68.差し伸べた手
今、目の前に立っているのは先程までのレイ・デルとは別人、否、別の存在だった。
長く垂れ下がった白い髪を含めたすべての毛髪は抜け落ち、その目は黒く濁っている。ローブは変容し、肉体に刺繍のような紋様が描かれている。
なにより、今まで存在しなかった湾曲した杖のようなものをその手に携えていた。
「我ラハ新シイ世界ヲ造ル。貴様ラノ時代ハココデ終ワル」
レイ・デルが杖をかざすと先程まで何もなかった空間に巨大な箱のようなものが現れる。
「あれは………晶核?」
レイ・デルはおもむろに取り出したばかりの晶核を口に投げ入れると、放つ晶素を膨れ上がらせる。
「神ニ立テツクコトガドウイウコトカ、ソノ身ニ刻ミナガラ死ネ」
レイ・デルは王とホルガーの方を振り向き、侮蔑の言葉とともに手に携えた杖を振るうと、突如、何の脈絡もなく王とホルガーがその場から吹き飛んだ。
『速い』という表現は適切ではない。吹き飛ばしたというより、振るった瞬間に身体が吹き飛んだという表現が正しいほど目視が不可能な速度だった。
王城の城壁に叩きつけられた王とホルガーは相応のダメージを負ったが、それでも立ち上がり再びレイ・デルへと対峙しようとする。
「ごほっ、カイト殿と余で拘束し、ホルガーとフィル殿で一気に攻めたてる他ない」
「……分かりました」
王の提案により、フィルたち四人は体勢を整え、今度は自分たちの方から攻撃を仕掛ける。
「≪雷糸≫!」
「≪天架の灯≫」
雷と光が混ざり合い、眩い光を放ちながらレイ・デルを拘束せんと放たれる。フィルとホルガーはその隙を逃さぬようすでに駆け出していた。
「コザカシイ。フンッ!」
レイ・デルの動きを止めることができた時間は五秒にも満たないだろう。だが、それは、フィルとホルガーが攻撃を届かせるには十分すぎる時間だった。
「≪晶撃≫!」
「≪崩流挽歌≫!」
フィルが全力で晶素を込めた渾身の一撃と、ホルガーの研ぎ澄まされた流れるような剣撃が合わさり、周囲の大気をも巻き込みながらレイ・デルへと迫る。
レイ・デルは再び手に携える杖を振るうが、一度生み出された巨大な晶素のうねりは、レイ・デルの力をもってしても止めることはできない。
だが、フィルたちの行動はすべてレイ・デルによって誘導されていたのだと思い知らされた。
「ヒョヒョヒョヒョ。コレハ貴様ラニ返シテヤロウ。≪澱天≫」
先程までレイ・デルを消し飛ばさんとばかりに迫っていた力の流れは、手に携えられた杖に次第に吸収されていき、すべての光が消えたその時、無防備だったフィルたちに向かって牙を剥いた。
「がは……ッ」
自らが放った技をその身に受けた四人の中で、すぐに立ち上がれる者は一人もいなかった。無防備な状態で直撃してしまったことが傷を大きくしてしまっていたのだ。
「ドウダ、自ラノ技ヲクラウ気分ハ。ヒョヒョヒョヒョ。サテ」
フィルたちを無傷で振り払ったレイ・デルはネイマールたちが隠れている物陰へと目を向ける。
「フンッ!」
「うわぁぁぁぁ!」
レイ・デルの一振りによってネイマールたちを隠していた城壁の一部は跡形もなく吹き飛び、もはや身を隠す場所としての機能を失っていた。
「ネ……イマール、みんなを連れて……逃げてくれ」
「ひぃっ」
フィルはネイマールに逃げるよう声を届けようとするが、人間の領域を超えた存在を目の前にしたネイマールは腰を抜かし動くことができないでいる。
レイ・デルは真っ直ぐシロへ向かって進むと、そのか細い首を自らの左腕で掴み眼前へと持ち上げた。
「貴様ハ失敗作ダ。今度ハキチント処分シテヤロウ。ソレガ親トシテノ務メダロウ。ヒョヒョヒョヒョ」
「やっ……めろぉぉぉぉぉぉぉ!!」
フィルは全身の傷や関節が痛むのをすべて無視し、気力だけでレイ・デルへと向かっていく。他の三人も同様だ。それぞれがぼろぼろの状態になりながらも決死の想いでレイ・デルへと向かっていく。
だが、レイ・デルはそんなフィルたちを虫を払うかのような所作であしらい地面に叩きつける。
――――動け、動け、動けよ!
