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第5章 アイの舘

第5章 アイの舘


    1


 寄り道をしながらゆっくり車を走らせたにも関わらず、最初にコピヤが治療をうけた病院に、島を1周してもう戻ってきていた。どうやら1周200kmくらいの島のようだ。

 もちろん、その病院は爆破されたが壊れてはいなかった。アイの幻想の世界だからだ。

それを確認して、4人は、今度は、島の海岸沿いを1周する道路をはなれ、島の中心方向へ車を走らせていた。山をのぼっていくその道は、舗装はしてあるが、2車線になったり1車線になったりする狭い道だった。

 片側一方通行の工事中の場所で旗を振っている交通整理のおじさんの横にも、やはりコピヤがよりそっていた。そう深い山ではないが、対向車がくればどうやってすれちがうんだろう、と悩むほどの狭い道を長く走り続けると、だんだん淋しい感じになってきた。

 車の中で、シュンは、『魔法使いからの連絡本』の裏表紙に書きこみをしていた。紙のはずのそのページが、時折、羊皮紙のようにもみえた。その本の前半部分には、今までのお話が「自動書記」されていた。それはそれで、興味深いものだったが、自分たちが経験してきたお話で、既に知っていることだ。時間があるときに読めばいい。

 今の、その本への興味は「自動書記」によって、どんどんお話が書きくわえられていく前半部分でなく、うしろの方の「通信機能」の部分だ。

「今まで通ってきたこの島の地図ができた。絵にすると、よりはっきりするだろう?」

「わたしにも見せて。うん、こんなかんじよね。でも、道路と家のマークと説明文だけではつまらないわ。こうして、イラストをいれて、と」

 リコは、性格なのだろう、きちっと書かれたシュンの地図に、ヘリコプターやねずみのチューやカレーの絵をかきこんだ。病院のところには、自分のイラストも描きこんでくれたのがコピヤにはちょっと嬉しかった。でも、それは人の形はしているが、目も鼻も口もなければ服も着ていない、のっぺらぼうの絵だったが。

「しかし思ったよりつまらない島だな。現実と違う世界なら、険しい火山とか、氷河とか、深い森やそこに住む獣の群れとかや虫の大群がいたっていいはずだけど」

「そんなこわいのはごめんよ」

と、リコは言った。

「わたし、この世界が、アイがつくったものだったら、きっと殺伐としているに違いないと思ったりしてたの。だって、苦しい人生を送ってきた人の心ってすさんでいるでしょう?」

「頭の中で想像した世界だから、心とは少し違うかもね。でも、或る程度、彼女の心の影響があるかもしれない。けっして楽しい場所ではないもの」

「でも、この島や道や山や川にわたしたちが名前をつける楽しみはきっと残っているわ」

「いややめたほうがいい。なるべく正確で客観的な島の情報を、『ミュー』とその周囲に集まった魔法使いたちに伝えないといけない」

「でも名前は必要よ。この島とかあの川では、話がうまくできないわ」

「じゃあ記号くらいつけようか?」

「残念だわ。きっと誰も今まで名前をつけてないでしょう?」

 シュンが、本の通信ページ、おわりのほうのページに島の地図を描きこんで、しばらくすると、ミューからのメッセージがそこに浮きでてきた。

「地図、送ってくれてありがとう。今日は、大事な報告がある」

 以下は、書き込みでのやりとりである。

「われわれが今、注目していのは、その世界のコピヤのことである。最近、そちらにいるコピヤの数、増えたことないか?」

「通りすぎるだけなので、全体の数とか、われわれにはわからない」

「こちらから、この本を通じて観察を続けているうちに、そちらの世界にいるコピヤの数は、クレヨン・コーポレーションの収益と比例している傾向にあることに気づいたんだ。アイの会社の収益が増えれば、コピヤの数も増える、減ればコピヤも減る。もともと、コピヤは、まるで、お金、貨幣を擬人化したかのようだ、ということに君たちは気づいてないかい?」

「そういわれれば、そんな気も」

「あと、われわれが着目しているのは、コピヤが水やりをしている黄色い彼岸花だ。そちらの世界だけでなく、今、現実の世界でも、遺伝子操作した、枯れずに咲き続ける花として、クレヨン・コーポレーションが、大規模に売りに出している。確か、タイチ君のお母さんの枕元にも飾ってあったよね」

