イリナと魔王
「ね、猫がしゃべってる………」
イリナは、一瞬自分が見ているのが夢の中なのかと思い頬をつねる。
しかし、夢から覚めることなく、自分のことを魔王だと名乗った猫が消えることもなかった。
「僕は猫じゃないよ」
そういって不機嫌そうに床を叩くように尻尾を揺らす姿は、どこからどう見ても立派な子猫である。
ジリジリと距離をとりながらイリナは立ち上がった。
そして、部屋の外につながる扉へと走る。
しかし、いつもなら必ずあるはずの扉はどこにもない。
まるで魔法のように消えてしまったのだ。
扉がだめならば、窓からテラスへと思ったが、そこにはあの猫がいる。
焦るイリナとは正反対に落ち着いた様子の猫のルビウスは鏡台に飛び乗り、自分の姿をのんびりと観察していた。
「………なるほど、そういうことか。」
一人で納得したように頷くルビウス。
鏡に写る自分を確認するように、自分の耳や肉球を触るルビウスの姿にどこか既視感を覚えたイリナだが、その考えを振り払う。
この得たいの知れない猫の正体を探るため、イリナは先ほどまで自分が読んでいた本を手に取って猫の前に広げた。
「さっき魔王?とか言ってたけどあなたはこの本に出てくる魔王なの?」
イリナが指したのは、先程のサフィロス王の記述があるページだった。
ルビウスは、眉間にシワを寄せ静かにその本をみつめる。
(もしかして、読めないのかしら)
そもそも、猫は話せないし文字を読めないはずだ。
イリナがそう考えたのもつかの間、返事が返ってきた。
「うん、その本に出てくるのは僕だ。………そうだな。君は何も知らないようだから少し魔王について説明しようか」
「え?ちょっと待って」
言うが早いかルビウスの目がキラキラと輝くとなにもない空間に火が浮かび上がる。
そして、イリナの制止も空しく、その火は段々大きくなりやがてその火に二人とも呑み込まれてしまった。
イリナは来るであろう熱に備え顔を覆うが、それがやってくることはない。
不審に思い、ぎゅっと閉じていた目蓋を開けるとそこは暗闇だった。
「私の部屋じゃない………ここはどこなの?」
「さほど驚かないんだね。少し話しやすいように夢の世界を作っただけだから気にしないで」
そういって足元にいたルビウスが話しかけてくる。
正直回りが暗闇のためよく見えない。
「それより、あなたの姿がよく見えないわ。そのルビーみたいな赤い目だけは別だけど」
「見えないなら、姿を変えよう」
そういって赤い目がまた輝くと、ちゃぽんという音とともに闇に姿を消し今度は男性の姿になった。
「夢の世界ならこんなものだな。どうだ?」
自慢げに話すルビウスの姿を、イリナは上から下まで観察する。
先程のルビウスよりも赤黒く血のような瞳に、腰まで伸びた黒髪は絹糸のようにサラサラとしており世の女性がみたら眩暈をしそうほど均整の取れた彫刻のような顔をしている。
喉に何かが詰まっているような感覚を覚えたイリナだがその正体はわからなかった。
それにしても、いくら夢の中だからといってこんな美形にするとは、やりすぎな気もする。
「夢の中なら明るくすればいいだけなのではないかしら」
「……確かにそうだな」
それをきいたルビウスは周囲を明るくしはしわめる。
そう、これは夢だから願うことは叶うのだ。そして、これが夢ならば今まで起きたことも夢だろう。やはり、寝不足と食事抜きは危険だとおもうのと同時にに心に余裕がうまれてくる。
どうせ夢なら、この猫に魔王のことを教えてもらうのは都合がいい。
そんなイリナの気持ちを知るよしもなく、ルビウスが歩き始めたのだった。