朝は鳥がようけ集まっております。静かにすれば……羽音が“鐘”のように響きますぞ。」
俺は眉をひそめた。鐘のような羽音? 比喩にしては意味不明で、しかも妙に具体的だ。
「鳥の群れなんて、この庭に来るのか?まだ春は早いだろ。」
「ええ。普段は姿を見せません。だが霧の深い朝には、必ずあの林に集うのです。旦那様にこそ、見ていただきたい。」
老人は立ち上がり、外套を翻して植え込みの向こうへ消えていった。
「....林か、ひろすぎるだろここ。」
俺は老人の消えた方をしばらく見つめていた。
広すぎるから。
やがて肩をすくめた。
(鐘みたいな羽音……だと? 興味ないし)
気を取り直し、庭の石畳を戻る。霧はまだ重たく地を覆っているが、屋敷を抜ければ、町へ続く坂道に出られるはずだ。
昨日は多分こうきた。
柵を押し開けると、冷気の中に人いきれのような匂いが混じった。遠くで貴族が荷車のようなものに乗って、馬がいないがすごい轟音が響く。
やっぱり町のざわめきはいい。
あの林の不気味な静けさとは違う、人間の音だ。
坂を長く下るにつれ霧は徐々に薄れ、様々な看板が浮かび上がってくる。
魚の匂い、香辛料の香り、湯気立つ粥の匂いが鼻をついた。
鼻をすんすんして匂いを嗅ぐ。
(麦か何かかだろうか。)
やはり貴族が多い場所から少し離れたところにしかない生活感だ。俺にとっての。落ち着く生活感だ。
にしても随分と離れたところまで来てしまった。でもあまり時間は経っていないようだ。
(そうか、力は落ちているがまだまだ普通の人より速いな。魔法のおかげか?今度人がいない時に練習してみるとしよう。)
喧騒な通りを抜けていると、通りの両脇には露店が増えていくように並び始める。
果物を並べる商人、絹を広げて客を呼び込む女、香を焚きしめて祈りを捧げる祈祷師の姿まである。
俺は歩きながら、人々の声を耳に入れる。
「東の港でまた荷が沈んだそうだ」「いや、税を上げすぎたからさ」
「鐘売りが来てるぞ、ほら鐘だ、いい音色だ」
鐘、その言葉に俺は一瞬立ち止まった。
思わず林のあった遠い方角を振り返る。もちろん、ここからの角度では見えない。
(……偶然だろ。たまたま耳に入っただけだ。)
気を取り直し、少し狭い路地へ入る。大通りの喧騒から一歩外れると、石造りの壁の間にひっそりとした空気が漂う。
そこでは子供が丸めた何かを蹴り、老婆が干し肉を刻んでいた。鍋の中では芋のスープがぐつぐつと煮えている。
鼻をすんすんと鳴らし、俺は笑った。
(こういう匂いが落ち着くんだよな。飾り気のねえ飯の匂いだ。)
さらに歩を進めると、路地の奥に古びた木の看板が目に入った。
“宿”と掠れた文字。扉は開け放たれ、中からは薄暗い灯りと、酒と汗の混じった匂いが流れ出ている。
(こう言う場所は食事に最適で、いろいろなやつが来るから情報がつかめそうだ。)
俺は足を止めた。
町の喧騒をもう少し味わうか、それとも宿に入ってひと息つくか。
宿であればそれなりの財力や見識のある、貴族とは異なる視点のあるやつらがいる。
どちらにしても、考え込んだところで、霧の林で聞いた“鐘の羽音”のことが頭から離れなかった。
(話を聞いて紛らわせてみるとしようか。)
俺は扉を潜る。
軋む足元の音とともに、濃い酒精の匂いが一気に鼻を突く。外よりも薄暗く、油燈の光が黄ばんだ壁を照らしている。
中は思った以上に人がいた。
肩幅の広い船乗り風の男、帳簿を抱えて酒をあおる商人、裾を短くした衣を着て、やけに視線を鋭く走らせる旅人……それぞれの卓に、異なる気配が漂っている。
(やっぱりこういう場所は落ち着くな。無駄に飾らず、雑多で、人間くさい。)
俺は空いている席を見つけて腰を下ろした。
すぐに丸顔の女が近づいてくる。
「いらっしゃい。朝から珍しいねえ、旅のお方?」
「まあ、そんなところだ。食えるもんを適当に。」
「なら、麦粥と塩漬け肉でどうだい?安くしとくよ。」
俺は頷き、給仕が去っていくのを待った。
周囲の会話に耳を澄ませる。
「……鐘が鳴ったのは林の方だってさ」「またかよ。今度は鳥か、それとも……」
「しっ! 声を抑えろ。誰が聞いてるかわからねえ」
俺は眉をひそめた。
林、鐘。またか。
(やっぱり偶然じゃなかったか……?)