自らを鼓舞しようとするが、意志に反して身体は言うことを聞こうとしない。足に身体を支えるだけの力が入らないのだ。
必死に手を伸ばそうとするが、目の前で首を掴まれ苦悶の表情を浮かべるシロには届かない。
「ワシノ子ハクロナノミ。キエロ」
「おにい……ちゃん」
シロの目から一筋の涙が零れ落ちる。それは感情表現が乏しいシロが見せた初めての涙であり、生きたいという意思表示だった。
また、大切な人を目の前で失うのか――――
レイ・デルの禍々しい晶素がシロを貫かんとしたその時。
フィルたちの背後から暖かく力強い晶素が出現し、シロを掴んでいたレイ・デルを吹き飛ばす。
フィルは伸ばしていた手を引っ込めると、痛む体を起こしながら振り返った。
「……ソフィア殿下!」
そこには、息を切らしながら右手を前に差し出したソフィアの姿があった。
「どうして、ここに」
「王都が襲われていると聞いていてもたってもいられなくて……城内の兵に聞いたら不審者が城の中にいるって聞いて」
小さな手は震えている。恐怖を押し殺し、自らの感情よりも民の命を優先させようと行動したのだろう。
ソフィアは何かを振り切るように怪物と化したレイ・デルに向かって叫ぶ。
「この国の民は誰一人傷つけさせない」
ソフィアは怪物と化しているレイ・デルを前に一歩も臆することなく堂々と宣言する。傷つき心を閉ざしてしまうことになった自身の力に不器用ながらも、今まさに向き合おうとしていた。
「あなたに、ガフトルトに言われたあの日からずっと考えていた。自分を変えたいとまた思うことができた。だけど怖かった。でも王都が襲われてるって聞いて、みんなが戦っているって知って……不安定でもいい……今だけでいいから。私の力よ、どうか……どうか力を貸して!」
決意が込められた晶素は、一筋の淡い光となってソフィアを包み込む。
だが、ソフィアを包みこむオーラは形が流動的で不安定に揺らめいている。
「どうして……」
ソフィアの決意が揺らぎ、さらに光が弱々しくなる。
その光景を見ていたフィルは、無意識にソフィアの手を取っていた。
「ソフィア殿下、あなたは一人で戦ってるんじゃない。あなたの側にはみんながいます。だから自分の力を信じてください」
「はい……!」
フィルの中で循環していた晶素がソフィアへと流れ込む。それは本来ありえない現象だったが、フィルの晶素を受けたソフィアの光は先程までとは比べられないほど安定し、且つ力強く輝き始める。
「小娘ガァァァァアァァァァァァァァァァ」
自らの行動を邪魔されたレイ・デルは先程とは違い、膨大な量の晶素を杖に溜め始める。先程、王とホルガーを吹き飛ばした音速の衝撃が最大規模で放たれれば、ここいる全員無事では済まないだろう。仮に命があったとして、それはもはや敗北と同義だった。
「キエロォォォォォォオ!!」
「私は愛する人たちを守る。≪獅子星宮≫」
ソフィアから放たれたのは獅子を模した巨大な晶素の塊だ。
すべてを喰らいつくすようにレイ・デルへと向かったソフィアの力は、レイ・デルから放たれた負の晶素と衝突する。
「くぅ!」
巨大な晶素のぶつかり合いは他方を飲み込まんとばかりに拮抗していた。だが、フィルは感覚で分かっていた。
――――この攻撃は届かない
必死なソフィアを側で鼓舞しながら、フィルは覚悟を決める。
ソフィアがいなければ今頃シロは殺されていただろう。そうなればフィルは正気でいられる自信はなかった。もう二度と心を繋いだ人間を失いたくなかった。
フィルはソフィアの手を離すと、最後の力を振り絞りながら駆け出す。
ソフィアとレイ・デルのぶつかり合いは、徐々にお互いの晶素を飲み込んでいき、巨大な爆発となって周囲に拡散した。
「ウットオシイ小娘メ! 腐リキッタ国トモドモ消エサッテ――――」
再びソフィアに照準を合わせ杖を振り上げていたレイ・デルの元へフィルが到達すると、覚悟を決めたフィルから新たな力が放たれた。
「道を切り拓け。”≪晶剣≫”」
フィルは空を掴みながら手を振り下ろす。フィルの右手に握られていたのは一振りの美しい晶素の剣だった。
真っ直ぐに振り抜かれた一撃は、晶素体となったレイ・デルの身体を切り裂く。
「ガァァァァァァッァァァ」
身体の大部分に損傷を負った晶素の肉体は急激に変化を始め、出会った当初のレイ・デルの姿へと戻っていく。
「他者を排すことしかできん愚者どもめがこのわしを傷つけおって! 許さん……許さんぞっぉぉぉぉぉぉぉ!」
レイ・デルは怒りに身を任せながら再びその身体を晶素によって構成しようとするが、それが叶うことはなかった。
「黄泉の力よ! 我が手に再び――――」
レイ・デルの足元から術者の指示を待たずして黒いもやが出現する。
もやは再びレイ・デルに力を与えることはなく、術者自身を徐々に穴の向こう側へと引きずりこみ始めた。
「なっ、なぜだ! なぜわしが引き込まれる!」
フィルは自らの力に飲まれそうになっているレイ・デルを見て、無意識に手を伸ばしていた。
どんな悪人であろうと、フィルは目の前で人が死ぬのを見るのは嫌だった。
王都の人々を傷つけ、大切な仲間たちを傷つけた罪は生きて償わせるべきだと、そう思っていたフィルは、何とかレイ・デルを引き上げようと試みるが、レイ・デルを取り巻く晶素がフィルを寄せ付けまいと激しさを増す。
そして、哀れな研究者の最期が訪れる。
「わっ、わしには未だ成すべきことがあるのだ! シロナを再びこの世に! 離せ! や、やめ」
国全体を巻き込んだ戦いは、唐突に終わりを告げた。




