3.慟哭
村に到着したフィルたちが見たのは、目を覆いたくなるような光景だった。
家屋はなぎ倒され、至るところで火の手が上がっている。家族同然だった村人があちこちで倒れており、顔色からすでに命がないことは明白だった。四肢を食いちぎられている者もいる。
「あぁ………………あぁ……」
いつも元気で快活なリアが泣き崩れていた。両手はすでに冷たくなっている両親の手を握りしめている。
フィルは何も声をかけることができない。どう声をかけていいのか分からなかった。
「くそっ!」
カイトがやりきれない想いを誰に言う訳でもなく宙に吐き出す。
「なんで! そんなはず…………どうして……」
ノクトは今までに見たことのない表情で怒りと悲しみを露わにしている。ノクトの両親もまたすでに事切れていた。
フィルはそんな三人を遠目に見ながら、気付いたら燃え盛る我が家の前で立ち尽くしていた。
「……父さん……母さん」
どうして。
なんで。
そんな陳腐な言葉ばかりが浮かんでは消えていく。
フィルは二人の死が受け入れることができない。今日の朝「おはよう」と言ってくれたばかりの二人が、もうこの世にいないことが信じられなかった。
こういう時に限って楽しい思い出ばかりが浮かんできてしまうのは、なぜなのだろうか。
何も考えられず呆然と立ち尽くしていたフィルに、カイトが焦りを混ぜた声で促す。
「フィル! 今はとにかく逃げるぞ!」
――――父さん
「おい! フィル!」
――――母さん
「フィル! 二人の死を無駄にする気か!」
その言葉でフィルは急に現実に引き戻された。引き戻されたと同時に景色が急に鮮明になり、そのあまりの凄惨さ、不快さに反射的に吐いてしまう。
「おえぇっ、あぁっ……あぁ…………カイト……俺は……俺は……」
「フィル。オレだって親父とお袋がどうなったかすら確認できてない。けど……けどここにいたらアイツらが戻ってくるかもしれない。今は自分たちの命を守ることを優先しよう」
カイトが感情を抑えるように冷静に言う。その表情から、フィルはカイトがどれだけ自分の感情を押し殺しているのかを悟る。おそらく村が襲われていることを知ったカイトは、このままではフィルたちは何も知らないまま襲われてしまうと思い、後ろ髪を引かれながらも戻ってきてくれたのだろう。
「……そうだな。ありがとう、カイト」
「礼は後だ。今は早くここから――――」
その時、体の底から恐怖を掻き起すような咆哮が辺り一帯に響き渡る。
「ヴォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!」
「まずい! やつらやっぱりまだいやがった! こっちに来る前に早く逃げるぞ!」
カイトが逃げ道を確保しながら叫ぶ。
ショックで動けなくなっているリアを抱え逃げようとしたその時、一体の晶獣が立ち塞がるように村の北門に現れる。
見たところ、村の周辺で見かける、牙土獣という動物が晶獣と化しているようだった。体表が結晶化しており、紅い目を血走らせ、涎を垂らしながらこちらを見ている。
一歩でも動けば襲ってきそうな気配にフィルたちが動けないでいる中、先にしびれを切らしたのは晶獣の方だった。
「グルァァァアァ!」
強靭な四肢を生かしたスピードで急接近した晶獣が、鋭い牙を剥きながらノクトへ噛みつこうとする。
だが、横から振るわれた鋭い剣の一閃が晶獣の額を傷つけ弾き飛ばし、鍛えられた肉体の黒髪の剣士がフィルたちと晶獣の間に立ち塞がる。
「大丈夫かみんな!」
「ヴァン!」
ヴァンは見れば至るところを負傷している。村の皆を守るため必死に戦っていたのだろう。
「他のみんなは!?」
フィルがヴァンに投げかけるがヴァンの表情は優れない。
「分からん。北門から駆け付けた時はすでに南は壊滅状態だった。セーラとディアは家の地下にある物置にまだ隠れているはずだ。俺は二人を連れて逃げる。ぐっ! ここはおれが食い止めるからお前らは早く逃げろ!」
ヴァンが晶獣の牙を剣で受け止めながら逃げろと言うが、フィルにはヴァンやセーラたちを見捨てて行くことなどできなかった。
「そんなのだめだ! みんなで逃げよう!」
「今のままだと確実に全滅する! 固まって動いたところでいい的になるだけだ! それにあの晶魔に見つかったら絶対に逃げきれ――――」
ヴァンが渾身の一刀によって晶獣を斬り伏せたと同時に、何かを見つけ息を呑んだのが分かった。
心臓の音がうるさく鳴り響く中、ヴァンの視線の先を追っていくとソレは立っていた。
全身を黒い甲殻で覆い、胸元には大きな十字の紋様が刻まれている。背丈は標準の人間と大差はないが、異様に多い関節と、垂れ下がった長い耳、そして身体を突き破るように無数の骨が突き出している。
まさに異形としか言いようがない。
形容しがたい生物の形をしており、生理的な嫌悪感と恐怖を引き起こした。
化け物は右手に人の頭部を抱え、左手にはすでに判別できないほど破壊された人の足を握りしめ、歯がぎっしりと生えそろった口をくちゃくちゃと動かしながら、じっとこちらを見ている。
圧倒的な存在感を放つ化け物の登場に、脳が早く逃げろと指令を出すが、恐怖で足は地面に張り付き動かない。
そんな状況の中、唯一正気を保っていたヴァンがフィルたち四人へ発破をかける。
「急げ! アイツを見て分かるだろう!? 戦って勝てるような相手じゃないんだ! それに、敵はアイツだけじゃない! 必ず二人を連れて逃げるから先に行け!」
ヴァンはこちらに近寄ることもせず、じっとこちらを見ている晶魔の一挙手一投足を確認しながら、懸命に切先を向ける。
だがそれでも、あの怪物の前にヴァンを置いていくことはどうしてもできなかった。追いつかれれば待つのは”死”だったが、ヴァンの決意を聞いたカイトが決断する。
「分かった。絶対後で追いつけよヴァン」
「ッ!? 何を言ってるんだカイト! ヴァンたちを見捨てる気か!」
仲間を置いていくという選択にフィルが非難の声をあげる。ヴァン一人であの晶魔から逃げきれるとは到底思えなかった。
「ヴァンが言ったとおりだ。今のまま全員で動いても奴の餌食になるだけだ。晶獣も未だうろついてる中でオレたちがいても足手まといになる」
「だけどッ!」
「冷静になれ、フィル! 今何が最善かを考えろ」
「……ッ」
言葉の意味は分かる。頭では分かってるのだ。だがどうしてもその選択を取る事ができないのだ。今のこの状況でヴァン一人残していった所で、いったいどのくらい生き残る可能性があるのだろうか。
フィルの葛藤に気付いたヴァンが、身を呈して戦い続けながらこちらを振り返る事無く言いきる。
「生きてくれ」
「ッ」
短いその言葉に、たった五文字のその言葉に、フィルは涙が止まらない。込められた決意を受け取ったフィルに、これ以上この場に踏みとどまる事は許されていない。
自分の無力さに拳を握りしめながら、可能性は限りなく低いと分かっていても、フィルはヴァンの背中に言葉を投げかける。
「セーラとディアを連れて必ず追いかけてくるんだ! 必ず!」
「応っ!」
激しい戦いの音を背に、フィルは感情を抑え込みながらカイト、リア、ノクトと共にゾネの村を後にした。