イリナ本の虫になる
あの後話に夢中になっていた二人だが、まだ着替えもしていないことに気付き慌てて湯浴みをして寝た頃にはすでに夜も更ける頃だった。
お昼近くに目覚めたイリナは、ブランチをとるとデイ・ドレスに着替える。
そして、昨日の舞踏会でははずしていたガーネットのブローチをつけた。
このガーネットは、産まれたときに彼女が握っていたものだ。それを職人が加工し、手のひらの半分くらいの大きさのブローチにした。
ちなみに、細工もされているのでペンダントにもすることが出きる優れものだ。
この国の加工技術に感謝である。
着替えを済ませたイリナは、馬車にのり王宮のとなりにある図書館へ向かう。その道すがら何度もあくびをしては眠りに打ち勝とうとするもあえなく敗北してしまった。しっかり20分仮眠をとったイリナは馬車をおりると王宮の右隣にある図書館へと向かう。
図書館の中にはいると、いつもの司書が出迎えてくれた。軽く挨拶をすると心配顔の彼女が、昨日の一件について聞いてきた。
話を聞くとどうやら今日の朝、号外として街中に配られたらしい。
いつも温厚なのに『あんなボンクラなんて忘れましょう!私はイリナ様の味方ですからね!』とまでいわせるとは、記事になんとかいてあったのか。また後でナタリアに取り寄せてもらおうと考えながら司書に感謝を述べ目的の本棚へと向かう。
館内は、本の保護のため窓を最小限に減らしているため薄暗い。しかし、そのお陰で壁一面が本棚になっており、その蔵書数は随一だ。
(ここになら古い文献もあるだろうし、あの箱のこともわかるはず)
イリナは、眠気覚ましに両頬を叩き気合いを入れると本棚から本を取り出す。
まずは、この国の建国からの歴史、近代史、そして神話など参考になりそうな本を片っ端から取り出しては読書スペースに持ち込む。
こうして2時間ほど本の虫になっていたところで邪魔が入った。『ボンクラ』ニゼルとエメルドである。2人の後ろには、司書さんが仇をみるような目で二人を見ていた。しかし残念ながら、2人の世界にはそんなもの眼中になさそうだ。
「イリナじゃないか。こんな辛気臭い場所でなにをしているんだ?」
「………殿下こそ、こちらにお越しになるなんて珍しいですわね」
ニゼルは勉強嫌いのため、ここには滅多に近寄らない。だからこそここに来ても見つからないだろうと思っていたのだが、当てが外れたようだ。
「ここの図書館は内装だけは美しいからな。それにエメも見たがったから連れてきたんだ」
確かに王宮を挟んで反対側にある広間と対になるように作られたこの図書館は、薄暗くはあるが天井に天使や神々の戯れる様子が緻密に描かれており名所として知られている。
しかし、だからといって図書館嫌いのニゼルがここまでくるとはなぁと遠い目をするイリナ。
そんな様子に気づかないのか、ニゼルはとなりにいるエメルドの肩を抱きよせる。
「だって昨日からこの建物が気になっていたんですもの。ところで、イリナ様はどうしてこちらに?」
「私はここで調べものをしていたんですの」
抱き寄せられたエメルドは、頬を赤らめるもはっきりと自分の意見を述べる。思ったことがすぐ口に出るタイプなのかもしれない。
エメルドのことを観察しながら卒なく答えたイリナは、自身の持っていた本を持ち上げた。今はちょうど歴史書をみているところだった。
それをみて顔をしかめたニゼルは、虫を追い払うように手を動かす。
「よくそんなもの読めるな。………まさかなにか企んでいるのか?」
「はぁ、私かえりますわ」
思わずため息がでた。
図書館には来ても、やはり本には興味がないようだ。すでに読み終わった本は棚に戻してあったため、イリナは読みかけの何冊かの本を抱え席をたつ。
(続きは、借りて帰って家で読もう)
しかし、その態度が気に入らなかったのかイリナの道をふさぐ2人。
「否定しないのは、真実だからか」
「否定しても、信じてもらえないのなら意味がないんですよ。では、ごきげんよう」
イリナの言葉にさらに追求しようと口を開くニゼルだが、後ろにいた司書が大きく咳払いすると気まずそうに道を開ける。
その横をするりと抜けると、司書にだけわかるように感謝を告げイリナはその場を去っていった。
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図書館を出たニゼルとエメルドは、王宮の中庭でティータイムを過ごしていた。
「イリナめ、なにを考えてるんだ」
「ニゼル様そのように苛立たないでくださいまし」
使用人がいれたお茶を勢いよく飲み干すと荒々しく音をたてながらカップをソーサーに戻すニゼル。
そして、それとは反対に落ち着いた様子でお菓子を食べるエメルド。その様子に恋に浮かされた男は甘い視線を向ける。
「あぁ、エメルド。本当にきみは優しい。それにあいつは昔からああいうやつだったから」
(彼女はああやって僕をいつも苛立たせる)
幼い頃から共にいて、いつも比べられてきた。
人より努力することを強いられた僕はそれを放棄し、義務として受けていた彼女はそれを享受した。
その結果がどういう評価になるかなんてわかりきっている。
そもそも母上は俺を王にするというが、使用人達には影で馬鹿されてやる気にもならないさ。
僕には、イリナの胸に輝くガーネットのブローチも、父様の王冠にあるサファイアも、今はないルビーだって僕にはないんだから。
(それでも僕が王になってやる)
ニゼルは自分の拳を握りしめるとその手を優しく包む手がある。
(エメルド………)
みんなが僕を比べるのが辛くて、勉強のためだといって異国に逃げた。でも、そこで多くのことを学ぶことができたし僕には必要なことだったと今なら分かる。王になるのに資格なんて要らないと言ってくれた彼女が僕のとなりにいてくれる。
「みんながどうなろうと、離れていこうがどうでもいい。どうかエメだけは僕の近くにいてくれるかい?」
「はい、ニゼル様。エメはあなたのお側に」
こうして、僕の腕のなかに君がいればそれでいい。
自身の拳を包む手に自分の左手を重ねた。
ニゼルは、胸ポケットに入れた赤い宝石が熱くなるのを感じる。
これがあればきっとあの人も………