給仕が戻ってきて、湯気の立つ粥と塩気の強そうな肉を卓に置いた。
俺は匙を手に取りながら、なんともないふりで隣の卓の男たちの会話へ自然と意識を傾ける。
匙で粥をすくいながら、俺は耳だけ隣の卓へ傾けた。
そこには三人組の男たちが座っていて、酒の匂いを漂わせながら声を潜めている。
「……あの鐘の羽音、また出たんだとよ。」
「鳥の群れじゃないのか?」
「違うさ。俺の知り合いが林で見たって言ってる。羽根の音なのに、鳥影はどこにもなかったってな。」
ぞわり、と粥より先に背筋が冷えた。
「じゃあ何だってんだ。」
「知らねえ。ただ……鐘が鳴った晩にゃ必ず誰か行方知れずになる。去年はあそこの若造、その前は巡礼の女。」
「……冗談だろ。」
三人は小声で笑い飛ばそうとしたが、笑いの端は固かった。
そして一人が酒盃を握りしめながら続ける。
「霧の朝にだけ現れる“音”……鐘の羽音に呼ばれたら、戻っちゃこれねえんだとよ。しかも噂によりゃ全員別の場所で消えたんだともよぉ...」
その言葉が、耳の奥にこびりついた。
粥を口に入れても、温かさは喉を滑っていかない。
(……鐘。やはり林と関係している。あの庭師は、それを知ってて俺を誘ったのか?)
俺は視線を落とし、匙を置いた。
噂話の断片に過ぎない。だが偶然にしては繋がりが多すぎる。
(そもそも記憶の中だから導かれているのか?)
頭を回すも、答えが出ないままに俺は匙を置き、隣の卓の三人へ軽く身を傾けた。
動きは静かにあり、腰を浮かし、隣の卓に寄っていた。なのにこれで、小さく木の床が軽く軋む音に、三人の男はぴたりと話をやめた。
まるでこちらを警戒しているようだった。
そこへ俺は笑うでもなく、深刻でもなく、ただ旅先の世間話に加わるような調子で声をかける。
「……すまない、耳に入っちまったんだが。」
俺は盃を軽く持ち上げ、笑みを浮かべた。
「鐘の羽音、ってやつ。旅人には珍しい話でな。どうにも気になって。」
三人は一瞬ぴたりと口を閉じた。酒気を帯びた目が俺に向く。
油染みのついた何かの職人の男、酒に赤らんだ顔の男、そして墨汁の匂いがする痩せぎみの年長らしい男。
「……」
年長の男が驚いたように目を見開き、眉をひそめ、右手を足に軽く置く。
その視線が、俺の肩の刺繍、金糸で縁取られた上着に注がれた。
(しまった...船乗りならともかく、こいつはおそらく商人か何かで...警戒させてしまったな。)
着古した外套の下から、帳簿の墨が染みついた指がのぞいている。職人や兵士ではない。おそらく旅回りの商人。
彼は盃を持ち上げかけたまま凍りつき、汗の筋をこめかみに浮かべた。
だが次の瞬間、かすかに背筋を正す。
「……こ、これは失礼。お席を荒らすつもりはございませんで。」
口ぶりは丁寧だが、声の端がわずかに震えている。
俺の肩章と上衣の金糸に視線を走らせ、舌打ちしそうになるのを必死に飲み込んだ顔。
「お貴族様が……我らのような木っ端商人の戯言に興味をお持ちとは。いや、まことに、まことに光栄の極み。」
礼を尽くそうとするほど、酒気は抜け、冷えた汗が額を伝って落ちていく。
赤ら顔の男が笑って取り繕おうとするが、商人は片手で制した。
