04話 永久に続く時のなか、契《ちぎ》る我が身は儚《はかな》けれど――
「そのとおり。『婚姻の儀』、四精霊がおこなう愛の契り――『アニマの火のやりとり』だ」
ドラークさんは続ける。
「魂というもの、は芯部と、それを糧に燃える霊火『アニマの火』によって構成される。これは四精霊に限らずほかの魔も、そして人間もおなじだ。アニマの火は命の炎そのもの。そして『婚姻の儀』は、この霊火をもちいる。――愛するふたりが、互いに『アニマの火』の半分を分け与える、誓いの呪文を唱えてな。これが婚姻の儀だ。……しかしアニマの火は同じ種族同士でしか混ざり合えない。万が一に混ざった場合、その魂は死に至る」
師匠の言葉に、息が詰まった。幼いころにおとぎ話になぞらえて習わされる、サラマンデルの基礎教養のひとつだ。『誓いの呪文』とともに。
永久に続く時のなか、契る我が身は儚けれど――
我が決意はただ一途に、あなたの魂を想い果てる――
我が魂の欠片をあなたに託す――
ともに生きよう。この身が滅び、永久の時へと過ぎるまで――
これを告げながら『婚姻の儀』、つまり『アニマの火のやり取り』はおこなわれる。アニマの火に手を加えられる種族は四精霊だけで、風習は精霊独特のものだ。そしてこれこそが、サラマンデルの僕が人間のエマと結ばれない、ないしは恋が禁忌とされる最大の理由なのだろう。婚姻の儀で僕の『アニマの火』をエマに与えれば、彼女は死ぬ。
「師匠! では僕が、人間の婚姻の風習を受けたら良いじゃないですか! ……エマが僕を受け入れてくれるかは、分かりませんけど」
「ほほう、人間側の婚姻をおこなえば満足か。愉快愉快っ! さすればお前はどちらの存在になる? 精霊の慣習から外れ人間の風習を施されたお前はいったい『何者』だ? ……わしはその者をただの魔としか答えられん。あいにく四精霊以外の魔は人間と対立しているのだ。炎の谷の仲間はお前に理解をするかもしれんが『人間側』の世界ではどうだろうな。憎しみの矛先は、お前だけに限らんぞ。『両者とも婚姻を行わない』という選択肢もある。……が、この浮世でそれはちと手厳しいのう。お前は人間の娘に愛を語ったうえで『身の振り方』まで押し付けるのか?」
唇を噛む。ドラークさんに僕は、何も言い返せなくなった。
「……まあ、そもそもだフラム。『調和の儀』でよい関係を築いた、それは単に『親しい相棒』という形であろう。お前の恋心を伝えたせいで娘との関係が崩れる……なんという結果のほうが目に見えているとわしは思うぞ。お前の気持ちはわかった。だが、胸にしまっておけ」
――
――
身にしみて分かる。にぎわう街のなかで、僕は異質だ。人と精霊は『調和している』といえど互いに役割を定め、距離感を保ち、線引きをしながら生きてきた。長い年月を積み重ねたうえで……。それはつまり、僕のような一体の、未熟な精霊がねじ曲げられるものではない。
「……どうかしたの、フラム」
エマが僕の様子に気づいたようで、話しかけてきた。
「大丈夫。エマは、つぎにどの店に行きたい?」
どうして僕はサラマンデルなんかに生まれたんだろう。ときおりそんな気持ちを抱く。いつできたかも分からないしきたりに振り回されることが、僕は理解できないし苛立たしい。
けれど、やっぱりそうなのだ。この世界では。
ドラークさんが言うとおり、僕は精霊、エマは人間。この思いは実らない、実らせてはいけないものだ。
片思い。――僕は、それで良い。
でも、今日だけ、今日だけはエマと一緒に街を楽しみたいんだ。
こんなに幸せなことは、もう二度と無いかもしれないから。
僕たちは街を練り歩いた。果物屋とかアクセサリーを売る小物屋とか、色々な店が並ぶこの地で愉快に過ごしていた。買ったり食べたり、ときには高すぎる値段に眺めるだけだったり……。
楽しくて、ほんとうに楽しくて。こんな時間がずっと続けば良いのに――
「ねえフラム、楽しい?」
「うん。とってもね」
彼女に笑顔を返した。
「……また、会えてよかった」
「ん、なにか言った?」
「ううん。なんでもないよ」
顔をほころばせるエマは、僕よりもずっと幸せそうだった。