「ええ。それが何か?」

「我々は、その花の花粉を含めて、自然の彼岸花との遺伝子的な違いや、人体への影響を分析している最中だ」

「もしかして、あの花が、ママの病気の原因?そういえば、小学校のときにママが病気になったときも、あの花がママのベッドの枕元にあった記憶が」

「まだ、結論にとびつくには、早い。分析結果がでたら、連絡するよ。・・・ところで、そちらにマコトという男の人はいるかい」

「ああ、いるよ」

「そうか。われわれのところに、ダイゴという医師が訪ねてきた。

『友人のマコトという男が、クレヨン・コーポレーションに行ったあと、行方不明になって、探している。いろいろ調べているうちに、あなたがたがなにか情報をもっているんじゃあないかと思ってやってきた』

と。

『黄色い彼岸花』に目をつけるというアイデアは、そのダイゴ医師との話し合いをしているうちに、うかんできたんだ。彼は、今、その花粉の分析にもたずさわっている」

「へえ。ちょっと、マコトのおっさんをよんでくるね」

 シュンは、マコトを呼んできて、その本のページの絵が動きその白紙部分に、次々と書き込みがのる、『魔法使いの通信本』をみせた。マコトが、それをみたのは、これがはじめてのことだった。

「へえ。この世界にもインターネットがつながるんだね?」

「いや、インターネットのつながらないところなのに通信ができるから、この『魔法使いの通信本』はすごいんだ」

「魔法ね・・・。

まあ、確かに、この世界は、魔法の国にきたかのようだし。何らかの理由で、幻想を、しかも4人の人間が共有している幻想をみてる、とすれば、魔法でもなんでもない、と思われても仕方がないかもね。この本だって、新モデルのiPadみたい、といわれれば、そこまでのことは確かだ。

君たちは、自分たちは魔法使いだといったよね?でも、この世界では、魔法が使えない、と」

「そのとおり。われわれが魔法使いだと、自分で言っても、魔法を行うところをみせないところをみせないと信用してもらえないだろう?でも、この国では、魔法が使えない。証明できない。それで、この『魔法使いの通信本』が、重要な証拠となるわけだ」

「証拠ね。まあ、おれは、おたくらが魔法使いだろうがなんだろうが、どうでもいいよ。それに、この世界のコピヤとか、いろいろなことをみてると、もう、魔法なんて十分、という感じだしな」

 マコトは、思った。

(おれにとっての魔法は、もし強いていうなら、まず「金」かな。いろいろなものが、すぐ手にはいる。手にはいらないものもあるがね。あとは、アイのもつ、人の心をあやつる力なんていうのは、お金で買えない魔法かもしれないな)

 山道を登っていくにつれて、いつのまにか、車の外では雪が舞い始めた。だが、あいかわらず、太陽は頭のてっぺんにいて、厚い雪雲の合間に、ときどき、ぎらぎらしたその姿をのぞかせた。やがて、目の前に、大きな建物がみえてきた。

「あそこがホテルだといいが。もうそろそろ今日の宿泊を考えてもいい」

 車が、その建物の玄関に近づくにつれ、道沿いに色とりどりの風車があらわれ、白い雪の中で太陽の光に照らされ光っていた。

と、むこうから、車のような影が近づいてきた。よくみると、それは電車だった。

「あれは、ぼくらの現実の世界で走っている地下鉄の車両だな」

 それは、その建物の玄関でとまり、そこから、ひとりの女性がおりてきた。彼女は手をふって、電車がまたゆっくり進みだし雪の中に消えていくのを見送った。そして、その建物の中にはいっていった。

「彼女だ。みつけたぞ。ぼくらも中にはいろう」

と、シュンが言うと、リコは不安そうにつぶやいた。

「幽霊屋敷でないといいけど」



 呼び鈴をならすと、一体のコピヤを連れた、白い法衣のような服を身にまとった、背が高いきゃしゃな感じの女性が出てきた。髪の毛をアップにして、化粧をしっかりしているせいか、講演会場でみたような不健康な印象はなかったが、それは間違いなくアイであった。

