65
蜃気楼かと見紛う程に遠くに見えるぼやけた街並み。
それに着々と近づき感じる人の気配の多さに
間違いなく遠くに見える街並みは幻ではなく現実のものだと認識する。
やっと無事にメネスの代表者たちの避難を完了させられる。
そう安堵の溜息を小さく吐くが慌てて両頬叩き顔と心を引き締める。
油断大敵!
何度もあと一歩、あともうちょっとという所で気を抜いて
散々痛い目見て来たのだ。
いい加減学ばなければ。
思い改め緊褌一番と心の中で唱えると良い心がけだと紅耀からお褒めに与かる。
まさかの褒め言葉に照れていると火の大晶霊は
にやりと口の端を持ち上げ
商隊の人達が許可を出してくれるのならジューダスに試験をして貰え
と言葉を続けた。
何と見事なつるべ落としである。
目的地を目前に改めておれのステータスを確認したら
残念ながら一つも倍の値に達しなかったそうだ。
頑張ったつもりだったんだけどな。
手探り状態での鍛練だったために自覚出来るほど強くなったとも思っていない。
だけど……
確かに、胸を張ってふんぞり返って
頑張った!でも結果がこれなんだから仕方ないじゃん!!
とは言えない。
寝る間を惜しんでやったか、と聞かれたら否だし
もっと効率よく出来たのではないか、と問われたら然りと答える。
だけど、こつを掴んでからの追い上げは
自分でも誇れる程に凄まじかったと自負している。
過去を振り返ってみても今回程修練に打ち込んだ事はなかった。
そのこつを掴むのがもっと早ければ……
結果は違った。
時間が足りなかった。
それとも時間ではなく
死を仄めかされても尚おれの覚悟が足りなかったのだろうか。
頑張った、ではなくそのつもりでいただけだったのだろうか。
目的地を目前にした今道中の頑張りは完全に無意味なものとなってしまい
おれの気分を深く沈み込ませる材料にしかならない。
ただ、無意味と評価を下すのは惜しいと思い
紅耀から起死回生の機会を与える提案が出された。
そう言う経緯がありそうだ。
全体的なステータス値が底上げされている上に
霊力の扱い、一つの術に使える量や有効範囲
その他諸々の技術はかなり向上している。
霊力の最大値も倍近くまで上がっている。
約束通りジューダスの手を借りずにここまでは出来た。
しかし総合的に評価はしてくれるが五つ交わした約束の
『一つでも良いからステータス値を倍にする』
は果たされなかった。
精霊にとって約束は契約。
契約は絶対。
しかしここで殺してしまうのには惜しい。
世界の損失になり得る。
そう稜地が説得し紅耀自身も同じように思ってくれたからこその
ジューダスを試験官とした実技試験なのだろう。
もしくは、本当にあとちょっとで倍の値になるから
そのきっかけ作りとしてジューダスと闘ってみろと言ったのか。
後者の方だろうと思う。
だって紅耀はおれのこと嫌っているし。
言葉の端端に兄馬鹿を滲ませているし
稜地の説得も確かに効いているだろう。
しかし試験を通してステータス値を増やす行為は
『ジューダスの手を借りずに』と言う項目に抵触しないのだろうか。
まぁ、言いだしたのは紅耀自身だ。
いずれにせよ志半ばで身内に殺されるような事が無いように
ジューダスと長達に拝み倒して場を設けさせて貰おう。
外野からの妨害が入らないように
あとは戦闘の余波により外野に影響を及ぼさないようにと
結構広い区画を指定してジューダスが守護方陣を展開させる。
方陣を展開させながら同時進行で試験をするのは具合が悪いからと
何か手渡されながらその維持をセリエルが唇を尖らせながらも渋々請け負った。
賄賂でも受け取ったのだろうか。
是非今後の参考にしたいので何を渡したのかジューダスにご教授頂きたい。
まぁ、それも紅耀が納得の行く結果が出せたらの話だな。
セリエルはまだ限界に達していないにしても
『鬱積した気分を晴らしたいのに。
どうせ暴れるなら私にさせてくれれば良いのに。』
とでも思っているんだろうな。
前回の休憩から二時間以上経ってはいるが
目的地までかかる残りのおおよその時間を告げた時に
爆発させた歓喜により一度瓦斯抜きはされている。
文字通り爆発させた霊力によってね。
因みにジューダスが対応してくれたんで大事には至らずに済んだ。
本来ならリヤドに到着するまで余裕で持つはずだったそれも
しかしその目的地を目前として静止を掛けられたことにより
一気に不平不満が溜まったんだろう。
おれの責任なのでジューダスとの手合せが終わったら付き合おう。
そうしよう。
紅耀に禁止を喰らって居た事もあり
ジューダスとの手合わせ経験は皆無。
対峙するのはこれで二度目。
イシャン達を襲って来た時は本気で殺されると思ったものだが……
うん。
おれって強くなったんだな。
ジューダスが敵意を持っていないから、と言う理由もあるだろう。
しかしそれ以上に天井知らずの強さと慄いた目の前の人物の実力の
一端でも掴めるようになったのがそう思うに至った一番の理由だ。
おれとの実力差はステータス値だけ見た時最低でも三十倍以上だと言われていた。
そこに長生きして蓄積している分の実戦経験と知識が加算され
悠に百倍の実力差があっただろう。
……百で足りるかな?
