イリナ邂逅す
自室に戻ったイリナは、図書館で借りてきた本を読むうちに机で寝てしまったようだった。
真っ暗になった部屋の中で目が覚めるとテラスへと続く窓から三日月が覗いていた。
月明かりに照らされた机の上には、読みかけの本とサンドイッチ、そしてナタリアの字でメモが置いてあるのを発見した。
そのメモには『イリナ様へ 根をつめすぎないように!!いざとなれば私がその箱を真っ二つにして、開けて見せます!!』と、なんとも心強い一言が添えられていた。
実際にそうされては困るのだが、ナタリアの気持ちは嬉しい。
本当に真っ二つにできたらどれだけよいだろう。
だが、自分の力では慣れない斧を振り上げることもできず真っ二つにすることなんて夢のまた夢だろう。イリナは、自分が持てる重さのサンドイッチに手を伸ばし一口齧った。
今日分かったことは、この箱が国宝『パンドラの箱』という名前であること。そして、代々の王達に継承され、箱の中の『希望』を使い、国を治めたということだった。
歴史書には、これまでの王の偉業が記されており、王がどのようなものを取り出したかの記載もあった。
例えば、ある王は、種を取り出しその種で民を飢餓から救い、またある王は、箱から矢を取り出し命がけの一矢で敵を一掃したという。
サンドイッチの最後のひとかけらを頬張りながら、読みかけの本のページをめくる。
そこには、サフィロス王について記述されているものの、『希望』の記載はなくただ一文のみが書かれていた。
「『サフィロス王が即位にともない発生した魔王とその仲間を討伐、封印』………魔王?」
その時、鈍い音がイリナの思考の邪魔をした。
棚の上に安置していた『パンドラの箱』がひとりでに揺れて落ちていく。
「え??あ、ちょっと!」
突然のことにわけもわからず立ち上がったイリナだが、落ちていく箱を床すれすれでキャッチすることができた。
イリナはすぐに窓に近づき箱を月明かりにかざして傷がないか確かめる。
すると昨日は古い装飾が施されただけで平らだった箱に、ちょうど自分のブローチと同じ大きさの窪みができていた。これは傷にしてはあまりにも都合がよすぎる。
(もしかして、これが鍵?)
イリナは高鳴る鼓動を鎮めるようにガーネットのブローチを握りしめる。
神に選定されたものだけが持つ特別なもの。
鍵は、はじめから持っていたのかもしれない。
心臓の鼓動は収まらず、痛いくらい速くなっていくのが分かる。
イリナは、意を決してブローチを外しそのくぼみに嵌め込んだ。
しかしいくら待っても箱が開くことはない。
「そんなわけないわよね」
そもそもそんなに簡単なら誰でもこの箱を開けられるはずだ。
それこそ、宝石をもって生まれたのなら誰だって開けられる。
相変わらず開くことのない箱を諦めたイリナは、ブローチを外そうした。
だが、それは失敗に終わった。なぜなら、ブローチはその窪みにすっぽりと嵌まってしまい、箱に吸収されていたからだ。
「ちょっと待ちなさい!それは大事なものなの!!」
しかし、箱に人の言葉がわかるはずもなく、呆気なくブローチは飲み込まれていく。
これにはイリナも焦りを通り越して頭の中が真っ白になる。
試しに箱を振ってみるが中からは何の音も聞こえず、開きもしない。
途方に暮れたイリナとは反対に、テラスからのんびりとした男性の声が聞こえてくる。
「なにをおかしな顔をしているんだい?」
イリナの部屋の窓が勝手に開く。
ナタリアが、鍵を閉め忘れたのだろうか。
そして、白いカーテンは風に揺れ、奥のテラスの様子がよく見えなくなる。しかし、確かに声の主はそこにいるようだ。
「どうしたの?僕をみて言葉もでないのかな」
段々とその声がイリナに近づいてくる。
そして、ようやくその姿が見えた頃には再びイリナは言葉を失った。
艶のある毛に、赤い血のようなルビーのようにキラキラとした眼。
首には赤いリボンと、ガーネットのブローチを着けた真っ黒な猫が、地面に座るイリナのそばに座る。
「こんばんわ、僕は、『魔王』ルビウス」