 険悪な空気が、4人とアイの間に漂った。シュンは叫んだ。

「ようやくみつけたぞ。はやく魔法を解除して、幻想の街からぼくらを出すんだ」

「あら、みなさん、どちらの方かしら?」

「とぼけないで、アイさん。万華鏡の建物の中で、わたしたち、対決したじゃない?」

「わたしの名前を知っているのね。確かに、わたしの名はアイよ。でも、わたし、あなたたちことを知らないわよ。そのアイって言う人、わたしと他人の空似なんじゃあないかしら?」

「とぼけないでよ」

リコは憤慨していた。

「あら、きっと、わたし、あなた方の知っている『アイそっくり』なだけよ。どうしてわたしが彼女と同一人物だと証明できる?わたし自身が違うって言っているのよ」

「とにかく建物の中を調べさせてもらう。『人工太陽』を動かす装置があるかもしれない」

「なんのことかしら?でも、中にはいるのはかまわないわよ。ここは、ホテルで、お客さんをお泊めする場所だから、断る理由などないわ」

 4人は、それぞれ与えられた部屋に荷物を置いたあと、ホテルの中をくまなくさがしまわったが、あやしげなものは何もみつからなかった。

拍子抜けしていると、そのアイから、お客様にケーキとコーヒーをごちそうするという誘いがきた。案内された広い部屋は、天井が高く、大きなシャンデリアが吊さげられていた。壁にはいくつもの絵がかざられていた。いわゆる典型的な西欧風の豪華なつくりの部屋だった。アイがいった。

「わたし、このホテルのオーナーだけど、あなたたちの知っているアイっていう女性のこと、少しは知っているわ。でも、ただの友達よ。あなたたち、なにか勘違いしているようだけど」

「そんな言葉にはだまされないぞ」

 その、アイという女性は、そう言ったタイチの言葉を無視して話しはじめた。

「友達のアイは、塾の先生をしているわ。彼女にとって、塾に通ってくるものたちが偏差値の高い大学に行ったとか、成績があがったとかは、二の次なの。彼女の一番の喜びは、生徒たちが、とにかく喜んで自分の塾に通ってくるということ。生徒たちは、家庭や学校に背をむけて、非行に走るように彼女の塾にいくのよ。 それは、彼女が、彼らにかけた魔法の力のおかげなの。

でも、彼女は別に悪いことをしているわけではないわ」

「人の心をもてあそぶことが悪いことではないというの?」

とリコは言った。

 マコトは、アイとリコとの会話を、これは、まさしく『デジャブ』だ、と思いながら、聞いていた。

「でも、勉強のできる子供たちは、みんな、彼女でなければ他の人たちにもてあそばれているじゃあないの。親とか先生とかマスコミとかに」

 そう言ったアイに、リコは反論した。

「それは少し違うわ」

「そうかもね。でも、彼女は、自分のやっていることを自覚してやっているところが彼らとは違うの。彼女にとって、生徒たちが自分のところに通ってくるということは、彼女の社会に対する復讐なの。外からみれば、暖かい家庭だったり立派な教師がいるすばらしい学校だったり。でも、その中にいた彼女はずっと不幸だったのよ。いじめにもあった。でも絶望も彼女の心の中の子供の心を殺すまでは至らなかった。

彼女はがんばった。塾の経営、そして会社の経営に成功し、富と名声を得、そして心地よいこの世界をつくったのよ」

「わたしたちはこの世界を心地よいとはけっして思っていないわ」

「彼女の社会に対する復讐は、自分をこんな風におとしめた人たちの子供が自分のところに来るということで達成されるの。社会的に『立派』といわれる家庭の子供たちが、魔法の力で自分の塾にきて自分と関係をもつ。それは、子供たちが彼らを否定し、彼らを捨て彼女を選んだということなの。彼女は、彼らから彼らの大切な子供たちを奪う。子供たちが、彼らでなく彼女を信頼するということが奪ったということよ。彼らは子供の信頼という大切なものを失い、彼女がそれを手に入れるの。彼らが知ったら、最もさげすみ、認めたくないと思うだろう彼女を彼らは選んだの。それが、彼女にとっての、復讐という名のおいしい料理よ」

