06話 あいつは死ぬ間際まで、ずっと言っていましたよ
迫る地面にすんでのところで腕をつき、体重を支えきった。昼の明るさがまぶしい。
……間違いない、ここは祭りがあった、あの街だ。
僕は戻ってきたのか。いや『幻覚を見た』と捉えたほうが正しいか。『魔王城』に人間と魔がいて、そしてあの恐ろしい化け物も……。あの幻覚はいったいなんだ。まるで真実味に欠けていて、なのにすべてが事実のように感じられた。どうしてあんなものを僕は。
そんなことを思ったとき、背後からの音に僕は身体を動かす。
闇が、すぐそばにいた。それは僕の火炎で左半身を大きく削ったやつだ。エマをかばったことで、こいつに消されかけたのだろう。だけどその闇には真新しい大穴が右側にもあき、消えてゆく途中だった。
さっきの薄青の光弾――誰かが僕を助けてくれたらしい。
「フラム大丈夫!?」
エマが駆けより、不安そうに眉をひそめ僕を見つめていた。
「ありがとう、僕は平気。魔術師の人に助けられたみたいだね」
彼女が光弾を撃ったとは到底考られない。僕たちは未熟な冒険者だ。彼女が魔術を使えるわけない。きっと魔術師六人の誰かが。……でも彼らの光弾は紫色だったような。まあ一瞬見えただけだし薄青に思えたのは勘違いだろう。
「ええ、そうね」
エマは小さな声でそう言った。
僕は魔術師たちがいる遠くを見た。
目を疑った。
……五人。ひとりの姿が無かった。
闇をすべて消し終えたとき、無事な魔術師は四人に減っていた。彼らから聞くに、ひとりは闇の攻撃に消え、もうひとりはかろうじて避けたが瀕死の状態だそうだ。もし僕も薄青の光弾に助けられていなければ、彼らのようになったのだろう。
お礼を言えるような空気はない。僕とエマは、街の人たちが慌ただしく虫の息である魔術師を救護する様子と、彼を見届ける仲間そばで、立ち尽くすしかなかった。
即席の担架に持ち上げられ、瀕死の魔術師が運ばれようとしている。背丈が高い彼は、いち早く僕らに気づいたあのひとだった。
「大事に、なさってください」
せめてもと思い、僕は言葉を絞り出す。
すると、彼は口をひらく。
息も絶え絶えに。
「……して」うっすらと言葉が聞こえる。
「どうして、戻ったのですか。どうして……」
彼の弱々しい視線は仲間や僕にではなく、やはりエマに向いている――そう感じた。
――
――
草の虫が鳴く音に、焚き木のはぜる音が混じっている。
僕たちは街を出た。陽はすでに落ちきり、野営するこの草地で身体を休めている。食事も済ませたいまは、交代で火の番をしながら明日にそなえて寝るだけだ。
燃え続ける能力しかないただの炎もこういうときにはありがたい。僕が気を張らなくても獣が近寄らなくなる。……そう思いつつ薪を椅子ががわりに座る僕は、やはり街でのいろいろなことが気になったままだ。
あのあと僕は、街でエマを問い詰めた。襲撃が過ぎた今度こそ教えてほしかった。様子のおかしい彼女が、いったいどんなことを抱え、なにを知っているのか。
でも、
「……ごめんなさい」かすかに聞こえたひと言があって、エマは続けた。
「きょうは、楽しかったねフラム。……なにそんな怖い顔して。襲撃なんて無かったじゃない」
当然僕は彼女に怒った。でも、……ほんの少しまえに見てきたはずの惨劇を、なぜか思い出せなくなっていた。何かが街を襲い、誰かと一緒に戦い、どうにか勝った、……ような気がするだけ。
ただ、戦うさなかに見た魔王城の幻覚、その記憶の断片はまだ覚えていた。とくにあの醜い『化け物』は細部まで思い出せる。エマに化け物のことを伝えると、彼女の表情は固まり、つぎにだんだん顔がひきつり、「この話はもうやめよう」と、きつい口調で会話を切り上げられてしまった。そして気づけば、街はなにごとも無かったように祭りの活気に溢れていた。みな、忘れてしまったように。
焚き火のちらちらとした炎を眺めても、このもどかしい気分は落ち着かない。ぐるぐると渦巻いている。どうしてエマは僕をはぐらかすんだ。それか、ぜんぶがほんとうに僕の気のせいで。……あぁ、わからない。それになんというか寂しくなる。
