中学校編‐出会いと別れ‐
中学に進学した私の目の前に、新たな試練が立ちはだかった。
私が通っていた中学校は、四つの地区から生徒が集まる学校だったため、小学校の頃とは違い、私の持病であるチック症のことを知らない生徒もたくさんおり、その子らとこの先3年間一緒に学校生活を過ごさなければいけないのかと、自分の中ではプレッシャーを感じていました。
そして案の定、最初の一年間は病気が原因で学校生活において苦労することがたくさんありました。
周りからはやはり、病気のことで笑われたり、時にはひどい言葉もかけられたこともあります。ケンカも何度かしました。
そんな私のことを支えてくれたのが、クラスの担任のK先生でした。あの人はクラスで孤立していた私を心配してわざわざ私の家まで足を運んで来てくれたんです。そして私が胸の内を全て打ち明けると、私の隣で私と同じように涙を流してくれました。
そして「気づいてあげられなくて、ごめんね」と誤ってくれたんです。
私が心を開くことができた数少ない相手がK先生のほかにもう一人(一匹)いました。それが、小学4年の時に親に頼んで飼うことになった、私にとって兄弟同然の存在であるボーダーコリーの雄犬。名前はメイトです。
彼にはよく、親に対する愚痴や学校であったいやなことなどの日々の生活で溜まっていく不満を、二人で夕方に散歩しているときや頭や体を撫でてスキンシップをとっているときに聞いてもらっていましたね。
そうこうしているうちに、学校の友人たちは私の病気に対して、というよりも、〝私〟に対して心を開いてくれるようになっていきました。私自身の性格の明るさも味方して、中学2年以降は何とか学校の友人たちともうまくやっていくことができました。
次第に私は、学校の友人たちを信頼するようになり、彼らも病気を抱えている私のことを認めてくれているんだと感じるようになりました。
中学時代の私は、病気の症状を自分の意思で抑えるのがへたくそで、毎年冬に症状が悪化し、抑えようのない苦しみにさいなまれていました。
もちろん私の両親も心配していました。しかしこの時すでに、私と親との間には深い溝ができており、こちらから学校生活についてや病気について相談するということは全くしませんでした。
本当に私は、どうしようもないダメ息子です。
そんなクソみたいな私を、学校の友人たちはいつも笑顔で輪の中に迎え入れてくれました。
中には私のことを「好きだ」と言ってくれた女の子もいました。私のことを抱きしめてくれた優しいやつもいました。わざわざ教室の隅っこに呼び出して「あまり無理するな」と病気の体を気遣ってくれるやつもいました。そいつは今では私にとっての人生で一番の親友になっています。
私は先程、中学一年の頃は病気のことでひどいことも言われたしケンカもたくさんしたと書きましたが、勘違いしてほしくないのは、私は決して、自分のことをいじめていた彼らのことを恨んでいないということです。
世の中にはいじめにあって自分の命を絶ってしまう子がたくさんいると思いますが、いじめにあうということは、いじめられた側にも何らかの理由があると私は考えています。
私がこれまでの学校生活の中で何度かいじめに遭ってきた理由はズバリ、チック症(トゥレット症候群)を抱えていることだと自分では思っています。
しかし、それでも先程書いた通り、中学2年以降はなぜクラスになじめるようになったのか?
それは、チック症というハンデを補えるくらいの性格の明るさがあったからです。そして、周りの友人や仲間がそんな私の努力を認めてくれたからだと、私は分析しています。
なのでいじめに関しては、「いじめる側に非がある」とか、「いじめられる側にも何か問題があるのでは?」とかそういう話ではなく、お互いが努力の仕方を少し変えることで、意外と簡単に問題が解決するかもしれません。
もちろん人はいきなり性格を180度変えるなんてそう簡単にできませんから、私の体験談はあくまで例の一つにすぎませんが笑
ですが、一つだけ言えることは、中学時代にいじめという意味でも、病気という意味でも苦しい思いをしてきた私は、誰一人恨んでいないということです。
彼らは今地元を離れて、他県で就職し、私だけが実家のある養老に残っているという状況ですが、いつかそのうち、彼らと再会して、またあの時みたいに馬鹿みたいに一緒にくだらない話をして笑いあうのが、今の私の夢の一つですね。
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