━━貴族に不用意な言葉を投げれば、身代や商売にまで火が回る。それを理解している。
俺は腰を折り、軽く頭を下げて応えた。
「恐れることはない。俺はただ、旅の途中で耳にした“音”について確かめたいだけだ。」
商人は一瞬、俺の顔を値踏みするように眺めた。
もちろん視線は合わせてこない。
(視線を合わせないなんて失礼なやつだな。そんなに貴族が怖いのか。)
そして乾いた喉を鳴らし、囁くように言った。
「……それは、“鐘の羽音”のことでございますな。」
商人の言葉が途切れるより早く、周囲のざわめきが一斉に細った。
気づけば、酒場のあちこちで椅子の軋む音が止んでいる。
俺の外套、肩章、金糸の縫い取り――この町の連中から見れば場違いなものだ。
最初から皆、盃の陰で横目を向けていたのだろう。
俺が商人の卓に歩み寄ったことで、好奇と警戒が一気に表へ出た。
ざらついた指で盃を転がしていた若い職人が、声を潜めながら囁く。
「……ありゃ領主んとこのお偉方か?」
「いや、見ねえ顔だ。だが貴族筋ってのは間違いねえな。」
「帝都からきたお偉い方かもしんねぇ」
「バカいえ、どんだけ離れてんと思ってんだ、魔道車でも貴族方がここまでくるか?」
(うつけか、昨日執事に聞いたが、大体で、ここであたりで一番でかい領主のとこだ。)
ささやきが尾を引き、背中にまとわりつく。
酒場の空気はもう、商人と俺だけのものではない。
この場にいる全員が、俺の言葉の続きを聞きたがっている。
そんな圧迫感。
(これは、話しにくいだろうな。)
痩せた商人はさらに冷や汗を流し、椅子の背もたれを握りしめる。
赤ら顔の男は苦笑いで周囲を宥めるように杯を掲げたが、誰も盃を口に運ぼうとはしない。
俺はひとつ息を吐き、わざと声を落とした。
「……鐘の羽音。その話を聞かせてくれ。」
その瞬間、周囲の客の何人かが微かに身じろぎし、耳をそばだてた。
空気はもう完全に静まり返り、暖炉の火が爆ぜる音さえ大げさに響く。
「おっと、すまねえ。」
立ち上がったのは、旅装束の中年の男だった。
腰に佩いた剣の鞘は使い込まれて色が褪せ、外套の裾は埃にまみれている。
だが歩みは堂々としており、こちらに向けられた目には妙な熱があった。
「旦那様――いや、貴族様か。鐘の羽音をお聞きになりたいと?」
口元に笑みを貼りつけながら、恭しく一礼する。
周囲の者たちが息を呑んだのは、その物腰がただの旅人にしては妙に芝居がかっていたからだろう。
「……知っているのか。」
俺は短く返す。
剣客は肩をすくめ、声を潜めた。
「ええ、噂だけなら。ここあたり全て林の奥で、夜明けの霧が深い折に鳥どもがいっせいに羽ばたく――それが鐘のように響く、と。もっとも、それを見た連中は皆、口を濁すもんでしてな。」
赤ら顔の男が「馬鹿馬鹿しい」と鼻で笑ったが、誰も相槌を打たなかった。
痩せた商人は冷や汗を拭いもせず、ただ黙って俯いている。
剣客はさらに身を乗り出し、声を落とす。
「ただの鳥の群れじゃねえ。……あれは“呼び声”だと、そう言う者もいる。でして。」
俺の眉がわずかに動いたのを見て、男はにやりと笑った。
