イリナ発見される
イリナが日陰を通るようにして歩いていると、庭にあるベンチのそばに人影が見えた。
料理長のニールと庭師のエミールだ。
親子ほど年齢の離れた二人が一緒にいるのは珍しくイリナは思わず声をかける。
「二人ともこんなところでどうかしたの?」
何かを探していた様子の二人にイリナが声をかけると、ぎょっとした顔でこちらを振り返った。
どうやらイリナが近づいてきていることに気づいていなかったようだが、この驚き方はそれだけが原因ではないようだ。その異様な二人の様子に恐怖を感じて後ず去ったイリナにニールは、呆れたように話し始めた。
「お嬢様、どこにいらっしゃったんですか。ナタリアがお部屋に呼びに行ったのに姿がないと心配して、皆で探していたんですよ」
「ご、ごめんなさい。温室に用があって」
「お気をつけください。お嬢様になにかあれば、皆心配します」
ガートルード家の使用人達は、他の名家よりも人数が少ない。
そのためか、幼い頃からイリナにとっては皆が家族のように感じていた。
そして、それに答えるように使用人達も、イリナのことを本当に大切に思っている。
時折それは過保護気味であり、特に今は失恋後と思われていることもあり更に拍車がかかっていた。
イリナは鉢を抱え直しながらニールの言葉を受け止めていると、ニールがそれに気づきエミールを小突く。
「さぁ、エミールお嬢様の鉢をお持ちするんだ」
「え、俺が持つんですか」
「当たり前だろう、俺の手は料理を作るためにある。それに植物はお前の担当だろう」
「わかりましたよ。お嬢様その苗をこちらに」
少し大げさな物言いをするニールに呆れたエミールはイリナに手を差しのべる。イリナは、その行動に微笑みながらも内心焦っていた。
普通であれば、ここは渡すところだがそれがいいものかどうかわからない。
そっと籠のなかに入っているルビウスに目を向けると被せてある布の隙間から小さく頷いているのが見えた。
彼が問題ないというのならとイリナは好意に甘えて鉢をエミールに渡した。
するとエミールは小さく感嘆の声を上げた。
「これは、バラの苗木ですね。今度の『薔薇の日』用ですか?」
「ち、違うわ。ついさっき手に入れたばかりなの。それで、その育ててみようと思って」
「あー、わかりますよお嬢様。俺も若い時は、失恋するたびにお菓子を作ってましたから」
まさか、魔法でできてますということもできず、はぐらかした言い方をすると訳知り顔でニールが頷く。
大変不名誉なことだが、これ幸いと笑って誤魔化しておく。
「私の部屋に運んでほしいのだけれど、お願いできるかしら」
「もちろん、喜んで運びますよ」
「ありがとう」
「おー!良かったなぁエミール!」
エミールにお礼をいうといつもは穏やかで落ち着いた春のような青年の顔が茹で蛸のように真っ赤になる。
それを見たニールは、エミールを茶化すように背中を叩くと皆にお嬢様をみつけたと話してくるといって一足先に屋敷の中へと走っていった。
それを見送った二人は、イリナの歩幅にあわせて歩き始める。
「そういえば、孤児院の方には最近どう?みんな元気?」
エミールは、ガートルード家の出資している孤児院の出身だ。庭師になるための修行を積んだあとは、ここに雇われ今では定期的に孤児院の庭の手入れもお願いしている。
これには、院長も子供たちも大喜びでエミールもなかなか帰れなくなるらしい。そのため、孤児院に泊まっておいでといつも声をかけられているのだが、頑なにその日の日没までには帰ってくるところに彼の律儀さを感じる。
そんなエミールは、孤児院の話をするときは、いつも楽しそうだった。
「皆元気ですよ。特に今は『薔薇の日』がありますからね。その準備に大忙しみたいです。もしよろしければお嬢様もぜひ遊びにいらしてください。そろそろ薔薇の開花も始まりますよ」
「そうね、必ず行くわ」
そのあとは、鉢に植えてある薔薇の栽培について、いくつか話を聞きながらイリナの部屋まで歩くと朝と同じようにナタリアとナタリアの母であり、家政婦長のクレアが扉の前に立っていた。
その顔は、心配と怒りが混ざっておりこれからの説教の長さが感じられる。
思わず逃げようとするエミールの逃げ道を塞ぐようにイリナはエミールの影に隠れるが見逃されることはなかった。
「何をなさっているんですか、イリナ様」