まぁ、細かい差は置いておこう。
前より強くなったために道中やっと気付けた事があったのだが
ジューダスは常に索敵をしている。
気のせいかと思う程に薄く、薄く伸ばした霊力を
おれがその他の事を疎かにして集中し張り巡らせた索敵の範囲よりも
なお広範囲に及ばせている。
放射線状に伸ばさなければいけるかと思って一方向にだけ試しに伸ばしてみても
果てが見えなかった。
愕然とした。
数値で表された差を聞いた時も開いた口が塞がらなかったが
実感して血の気がひいた。
しかし同時に目指すべき対象を定める事で
手本となる人物を置く事で飛躍的におれは成長を遂げた。
剣を振るう時だって魔獣と戦う時だって
父さんならばどうするかを念頭に置いていた。
それをジューダスに置き換えれば良いだけだ。
幸い、幾度かジューダスの戦闘は見ている。
見取稽古の重要性は父さんに言われていた。
一戦一戦、どのような手合だろうと無駄になるものはない。
学べる事は必ずある。
そう言われていたから強者であるジューダスから学べることもあるだろうと
少ない回数ではあるがきちんと見ていた。
それを振り返り自分が強くなる為にはどうすべきかを考えた。
そして手始めに索敵の精度と範囲を向上させ同時に消費霊力を少なくしてみた。
自然体で出来るようになるまでまだ時間はかかるが
どうすれば良いかを常に意識する事で
霊力の扱いが今までとは比べ物にならない程に上手になった。
ジューダスはそれ以上の事を息をするのと同じ位自然にやってのけている。
この短期間でこの程度の練度で結果が伴ったのだ。
常にそれをしていれば正しく天井知らずと言わんばかりに強くなるのも頷ける。
意識する事により上昇したステータスは
当たり前のように意識せず出来るようになれば更に飛躍的に伸ばすことができた。
心を落ち着けて自分の中にある霊力と向き合いその流れを感じる。
大きく膨らんだ霊力の形を変えたり小さくしたりして扱い方を学んだ。
溜め込んでいる霊力は
無駄を省き精練し圧縮すればする程中に溜められる量が増える。
羊皮紙を例えにすると分かりやすいかな。
今までのおれは水分を含んだ原皮状態だった。
余分な汚れを石灰水に浸してとったり
毛を毟って洗ったりする作業が無駄を省く事。
軽石で磨く作業が精練する事。
出来上がった羊皮紙を更に丸めたり折りたたんだりすれば
収納できる量は格段に上がる。
その収納の仕方によっては取り出すのが難しくなるので
規則正しく自分なりの方法を見つけて圧縮した霊力をどのように
解放し使うのかは今後の課題だな。
無駄を省く作業も精練する作業も羊皮紙で想像するだけでも
改善方法はいくらでもある。
汚れを取る作業なんて数回やるか水が汚れなくなるまでするか
使用する刃物を何にするかによって羊皮紙の出来栄えは変わってくる。
磨く石の種類によって見た目や書き心地も変わってくるし。
物として存在している羊皮紙ですらそうなのだ。
もっと的確な想像を当てはめ生かす事が出来れば
更におれの霊力は鍛える事が出来るだろう。
術を使う時以外に霊力を意識する事なんてほとんどなかったから
なかなかに良い機会だったと思う。
索敵の範囲にいる人間も植物も全て含めた
おれ以外の存在から感じ取った霊力にも向き合った。
イシャンやセリエル長達は勿論だが
襲ってくる野獣が持っている霊力や
魔獣や魔物が内包している魔力を瞬時に感じ取り相手の力量を判断し
無力化するための最適解を導き出し使う霊力を最小限に収めたり
逆に一つの術にどれだけの霊力を込められるのか試したり。
効果の範囲は小さくしつつ
込められる最大の霊力を込めたらどうなるのか実験もした。
模範すべき強者に倣うだけでここまで能力が上昇するものかと
自分でも驚くくらいに強くなったことを実感した。
そしてふとジューダスを改めてみた時、その強さの一端を垣間見た。
初めて会った時から変わらない化け物かと言いたくなる程の強さ。
相変わらずだ。
しかしその内に宿らせる霊力の無駄の一切ない澄んだ輝きを見て納得した。
あの境地まで至る事が出来れば確かに他の追随を許さない強さを
手に入れる事が可能だろうと。
本当に、息を飲むほどに綺麗だった。
それはまるで不純物の一切混ざっていない水晶を見ているかのよう。
神威をした時に見た外套の下に隠されている素顔を見た時と同等の衝撃。
いけ好かない奴だけどジューダスが
父さんと同じ……
いや、父さんの次くらいに憧れの存在にその時なった。
その人と手合せが出来る。
最初と違って切羽詰っている訳でもないし正体不明の敵でもない。
ある一種の気軽さと適度な緊張感を抱いた状態でそれに挑めること。
今のおれの最上の実力を発揮できる場を設けて貰えた事。
感謝しなきゃな。
昂る気持ちはそのままに今この現状に心から感謝した。
武器の使用、精霊術の使用共に可。
制限時間は設けずおれが参ったと言うか戦闘不能になるまで。
もしくは守護方陣が耐えられなくなるまで。
被害を出す訳にいかないもんな。
あとはおれの方が下出になるのでその差を埋めるために
開始地点から動いたら即ジューダスの負け、と決められた。
流石にやりすぎじゃ?