「復讐?言っていることがよくわからないわ」

 その時、リコが持っていたねずみの人形のチューが、リコの手からとびだし、アイにとびかかり、かみついた、ように見えた。だが、アイはぴくりともしなかった。

アイは立ちあがり、窓という窓についている、分厚いカーテンをしめていった。そして、こう宣言した。

「さあ、パーティーよ」



 カーテンは外の太陽の光を完全にさえぎり、映画の試写会ができるくらいの十分な暗さになった。天井のシャンデリアにあかりがともされた。

アイはいった。

「この街では地上のナビも携帯もTVも使えないわ。あらゆる電波が届かないここで、使えるのは自分の想像力だけ。でも、私が、電車にのってわざわざ時々ここにやってくるのは、そういう生活が好きだからかもしれない。ここに住んでいる人たちも、少なからずそう思っている人たちよ」

 いつのまにか、青いコートを着た色白の若い男が、アイのとなりに立っていた。

「ようこそいらっしゃいました。ごゆっくり」

 どこからやってきたのか、部屋の中は、人でいっぱいだった。

 青いコートの若い男はバイオリン弾きだった。演奏はすばらしかった。彼の顔は輝いていた。拍手する者こそいなかったが、楽しそうに踊る人々の様子そのものが、彼に対する拍手に他ならなかった。

マコトは、踊りながら、昔、友人のダイゴにみせてもらった、アイの書いた『ワープロ作業によるストレスにおける、声による能動的精神音楽療法の効果』というタイトルの論文をふと思い出した。

 テーブルの上には、お酒やごちそうがおかれ、踊り疲れた人たちが、そこで腹ごしらえをし、のどをうるおした。あちこちで、タバコの煙が、天井にむかってあがっている。音楽にあわせるように、それらのタバコの煙が一本のひとつの束になっていき、宙に文字を描いた。

「自由を我らに!」

 観察力のある人なら、そこで踊る人々は、部屋の中に飾ってある絵の中からぬけだしてきた人物達であることに気づいたかもしれない。絵の中は、背景だけが残っていた。

暑くなってきたのか、バイオリニストは青いコートをぬいで、部屋の中央に飾られていた裸の男の彫像にそれを着せた。しかめっ面のその彫像の男は、コートをかけてもらうと、ちょっぴり嬉しそうな顔になり、ようやく肩の荷がおりたかのようにそのポーズを解いた。

 タイチとリコ、シュンとマコトはペアになり、その陽気なバイオリンにあわせて踊った。

「これからどうしよう。せっかく、この幻想の世界を創りだした犯人が目の前に姿をあらわしたというのに」

「脅してもいうことをきくような相手ではないからな。しばらく、いっしょにいながらその秘密を知るチャンスをうかがうしかないかもね」

その横で、ひとりでめちゃくちゃに踊っていたコピヤの目の前に、白いものがはりついてきた。コピヤは驚いて、その顔にはりついたものを手ではがした。

それはさっきアイにとびかかろうとしたねずみの人形のチューだった。コピヤはあわてて、チューを放り投げた。

 投げ飛ばされたチューは、描かれている人物が外に抜け出してしまっている絵の額縁の一つに衝突した。それと同時に、警報ベルがなった。

 人々は、自分のいた元の絵の中にあわてて戻っていった。最後に、絵の中に戻ったのは、青いコートを着ていたバイオリニストだった。しかし、絵の中の彼は、もう青いコートは着ていなかった。アイは、また固まってしまった裸の男の彫像からバイオリニストの青いコートぬがせながら、微笑を浮かべて言った。

「びっくりさせてごめんなさいね。この絵、盗難予防のため、触ると警報がなるようになっているの。あらかじめ注意しておけばよかったわね」



 コピヤは気まずくなって、そのパーティー会場の部屋からひとりぬけだした。

ぶらぶら歩いていくと、広い温室があって、そこでは、十数人のコピヤが植物の世話をしていた。温室の中には、やはりかなりの数の黄色い彼岸花があった。

「こんにちは」

とコピヤはそこにいる一人のコピヤに声をかけたが、むこうはちらり一瞥しただけだった。

「なんだ、やっぱりあの人じゃあないのか?」

「誰だ、あの人って?」

「おまえ、知らないのか?」

 コピヤたちは、また水やりをはじめて、二度とコピヤのほうを向くことはなかった。コピヤは、しばらくそこにいたが、気になりつつも立ち去った。

厨房にいくと、そこには、何人かの老人がたむろしていた。

コピヤが、顔をだすと、

「なんだお前か」

 当然のことかもしれないが、コピヤはこの家のコピヤと勘違いされて、中にはいってもあやしまれなかった。厨房のテーブルの上には、鍋やお椀やお皿やコップとならんで、牛乳瓶、庭からとってきた草花がならんでいた。