「もっとも、真偽はどうあれ、旦那様のようなお方が確かめるには面白い話でしょうな。なにせ、危なげがあれば剣の腕が要ります。ちょうどあっしには、闘技を少しばかり学んだ端くれ。お供いたしましょうか?」
そう言って胸を張る剣客。
周囲の客は、呆れと興味が入り混じった視線を投げてきた。
━━やはり、ただの物好きではない。どうにかして貴族に取り入ろうとしているのは明らかだった。
「おい、闘技ってなんだ?」
「知らねぇよ、俺なんてうちとここしか見たことねぇなんだ、ズベルに聞けば。インガヴィ・ズベルに聞け。」
(闘技...いつもなら頭の声、つまり記憶が身勝手に言ってくれるが...困ったなぁ...ん?そうか。)
食事で感じた違和感を思い出す。
(記憶なら俺が思い出せばいいのに...んんん、闘技...あった、これか。)
俺は心の底に沈んでいた記憶を必死に掘り起こす。
魔法は力の流れを外に呼び出し、形を成す。だが闘技は違う。
あれは、血肉の内側に沈む爵銀ことウガリスラを叩き起こし、肉体そのものを媒介にして力を打ち出す術。
威力が劣るが、儀式を求められない技である。
体にある爵銀そのものを打ち出すだけの技。
(魔法使いからしたら、本能的すぎて貶されているが、突発の戦いには最適なやつか。ある意味俺の勇敢なる突進もこれだな、神術という点を除けば。)
俺は剣客を見据え、わざとゆっくりと頷いた。
「……闘技、か。興味深い。」
「……にしても。」
俺は杯を置き、淡々と口を開いた。
「爵銀の血筋が、こんな町にいるのは妙な話だ。末っ子であろうと、土地の一つや二つはもらえるはずだろう。」
酒場の空気が、さらに張り詰めた。
赤ら顔の男が思わず口笛を鳴らしかけ、痩せた商人は額の汗を袖で拭った。
「旦那様だって貴族で。違いやせんか?」
「...俺はお前が貴族とは言ってないぞ、貴族になりたがらない爵銀だっている。」
俺は口の端を上げ、手元の杖を軽く持ち直した。
黒檀の表面はまだ冷たく、掌の体温に馴染みきらない。
「……腕を見せてみろ。言葉だけじゃ退屈だ。」
静かな一言に、酒場の空気が震えた。
客たちがざわつき、椅子の軋む音や息を呑む音が重なった。
剣客は一瞬目を瞬かせたが、すぐに口元を吊り上げた。
「ほう……では、僭越ながら。」
彼は古びた鞘から光を反射するほど手入れされた剣をすらりと抜いた。刃は細身だが、研ぎ跡が幾重にも走り、実戦を重ねてきて、そして丁重に扱われていることを物語っている。
俺は杖を床に軽く突き、爵銀を掌から杖と滲ませる。
淡い青の光が杖の先端に灯り、木目の隙間から微かな脈動が漏れた。
そのまま腰を落とし、杖を半ば槍のように構える。
「魔法使いとは、お見苦しいところをお見せするやもしれないで。」
剣客は片眉を上げつつも、剣を低く構え、足運びを滑らかに床へ刻む。
先に動いたのは剣客だった。
踏み込みと同時に、刃先が閃き、俺の肩口を狙う。
速いが、読むのは難しくない。例え弱くなっている今でも。
杖の先端を横薙ぎに払うと、刃と木がぶつかり火花が散った。
同時に俺は杖から微弱な衝撃波を放ち、空気が弾けるような音を響かせる。
剣客の腕がわずかに跳ね返され、剣筋が逸れた。
「……ッ!」
