07話 それはだめ
朝焼けにあわせて僕たちは出発した。行商人が使う経路からも外れた草地をひたすら歩く。目的地はまだ遠いけど、順調にいけば昼まえには着けるはずだ。
今回請け負った依頼は『ある廃坑の調査代行』だった。組合組織の人さえも忘れていた代物で、それをエマは依頼一覧書から、まるで知っていたかのように探し出し、即決した。
依頼文によれば、この廃坑は使われた記録も残されていないほど古いものらしい。三ヶ月前、土地を所有する者の配下が偶然見つけ、なかを調べようにも危険を伴うことは確実。よって代行を頼んだという。
エマは地図と方位磁針を交互に見つめて、正しく進めているかを確認している。
昨夜の記憶――僕が半分眠ったような状態で見聞きしたあの出来事は、つぎに目を覚ましたときにはそのすべてを忘れてしまっていた。何が、あったんだっけ。
「方向は合ってるね。行きましょう」
「う、うん」
……まあいいか。依頼をこなすほうを大事にしたい。注意をそがれていては、もしものときにエマを守れない。そう思い、あの記憶について考えることはやめた。
草を踏みしめる音が落ち葉を踏む音に変わり、あたりは荒れた森になる。所どころに湿地も存在し、踏み抜かないよう進んでいく。湿った空気が呼吸をするたびに鼻を通った。
ときおり、『気配』を感じる。誰かが僕たちを見ているような、あとをつけているような……。ただ藪のようなこの場所で気配の主を見つけ出すのは無理だろう。エマにも伝えたけど彼女は「大丈夫、なにもない」と返すだけだった。
こんもりとした小さな山が視界に現れ、その麓に蔓や草が纏わりついた石組みの穴が見える。ここが目的地だ。
坑道の入り口に組まれた石はひどく風化していた。坑夫がつるはしで切り出した跡はまるでわからない。乾燥した苔に侵された様子からも、聞いたとおり相当古いもののようだ。
蔓を炎で焼き払う。不気味なほど静かで、真っ暗な穴が口をあけている。危険なガスがなかに溜まっていないことを願いつつ僕は、いまから始まる冒険に対し、素直に胸が高鳴った。
けれど――
「ねえエマ。……どうかしたの」
彼女の顔は、汗が滲んでいた。冷や汗のようにも。
エマは袖口で額を拭う。
「ううん、気にしないで。行きましょ」
「……わかった」
僕たちは帰りの目印に使うロープを伸ばしながら、廃坑のなかへと入っていった。
廃坑の岩の壁は、いつ崩落がおきても不思議じゃないくらいぼろぼろだった。天井からぽつりぽつりとしずくの落ちる音がする。僕たちの足音が、暗がりでひときわ際立っていた。
僕が纏う炎を頼りに坑道内を歩いていく。かび臭いにおいを感じるけれど吸うぶんに空気は問題ないようだ。
エマが歩数を数えながら白紙の地図に道を記していった。分かれ道や、そして行き止まりもくまなく調べ、書く。
三つ目の分かれ道が調べ終わった。陥没した箇所にはひやひやしたが、いまのところ順調だ。
と、
「あっ、崩れてる」
つぎの道で、奥に崩落を見つけた。右側の壁が壊れているらしい。確認するため近寄ると――壁には、おおきな空洞があいている。
僕が灯す炎でも見通せない。足元に転がる岩の様子から、壁の崩落は最近おきたものだろうか。
「……フラム」
「だね。そのための調査なんだから」
僕たちは、空洞の内部へ入った。
炎の明るさが壁に反射して、うっすらとまわりの様子がわかるようになった。
……驚いた。ここは、ひとの手によってつくられた部屋だ。途方もないほど広い。
詰められたレンガの壁や床、ゆるやかなアーチ構造の天井……。支える柱はなく、広間のようなこの部屋をより巨大に感じさせている。
ただレンガ表面のかすれ具合から、内部はさっきの廃坑道より古いものかもしれない。
それから、……なんだこの腐った肉みたいな異臭は?
エマと一緒に広間の奥へと進む。すると、前方の『異物』に気づいた。
「……こいつは!」
見上げたさきに、肉塊が、化け物の頭があった。
そう……あの幻で見た、魔王城を壊した異形の化け物だ。背丈はあれと比べるとふた周りくらいは小さく思える。皮膚も皺とシミだらけ、目も白濁している。それでも僕たちの何倍も巨大で、広間の天井に頭部がつきそうだ。何本も生えた触手を床に下ろし、細長い顎をもつ化け物はその頭を力なく垂らしたまま、動かない。
なぜ、幻覚だった化け物がこんな場所に居るんだ。そう思ったとき、化け物の口先から、空気が漏れる音がした。
低いうなり声、ぐるぐると喉を鳴らす音が聞こえはじめる。漏れる空気が、安定した息づかいに変わり、化け物は僕たちに向かって、咆哮した。
「くっ、エマさがって!!」
彼女の前にでた。このまま坑道へさきに逃がすため。
エマを守る、絶対に守るんだ。
しかしエマは、
「……それはだめ」
背中から聞こえた彼女の言葉。つぎの瞬間、僕の右腕は強い力でうしろへ引っ張られた。
景色は一回転し、身体が地面に倒れる。伏していた顔を上げると、エマは僕の前方に立っていた。
「いたた……。何するんだよ」
エマに近づこうとしたとき、
彼女は右掌から僕の足もとに『薄青の光弾』を放った。
――エマが魔術を……それに、この光の色は、まさか。
光弾が衝突した地面から、氷の柱がせりあがる。氷柱は僕を囲みながらみるみるうちに広がって壁を作りだし、最後には、坑道につながる穴以外を塞がれてしまった。
「ごめんね、フラム。これが私の、使命だから」
氷の壁ごしに、所どころ屈折した彼女の姿が映っていた。