90.子と親
先程までポツンと一本の木が立っていた崖だと思っていた場所は見る影もなく、青々と茂った木々に囲まれ、どこかから轟々と水の流れる音も聞こえる。
高台から見る木々の隙間から、遥か彼方に先端が雲に隠れ見えなくなっている程の巨木が鎮座しているのが分かった。
だがそれよりも、中心にそびえ立つ巨木を囲うように、何体もの色とりどりの龍がその羽を優雅に羽ばたかせているのが目に飛び込んできたことに驚きを隠せない。
「ここが……ドラ……」
遠くで飛び続ける龍種を見ながら、ここが本当にあの伝説の地ドラであり、そして自分たちがそこに立っているという事実をフィルは感慨深く感じる。
ゾネの村で、お伽噺の一つだと聞かされて育ってきたフィルにとっては、精霊の国に続き衝撃の連続だ。
「ようこそ、龍の国へ。ここがおいらの故郷、天と地の境界『ドラ』なんす」
ガロはどこか誇らしげに腰に手を当て胸を張っている。この目で見るまでは本当にその国があるのか正直半信半疑だったのだ。ガロは小さな角がある以外は龍種っぽくはないし、どこか絵空事のように感じていた。
だが、フィルの目に飛び込んでくる情報の数々はそれを現実のものだと理解させるには十分だった。
すべてのスケールが巨大で、大地の一つ一つ、木々の一本一本が存在感を放ち、力強いエネルギーを感じる。空気中に満ちている晶素が少し濃いような気もしていた。
フィルは少し心配になってエインに声を掛ける。
「エイン、大丈夫かい?」
「この程度であればまだ問題はない。気に掛けてもらってすまない」
エインは晶核に比例して排出能力も小さい。高濃度の土地では油断すると結晶化が始まってしまう危険性が高まるため声を掛けたのだが、どうやら杞憂だったようだ。
「良かった。もし体調が」
「フィル! 何かこっちに向かって来てるぞ!」
カイトが指さす方へと目を向けると、遠目からでも分かる、四体の緑色の龍と、一際巨大な緑龍がこちらに迫ってきているのが分かった。
龍の群れは羽を羽ばたかせながら急速に近づいてくる。
敵意は感じないが、仮に戦闘になった場合戦いになるのだろうか。その巨躯に生えている鱗は何層にも重なっており、並大抵の攻撃では通用しないように思える。なにより、本物の龍種の存在感とでもいうのであろうか、ここからでも肌が震えるほどの圧を感じる。
そうこうしている内に龍の群れはすぐ側まで近づいてきていた。考える暇もなく防衛本能で各々戦闘態勢に入ろうとするが、ガロの口から出た言葉によって戦いの心配がないことを理解する。
「とっ、とうさま!」
「!?」
まさかの発言に一斉に目を見合わせる。ガロが”とうさま”と呼んだということは、つまり目の前の龍がガロの父親なのか。
一際大きな龍はフィルたちの眼前で停止すると、羽ばたきによって宙に身体を固定する。爪は異常に鋭く、フィルたちと同じ大きさの牙が無数に生えそろっており、噛まれればひとたまりもないだろう。他の四匹の龍たちは巨龍の後ろで控えながら、大きな瞳でこちらをじっと見ている。
フィルたちが一言も発することができない中、巨龍は腹の底に響き渡るような凛とした声で話し始めた。
『結界が解けたと思い来てみれば、なぜ戻ってきた、ガガ』
「とっ、とうさま……」
『まさか”龍族の掟”を忘れた訳はなかろうな?』
「それは……」
ガロは父親に問い詰められ沈黙してしまう。自分の都合で里を出ていったとしても、久々に再開した親子のやり取りとは思えないほど冷めきったものだった。勝手に里を出て行った子に対する怒りからなのか、それとも別の何かがあるのか、掛けられる言葉に優しさや慈しみは感じられない。
ガロはその空気に耐えかねるように俯いてしまう。だが、それでも、勇気を振り絞るかのように、ここに来た目的を途切れ途切れに説明をする。
「ロっ、ロロから、炎龍族のロロから手紙が届いたんす。その手紙に書いてあったんす! 『たすけて』って」
『なに? 炎龍族から手紙だと?』
ガロはポケットからごそごそとその手紙を取り出すと、恐る恐る父親に見えるように広げる。巨龍は顔を近づけその手紙をまじまじと観察すると、何かを確認するように鼻を近づけている。
しばらくして返って来た言葉は、フィルたちの目的を根底から覆すものだった。
『これは”偽物”だ。なぜ我らの言葉を知っているのかは疑問だが、その手紙からは”人間の臭い”がする。我ら龍族のものではない』
「にっ、にせもの!?」
ガロは手紙を改めて見返し、父親と同じように鼻を近づける。だが、ガロには真偽は見分けられないようだった。
その様子を巨龍の後ろで見ていた龍の一匹がガロを蔑むように言葉を発した。
『ふん。勝手に里を出た上に、騙されてのこのこ戻ってくるとは。族長の子とはいえ、やはり所詮”翼のない蜥蜴”ということか』
一体の龍の言葉を皮切りに、後ろで控えていた龍たちも一斉に口を開く。
『龍化もできない半端者がよく戻ってこれるものだ』
『里を捨てた”抜け者”め』
『蜥蜴らしく地を這っていればいいものを』
ガロを貶す暴力的な言葉の数々にフィルたちは怒気を放つ。フィルが反論しようと口を開こうとした時、意外にもそんな龍たちをたしなめたのは目の前の巨龍だった。
『口を開くことを許可した覚えはない。勝手な発言は許さぬ』
一言で控えていた龍たちを黙らせると、巨龍は再びガロへと向き直り淡々と言う。
『誰に騙されたのかは知らぬが炎龍族の都に異変などない。掟に従い即刻立ち去るがよい』
「……っ」
ガロは誰かに騙されたという事実と、同族に蔑まれ父親に拒絶されたことに深く傷ついた様子で再び下を向いてしまう。
「おい……さっきから黙って聞いてりゃ、それが久しぶりに帰って来た自分の子どもにかける言葉かよ!」
突き放すような巨龍の物言いにカイトが激昂する。だが、巨龍から返ってくるのは感情を排したような言葉だけだった。
『これは我ら龍族の問題。人間が口を挟むな』
巨龍の咆哮とともに強烈な風がフィルたちに吹き付ける。
『我ら森龍族は結界を守護する者。我らの許可なくこの国に立ち入ることはできぬ。早々に立ち去るがよい』
それだけ言い残すと、巨龍はその身を翻し四匹の龍とともに去っていく。
フィルは、悔しさに押しつぶされそうになって俯くガロを、ただただ見ていることしかできなかった。




