53.閉ざされた心
「……そんな事が」
「それ以降、ソフィアは心を閉ざし己の力を使う事は二度とない。愛する兄を失い、大切な師の左腕を消し飛ばしてしまった事を今もなお自分の責だと悔いておる。今となっては普通に生活できるまでに回復はしたが、まだ混乱しているようでな」
「グレイ殿下を目の前で失われた事が余程ショックだったのでしょう」
「ソフィアは今でもグレイは生きていたと言い張っているのだよ」
「それは……」
「余も何度も説明した。ガフトルトたちの証言からもグレイは戻ってはこないとな。だが、ソフィアは頑として受け入れようとはしなかった。その事実を受け入れたくないということではないのだ。自分は薄れゆく意識の中、誰かと立ち去るグレイを見たと言っているのだよ」
「本当ですか?」
「念の為すぐに兵を派遣して調査させた。だが、そこにはすでに腐藻の姿はなく、ただの池になっていたそうだ。もちろん水中もくまなく探したがグレイの姿は見当たらなかった。腐藻は獲物を捕食すると体内で生成するの強力な酸で急速に溶かしてしまう。なぜもう一体の腐藻がいなくなったのかは分からなかったが、グレイは捕食されてしまった、我々はそう結論づけた」
「ソフィア様はそれで納得されたのですか」
「いや」
ソラベルの反応は芳しくない。それは、ソフィアは未だ兄が生きていると信じているということを示していた。
フィルが仮にソラベルの立場であれば、恐らく同じ結論を下すだろう。晶獣の恐ろしさは身をもって知っており、いくらグレイが手練れであろうとも水中に引き込まれた状態でまともに戦えるとは思えない。
「この事件の事で色々と憶測で物を言う者は多い。だが、余はあの子の言う事を疑った事など今まで一度もない。だからこそ……すまぬ、少し話し過ぎてしまったようだ。今日はもう宿に戻ってゆっくり休んでくれ」
「分かりました。では約束の日に」
「うむ」
ソラベルがどのような意図でこの話をフィルにしたかは分からない。だが、その瞳には何かを求めているような印象も受けた。
再び師団長を集め会議に入ってしまった王の背中を見つめ、一人残されたフィルはソラベルの言葉に素直に従い、謁見の間を出て宿へ帰る道を急ぐ。
だが、ここで一つ問題が発生する。
「どこから来たっけ……?」
初めてここに来た際はエインに何も分からないまま連れて来られてしまった為、道順など覚えているはずもなかった。
どの廊下を曲がってもまったく同じ景色が広がっているためフィルは完全に迷子になっていた。これだけ広いのであれば、いつか誰かにすれ違うだろうと最初は楽観的に考えていたのだが、歩けども歩けども一向に誰とも会わない。
「どれだけ広いんだよ……」
重厚な絨毯が敷き詰められた廊下を延々と歩く。
しばらく歩いていると、ちょうど廊下の角の辺りから待ち望んでいた誰かの話し声が聞こえてきた。
誰とも会わず心細かったフィルはその声に思わず嬉しくなってしまい、角の向こう側にいる人物へと話し掛けようとした。
「あの――――」
「はぁ、こっちまで気が滅入るわ、ほんと」
声を掛けようとした先から聞こえてきた不穏な雰囲気に、フィルは踏み出そうとした歩みを止める。
「ちょっと。聞こえたらどうすんのよ」
「どうせ聞こえやしないわよ、ずっと引きこもってるんだから」
どうやら侍女が二人、廊下で話し込んでいるらしい。侍女たちは人目を気にしにつつも通常の声量で話し続けている。
「あれから五年でしょ? いくら王族だからって世話するこっちの身にもなってほしいわよ。アタシあの部屋入るの嫌だもの」
「そうねぇ、食事の時くらい出てきてもいいのにね」
「別にもう誰も期待なんてしてないんだからねぇ。レオン様はおかしくなっちゃうし、ソフィア様はあんなだし」
「はぁ、グレイ様がいてくれたらなぁ」
「グレイ様がおられたらこんな事にはなってないわよ。あれだけ人望ある方が亡くなるなんて、この国もいつまで保つかしらねぇ。あの事件も結局グレイ様がソフィア様を庇って怪物にやられちゃったんでしょ? いっそグレイ様じゃなくてソ」
「ちょっと、あんたたち! 食事運ぶのにいつまでかかってるの!」
「げっ」
どうやらいつまでも帰って来ない二人を見かねて侍女長が様子を見に来たようだ。お喋りに夢中になっていた二人の侍女は、慌てたようにフィルがいる廊下とは反対側へ駆けて行く。
話の内容から、どうやらソフィアの事を話しているのだと推測できた。だが、
――――気分が悪い
フィルは一人廊下に佇み不快な気分に耐えていた。王から話を聞いていたのでだいたいの話は推測できる。できるからこそ、フィルは不愉快だった。他人を中傷するような言葉を平気な顔して吐けるその人間性に。