「これは、その………隠れているのよ、クレア」
「出てきてこちらにおいでください」
イリナは、名残惜しげにエミールの後ろから出てくるとクレアの目の前に移動した。すっとクレアの横にいるナタリアに視線を動かしてみると、その目には溢れんばかりの涙がたまっていた。いつもは、一日の予定を伝えてから行動しているため、それを疎かにしたことが原因だろう。
「はぁ、イリナ様。そのような汚れたお姿でどこにいらしたのですか」
「ちょっと温室にいたの。心配をかけてごめんなさい」
先手必勝である。先に謝ることにこしたことはない、例えその説教が長く続くとしても。クレアは、その氷を思わせる顔付のまま眉間にシワを寄せ話し続ける。
「私共もイリナ様がもうお子様でないことは重々承知しておりますし、本日の予定を確認し忘れたナタリアにも責任がございます。ですが、イリナ様にも年相応の振る舞いをしていただく必要がございますし、特にイリナ様は将来この国を背負われるお方ですからそれ相応の自覚と、責任感を持っていただきたいと思います。よろしいでしょうか?」
「………はい」
「それとナタリアが朝方見つけた拾い物ですが、本当によろしいので?」
「えぇ、私が飼います。今後は、その子の世話をお願いすることもあると思いますがなるべく私が面倒をみます」
イリナの強い口調に面食らった顔をしたクレアだが、先ほどまでなかった笑顔が口許に浮かぶ。
「かしこまりました。ちょうどネズミをとりがほしかったところです。皆に私から伝えておきます」
「よ、よろしくお願いします」
「では、以上です。ナタリア!イリナ様のお着替えの支度を、そしてその後昼食のご用意を」
クレアはそう指示をして、ナタリアの肩を叩き立ち去る。
するとナタリアは、先に扉をあけて部屋のなかにある衣装部屋へと消えていった。イリナは、初めてみるナタリアのようすに戸惑いながらエミールに指示を出しテラスへと鉢を運んで貰う。
「お嬢様、ナタリアは大丈夫でしょうか?」
「私に任せて、ここまで運んでくれてありがとうエミール」
「俺でよければいつでもお声がけください」
エミールもその空気を読んだのか、鉢を置いたあとはそそくさと部屋から出ていった。
それと同時にナタリアが衣装部屋から出てくる。
手には新しいドレスがあり、今度は無言のままイリナの着替えを手伝い始める。イリナもどうしたら良いか分からずされるがままになっていると、ポロポロとナタリアの目から涙が零れはじめた。
そこからは堰を切ったように豪快に泣き始めたナタリアは、大切なぬいぐるみにでも抱きつくようにイリナの胸に顔を埋める。
「ナタリア、そんなに泣かないてどうしてしまったの?」
今まで家のなかをぶらつくことはよくあったのに、今日はやけに皆が心配している気がする。イリナが、ナタリアの頭を撫でながら顔を覗き込み、涙の理由を訪ねるとゆっくりと小さな声で話し始めた。
「今日の朝食のあと、一昨日の号外がほしいと行商人のおばさんに頼んでいたので来てくれたんです。それで、おばさんが『振られた子は、何をするか分からない。突然いなくなったりするから気を付けなさい』って言われたんです。」
なんだそれは。
予想外の回答に固まるイリナを放ってさらに話しは続く。
「皆、そんなことあり得ないって笑い飛ばしてたんですが『そういう子程皆に迷惑をかけまいとするんだって』それで、お嬢様のことが心配になって様子を見に来たらもぬけの殻で、全然戻ってこられなくて………」
「ごめんなさい、ナタリア。心配をかけてしまったのね。大丈夫よ、そもそも殿下には恋心なんてなかったもの」
これは、本心からの言葉だった。幼い頃から婚約者として育てられてきたが、実際には恋心を抱いたことは一度もなかった。
有ったのは義務感と使命感、国を守る戦友というのは彼のことを言うのだろうと思っていた。しかし、それは一方的なものにすぎず、あの舞踏会でその信頼が崩れ去ったのだ。
「さぁ、ナタリアごはんを食べてのんびりしましょう。食後はあなたの紅茶をのみたいわ」
「ぐすっ………はい、お嬢様」
イリナが、ナタリアの涙をぬぐうと微笑む。
それに大きく頷いたナタリアは、昼食を運びますと言って部屋を出ていく。
すると、ずっと籠のなかにいたルビウスが出てきた。
「良い人たちだね」
「えぇ、私にはもったいないほどにね」