イリナ弟子になる
イリナが部屋に戻る途中、イリナの部屋の前でそわそわしながら待っているナタリアを見つけた。
「ナタリア、どうかしたの?」
ナタリアは急に声をかけられたことに驚き、そのはずみで大事に抱えていた籠から布が落ちていった。イリナは、ナタリアに近づき床に落ちた布拾う。
「もしかして朝言っていたお楽しみはその籠のこと?」
「はい!ぜひお嬢様にご覧になっていただきたくて」
嬉しそうに大きく頷いたナタリアは、籠の中をイリナに見せる。
イリナもそれに応じ籠の中身を覗くと赤い目がイリナを見つめ返してきた。
その瞬間にイリナの心臓が大きく飛び跳ねる。
「これ………どうしたの」
イリナは籠の中の目から視線を外すことができない。
黒く小さなその塊は、イリナに助けを求めるように口を動かし訴えかけてくる。
しかし、それに気づくことのないナタリアはなお言葉を続ける。
「イリナお嬢様、実はこの子拾ったんです。お嬢様を起しに行こうとしたら庭を横切って厨房に入っていこうとするこの子を見てしまって………ほら、料理長のニールはおっかないから」
「それで…?何もされなかった?」
「最初は暴れたんですが、泥だらけだったのでちゃんと洗って綺麗にしましたよ」
「そ、そう……ナタリア、この子は私が預かってもいいかしら?」
イリナの提案に目を輝かせるナタリア。
「良いんですか! 実は、私じゃ飼うことができないのでお嬢様にお願いしようと思っていたんです」
そういうとナタリアは、イリナに籠を渡し、朝食をとるため使用人部屋へと戻っていった。
ナタリアから籠を受け取ったイリナは、急いで部屋のなかに入る。
籠の中を覗くと小さく丸まったまま、それはまだこちらを伺っていた。
イリナは、籠をテーブルに置くとまるで猛獣の檻の中に手を突っ込むように、恐る恐る中に手を入れる。
すると、中に入っていた子猫がスリスリとイリナの手に頬を擦り付けてくる。
その毛並みは昨日見た夢より艶が良くやわらかい。
「助かった。ありがとう」
ルビウスは、か細い声でお礼を言うとゆっくり起き上がり籠から這い出てくる。
その足取りは、お世辞にも軽いとは言えずひどく疲れているのがわかった。
「君の侍女はパワフルだね。僕が逃げると追いかけてきてしっかりお風呂に入れられたよ」
そういったルビウスは、イリナが座るソファに移動してぐったりと横になる。
そのあまりに力のない姿に、あんなに怯えていた自分が馬鹿らしくなってきた。
「そういえばまだ君に伝えなくちゃいけないことがあるんだ」
「なにかしら。まさか、この箱の開け方とか?」
「………君、その箱を開けたいの?」
冗談めかしてイリナが言った言葉に予想外の言葉が返ってきた。
イリナは慌てて、棚の上に置いてあった箱を手に取りルビウスの前に置く。
ルビウスは、その箱の上に右足をのせて何度か叩く。
するとそれに呼応するように箱の装飾から金色の粉が舞い落ちる。
「この箱は、魔力に反応するんだ。魔王を封じた宝石は、ただの宝石じゃない。その宝石を通じて魔王の力を吸い出し、魔法として消費することができる」
「その宝石があれば、この箱を開けられるのね。で、どこにその宝石はあるの?」
イリナの問いが予想外だったのだろう。ルビウスは、首を傾げた。
「おかしいな。君はその宝石を使って僕を呼んだんだろ?」
「私、あなたを呼んでないとおもうけど」
思い当たる節がないイリナも同じように首をかしげたその時、イリナの頭のなかで稲妻が走ったような衝撃があった。
自分が昨夜、ルビウスの現れたとき何をしようとしていたのか。
そして、何をなしたのか。
「もしかして私のガーネットがそうなの?」
それが本当ならもうこの箱を開ける手段はない。
自分は、女王になれないのだ。
「もし本当にそうなら、私はもう………魔法が使えないわ。だって、宝石はこの箱の中にあるのよ!」
箱の中の宝石を取り出すためには、箱を開けるしかない。
だが、その箱を開けるためにはその宝石がいるとは、なんとも皮肉な話だった。イリナは頭を垂れどうしようもない虚無感に襲われる。
その気持ちを察してか、ルビウスは明るく言葉を続けた。
「問題ないよ。宝石はあくまで、魔王の魔力を吸い出すことが目的なんだ。それに『パンドラの箱』は、宝石の縁を使って君が魔法を使えるようになるために最適の先生を呼び出しただけ」
「どういうこと?」
途方に暮れていたイリナを慰めるように、ルビウスはイリナの膝に乗り顔を覗き込んだ。
そして、穏やかな声でイリナに語り掛ける。
「僕が君の先生になるってことだよ。僕はこれでも魔王だから、僕が傍にいればいくらでも魔力使い放題だよ」
「でも、あなたは大丈夫なの?魔力がなくなっても」
「大丈夫、魔力なら売るほどあるからね!」
イリナの不安を笑い飛ばすルビウスだが、イリナはそれでも心配するしているこのがわかる。
「そんな顔しないで、僕はそんなにやわじゃないから」
「………わかったわ」
しぶしぶといった顔をしてイリナは頷いた。そして、思い出したように手を打つとルビウスの前足を握った。
「ど、どうしたの急に」
「不本意だけど、今日から私の先生になるなら、ちゃんと挨拶しないと。私はイリナ、よろしくね」
「………よろしく」
ルビウスは、なんとも言えない顔をして握られていた足をそっと外す。
もしかして、足を握るのは駄目だったのだろうか。
これまで動物と言えば家にいる鶏や伝書鳩くらいしかいなかったため、どうやってコミュニケーションをとればいいのかよく分からない。
(あとで、ナタリアに猫の生態でもきこうかしら)
ただ、普通の猫ではないので違うこともあるかもしれないが、調べる価値はあるだろう。
すると、ルビウスはイリナの考えが読んだようにつげた。
「前足を握られたことが嫌だったわけじゃないから。あと、あの侍女にはなにも聞かないで。ところで、今後の予定についてだけどまずは君の特性を知りたい。」
「特性?」
「その辺りもおいおい話すとして、まずは場所を変えよう。何があっても誰にもみられないところはあるかな?」
「それなら、庭の温室にいきましょう。もう時間だろうから、誰もいないわ」
「よし、じゃあ行こう。ってなにするんだ!」
イリナは、ルビウスを捕まえて籠にいれる。すると、すかさずルビウスが声をあげるがそれは無視された。
「ここからは少し遠いから私が運ぶわ。あと、分かってると思うけど、絶対に喋ったらだめよ」
ルビウスはなにか言いたげな顔をしたあと、おとなしく籠のなかで丸まる。
そして、イリナはそれを確認すると足早に温室に向かったのだった。