「はぁ……」
フィルは再び歩き出す。図らずも下がってしまった気分を無理やり起こし、声が聞こえてきた廊下の方へと角を曲がる。
「うわっ」
フィルは思わず声を出して驚いてしまった。なぜなら、もうその場には誰もいないと思って角を曲がったのだが、その先に誰かが立っていたからだ。
その女性は髪を後ろで結い一つに纏め、侍女たちが走り去っていった方を無言で見ていた。レオンと同じ小麦色の金髪は、手入れがあまりされていないのか、艶を失いぼさぼさだ。
暗い表情とは裏腹に、その瞳は強い感情で揺れ動いていた。フィルは直感的に理解する。
――――この人がソフィア殿下か
確かにレオンとソラベルに雰囲気が似ている。見た目のせいで柔らかい印象は薄いが、立ち姿には王族としての気品が見て取れた。
どことなく声を掛けてはいけない雰囲気を感じ取ったフィルが、来た道を引き返そうと後ろを振り向こうとした瞬間、ちょうどこちらに振り向いたソフィアと目が合ってしまう。
「…………誰、あなた」
「あっ、えぇっと……私はフィリックス・フランツと言います」
「フランツ? 聞いたことないわね。ここはあなたのような者がいる場所じゃないわ。早々に立ち去りなさい」
「しっ、失礼いたしました。謁見の間から帰ろうと思って迷ってしまって。すぐに立ち去ります」
ソフィアに面と向かって帰れと言われ、いたたまれない気持ちになったフィルは、すぐさま踵を返し帰ろうとしたのだが、ふいに背中から引き留める声が掛かる。
「待ちなさい」
「へ?」
「なぜあなたのような人間が謁見の間にいたの? あそこは簡単に入れる場所ではないわ」
「え~っと、実はですね――――」
フィルは自分たちの素性、レイシェルフトに入国してから変装したレオン王子と出会い、エインに連行され、そして国王から王都を騒がせている事件の調査を求められた事を簡単に説明する。自分で説明しながら、その内容があまりに支離滅裂で、フィルはなんだか自分が情けなくなってしまった。
「ということがありまして」
「それは……なんというか……あの……」
「もう大丈夫です。大丈夫ですから」
ソフィアもまさかそんな内容を聞かされるとは思っていなかったのだろう。返答に困っている様子にこっちが逆に申し訳なくなってしまう。恐らく間違ってはいないのだろうが、フィルは念のため確認をする。
「失礼ですが、ソフィア殿下でお間違いないでしょうか」
「お父様から聞いたのね?」
ソフィアの雰囲気が少しだけ剣呑なものに変わる。見ず知らずのフィルのような輩に勝手に自分の事を話されたのだ。良い気分ではないはずだろう。
「……すみません」
「どうせお父様が強引に話したのでしょう。それで? 私の事をなんて言ってた? ”役立たず姫”? ”イカれた王女”? それとも私なんか特に興味がないって?」
実際、周囲からそういう言い方を裏でされているのを知っているのだろう。レイシェルフトに来て日が浅いフィルは知らないが、あの侍女たちの会話から、日常的にそういう噂が飛び交っているのだと予想できた。自らを卑下し嫌な笑い方をしているソフィアをフィルは見ていられなかった。
それに、フィルが王から聞いた想いは違うのだから。
「ソフィア殿下。私が陛下から聞いた言葉をそのままお伝えします。”余はあの子の言う事を疑った事など今まで一度もない”。陛下は確かにそうおっしゃられていました」
長い前髪に隠れていた瞳が驚きで見開く。フィルが伝えた言葉が世辞ではなく、本当にソラベルが口にした言葉だとフィルの雰囲気から分かったのだろう。予想しなかった言葉だったのという事もあって、ソフィアは見るからに動揺していた。
怒りと悲しみ、その隙間に見える――――喜び
「……この廊下を真っ直ぐ進んだら一階に降りる階段があるわ」
ソフィアはそれだけ言い残すと、すぐ側にあった扉を開け部屋に入ってしまった。
ソラベルの言葉にどういう想いを抱いたのかはフィルには分からない。あの侍女たちが去った後を見つめるソフィアの後姿は、見ているこちらが苦しくなる程、憤怒と孤独が入り交じっていた。
何よりフィルがソフィアから感じたのは、”助けて”という強いメッセージ。
ソラベルもソフィアも、レオンもお互いがお互いを大切に想うからこそすれ違っている。寄り添うが故に行き違う。
「もどかしいなぁ……」
自分の手の届く範囲で何かできる事がないだろうか。そんな事を考えつつ、フィルは真っ直ぐに伸びる廊下を再び歩きだした。




