98.羽化
「とうさま、しっかりしてください! なんでおいらを……」
ガロは龍化が解けた父の肩を抱きながら必死に声を掛ける。身体の中心にはぽっかりと空洞が空き、周辺に血だまりを作っていた。
「ごほっ……」
森龍族の王は大きな血塊を吐き出すと、我が子に最後の言葉を残そうと気力を振り絞り手を伸ばしていた。ガロは生気が失われつつあるその手を掴むと、ぐっと力を込めて握り返す。
「なんで……なんでおいらをかばったんす……っ!」
ガロは疑問だったのだろう。久々の再会を果たした際も冷たくあしらわれ、部外者であるフィルから見ても、愛情があるとは思えなかった。
だが、真実は異なっていた。
「おまえが我が子だからに決まっているだろう」
「ッ」
ガロを見つめるその瞳に浮かんでいるのは間違いなく慈愛の感情だった。優しく、それでいて厳しいその姿は子を想う親の姿に他ならなかった。
「我は森龍族の王として……里の者たちを導く義務があった……そして、その代償として……お前に父としての愛情を注いでやることを……放棄してしまった」
父の告白を聞き、ガロの大きな瞳からとめどなく涙が溢れ出す。
「おまえが里を出て行った日……我はどうすることもできなかった。ただ”里の長”として振る舞い続けるしか……そう生きることしか知らなかったのだ……」
ガロは父の死を悟っているのだろう。一言も聞き逃すまいと真剣に耳を傾けている。
「おまえが戻ってきた時……とても幸せそうな表情をしていたおまえを見て……安堵し、そして……後悔した」
森龍族の王は自らの子に最後の言葉を託す。
「ガガよ。よい友を持ったな。不出来な父を決して許すなよ」
「いやだ……いやだ、いやだ、いやだッ! 死んじゃいやだ……ッ!」
「おまえは……おまえが好きなように生きろ」
言葉そこで区切られ、それ以上続くことはなかった。
「とうさま?…………あぁ……ぁぁぁぁぁぁっぁぁ!」
ガロの慟哭が戦場に木霊し、その悲しみは倒れ伏している仲間たちへと伝播していく。父の愛情をようやく感じることができたにも関わらず、それは一時の泡沫となって永遠に消え去ってしまった。
ガロの父の身体は徐々に粒子となって消えていき、身体が存在した場所には小さな植物たちが芽を出し生命を循環させている。
そして、完全に身体が消滅した時、ガロの右手には翡翠色の珠がぽつんと残されていた。
「……まさか自らの体内に隠していたとはな」
黒衣の男は意外な場所から目的の物が出てきたことに驚いている様子だ。結界に使用する珠をまさか自らの身体を使って隠していたとは思いもしなかったのだろう。
「さぁ、大人しくその珠をこちらに渡せ」
「……」
男はガロが手に持っている珠を引き渡すよう促すが、ガロはそれに対して言葉を返すことはなかった。
言葉の代わりにガロが返したもの、それは――――
「”≪龍化≫”」
強い輝きと共にガロの身体が光に包み込まれ、存在を急速に膨れ上がらせる。
光が晴れた時、そこには深緑色の鱗を持ち、二本の角と一対の翼を携えた一匹の龍が立っていた。
――――これがガロの真の姿
少し小柄な深緑の龍は黒衣の男へと照準を定めると、上空へと飛び上がり、その膂力で男を叩き潰さんと拳を振るう。
『ガァァァァァァッァァァ』
「風抜之――――」
男は暴風よってその拳を一度は受け止めようとしたが、直前で受け止めきれないことを理解し、自らの足元に突風を発生させることで龍化したガロの一撃を間一髪避ける。
先程まで男が立っていた場所は大きく抉れクレーターのように陥没しており、今のガロが覚醒した龍種として凄まじいエネルギーをその身に内包させていることをフィルは理解した。
ガロと黒衣の男はそれぞれの力をぶつけ合い死闘を繰り広げている。技量で優っているのは男の方だが、ガロはパワーでそれをねじ伏せようと、太い尾と鋭い爪を男に振るっている。
――――これなら
ガロの龍化によって閉ざされていた勝利への道に、再び一筋の光が差し込んだ。
フィルは自らが生み出した剣を杖代わりに、なんとかガロの隙を作るために立ち上がって、再び戦場へと戻ろうと足を踏み出そうとした。
だがその時、まるで最初からそこにいたかのような不自然さで、唐突に三人の男たちが目の前に現れたのだ。
「あらら、苦戦してるみたいですね。ゼンさん」
「うひっ。アイツ死にかけてんじゃん」
「……」
酷薄そうな印象を受ける糸目の男。おかっぱ頭で目元を隠した不気味な男。そして三度目の邂逅となる黒いローブの男が立っていた。
「うひひっ、ねぇゼン。それボクちんにちょうだいよ」
おかっぱの男は親指を噛みながら笑顔で戦闘中のゼンに話しかける。
「……戦いの邪魔だ」
ゼンはおかっぱ頭の男の言葉に不快感を示しながらガロの拳を風の力で押し流す。
新たに現れた三人からはゼンから感じるような、相手を叩き潰そうとするようなプレッシャーは感じない。黒ローブの男からはそれでも晶素の気配を感じるが、他の二人からは何も感じなかった。
ガロは再び上空へと飛び上がると、その尾を鞭のようにしならせ重力と共にゼンへと振り下ろす。おかっぱの男はゼンに拒絶されたからなのか、無理やり戦いに加わろうとする様子はない。他の二人も同様にただただ戦いが終わるのを待っているだけだ。
