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46.表裏

「どうしたんだろ?」


 今まで話していた船乗りに別の乗組員が切羽詰まった様子で駆け寄ってくる。


「おい、海洋晶蛸グラスオクトが出たらしい! 北東の進路上にいる!」


「なんだって!?」


海洋晶蛸グラスオクト?」


 フィルには聞きなじみのない名前だ。


海洋晶蛸グラスオクトっていうのは足と目が十本ある化物で、船を見かけると無条件に襲ってくるんだ。しかも皮膚が分厚くて攻撃も届かないから見つけたら気付かれる前に逃げるのが正しい対処法なんだ。船乗りたちの間では”死神”って呼ばれてる厄介者だよ」


 目視では未だ確認はできないが、この船を襲ってくるということはそれだけ巨大な怪物なのだろう。


「夜行性で、本来ならもっと東の海に棲んでいるはずだから滅多に遭うことはないんだ。それがなんだっていま……」


「とにかく手伝ってくれ! 人手が足りていないんだ!」


「分かった!」


 船乗りたちが足早に去って行く姿を見て、フィルたちも念の為いつでも戦える準備を始める。海の獣と戦った経験はないため慎重に動く必要がありそうだが、先程の話では基本的に見たら逃げると言っていたので、戦うよりも逃げきることを優先すべきかもしれない。


 船が北西に舵を取って進路を変更した瞬間、右手から猛スピードで何かが迫ってくるのが見える。それは猛烈な水しぶきを上げながら急速に接近してきていた。


「まずい! 気付かれたぞ!」


 船も必死に逃げるが速度がまったく違う。いかに最先端の船でも、今こちらに猛進してくる怪物を振り切ることは誰の目にも不可能だと分かった。


「みんな戦闘準備を。カイトとリアは右舷を、ノクトとガロは左舷を。ネイマールとシロは俺の側を離れないで」


 フィルは冷静に指示を出す。怪物はもうその姿が見える位置まで迫っていた。


 十本の触手をうねうねとくねらせ、十個の目玉がぎょろと動いており不気味だ。緑がかった体表には黒い斑点が無数に浮いている。


 海洋晶蛸グラスオクトは船尾に迫ると、その長い触手を縄のように手すりに巻き付け船の動きを完全に停止させてしまう。


 船長らしき男があらん限りの声で叫んだ。


「みなさんは隠れていてください! ここは我々でなんとかします! お前ら、船乗りの意地を見せるぞ!」


「「「応ッ!」」」


「来るぞ!」


 手すりを掴んでいる触手とは別の触手がフィルたちに向かってくる。高速でしなる鞭のようにフィルの頭上から振りかかって来る。


「おい、兄ちゃん! 逃げ――――」


 フィルは向かってくる触手を視界に入れると動きを予測しながら晶素を放った。


「≪晶撃アントレ≫」


 高速で打ち出された拳は触手とぶつかり、そのまま先端部分を消し飛ばす。


「≪晶波レイジング≫」


 フィルの狙いは触手ではない。最初から生物の共通の弱点である目に照準を絞っていた。


 一直線に飛んで行った晶素の弾丸は、海洋晶蛸グラスオクトの目に着弾するとそのまま貫通し海上へと消える。


「ヲュァァァァァァァァァ」


 海洋晶蛸グラスオクトが悲鳴とも取れる声で雄たけびを上げる中、他の仲間たちも次々と攻撃を浴びせていく。


「に、兄ちゃんたちはいったいなにもんなんだ……」


 船長の男はまさかフィルたちが戦えるとは思っていなかったのだろう。海洋晶蛸グラスオクトは一度身を翻すとその姿を海中へと消してしまう。


「やった、のか?」


「いやまだです。きっと――――」


 そうフィルが言いかけた瞬間、船体に強烈な揺れが襲う。


「フィル、前だ!」


 カイトの目線は船首に向けられており、フィルの目線の先には先程まで船尾にいたはずの怪物の姿があった。


 フィルたちが船首に向かって駆けだそうとしたその時、強烈な揺れが再び襲いシロが転倒してしまう。


 フィルが気付いて駆け寄ろうとした時には、すでに触手がシロの目前へと迫っていた。


 晶壁オーバーを出しても間に合わないと判断したフィルは、自身の体でシロを包むと、海洋晶蛸グラスオクトの強烈な一撃を受けて吹き飛ばされる。


「フィルさんッ!」


 近くにいたネイマールが駆け寄ってくるが、フィルは叩きつけられた衝撃で上手く呼吸ができず、すぐに返事をすることができない。


 シロが腕の中で心配そうにこちらを見ているが、予想以上の威力にすぐには立ち上がれなかった。


 そして、海洋晶蛸グラスオクトはその隙を見逃さなかった。


 再び飛来した触手は一直線に未だ立ち上がれないフィルの元へと振り下ろされる。晶壁オーバーを出そうにも頭をぶつけたせいなのか、晶素を上手く循環させることができない。


 フィルが再びその身に受ける衝撃を覚悟したその時。



「おにいちゃんを、いじめるな――――!」



 フィルたちの数倍はあろうかという晶素がシロの身体を包み込み、急速にシロの掌に収束すると、光輝く掌の痣から射出された。


 海洋晶蛸グラスオクトは自分に飛来する物体がどれほど危険なのかが本能的に分かったのだろう。フィルに伸ばした触手を即座に引っ込めると身を翻して逃げようとする。


 だが、すべてが遅かった。


 シロから放たれた輝かんばかりの白い晶素の塊は、そのまま着弾すると、分厚い皮膚をあっさりと貫いて身体を爆散させた。


「「「「うぉぉぉぉぉぉおお!」」」」


 戦いの一部始終を見ていた船乗りたちが野太い雄叫びを上げる。


「すげぇなあんたら! 海洋晶蛸グラスオクトと遭って生きて帰れるなんて自慢できるぜ!」


 船の上は海洋晶蛸グラスオクトを退けたことで大いに盛り上がっていた。どうやら他の仲間たちには怪我はないようで、シロは力を使い果たしたのかフィルの腕の中ですやすやと寝ている。


 フィルもなんとか立ち上がれるまで回復していたので、シロを抱えながら仲間たちの元へ駆け寄っていく。


「みんな無事かい?」


「こっちは大丈夫だ。お前は?」


「俺ももう大丈夫」


「フィル、さっきのは何だ?」


 カイトが言うのは先程シロが見せたもののことだろう。


「分からない。保持者ホルダーとも思えないし、急にシロに晶素が集まっているように見えた」


「なるほどな」


 シロが先程見せたものは、ここにいる誰よりも強力なものだった。


 それがいったい何を意味するのかはフィルたちには分からなかったが、今はとにかく静かに眠らせてあげることを優先すべきだろう。


 先程とはうって変わり、静けさを取り戻した海を見つめる。



 深い鈍色とは対照的な一羽の青い鳥が、自由を求めるかのように海原を飛び立っていった。

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