03話 きょうは『お祭り』なんだって
草原を進んでいって、僕たちは街につく。
関所の門をくぐると、そこは異様な活況に満ちていた。笑い声。たくさんの人々と、そして音楽。カゴを持った道化師の男が僕たちのまえを横切りながら、色とりどりの花びらを楽しげに撒いていった。
人間の風習はわからない。でも、もしかして――
「どうフラム? きょうは『お祭り』なんだって。ここの領主だけが催す特別な日なの」
エマは嬉しそうに僕をみた。
――お祭り……人間側にもあるんだ。
みんな楽しそう。
だけど……、
「……なんで知ってるのエマ。この街は行ったこと無いって、おととい、」
「細かいことは良いじゃない。せっかくの機会なんだし、楽しみましょ」
ポニーテールを揺らして先に歩み出たエマは手招きした。戸惑ったけど、僕は彼女と歩きだす。正直な話、僕自身も祭りの雰囲気に高揚していた。それに『この姿』なら、まわりは僕を見てびっくりはしないだろう。
いま僕は、エマがかばんに入れていたコートを着ている。男の僕も気にならない形だ。フードを被り、前も閉めたから、人間との差異は目立たないはず。
炎の精霊は纏う炎の温度を人肌以下まで調節できるからコートなんて燃やさない。そこらの暖炉の火とは格が違うんだ。
通りを進む。街の『人間』たちはみな楽しそうに会話をしたり、笑ったりしていた。そのなかに、僕のような『魔』はもちろんいない。
――世界の住人は人間と、魔という種に大きく分けられる。人間とはもちろんエマやこの街でお祭りをしている人たち。そして魔は魔物――竜人や魚人、半獣など、人間から怪物とも呼ばれる者たちだ。サラマンデルなどの四精霊とほかの魔の相違点は、精霊が人間側についていること。
神が眠ったとされる時代、古代のあと、世界を二分していた人と魔は、悠久の長きにわたり互いに諍いを繰り返してきた。両者の力は拮抗しそれでも妥協点を探れず、今日までいがみ合っている。ちなみに四精霊が人間側についた時期も神が眠った時代からだそう。
ただ僕たちが生まれる何百年も昔から戦争は起きていなくて、成りゆきでうまれた境界線で双方の騎士が睨み合う程度だとか。
そんな変わらない、いつもどおりの世界……だったはずが、
「ねえ今度はあそこの店に行こうよ」
こんなことは今まで無かった。僕の横でエマがはしゃいでいる。息がかかりそうなほど近くに無邪気な横顔があって、彼女のきれいな声がそこにある。まるで夢のよう、けど夢じゃなくて、いま本当に起きていること。
ボケッとしたままの僕に、エマは振り向く。
「フラム? ほら、大丈夫だから、ね」
目もとを緩めて、優しげに。なのに魅惑的で──そして吸い込まれそうだった。
エマは言う。
「一緒に楽しもう」
フィドルを奏でる音楽師の曲はテンポが良い別の民謡曲に変わる。エマの表情も相まってなのか、違和感やむずむずとした感情は、だんだんと溶けていった。
切妻屋根の木造家屋が並ぶ街の道。老若男女、幼い子供たちが行き交う風景。店舗のほかに露店もあって、客呼びのにぎやかさが僕の心を弾ませる。草木染めだろうか染色された布切れが空中に掛けられていて、まるで虹のようだ。
「よう、嬢ちゃんと連れの人! ひとくち食っていきな。自慢の肉焼きだぜ」
聞こえた声をたどると露店があり、体格の良い店主が僕たちを呼んでいた。店主のとなりには焼いた肉の塊がぶら下げてあった。どうもこれを切り分けて客に売るらしい。焼きたて肉の香ばしい匂いが鼻腔をくすぐりだす。
……とても、おいしそう。
「毎度ありー」
買うことになった。店主は手際よく塊をナイフで削ぎ、かんな屑で二人分に包み、エマに渡した。
エマが片方を僕にくれた。漂う湯気。かんな屑ごしに焼きたての温かさが伝わってくる。
店主は、エマが腰につけている剣をみた。剣は冒険者の証でもある。
「譲ちゃんは冒険者か、立派なもんだ。となりのお連れさんも同じかい?」
エマが頬笑むと、口をひらく。
「はい。彼は、フラムは『私の大切な人』なんです」
――!?