明日は街の組合組織で見つけた『依頼』をこなしに東へ行く。陽が昇ったらすぐに出発だ。
「火の番ありがと」
横になっていたエマが起き上がる。交代の時間だ。
うん、と頷いて、僕は椅子にしていた薪を枕にした。
「あのさ、エマ」
「ん、なに?」
「……。なんでもないや」
そうして僕は、静かに目をつむった。
――
「なんじゃフラム。ずいぶんとしなびたような顔をしおって」
ドラークさんが訊ねる。身体を眠らせるまでのあいだに僕は、意識だけ師匠の住処を訪れていた。
「まーた人間の娘が好きだあ、という話か? お前もわかったはずだろう、そもそも婚姻の――」
「いえ、……今回はすこし違います」
今日の出来事を師匠に話した。記憶していることを、できるだけぜんぶ。
「ほう、娘の様子が変と」
「どうして、でしょうか。僕、エマに何かいけないことをしたのかなって」
僕の質問にドラークさんは「サラマンデルのわしに聞かれてもな」と、たしかにもっともな意見を言い、しかし続けた。
「まあわしの想像が正しければだ、エマという娘はお前に『みずからのすべてを打ち明ける』ほど親しくは思っていない……のかもしれん。あまり娘に深入りをせぬことだぞ。……あとは幻覚と化け物、わしは少々興味がある。人魔が手を携える世界とは、なるほどお前らしい幻想だ。ただ化け物のほうが妙に引っかかった。書斎を漁ってみるかの」
「そう、ですか……。ありがとうございました」
――親しくは思っていない。状況を整理すれば、そのとおりなのだ。
口からため息が漏れて、僕は意識を身体に戻す。同時に、まどろみのなかへと落ちた。
――
声が聞こえる。
眠気のせいか頭には、もやがかかったまま。重いまぶたを薄くあけた。
低い視点に、誰かの足。エマの靴と、それと誰か……三、四人の靴。
エマの声、だろうか。でもいつもと雰囲気が違う。眠くて、はじめの言葉を聞き飛ばした。
「――大丈夫、眠っている。あの彼は」
男の声が聞こえる。
「……夕方に。あいつも覚悟のうえです。修正者の撃退後は手筈どおりに」
「そうか。すまないと思う」
「……ひとつよろしいですか、隊長。あいつは死ぬ間際まで、ずっと言っていましたよ」男はいちど言葉を詰まらせ、震えた声になった。
「どうしてですか。どうして、退避しなかったのです……! あなたは作戦の大前提を無視した。対象を危険に晒しました。腑に落ちません」
「あのまま私たちが逃げたとして、お前たちは被害を抑えられたか、街の消失をあれより食い止められたのか? 苦戦が予想できたから参戦を提案したフラムの力を借りた。私は、そう判断をした。すべて作戦のためだ」
「作戦のため? いいえ隊長。……あれは、あなたの『私情』に他なりません」彼は、仲間の制止を無視して言い募った。
「部隊はあなたを含めた六人編成。使命を共にした、仲間、同士でした。
しかしながら我われは、修正者が殺したひとりをもう思い出せないんですよ。大切な仲間だったはずなのに。……ああ、違いましたね。あなたは我われなんて、世界なんて本当はどうでもよかった。この作戦は『はじまりの日』の発端、……あなたがいなければ成り立たない作戦だ。幸運と私情とコネで成りあがったあなたにとって泥を啜り生き延びた我われなど、『己の欲をかなえるための、いち部品、燃料』にすぎない。あの水晶器の、生贄たちとおなじで……!」
「もうやめろ。あれが起きたらどうする気だ」
再度仲間にとめられ、彼はようやく何も言わなくなった。
「……ほんとうに、すまなかった」
彼女の声は、消え入るように弱かった。
「明日、すべてが終わる。私たちは死ぬ。修正者は退かせたが、残された時間はわずかだ。もう私に付き合わなくていい。作戦は私ひとりで完遂する。家族や恋人……限りあるこの時をどうか思い思いに過ごしてくれ」
「いいえ、我われは作戦を放棄しません。修正者がふたたび発生する可能性も微々ながらあります。そして万が一に、あなたが私情をこじらせて、『最後の希望』を潰すかもしれないですから」
会話が続くなか、僕の意識を睡魔が押し流していく。溶けるようにこの夜の記憶は失われていった。