「これは何?」

「それは、人間を動物にかえる魔法の薬の材料だよ」

 集まっている老人たちがみな大笑いした。

「作り方を教えてあげようか。まず、このビニル袋にはいった茶色い粉と水を鍋の中にいれる。さらに、レモンをしぼった液をこれに付け加える。鍋を火でぐらぐら熱したあと、また冷やして、布でこす。布の上に残ったカスは捨てる。こされた、濁った茶色っぽい液体を、大きなびんに詰め直す。ちょっと酸っぱい感じの匂いがする。次に、この茶色い濁った液を、五本くらいのからの牛乳瓶の中に注ぎ、ガラスのコップでふたをする。この牛乳瓶をまたぐらぐら沸騰した鍋の中に入れて暖める。しばらくして、また、この牛乳瓶を鍋から外にだす。ガラスのコップのふたをあけ、庭からとってきた草の葉や花や根を牛乳瓶の中に入れて、再びコップをかぶせる。

最後に、この液を、ブドウといっしょに、また別のカメの中にいれ、カメの上には重石をのっけて1ヶ月。それで完成だ」

「完成品はこれだ。おまえ、飲んでみるか?」

と別の老人がぼくにいった。コピヤは答えた。

「飲んだら動物に変わってしまう危険な薬なんでしょう?」

 一同は、大笑いした。コピヤが一人前の口をきいているぞ、といった声が聞こえた。

「そんなに心配しなくていい。第一、動物になっている間は、人としての意識がなくなっているし、人に戻ったときは動物のときの記憶は消えてしまっているんだ。もっとも、おまえは人間でなくコピヤだから、効くかどうかの保証はないけどな」

「コピヤは、トラでなくカエルになるかもしれんぞ」

みんながまた笑った。一人が、カメの中から、ひしゃくを使って、腐って泡立っているブドウを布の上にのせて、それを絞ってできた液体をコピヤにさしだした。その液体は赤くて少し濁っていた。

コピヤは一気にくすりを飲んだ。苦くはないが、少し酸っぱくて、おいしい物ではなかった。まず胃のあたりが、そして全身が熱くなってきた。頭がぐるぐる回りだした。気持ち悪くはなかった。むしろ、空中にぷかぷか浮かぶような、不思議な気持ちだった。コピヤは気を失った。

 夢の中に、途中みかけた、温室にいるコピヤが出てきた。

「なんで、おまえはあの人を知らないのか?本当におまえはコピヤなのか?」

 あいかわらずこちらをむかずそのコピヤは言った。コピヤが、なにかいいかけると、そのコピヤは頭をあげ、上のほうをみあげた。

 上から、巨大な、手の指がおりてきて、庭にいるコピヤたちをつかみ、上のほうへつかみあげていった。コピヤたちは無抵抗だった。

 いや、むしろ、それを待っていたかのようであった。

「ここで働くコピヤは、よく教育されている。ここのコピヤ一体と、他のところのコピヤ数体と交換ができる。交換によって、ここのホテルのコピヤはどんどん増えていくのだ」

 どこからかそう声が聞こえた。そして、その巨大な指は、今度はそのコピヤの方へむかってきた。コピヤは必死で逃げたが、その指はしつこく追いかけてきた。

「おまえは本当にコピヤなのか?」

「ぼくには、ここの屋敷のコピヤも、他のところのコピヤもまったく同じにしかみえない。なんで、ここのコピヤが他のコピヤの何倍も価値があるのかわからない」

 そういいながら、コピヤは必死で逃げ回った。



 次の夢は、一体のコピヤが、ひとり詩の朗読をしている場面だった。自然光とまちがうほどの、まばゆいスポットライトを浴びながら、コピヤが舞台の上で語りかけていた。


 (コピヤの詩)


 彼女は、ずっと囚われの身だった「ぼく」を救出した。彼女と「ぼく」の関係は、血縁でもなく友人でもなく、いわば利害に基づく関係であったが、「ぼく」は彼女の興味をひいた。