「……った!? え?」
大切な人……たいせつな、ひと――!?
いきなり耳に届いた言葉は僕の頭のなかを巡りめぐって、鼓動が急に早まって、
制御をうしなった身体は急激にその温度を上げ始め――そして、
ボウッ……!
羽織っていたコートは燃え、一瞬で灰になり、崩れ散った。
「ひゃっ!」
「熱っ! ……びっくりした」
幸い、店主とエマに怪我はなく、屋台への延焼もなかった。
でも、僕が持っていた肉焼きは真っ黒焦げ。
なんてこった……。
あのあと結局、肉焼きをもういちど頼んだ。ちなみに返金はない。かんな屑は僕が処理したうえで、エマと一緒に街を歩いている。そしてこれも『結局な話』だけれど、コートをうしなった僕は当然、周りの人たちにあるがのままの姿を晒している。……なんだか人間が裸を恥ずかしいと思う意味がわかる気もした。
コートを燃やしたことをエマに謝ると、彼女は変わらずの笑顔で「気にしていないよ」と返してくれた。「この街で買っても良いね」とも。
エマは僕と一緒に祭りを楽しんでいる。ただそれなのに僕は、さっきの肉焼き店での出来事が頭に残っていた。
『……びっくりした。あんた精霊かい』
『はい。彼はサラマンデルなんです。一緒に旅をしているの』
――そう、僕はサラマンデル。人間のエマとは違う存在。彼女の『大切な人』という言葉は、旅のお供とかそういう意味。たぶん……いや、きっとそうなんだ。
すれ違う街の人たちが次々と僕に視線をむけていく。
脳裏に、師匠のドラークさんに歯向かったあの日がよぎる。エマと旅を始めたしばらくあと、遠距離の会話のため炎の谷にいる師匠へ、意識を飛ばしたときのことだ。
師匠は僕が『隠していたこと』を、見抜いていた。
――
――
「フラム。お前あの娘に気があるな」
「えっ!? いや。……その」
僕をじっとみたドラークさんはため息をついたあと、目を鋭くして怒号を放った。身体の炎が吹き上がる。
「この大バカモンっ! 自分が何者なのか分かっているのかお前は!」
いつもなら僕を軽く諭す程度だった師匠。だから今回の剣幕に僕は、固まってしまった。
でも、僕はどうにか言葉を絞りだす。
「なぜですか、師匠。……なぜ僕はエマを好きになってはいけないのです。『調和の儀』だってあるのに。どうして精霊が人間に好意を抱いては、いけないのです……!」
昔から、胸のすみで疑問は抱いていた。人間と精霊、ともに生きる者同士であるにもかかわらず、千年に近い数百年ものあいだに両者が恋をしたあるいは結ばれたという記録は無い。逆にサラマンデルの子供は口酸っぱく言われるのだ、『人間に恋をしてはいけない』と。自分が『調和の儀』をうけたことで、恋をしたことで、そのあやふやな疑問はついに明確な不満に変わった。
「教えてください。精霊と人間、両者が恋をしては、結ばれてはいけない理由を」
言い募った僕を、ドラークさんは睨んでいる。けれど師匠の目つきはしだいに変わっていった。呆れたように。
師匠は言った。
「ならばわしからも聞くぞフラム。もしエマとやら人間の娘に告白し、みごと恋が成就したとしてだ、そのあとをどうする? もしや、『一人前になるための儀式』をする精霊が『さきのことを考えていない』などとは言わせぬ」
拳に、力がはいった。
「……婚姻です」