02話 僕の身体、良いの? こんな格好で
――フラム。お前は今日から『調和の儀』に入る。くれぐれもお相手に粗相をせぬようにな。
僕の師匠、ドラークさんがそう告げてから、この旅は始まった。火の精霊『サラマンデル』が暮らす地、炎の谷では、未熟なサラマンデルが一人前と認められるためにおこなう通過儀礼がある。
共存を決めた種、『人間』とともに最短三年間過ごす『調和の儀』……千年も昔から繰り返されてきた儀式が、ついに僕にもやってきたのだ。火の精霊として能力を磨けるよい機会だし、同時に人間側は僕たちのような『精霊の力』を味方につけたいものらしい。そして僕と契りを交わした人間が、駆け出しの冒険者のエマだった。冒険者とは定住する地も決まった雇い主も持たない、雑多な依頼をこなす『傭兵』のような存在だ。
駆け出しの、無名で、誰にも期待されていない冒険者の少女。彼女を目にしたとき、はじめてみた人間だったのに綺麗な人だと思った。旅をするなか僕たちはいろんなことが違うことを知り、でもその都度うまくやってきた、と思っている。
しっかり者な彼女はけれど、寒村からつまはじきにされて冒険者になった過去を思い出すのか、ときどき悲しそうな顔をする。そんな彼女を心から守りたいと思った。いつのまにか僕は、エマに『ほのかな甘い思い』を抱いていた。これはきっと、恋なんだろう。
以前なら彼女に召喚された後にすこしぐらい話せたのに、意識するようになってからは僕自身から実体化を解いてしまう。
本当はもっと話したくて、いっそこの胸にくすぶっている気持ちをうち明けたい。でも、いつも踏み出せなかった。単に恥ずかしさだけじゃない。僕は精霊。彼女は人間。これが『実らない片思い』と、わかっているからだ……。
それが今日――どういうことか、大きく変わりはじめた。
彼女が、僕を呼びとめたことによって。
森の木立を抜けると、世界は明るさを増した。若草色に広がる草原が遠くまで広がっている。雲ひとつない青空に、猛禽の鋭いひと鳴きが響き、さわやかな風に、僕の肌を纏う炎がそよいだ。
「良いところね、ここ」
エマは穏やかな草原を眺めていた。
「う、うん」
僕は、実体化を解かずに一緒に歩いている。
エマと久しぶりに話せる機会で、そのうえ彼女から頼んでくるなんて初めてだった。
意識してしまって、だんだんと緊張してくる。
まずい、せめてなにか言わないと――
「えっと。大丈夫なの。さっき泣いていたけどさ」
あのときエマは泣いていた。いつもどおり、僕が帰ろうとしたことで。……僕ともっと一緒にいたいだけで涙をためるなんておかしい。急にどうしたんだ。
僕の問いにエマは目を見開いたように思えた。でも彼女はもともと瞳が大きいから気のせいかもしれない。返ってきた言葉もそれを裏付けた。
「ううん、別になにもないよ。目に土ぼこりが入っただけ……」
僕は「そっか」と肯定の返事をする。
「けどね……私はフラムに帰らないでほしい。もっとフラムに、いてほしいの」
目を細めて微笑む表情は、普段のしっかり者な彼女とは何か違っていて、僕はどきりとした。
人懐っこいような、でも色香を漂わせたいまの彼女の顔。僕だけに向けられている青い瞳は動かず、日差しにきらきらとしていた。
彼女に息をのんだまま――そんな僕の茜色の目は、エマにどう映っているんだろう。
風が一瞬、強く吹いた。
エマは笑った。
「あっ、ゴメンゴメン、見すぎちゃったね。そんなに固まらないでほら」
そんなエマはどこか大人びている。おととい僕を呼び出したときには、そんなこと感じなかったのに……。
わからない。だけど、そんな違和感より、僕はいまの『あたたかさ』が心地よかった。
「ねえ。あの街に行かない?」
エマが指さす方向には、距離は遠いが、人間がつくった街らしき構造物の集まりがある。
……あれ。でもおととい決めた予定とは方向が違うような。
思っていることを伝えたら「結局はあそこに行くんだし」、なんて意味のわからないひと言がきて、いろんな理屈がついたうえではぐらかされていた。まあ、たしかに予定の地へ行く絶対的な理由があったわけではない。依頼者の案件はもう済ませてある。
ただ――
「僕の身体、良いの? こんな格好で」
彼女はするとハッとした顔をして、視線を僕の身体の上から下にうつす。そして頬がだんだんと赤みを帯びていく。
人間のエマがブラウスに黒ジャケット、スカートとタイツを着ているのに対して、精霊の僕は、素肌をちらつく炎以外になにも身につけていないのだ。エーテルでできた茶赤の身体そのまま。人間の言葉を借りれば、素っ裸の状態だ。
実体化を解かない精霊が街を練り歩くより、こっちのほうがたぶん問題になりそう……。いまさら気づいたエマがなんだか可愛らしかった。