車椅子の彼女
高校生のとき、俺のクラスには車椅子の女子がいた。その子の定位置は廊下側の一番後ろで、席替えがあったとしてもその席は変わることなく、教室内で人気の席が独占されていることに対して不満に思っていた。購買が近いので、昼休みになると売り切れ必死のパンをすぐに買いに行ける場所であるとともに、教室全体を見渡せるところが良いと考えていたからである。
(別に車椅子は一番前だっていいのに)
と不満気にしていると、席替えで彼奴の隣になってしまう。そして、前の席は俺の苦手なタイプである影山さんだ。苦手だが美人ではあるので気になっていた。幸いにも彼女は後ろの席だったので、好みのタイプを知る事ができた。それは『優しくて力持ち』と云ったモノだった。優しさにはあまり自信がなかったが、アピールすることは難しいと思うことはなかった。
そんなある日、朝のホームルームで黒岩を担当している介護士が怪我をしたとa言って、担任の先生が俺に彼女の手伝いをお願いしてきた。
「助け合いの世の中だからな」
担任が口を開く。
(そんなの綺麗ごとだ。第一、介護士は専門知識があり、然るべき御給金をもらって黒岩をサポートしている。対する俺は、専門知識を持たない素人で、当然だが対価はない)
と思ったが、影山さんへのアピールになるため、快く引き受けることにした。不純な動機ではあるが、なにをしたら良いのか、簡単に想像ができていた。
それは、あらゆることについて先回りすることで、教科書を開いたり、板書を手伝ったりしたが、『ありえない』といった表情で文句を言ってくる。
「そのくらい自分でできるよ。私のコト赤ちゃんだと思ってる?」
僕は内心イラついたがそれを押さえ、どういった状況で困りごとが起こるのか訊いてみることにした。
「そんなの決まってるじゃん、階段と段差だよ。車椅子なんだけど、ひょっとして君の目は節穴なのかな?」
口の悪さに驚きつつ
(影山さんに良いとこ見せられない)
などと不埒なことが頭に浮かぶ。
「保健室に行きたいんだけど、手伝ってもらえる?」
車椅子を漕ぐ奴の後をついていく。実を言うと保健室くらい一人で行けると思っていたのだが、気にも留めていなかった場所に、段差があることが分かり驚くことになる。その段差が奴にとっての難所だったようで、傍から見るとタダの段差が、車椅子から見ると難所に変わるというのは衝撃だった。車椅子ごと持ち上げると彼女は驚いたのか小さな悲鳴を上げる。
「力持ちなんだね!」
介助の経験はないので何も考えずに持ち上げてしまったが彼女の反応を見たら、普通の方法ではないのかもしれないと考えた。保健室で黒岩さんが要件を済ませている間、俺は難所となった段差を見つめる。
(たったこれだけの、俺にとってジャンプ一発の段差が彼女には・・・)
そんなことがあってから注意深く観察していると、教室内では、ウロウロしている様子は見られなかった。また、車椅子には『幅』があるため、教室から出ていくときは誰もいないことを確認し、廊下に出るようにしていた。また、教室と廊下の間にある扉は普通であればすれ違うことが出来るが、車椅子となれば話が変わってくる。車椅子では『幅』があるのですれ違うことは難しくなる。彼女は廊下の隅をタイヤを回して進み、曲がり角のたびに耳を澄まして人が来ないことを確認しており、迷惑をかけないよう気を張っているようだった。俺の方はというと、一週間も手伝っていれば慣れたものできたので、彼女がてこずりそうな場所を先に見つけて行動できるようになっていた。困っていることについて遠慮なく言ってほしいと伝えると、言いにくそうにしていたが徐々にではあるが教えてくれるようになった。
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黒岩さんは途轍もない本の虫であったため、図書室をよく利用していた。図書室の本は手が届かない場所にある事が多く、そういった本は俺が取ったりしていた。そういった事をしていると、なんとなく一緒にいる時間が長くなって、教室にいる時は自然と雑談をするような仲になっていく。
本が好きで博識な彼女の知識量は『知らないことがない』と錯覚するほどで、以前こんな事を言っていた。
「車椅子の私は皆と同じように動くことはできない。だけど、文字を通して外の世界を知ることで皆よりも多くの知識を身に着けたいと思ってるんだよね。」
彼女には、そういった貪欲な知識欲があるので、どんな話でも面白がって聞くし、目をキラキラさせて身を乗り出して、自分の世界を広げるのが上手だった。歩けないというハンディキャップがあるだけで、想像の翼で世界を視ているといえるだろう。もちろん歩けないということは、大変なことなんだろうけど、不自由なことは俺が手を貸せば問題ない。むしろ日常生活に支障をきたしているのは俺の方で、知識もなければモラルもない。自分がいかに傲慢さを持ち合わせた人間だったかを思い知った。だけど彼女と話すのはホントに楽しくて、学校に到着するまで待っていられなくなったので家に直接迎えに行くようになっていた。黒岩さんはそこまでしなくても良いと言っていたが、そうしないと俺の気が済まなかったのだ。
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ある日、図書室の本を卒業までに全制覇したいと話す彼女に『それじゃ早速、今日も読みに行こうぜ』と声をかけると影山さんが振り返った。
「小鳥遊くん、優しいんだね」
(は???)
て思った。彼女が車椅子だからか??
それを手伝ってあげてる俺が優しいって?
(あんたも所詮、車椅子に比べて自分は上位の人間だって持ってるクチだろ??)
と感じて、なぜだか分からないが彼女への想いが冷めてしまった。ちょっと前の自分を見ているような気がして、同族嫌悪のような気分になったのかもしれない。
「違うよ。黒岩さんのことが好きだから一緒にいるだけ」
黒岩さんは驚いていたが、影山に驚かれる筋合いはない。
(え??俺に好きな人がいるのはおかしいってことか?それとも車椅子の人が好かれるわけなことか???それとも、自分が一番とでも思ってるのかな?なんて人間が小さいんだろう)
俺はこのように感じていた。
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誰もいない図書室で想いを打ち明ける。『同情しているのではないか』と、疑っていたが、
「俺は同情するような優しい心は持ち合わせていない」
反射的に返す。すると結月は微笑み、うなずいた。動けなくなるような段差には俺がいるし、俺が知らないようなことは結月が教えてくれる。世界は助け合いで動いているかは分からないが、少なくとも俺と結月は助け合っている。それは上下関係ではなく、足りないところを補い合っているだけだから。
俺と結月は、二人で一人だ。