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 母が旅立って数ヶ月後、父も後を追うように亡くなった。二人とも天寿を全うしたが、やはり心残りは弟のことだったろう。両親の死後、二人の家宅を整理している時、机の引き出しの中から「純平へ」という手紙を見つけた。弟の宛名ゆえ開けてはいない。いや、本当は私に勇気がないだけかも知れない。私には見せなかった両親の懊悩に寄り添う勇気が。いつだって私は意気地なしだから。それに本当に奇跡が起きて、弟に渡せる日が来るかもしれない、なんて甘い希望で自分を誤魔化したのだった。

 だがまさかまさか。父の死から更に半年経った今、その奇跡が起こった。

 ▲▲山の中で、身元不明の変死体が見つかったという連絡があったのだ。年恰好は私と同じくらいではないか、ということだった。あの地で弟に関連しそうな出来事があれば、報せて欲しいというのはあそこを離れる際に村の長に頼んでおいた。依頼主である私の両親も、依頼を受けた村長も既にこの世には居ないため、長の息子が私に連絡をくれたのだった。



 もちろん色々と疑問はあった。亡骸は私とそう変わらない年頃の大人のものだと言うが、もし弟だとして、この年まで生き永らえていたという事になる。オカワリサマに憑かれた状態で三十年以上も生き残れるものだろうか。その間の生活は? 自我は? 考えれば考えるほど有り得ない。他人の遺体ではないか。そうは思うのに、休暇を取ってまで車を走らせた。正直な所、弟を両親の下へ帰してやりたいという気持ち半分、そうすることで自身の罪が少しは贖われるのではないかという浅ましい打算半分。私は最後まで薄情な兄だ。

 あの村の駐在所では遺体の保管は難しく、県庁所在地がある町の警察署で安置されていた。そこへ赴き、DNA鑑定、遺品の確認などを経て、遺体とも対面した。ガリガリに痩せ細り、最初はミイラかと思ったほどだったが、顔の造りなど面影があった。だが何よりもDNAが一致したこと、遺品の中に父が昔買い与えた腕時計があったこと、それらが決め手だった。


 

 遺体には不自然な点があった。内臓の幾つかが消失していると言うのだ。野生動物が食い荒らした形跡もないそうで、本当に忽然と「消失」という表現を使わざるを得ないほどに、あるべき物が無いのだと言う。持病があったか等を聞かれたが、私は首を横に振った。正直、背筋に氷を入れられたような心地だった。外見だけでなく、中身まで取られてしまったのだろうか。食いしん坊。母の表現はやはり呑気に過ぎた。

 警察署を出ると、夏の熱気と蝉時雨に迎えられる。ピピッとクラクション。一台の車が路肩に停まっていた。中から人が出てくる。村の長をしていた男の息子、いやその表現はおかしいか、現代表役の男だった。一度代替わりする時に挨拶したことがあるので覚えていた。

「どうも、ご無沙汰しております」

 両手で包むように握手をされる。近くのファミレスに入ると、お悔やみや近況報告などを受けた。そしてカバンから白い封筒を幾つか出してくる。表には「御霊前」と書かれていた。

「村の有志からです」

 最後に茶封筒も渡される。香典とは別口の金のようだった。分厚い。

「それは吉村氏から」

 Y君の正確な苗字を思い出せた。

「彼は元気ですか?」

 長は目を伏せた。その瞼の上を汗が滴りテーブルへ落ちた。

「亡くなりました。林業で村に残ってくれていた若者だったんですがね、その山で」

 私は飲んでいたアイスコーヒーのグラスを強く握った。山。また山。

「彼は生前、自分に何かあった時は、貯金は償いに充てて欲しいと言っていたそうです」

「償い」

「ええ。純平さんのこと、ずっと気に病んでいたんでしょうね」

 言い出しっぺのY君。彼も苦しんでいたのだ。我々が逃げるようにこの地を離れたせいで、こちらに謝る機会すら見つけられなかったのだろう。しかし確かに彼が発端ではあるが、結局は私の意志薄弱が事態をより深刻なものにした、という認識でいる。それに今更故人を恨んでも、全く詮無いことだろう。ただ同時にあの恐ろしい村に寄ってまで、線香をあげるほどの情も湧かなかった。



 弟の葬儀は密葬のような形で終えた。私と妻だけで見送った。直接会ったこともない弟の葬儀を手伝わせるのも忍びなく、私だけでも良いと言ったのだが、ついぞ彼女は首を縦には振らなかった。情の深いパートナーを見つけられて自分は果報者だと胸が温かくなると同時、純平は(恐らく)結婚の選択肢すら与えられず逝ってしまったと思うと、申し訳なさも募る。

