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 次に目が覚めたのは明け方だった。夏の力強い朝日が東の空を赤紫に変え始めていた。母が起き上がる気配に、私の意識も自然と覚醒した。母の目は少しだけ赤かった。泣いていたのかも知れない。一瞬、あの時のオカワリサマの血走った眼を思い出してしまい、慌てて頭を振って幻影を追い払った。

 社務所の窓から本殿を見やる。まだ煌々と篝火が焚かれ、かすかに祝詞の声が聞こえていた。あれがきっと眠る前に父が言った「儀式」というヤツだと推知した。それがまだ続いていたのだ。畏怖のような感情が起こった。それはあの神の強大さにか、そんな強大な神に立ち向かうためにこれほどの長時間に亘って儀式を遂行できる神職たちに対してか、自分でも分からなかったが。

 母も父も、枕元に置いてあった御守りを手にした。そして本殿の方へ向かって合掌、黙祷。私も黙ってそれに倣った。弟を助けて下さい。そしてあの神にも願った。我が家を諦めてください。もう十分にオカワリはあげたハズです、と。そして、非道で醜い事も考えた。そもそも何故、我が家なのか。言い出しっぺのY君の家に行ってください、と。

 家族三人、神社の家人が朝餉に呼びに来るまで、一心に手を合わせていた。



 正直、食べ物に対してネガティブな心理状態だったため、朝食は苦痛だったのを覚えている。だが御厚意で出された物を食べないワケにもいかず、もそもそと咀嚼した。メニューはもう覚えていない。

 七時過ぎだったと思う。唐突に本殿の方からどよめきが起こり、にわかに騒がしくなった。両親が弾かれたように立ち上がり、社務所を飛び出した。私も置いて行かれないように走った。真っ白な着物を着た男が何か小さな桐箱を持っているのが見えた。お札が幾重にも貼られたそれを、男は慎重な足取りで運んでいく。アレは何だろうと父に聞く前に、わあっと歓声に似た声が幾つも上がった。村の人たちも朝早くから集まってくれていたのだ。彼らの視線を追うと、本殿から、年嵩で威厳のある男性が出てきた所だった。前日ウチに迎えに来た人だった。あとから聞いた話では高名な霊能力者ということだった。その彼の後ろから現れた宮司が、ぐったりした弟を抱きかかえていた。

「純平!?」

 切羽詰まった母の声。駆け寄って行く両親の後に私も続く。二人の背中をどうにか掻き分けて覗くようにして見ると、弟は眠っていた。汗だくの髪が頬や額に貼りついている。

「純平は! 純平はどうなったんですか!?」

 父も平時には聞いたこともない、裏返った声を出していた。

「大丈夫です。オカワリサマは元の依代へお帰りになられました」

 宮司も声に明らかな疲労を滲ませながらも、両親を安心させるような穏やかな笑みを浮かべていた。それを見て私も安堵の溜息をついたのを覚えている。しかしその吐息で宮司が私の存在に気付き、それ以上の詳しい話を飲み込んだ雰囲気があった。子供に聞かせてまた興味本位で繰り返されてはたまったものではない、という判断だったのだろう。宮司は母に純平を預け、父と連れ立って、少し離れた場所へ移動した。二人の話にも興味が無いではなかったが、母の啜り泣きと弟の寝顔を見て、当時の私はすぐにそっちへ意識をやった。



 純平はそれから3~4日ほど神社で生活し、問題なしと判断され、家に帰って来た。両親は「良かった、良かった」とテープレコーダーのように同じ言葉を繰り返していた。その晩は純平が好きな御馳走を用意しようと母が言ったが、彼は頑なに拒んだ。神社で出されていた簡素な食事を望んだのだ。良い物を食べていると、また彼女がやって来るような気がして仕方なかったのだと思う。気持ちはよく分かった。私もあれだけ好きだった菓子類を一切口にしなくなっていたから。

 それから数日。弟は表面上は以前と殆ど変わらないような暮らしぶりだった。夏休みを謳歌し、ボール遊びをしたり、自室で宿題をしたり、近所の犬と戯れたり。だが家族から見ると以前とは変わってしまった部分も少なくなかった。当然のことだが、まず仏間には近寄らなくなった。襖には幾重にもお札が貼られ、鳳凰の透かし彫りが入った欄間まで耳なし芳一状態だったのだが、それでも部屋の前を通る時には耳を塞いで目を閉じて足早に駆け抜けていた。

 また山遊びもしなくなった。例の▲▲山だけでなく、その他の山にも近寄らなくなった。これも至極当然の事ではあるが、一つおかしなことがあった。そうして山を忌避しているハズの純平は、しかし時折フラフラッと縁側に出て、▲▲山の方を眺めていることがあったのだ。私は直感した。呼ばれているのだろう、と。ゾッとした。まだあの神の掌中から完全に脱しているワケではないのだと。



 当然、子供の私が気付いていたのだから、親たちが気付いていないハズもなく。結局、我々一家はこの地を離れる決断を下した。物理的な距離が遠くなれば、彼の神の影響力も下がるだろう、という素人考えもあったが、もう何より恐ろしくて仕方なかった。とてもこんな場所には住めない。家族の総意だった。

 家の処分、新居の選定。父はインフラ関係の技術屋なので潰しは効くが、あまり離れた場所だと転職活動もままならない。結局、よく行けても隣県くらいだろう、という結論だった。

 そこから数日は慌ただしく過ぎた。だが、希望があった。この恐ろしい土地から離れられる。もうあのオカワリサマの影に怯えなくて済む。忙しさの中でも、家族の表情は明るかった。

 

 ――――だから、油断していたんだと思う。


 家に戻って来て10日後、弟は失踪した。

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