 ぼくは最初から他の人と違っていた。でも他の人と違うぼくの仲間はたくさんいた。

 ぼくの人生は旅そのものである。深い谷や広い河、険しい山をこえたり。

 人や車の多い大都会や、淋しい砂漠を横切ったり。星の下の野宿。あるいは、小さな子供と遊んだり、悲しい老人とすごしたり、欲にかられた非道な人間とつきあったり。ぼくの見聞きしたもののロマンは、ぼくの移動距離、ぼくが人のいないところにも旅していくのと比例して、君たちの想像力を刺激するだろう。

 ぼくには何の特技もない。ものをつくることもできないし、種をまいて収穫することもない。また、ものを売ったり、人を病気から救ったり、気の利いたセリフをいうこともできない。移動するだけである。いや、付け加えるなら、二つのことを移動した場所で行う。

 一つは、ぼくは鏡になって、他人の姿をうつすことができる。人々は、ぼくに自分の姿をうつして、自分自身のもっている価値が、ぼくのもつ価値基準ではどのくらいになるかを数えるのだ。その「ぼくのもつ価値基準」が良い物か、悪い物かはぼくにはわからない。

 百年くらい前には「ぼくのもつ価値基準」が悪いと言う人がけっこういたのであるが、時間がたち、世界が豊かになり熟してくるにつれて、今やそれは空気や水のようにあたりまえのようになっている。

ぼくは、感情に流されることなくその「ぼくのもつ価値基準」にしたがって、容赦なく、鏡にうつった愛や憎しみ、不安、喜び、怒り、悲しみなど人間の感情についても評価する。正確にいえば、ぼくが評価するのでなく、彼等が、鏡であるぼくに映った自分の姿をみて、彼等自身が自己評価するのだが・・・。

ぼくはあくまでも中立であり、数字に表現できるような客観性をもっているのだ。

 もう一つぼくが移動したところですることは、一人妄想することである。人は、ぼくが妄想していることに気づかないし、妄想の内容はみえないので妄想しているという確とした証拠はない。

妄想にふけるのに適した場所は、子供の手の中や、女性の腕の中ではない。ほんの少し前は銀行、今は証券会社の中が、ぼくの妄想がもっとも広がる場所だ。そこでぼくはたくさんの子供を産む、セックスなしに、父親の体からうまれた子供だ。父が子を産む。

 最近では、インターネット上にもぼくは旅をする。ぼくの体はもともと、紙や金属でできているのだが、光となってそこに文字として姿を表すことができる。

ぼくは「彼女」に拾われた。彼女にとっては、ぼくを救出したということのようだが、ぼくにとってはやはり旅の続きにすぎない。そのことについて議論しようとは思わない。

 彼女が「ぼく」の話を熱心に聞いたのは、「ぼく」の話に共感することが彼女に多かったからかもしれない。彼女はある意味、自分を「ぼく」にだぶらせていた。だが、彼女が、人間である自分が貨幣になることを望むことで、むなしく人間から自分を救出しようとしていたとすれば、最初から実現不可能な可能性にかけるというきわめて人間らしい行為により、自分から人間を救出していたことになる。

 彼女はやがて銀行強盗を実行した。動機は不明。

 強盗のための強盗?あるいは、「ぼく」を銀行から救出するため?



 目が覚めると、コピヤはベッドに横になっていて、すぐ隣には、話をしていた老人がいた。

「ぼく、ちゃんとカエルになったのか?」

「ああ、とってもかわいいカエルにな」

 そしてその老人は、自分の過去にあった悲しいできごとについてしゃべりはじめた。コピヤはいつもこうやって、黙って人の言葉を聞くのが本来の姿らしい。

自分の息子に、結婚したい相手がいるとある女性を紹介されたとき、私は猛反対をした。その女性の親が離婚していたからだ。

「今では、離婚している家庭はめずらしいものではないんだよ」

と息子に説得されたが、どうしても抵抗感があった。

「親の離婚するしないをどうやってその子供である彼女が選べるの?」

という息子の説得も、当時の私の耳にはとどかなかった。そのとき、衝動的に自分の口からでたこの言葉がその後の火種になった。

「もしおまえたちに子供が産まれたら殺してやる」

 もちろん、本気で言ったわけではない。おまえたち二人の結婚には絶対反対だという気持ちから、はずみで出てきた言葉だ。

親である私の反対にもかかわらず、息子はその女性と結婚した。しかし、子はかすがい。昔の人はよくいったものだ。一時交流の途絶えていた息子夫婦と私も、息子夫婦に子供が産まれたのを機によりをとりもどしていった。孫のかわいさにはさからえないものだ。だが、そんなとき悲劇がおきた。