 いずれにせよ、一つの区切りはついた。お骨は両親と同じ墓、同じ仏壇に分けて保管することにした。両親からの手紙も、棺の中に入れて共に燃やしてもらった。葛藤はあったが、やはり弟が持って行くべきだと決断した。天国で読んでくれていることを願うばかりだ。

 弟の空白の三十余年間について、探偵でも雇って調査しようかという気も起きないでもなかった。なにせ彼の生きた軌跡だ。それがもし入れ替わられていたのだとしても。知っておくべきではないかと、そう思ったが、同時にこれ以上の深入りは身を滅ぼすかも知れないと不安になり、結局は後者の方が勝った。薄情で臆病な兄。すまない、と心中で弟と両親に詫びる。それでも私には妻と娘がいる。守らなくてはいけない者があるのだから、今度こそ「君子危うきに近寄らず」の精神だ。



 弟の葬儀から一週間ほど経過した。気持ちが軽かった。職場では昇進の話をされ、妻との仲も良好だ。家のローンも完済間近。娘は思春期の難しい年頃ではあるが、世に聞く反抗期と比べれば可愛らしいものだった。

 その日は久しぶりに家で夕食をとった。最近は昇進に伴う引き継ぎ等々で残業が多かったのだが、ようやく一段落ついたのだった。

「部屋で食べる」

 食事が半分くらい進んだ頃、娘が立ち上がった。茶碗の中に半分残った白飯、その上におかずを幾つか放り込み、そのまま二階へと上がっていく。止める間もなかった。

「……あの子ったら。折角お父さんが居るのに」

「まあ、反抗期というヤツかね」

 親と食べるのがイヤ。寂しい事だが、思春期にはそういうことをする子供も居ると聞く。ただでさえ男親は嫌われやすい。仕方ないのかと思うが、

「でも変ねえ。今日アナタが早く帰って来るって言ったら、新しい服をおねだりするんだって張り切っていたのに」

 と妻が首を傾げた。ふむ。確かにそれは変だ。シビアな妻より財布の紐が緩い私の方がカモにしやすいのは、あの子も先刻承知だろうから。

「何か嫌われるようなことした?」

「いや、心当たりはないけど」

 そもそも残業続きだったのだから、殆ど会話らしい会話も最近は交わせていなかったくらいだ。

「まあ、後で部屋を訪ねてみるよ。それでウザがられるようだと退散してくる」



 食後。二階へ上り、突き当りにある娘の部屋の前に立った。電話中だろうか、娘が一方的に話している声が聞こえる。出直そうと踵を返したその時、キイと小さく音を立てながら部屋の扉が開いた。明かりが漏れ、廊下に影が落ちる。娘と、誰かもう一人の影。

「あれ? お父さんじゃん。どうしたの?」

 娘の声に顔を上げ、私は凍り付いた。

 ベッドに腰掛け、楽しそうに話す娘と、ただ黙って床に座っている白装束の少女。サラサラの髪を肩口の辺りで切り揃えた後ろ姿。ハッハッハと夏場の犬のような声が聞こえる。アレが出しているのかと思ったが、私の過呼吸の音だと遅れて気付いた。

 ゆっくりと少女が振り返る。そう言えば、こんな美しい顔だった。どうして今まで細部が思い出せなかったのだろう。感情のない大きな黒目。定規で測ったかのように整い過ぎている鼻筋。そして血を啜ったように赤い赤い唇。

「……」

 頭皮から噴き出した脂汗が額に垂れる感触を、血と錯覚する。いや、本当に錯覚か? もう既に危害を加えられているのではないか?

 いやまさか。こんなに美しい少女が悪い存在であるワケがない。恐ろしい存在に決まっている。ミイラのようになった弟の死体を見ただろう。いやアレは純平が悪いんだ。つまみ食いをして逆鱗に触れなければ、幸いを齎してくれるだろう。だってこんなに美しい。何だコレは。思考が歪んでいる。正常だよ。いつまでもここに居てもらおう。守り神だ。食事を分けるだけ、ただそれだけだ。やがてこの身まで喰われるぞ。バカな。こんなに美しい少女が、あるワケない。食事を用意するべきだ。食事を捧げるべきだ。こんな残飯のような物では失礼に当たる。もっとキチンとした食事を。もちろんオカワリも。彼女が望む分だけ。オカワリを。

 オカワリオカワリオカワリオカワリオカワリオカワリオカワリオカワリオカワリ……

 


 少女の紅く美しい唇が緩み、妖しく笑った。



<了>

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