イリナ招待を受ける
夕食の準備ができたことをナタリアが知らせに来るまでイリナは部屋の中で過ごした。
ルビウスは、膝の上から眠るルビウスをそっと降ろすと部屋を出る。
食堂に入ると珍しいことにアルマンも席についていた。
「お父様、今日はお仕事が早く終わったのですね」
「あぁ、商人たちの船が予想より早く着いてね。おかげで早く終わったよ」
ガートルード家は、祖父の代までは王宮で政治にかかわっていたのだが、アルマンはあえて貿易の仕事を選んだ。それは、家族を顧みず王宮で缶詰生活を送っていた祖父への当てつけだった。
しかし、どうやらその水がアルマンにはあっていたらしい。
商売は順調に軌道に乗り、今では会社の一部を信頼できる仲間に任せ精力的に事業を拡大している。
イリナが席に座ると次々の料理が運ばれてきた。
「そういえば、舞踏会の返事はどうなったのかな?」
「はい、一応参加の方向で検討しています。」
最初に運ばれてきたスープを口に運びながら会話が進む。
アルマンは目を丸くしてイリナを見つめた。
「それは意外な答えだね。てっきり断るのかと思っていたよ」
「断ってもまた誘われるでしょうから。今回の舞踏会ではっきり二ぜるとの結婚をあきらめていただこうかと思いまっています」
「ふむ。しかし断っただけで、素直にうなずいてくれるかな。『もう結婚しました!』とでも言ったら諦めるだろうけど。彼女は、殿下を側室にする気はないだろうからね」
「………お父様。それ本気でいってらっしゃいます?」
「もちろん、冗談だよ」
わざとらしい笑い声を出したアルマンだが、その実は本気だったのではないかと疑いの目を向けるイリナ。それに気づいたのかあからさまに話題を変えようとアルマンは、クレアと目配せをした。
すると、飲み終えたスープの皿を片付け始める。
「そうそう、さっきクレアから聞いたんだけど猫を飼うことにしたんだってね。名前はもう決めたの?」
「はい、ルビウスと名付けました」
実際には、そう名乗られたんです。とは言えるはずもなく苦笑いをしながら答えた。
すると、ワインを飲みながらそれを聞いていたアルマンが突然せき込んだ。
慌ててそばにいたビルが駆け寄り背中を撫でるもなかなか収まらないようだった。
「お父様?大丈夫ですか!?」
イリナも椅子から立ち上がろうとするも、アルマンに手で制される。
まだ、ワインが残っているのか何度か咳をした後力なく笑う。
「いや、その名前をつけるとはねぇ。この後見に行ってもいいかな?」
「あ、えっとまだ子猫でさっき遊び疲れて寝たばかりなのでまた後日にでも」
「あぁ、残念だけどそうしよう」
父の言葉に違和感を持ちながらも特に気には留めず、その後も話題を変えながら夕食が終えた。
そして、少し早いがアルマンに就寝のあいさつをしるイリナは、ナタリアをつれ食堂を後にする。
部屋の前に着くと頼んでいたルビウスのご飯を受け取ってナタリアにも別れを告げた。
中に入るとまだルビウスがソファで眠っていた。
ご飯を床に置きそっと頭を撫でるが、起きる気配はない。
また、起きたときに食べるだろうとルビウスをそのままにして、イリナは手紙をしたためようと物書き用の机に着いた。
引き出しからガートルード家の家紋の透かしが入った便箋を取り出す。
そして、ガラスペンにインクを付けると、文章を書き始めた。
しばらくそうして文章を書いていると、突然イリナのそばに温かい塊がやってきた。
「あら、あなた起きたのね」
「うん、イリナなにしてるの?手紙?」
机の上に飛び乗ってきたルビウスが、インク瓶をこぼさないように避けつつ手紙の内容を見る。
しばらくしてそれが舞踏会の招待状への返事だとわかったようだ。
「今度王宮で舞踏会があるの。その返事を書いているのよ」
「へぇーニゼルと踊るのかい?君の婚約者だろう」
「あなた、お昼の話聞いていたでしょう。元よ、もと」
この国では舞踏会へは婚約者もしくは親類とペアで参加するのが習わしだ。
手紙を書き終えたイリナはインクを乾かしながら文章に間違いがないか確認をしつつイリナはこの間の舞踏会の話をし始める。
留学から帰ってきたニゼルに婚約を破棄されたこと、王位継承権を持つものが自分しかいないこと、そして王妃がまだニゼルとの結婚を諦めていないことを淡々とルビウスに説明する。
「つまり、王妃様がまだ全然諦めてないから、君を説得するために舞踏会に招待したってわけだね」
「そう、その通り。だからどうにかして諦めさせなきゃ。何かいい策ないかしら」
まだ、マリアに女王になると決めたことが伝わってないということはあるまい。
だが、彼女は何としても舞踏会でイリナを説得し、ニゼルと結婚させるつもりだろう。
そこでふと、先ほど夕食の席でアルマンに言われたことを思い出した。
(『結婚しました』かぁ。確かにそうでも言わないと王妃様は諦めてくれないかも)
しかし、そのためには相手が必要だし、適役もいない。
なにより、女王になるのだからここで下手な手を打って後々禍根を残すわけにもいかない。
イリナは、ルビウスの頭をぐりぐりと撫でまわす。
「ちょっと、イリナさすがに撫ですぎ」
ルビウスが制止の言葉を口にするも、考えに没頭するイリナにはそんな声届かない。
イリナは、ルビウスを抱えて立ち上がり部屋の中をうろうろとし始めると、窓の前で立ち止まった。
窓からは、ちょうど今日のお昼に食べたパイと同じ形をした月が見える。
(半分にかけた月、薔薇の日は1週間後。ならその日は満月ね)
その時、イリナの頭の中にある考えが降ってきた。
思わずルビウスを持ち上げ、その顔をまじまじと見る。
「ちょうどここにいるじゃない」
あと腐れなく、後々問題にもならない。
「あなた、私と舞踏会に出たことはある?」
「本気で言ってるのそれ」
「もちろん本気よ。ちょうど薔薇の日は満月だもの、あなた満月なら人型になれるといっていたでしょう?」
イリナが何を言おうと思ったのか分かったのだろう、眉間にしわを寄せてルビウスは正気なのかと疑いの目を向けてくる。
しかし、イリナはいたってまじめだ。
「………わかったよ」
「ありがとう!そうと決まれば、手紙に書かなきゃね」
渋々といった様子で頷いたルビウスを抱きしめると早々に机に戻るとルビウスを膝に乗せたまま王妃様に合わせたい人がいますと手紙に付け加える。そしてもう一枚別の便箋を取り出すと再び手紙をしたため始めた。