「≪万感之相≫」
再びゼンの顔に漆黒の紋様が浮かび上がり、急速に力を膨れ上がらせる。
ガロも本能的に危機を感じ取ったのか、尾を振り下ろすのを中断し一度距離を取ろうと上空へ舞い戻ろうとした。
だが、それはこの状況においては悪手だった。
ゼンは自らの足元に突風を発生させ一気に上空へと飛び上がると、ガロの両翼に向け灼熱の槍を突き刺した。
『ガァァァッァァッァァァァアァァ』
炎の槍はあっけなくガロの両翼を貫き、ガロは悲鳴を上げながら地面へと落下する。
「ガロ!」
そして、ゼンは着地する寸前のガロの腹部に暴風雨を凝縮させたような晶素の塊をガロに向け叩き込んだ。
『ガッ』
ガロの巨体はまるで玩具のように跳ね、瓦礫の山へと吹き飛んでいく。身体の損傷が激しく維持できなくなったのだろう、ついに龍から人へと姿を戻してしまった。
「……ぐ」
ガロは辛うじて意識を保っているようだが、その挙動はひどく弱々しい。
ゼンはガロの元へ近づくと、小さな手から零れ落ちた珠を奪い取り三人が待つ場所へと向かう。
「お疲れさまでした、ゼンさん。当たりを引けて良かったですね。良い戦いができました?」
「流石は龍種といったところか」
「不干渉のはずの精霊が余計な事をした時は焦りましたが、手間を掛けた甲斐がありました。そこに寝転がっている龍の子に感謝しないといけませんね」
そう言いながら三白眼の男は満足げに頷いている。
「どういう……意味だ」
フィルはよろよろと立ち上がりながら、意味深な発言をした男へと問いかける。
「忌々しい結界のせいでここだけは干渉できませんでしたからねぇ……フフ。あぁ、申し遅れました。ワタクシはイーネン・ケイトと申します。以後お見知りおきを」
イーネンと名乗った男はわざとらしくローブの裾を持ちお辞儀をする。それに追従するようにおかっぱ頭の男が口を開いた。
「ボクちんはエレイン・ランク。よろ~」
エレインは何が楽しいのか口角を吊り上げ、先程から嗤いながらこちらをにたにたと見ている。
他の二人、ゼンと黒ローブの男も名乗るかと思ったのだが口を開くことはなかった。エレインはガロを一瞥するとイーネンに同意を求める。
「ねぇ、アイツはもう用済みなんでしょ? もらっていい? 試してみたいことあるんだよね~龍種なんて滅多にお目にかかれないし」
エレインは顔を上気させ、倒れ伏しているガロのことをじっと見ている。
「やめときなさい。ただでさえ予定が遅れているんですから」
「えぇ~、グランデル様だって少しくらい許してくれるでしょ」
イーネンに窘められたエレインはそれでも諦めきれないのか、なおも食い下がろうとする。
「珠は回収した。さっさと引き上げるぞ」
「……ちぇっ、分かったよ」
ゼンが回収してきた珠を確認したのかエレインはしぶしぶといった感じで引き下がった。力関係が分からないが、どうやらゼンという男とイーネンという男が中心となって動いている印象をフィルは受けた。
「まっ、待て……!」
言葉ではなんとか真羅の蛮行を止めようとするフィルだが、正直に言えば唇を噛みしめていなければすぐにでも意識を失ってしまいそうな程に身体の消耗が激しい。
ふらつく身体を前に前にと動かすが、そんなフィルの姿を嘲笑うかのように男たちはフィルに背を向ける。
イーネンが手を掲げ指を鳴らすと、以前ヴァクロムと戦った時のような黒いもやのような空間が突如上空に現れた。
「他の奴らはもう帰ったの?」
「生きている者は先に帰しましたよ。何人かは死にましたが、まぁ龍種が相手なら上出来でしょう」
「ふ~ん、まっ、ボクちんにとってはどうでもいいけど」
そう言いながらエレインは黒い空間に飲まれ姿を消した。晶素の気配も消えたということは、どうやらあのもやは別の空間へと繋がっているらしい。
エレインに続きゼン、黒ローブの男もこの場から姿を消す。
三人が消えたことを見届けイーネンもこの場から去るのかと思いきや、息を一つ吐き出し、おもむろにフィルの元へと近づいてきた。
フィルは思わず身構えるが、雫程の晶素が巡るだけで、およそ戦うことができる状態ではない。
眼前まで迫ったイーネンを注意深く観察していたフィルは、身を呈してでも仲間たちを守ることができるよう拳を構える。
だが、その後の展開はフィルがまったく予期していないものだった。
イーネンはフィルの耳元に自分の顔を近づけると、妙に真剣な声色でフィルに告げる。
「精霊と龍が指し示す場所へ向かいなさい。きっとあなたたちの力になってくれるはずです。そして、フィデリオに着いたらタイラーという男を訪ねるのです。いいですね?」
フィルは自分が何を言われているのか理解出来なかった。先程まで敵として対峙していた人物からの助言とも取れる発言に、フィルは激しく動揺する。
「どういう――――」
意味なんだと問いかけようと口を開いた時には、男はすでに黒いもやへと片足を踏み入れている所だった。
「機会は一度だけです。自分が何をすべきか、もう一度だけ考えてください」
イーネンは再びこちらを振り返ることはなく、またしても意味深な言葉を残してその場から完全に姿を消した。
辺りにはパチパチと瓦礫が燃える音と、誰かがすすり泣く声だけが響きわたっていた。