けど、僕がいま彼女に抱いているものは、なぜだろうか『違和感』だ。胸に引っかかる、どう形容すれば良いのか分からないが、喜ぶエマの端々から奇妙な儚さを感じている、……脆うさとも表現できるような。この街に来たときか、いや違う。ゴブリンと戦ったころからだ。
やはり、エマがおかしい。
そう、考えたときだ。
奥に見える街道が騒がしい。さっきまでの楽しげな気配はなく、動揺する声と、逃げるように走る人たちが確認できる。
不思議に思うなか、人々が散らばったときに、僕は『見た』。
「……なに、あれ」
異常なモノがあった。人間の背丈くらいだろうか、それが視界にあるとわかる。でも奇妙なことにそれがいったい何か、具体的にどんな物であるか『形容ができない』。存在を感じるだけで、認識が定まらない。――『思考する力をうばわれた』ように。
ただわかるのは、それが暗く、闇の塊のようにも感じること。そんな存在がいま、四つ存在している。
なんだこいつらは。人間じゃないし知っている魔でもないぞ。
闇は腰を抜かした人間に近づき、ふれる。
瞬間にその人間は、――消えた。
あたりは悲鳴に染まった。恐怖へ落ちた街で、闇たちは音も立てず道に散らばり、触れたものをつぎつぎに消しはじめた。
男も、女も、子供さえ容赦なく。人間たちに留まらず、大きな露店さえも一瞬で消えていく。祭りで賑やかだったはずの街。しかし闇が触れたあとには、何も残っていなかった。
街が襲われている。おぞましいい光景に背筋が凍えた。
「……修正者」
「えっ」
エマは惨劇を食い入るように見ている。
「四体、しかも一気に。まちがいない……正しかった」
僕をかえりみず、夢中でひとりごとを呟く。
彼女は、笑っていた。唇を冷たく歪ませて。
「……エマ」
「フラム逃げましょう。はやくっ!!」
エマはいきなり僕の左手首をわしづかみにして、闇たちがいる方向と逆――もと来た道を走りだした。強引に引っ張られながら、僕は街を駆け抜けていく。
うしろを振り向けば逃げ惑う人たちと、状況を飲み込めずに呆然とする人たちがいた。エマに連れていかれる僕は、きっと後者なんだろう。
街を襲うあの存在を、僕は見たことも聞いたこともなかった。人間と魔だけの世界なのに。分からない。それなのに、エマは、あいつらの名前を――
息が荒くなっても彼女は足の速さを緩めない。全力で逃げている。聞こえる悲鳴が遠くなっていく。
……どうして。どうしてだ。
広い道から裏道に走り込む。
エマはそれでも逃げようとしている。
「……どうして。ねえ、エマ!」
彼女の掌を無理やり振りほどく。エマは後方にバランスを崩し、けれど倒れることなく体勢をもどして、僕に向いた。
影が落ちる路地の、じめっとした風が僕たちを通り抜けていく。
「……フラム?」
我慢、できなかった。
「どうしてだよエマ! どうしてこんなに逃げるの、どうしてあいつらの名前を知っているのさ!? ……どうして、笑って」
わからないことだらけで頭がおかしくなりそうだ。けれどエマも顔には焦りの色があった。
「お願い、フラム。私と一緒に来て。あなたは、あなたと私は逃げなきゃいけないの! あれにやられたら、ぜんぶ――」
「おかしいよ、エマ。やっぱり君は今日どうかしてる!」気づけば僕は怒鳴っていた。
「森にいたときも、街でもそうだった。ちゃんと教えてよ! 僕と君の仲でしょ!?」
僕の問にエマは視線をさげる。唇を噛みしめ、
言葉を続けなかった。
「わかった、あとで聞く。……戦おうよ、あの闇と」ため息で息を整えたあとに、僕は言った。
「たしかに僕たちは本当にひ弱な、駆け出しの冒険者だ。でも抗える術を一応は身につけているでしょ。このまま無力な街の人間を見殺しになんかできない。……だよね。どんなときも剣を振るってきた君なら、きっと」
黙るままの彼女に続ける。
「僕はドラークさんに『筋は良い』と褒められたんだ。ああいう闇には、炎の光が効くよ」
「……そう、あれは闇ね。すべてを無に帰す怖ろしい闇。そしてとくにあなたなら、倒せる可能性はあがるかもしれない」
「僕はやれる、倒してみせる。だからエマ、僕を信じて」
彼女はふたたび悩むように黙って、まぶたをとじたあと、
頬笑んだ。
「……あなたらしい言葉ね。まったく。仕方ないんだから」
僕たちは全速力で路地を飛び出す。
闇たちが暴れる街角に急いだ。