 自分のところにその孫があずけられている間にその孫が突然死亡したのである。乳児突然死症候群。それが医者の診断だった。

そのとき、息子の妻は、とりみだして言った。

「あんたが殺ったのよ。私は覚えているわ。結婚前にあんたが私たちに言ったことを」

 そして、また時がすぎ、息子夫婦は新たに三人の子供をさずかり、今度は三人ともすくすく育った。以前の不幸なできごとは過去のものとなったかにみえた。

 しかし、三人の子供が、小学生になった頃、自分の家にあずけられているときに、家に火事がおきた。火をつけたのは、母親の復讐の手先となった、その3人の子供たちだった。目的は、私を焼死させるため。息子の妻は私のことを時間がたっても決してゆるしてはいなかったのだ。

さいわい、火事から逃げることができ命は助かったが、私の精神的ダメージは大きかった。殺人未遂犯として、小学生の自分の孫を訴える?だれも信用しまい。なにより、そんなことできるはずがない。

 自分はそのショックからのがれるために、このお屋敷に逃げこんだのだ。

 コピヤが、何もいえずに黙っていると、彼は付け加えた。

「でも、年をとると、こんな悪いことばかりというわけじゃあないさ。最近では、ここで働いているあるおじいさんとあるおばあさんが、10年前に離婚して、ずっと連絡をとらずにきて、ここで再会してまたいっしょに暮らし始めたというケースがあった」

 年よりが、しゃべる相手がいなくてもわりと平気なのは、自分の過去と会話をすることで寂しさをまぎらわせられるからかもしれない。だが、その回想はすべてが楽しいものばかりではない。つらい思い出は、誰かに話すことで、はじめてその重さから軽くなれるのだろう。

 ありえないことだが、目鼻のないコピヤの顔に、光るものがついているようにも見えた。



 コピヤが部屋にもどると、部屋は、もう静まりかえっていた。カーテンは開けられ、外から強い太陽の日差しが注いでいた。リコとアイのふたりが話をしていた。

「なぜ、あなたは、自分がクレヨン・コーポレーションの社長のアイだと認めないの?」

「あら、わたし、そうでないなんていってないわよ」

「そのアイは、自分に似た、別のアイだっていっていたじゃないの」

「あなた、クレヨンのお話を理解できたところをみると、頭よさそうね。ごほうびに、もうひとつ謎解きよ。今度は万華鏡の話」

「話をそらさないで」

「万華鏡。その意味するものは大切よ。人は自分のことを、他人を鏡にしてはじめてそこに映しだすことができる。他人という鏡にうつされなければ、その人はただの、石ころや木のように、そこに『いる』だけの『もの』にすぎないわ。そして、鏡はひとつでなく、無数にあるのよ。だから1枚の鏡でなく、万華鏡というのが大切になるの。

クレヨン・コーポレーションの社長のアイも、塾講師のアイも、ホテルのオーナーのアイも、同じにみえるけど実は別々なの。よく、アイデンティティの確立が大切とよくいわれるけど、わたしに言わせれば、『自分はこういう人間である』と自分の可能性を限定し、その1本道を完結してしまうことが、アイデンティティの確立だとしたら、そんなことは、はっきりいってしないほうがましよ。

それよりも、もっと多くの役を演じてみること。自分が他者になれるというのは立派な自己解放なのだから。多くの役を演じることによって、人間としてさらに大きな幅がでてくるのよ」

 しばらく考えてから、リコはゆっくり答えた。

「あなたのいう中で、鏡が1枚しかないというのは悲劇を産みがちだというのはわかるわ。たとえば、タイチが、同級生や社会からいじめられたと感じていたのは、タイチが二つの鏡しかもっていなかったことが原因だわ。タイチに魔法を教えるママと、タイチのことを引っ込み思案で「うそつき」と評する同級生とのふたつだけしか鏡がなかった。

 自殺するような子たちは、たいてい自分を映す鏡の数が少ないわ。いい子を強いる親と、意地悪をする友達の二つだけとか。

 生きていくうちに、鏡は無数にあることに気づく。それは、万華鏡のように無限にある。若いうちはそのことがわからないんだけど」

「そのとおりよ。もう少しいえば、もっと年をとってくると、今度は新たに自分を鏡にうつすのをやめ、一番自分に都合のいい鏡で、自分の像を固定化しはじめるの。そしてその像をまもる壁を造りはじめる。