男の口から低い息が漏れる。だが怯みはなく、体をひねって再び斬り込む。
俺は杖を逆手に握り替え、柄尻を突き出す。
その瞬間、杖の先端が白く瞬き、突きが槍のように伸びた、伸びたと言うよりは先端には光の刃を纏っている。
観衆が息を呑む。
剣客はすぐさま剣を返して受け止め、火花が散った。
一合、二合。
酒場の中央で、杖と剣が交錯し、音が乾いた壁に反響する。
互いに本気ではないが、それでも技の端々に積み重ねた修練が滲んでいた戦いであった。
やがて俺が一歩引き、杖を下ろした。
「……なるほど。端くれにしては悪くない腕だ。」
剣客は大きく息を吐き、少し荒れた呼吸を整いながら剣を鞘へ収めた。
額にはうっすら汗が浮かんでいるが、目はまだぎらついている。
「恐れ入ります、旦那様。僅かでも――お目に留まれば幸い。」
酒場の客たちはしばし沈黙し、その後どっと拍手と口笛が起こった。
火照った空気が戻り、再び酒の匂いが満ちる。
(...まずいな、目立ってしまった。俺が今ある身分がわからないのに目だったらあの“魔女”らしい女に疑われるかもしれないのに....にしても、こいつ記憶にあるセオリクより少し弱いな、まるで修行法を一切知らないのか?)
「...爵銀が少しだけ荒いな、呼吸にもっと意識を向けろ、精神で肉体を凌駕しろ。」
少しキョトンとした剣客を横に俺は杖を軽く回して床に立てかけ、椅子へ腰を下ろした。
視線で合図を送ると、剣客は少し驚いたように目を見開き、それから深く頭を下げて隣に腰掛けた。
「……旦那様。」
緊張した声色に、周りの視線がまた集まる。
俺は酒をひと口含んでから、淡々と口を開いた。
「お前、技の筋は悪くない。ただやはり爵銀が荒いな。」
「……っ」
剣客は肩を震わせ、息を呑んだ。
周囲の客が意味を測りかねたようにざわつく。
町の衛兵らしきものにその他もろもろ。
「爵銀ってなんだ?!」
「あれでも荒いのか、なんも見えんぞ速すぎて!」
「闘技を放つ時に、力の流れが揺れる。剣筋は綺麗でも、あれでは形だけだ。実際に戦えば、自分の体を先に崩すぞ。事実隙だらけであった。」
俺が静かに言い切ると、剣客は目を伏せ、手を膝の上で強く握りしめた。
やがて小さく、だが確かに頷いた。
「……まことに痛み入ります。確か、師よりも常に“粗い”と叱責され続けており。あの一太刀も……完成できぬまま振り抜いたもの。」
俺は酒杯を置き、視線を横にやる。
「そういえば、あの技――名前は何という?」
剣客は一瞬迷い、そして苦く笑った。
「……旦那様。あれには、まだ名を与えられてはおらぬゆえ。教えるも何も、あっしには名を口にする資格すらない。未熟ゆえに。」
その言葉は決して卑下ではなく、真実の痛みを孕んでいた。
剣客の額には先ほどの汗がまだ残り、だがその瞳は妙に澄んで俺を映している。
俺は口元を僅かに吊り上げ、杯を傾けた。
「ふん。ならば、名を持つに足る日を待つことだな。」
そう聞いて剣客は少し暗い目をした。
これほどの差、彼が師でも無理であろうと気づかずされる。
なのにあれだけの豪語をするなんて、自身の行為に悔いがあるほど。
「よし、決めた。ついてこい....ええとなんて名前だ?」




