イリナ婚約破棄する
コランダム国は鉱山で囲まれた小国だが、こと宝石においては噂が絶えない国であった。
ある少年は、王族が宝石を利用して魔法を使うと信じ、ある商人は巨万の富を得られるほど大きな宝石が隠されていると目を輝かせて語り、ある少女は宝石の瞳を持つ男に惹かれる。
本当かどうかはわからない噂ばかりが飛び交っている国だが、この国に入る唯一の手段が船だけということが、さらにその噂に拍車をかけた。
三方を険しい山が囲み、地続きの隣国ですらこの国の内情を知ることは難しいもの商人達にとってはそれが付加価値となった。
質の良い宝石に『神秘のベールに包まれたコランダム国産』とつければ、社交界の令嬢たちはそれを言い値で買ってくれるからだ。
それに、多くの荷物を運ぶのには馬車で運ぶよりも船で運べる方が都合が良い。
行きの船には、果物や植物、布地を詰め込み、帰りには宝石を詰め込む。
こうして多くの商人が、コランダム国に訪れるようになりその港は栄え、国防のためにそこに首都を置き要塞を作った。それがコランダム国、王都パンドラの始まりであった。
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「私との婚約を破棄していただけますか」
舞踏会の客人たちはみな一様にその声が聞こえた方を向いた。
その視線の先にいたのは、この国の王子ニゼルの婚約者であるイリナ・ガートルード公爵令嬢だった。彼女は、赤いザクロを思わせるガーネットの瞳に怒りを称えながら婚約者であるニゼルとその隣にいる少女を睨みつけていた。
ことの発端は、20分前。
王子の到着が遅れているからと1時間も待たされたあげく、見知らぬ少女と広間に現れたニゼルはあろうことか彼女と結婚したいと言い始めたのだ。
これには、彼の父サフィロス王と母のマリア王妃も言葉を失った。
なぜなら、ニゼル王子にはすでに婚約者がいるのだから。
しかし、ニゼルはそのようなことにかまっている様子もなく、恋に浮かれた調子で話し続ける。
連れてきた彼女の名前はエメルド・ベリル。今年で16歳になる彼女とは留学先で出会い、恋におち、妻に迎えたいと思うようになったとのこと。
しかも、よくよく話を聞くと到着が遅れたのはどうやら彼女に街を見せたくて寄り道をしたからだそうで、それを聞いていた客人たちはみな呆れた顔を浮かべていた。
だが、王子の気まぐれはいつものこと。
留学する前から、王になる勉強のためと言っては授業も受けず街へ出掛け、気が向かないとなにもしなかった彼は留学したところで変わらなかったようだ。
しかし、ニゼルが「予定していたイリナとの結婚式やめ、彼女と行う。そして第一王妃にしたい」と言った瞬間これまで静かに客人たちの中に紛れていたイリナが声を上げたのだ。
「イリナ、今なんと?」
「ですから、私との婚約を破棄していただくと申し上げたのです」
イリナは、婚約者のニゼルに向かって微笑みニゼルに寄り添うエメルドを見つめる。異国から来た少女は、ふるふると震える兎に見せかけてはいるがその瞳は輝き、期待と異様な熱を帯びている。
ニゼルはどうやらとんでもないものに心を奪われてしまったようである。
そっと息をつくと、ハッキリとした口調でイリナは告げた。
「私は、あなたの婚約者として、あなたの唯一の妻となるべく育てられてきました。しかし、それがもう叶うことがないのであれば、貴方の妻の座はエメルドさんにお譲りしますわ」
「ふん、お前の気持ちもその程度か。まあいい、本当にわたしの妻になれなくてもいいんだな。」
「ええ、構いません」
念を押すように問う二ゼルに扇で口許を隠しながら答える。
これに反対したのは以外にも彼の母、王妃マリアであった。
「なりません‼二ゼル考えを改めるのです。貴方はイリナさんと結婚することが決まっているんですよ。それを………」
ニゼルの言葉を遮る王妃マリア。彼女の顔からは焦りが見える。
しかし、それをサフィロス王がそれを止めた。
「ニゼルが決めたことだ。諦めなさい」
思わぬ援護射撃に喜びを隠せないニゼルはその場で隣にいるエメルドの手を取り、広間で傍観していた貴族たちに宣言する。
「今日から私の婚約者となったエメルド・ベリルだ!皆、仲良くしてくれ」
貴族たちは、首肯し我先にと二人のもとへ向かう。
幸せそうな顔を浮かべる二人を見たイリナはそっとその場を離れた。