その壁は外敵から自分をまもるために造られたのだけど、残念ながら、必ず壁の内部に悪を一緒に囲い込んでいる。だから、結局、壁の中の闇によってその街の平穏は失われる。壁はおのずとくずれる運命にある。それも外からでなく内から」

「あなたのつくりだしたこの街もきっとそうなるわ」

「そうかしら?今のところ心配はなさそうだけど」

「そうかしら?たとえば、夜がない街で、あなたがゆっくり眠れることってあるの?」

「この街に住んでいる人たちはわたしをふくめて少し特殊な部類にはいると思うわ。選ばれた、とはいわないけれど。この街を通りすぎる人たちはいっぱいいても、住みつく人は限られている。

実は、この街の存在すら知らない人がほとんどよ。それで、この街のことを、好きだったり嫌いだったり、愛していたり憎んでいたり、いずれにせよ関心のある人々がここに居つくのだけど、こういう人たち、みな、概してうつ傾向で不眠がちなのよね。それが普通だから、そう不眠も気にならないんじゃないかしら。逆に、こちらが聞きたいわ。夜っていったいなんの意味があるの?」

「意味?」

「一晩中暗くならない夜があっても、人は眠くなれば眠るわけで、もしも暗い夜がこなければ寂しい時間を過ごすこともないじゃないの?」

「暗い夜に眠るのが寂しい?そうかしら?わたし、眠る前の、目覚めているときと眠るときの境目の、なんかふわふわした夢でない夢のような時間が大好きよ。そして、なるべく楽しいことを思いうかべるの」

「うらやましいわね。わたし、この世界をつくってからずっと寝てないわ。守るべきものができたからかしら?夢のかたまりのような世界をつくってから、それが壊れないようにいつも心配で、もう夢見ることは忘れてしまったの」

「わたし、もとの現実の世界のこと忘れたことはないわ。あなた、わたしたちになにをしたの?『沈まない太陽』を動かす工場はこの島のどこにあるの?それともわたしたちに妖精の粉とかでもふりかけたの?」

「さあ?それは秘密よ。自分たちであててごらんなさい。

ところで、急な質問だけど、あなた、あのタイチっていう子のことを愛しているの?」

「愛している?」

「そこまでの関係ではなさそうね。だったら、わたしが彼をもらっても、かまわないわね」

「もらうって?」

「わたしも、彼と同じで、一般の人と同じではないの。魔法使いは魔法使い同士でないとわからないことがあるの」

「わたしが好きなのは、タイチの魔法ではないわ」

「でも魔法は、彼とは切っても切れない能力よ。私には彼の能力ゆえの苦労がわかる」

「そうかしら?」

「それにわたしには彼にはない魔法の能力をもっているわ。愛憎という強い魔法の粉よ」

「あなた、いったい何者?わたし、あなたは、実は魔法使いではないような気もする」

「魔法は使えなくても、あなた、やはり頭いいわ。好きなように考えて。さてと。実は、明日、この街でコンサートがあるの。みんなでいかない?招待するわ。行けばもっといろいろあなたたちの知りたいことがわかると思うわ」

「わたし、あなたには負けないわ。あなたは、いろいろな言葉をあやつってはいるけれど、人の感情を決して見ようとしていないもの」

コピヤが、声だけでなく、ふたりの様子を目で確かめようとそっとのぞきこもうとしたとき、誰かが足にかみついた。見ると、それは、またねずみの人形のチューだった。

「コピヤはチューの敵だ。コピヤはスパイだ」

 こいつは、だんだん人形離れしてきているような気がする、と思いながら、コピヤはチューをけっとばして足から振り払おうとしたが、なかなか離れない。

「コピヤはいつもチューをおそれている。だから、コピヤはチューをみるといつも追いかけてきて、つかまえてゴミ箱にいれようとする」

「追いかけてきているのは、おまえの方だろう?ぼくはおまえを追いかけたことはないぞ」

「おまえは、タイチたちのコピヤか?おまえはかわったコピヤだ。チューをみても反応しない。でも、見た目だけでは、他のコピヤと区別はつかない」

 コピヤがチューをおそれている?だから、チューはあの雑貨屋に閉じ込められている?


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