と思ったが紅耀が
≪その程度のハンデで良いの?≫
と逆に聞いてきた。
これだけの不自由を強いても尚ジューダスが勝つと紅耀は思っているのか。
半端ないな。
イシャンが音頭を取ってセリエルとする時と同様賭け事が始まる。
その許可を出す代わりに一刻も早く家族と合流し落ち着きたいだろう
長達の足を止めさせたのだから文句は言わない。
皆父さんが共に行動していた上に
その父さんがジューダスを差して”アーク”と呼んでいる所を目撃しているので
ジューダスが三英雄の一人であることを把握している。
圧倒的にジューダスが不利な状況にもかかわらず
当然と言えば当然だがおれに賭けている人はいない。
せいぜい方陣が耐え切れずに破壊され引き分けに終わると
大穴でかけた奴が一人いる位。
哀しいね。
是非とも期待を裏切ってやらなければ。
大きく深呼吸し一足一刀の間合いから更に一歩ずつ離れた
開始地点の目印として引かれた線の上に立つ。
凪のように落ち着いた心で目の前の人物を見るのは初めてかもしれない。
大抵怒ったり恐れたりして平常心で見る機会は一度も無かった。
ラシャナ含めた世界のためという大義名分の元
沢山の人達を見殺しにした事は未だに怒っているし
その手を伸ばしてもたどり着けない強さに恐れているのには変わりない。
しかしそれと同じ位憧憬と尊敬を抱いた。
勝てるなんておれも思っていない。
勿論これだけハンデを課しているんだし勝てるもんなら勝ちたい。
でも。
一太刀で良い。
入れたいな。
それが出来るのなら負けても良い。
紅耀は勝てとは言わなかった。
今のおれの実力を示して自分が下る事を好しと出来るか見極めたい。
そう言う思惑があるんだろう。
一撃でも良いから入れられるようになりたい!
と癇癪を起した子供のように躍起に思っていたが今はそうではない。
今のおれの実力ならば
油断せず神経を研ぎ澄まし最良かつ最大の攻撃をしかければ
それが叶うだろうと言う思いからの希望だ。
その希望を抱くとやっぱり勝ちたいと言う欲が湧いてくる。
勝たなければいけない場面ではないのにね。
先走ってしまっては最良の一手は打てない。
再び深呼吸をする。
今度は目を閉じて。
雑念を抱かないように。
ただ一心に剣を振るえるように。
圧縮し研ぎ澄ました霊力を初手に全て乗せられるように。
涓塵の一つすら零さないように。
「はじめ!」
セリエルの放った号令と共に鞘を引く。
ジューダスはその場から動けない。
切っ先を届かせるのに二歩。
たった二歩だ。
その二歩が重く、遠い。
酷く遅く感じる時間の中で一歩目を踏み出す。
抜刀の構えをおれが取った時点でジューダスは右半身に重きを置き
即座に防護壁を展開した。
速い。
一瞬だ。
その上左手には術を放つ為か霊力が込められた。
二歩目を踏み込む。
刀身は十分にジューダスの身体を捉える事の出来る距離だ。
袈裟掛けに斬る為下から上に切り上げる動作をする。
本来ならば。
おれは勝ちたいと望んだ。
欲を出した。
ジューダスは反撃の手を既に整えている。
こいつにはおれの戦いの癖が把握されている。
ならばおれは勝つためにいつもと違う事をしなければならない。
人を殺す可能性に対する恐怖を掃いこいつの強さを信じて。
格下であるおれに何て負ける筈がないと絶対的な信頼を寄せて。
なんと自分勝手で矛盾に満ちた考えなんだろう。
そう自分で自分に苦笑しながらもセリエルとの手合わせで学んだことを生かし
更に半歩踏み込み抜刀する。
霊力を込めその刀身に乗せ、一閃。
慣れない所作に、溜めすぎた霊力に。
身体は悲鳴を上げ喰いしばった奥歯は
割れてしまうのではないかと思うような異音を立てる。
振りぬかれた刃から放たれた霊力は文字通り空を切り遥か遠くの雲を割った。
その視界には血の一滴も飛んでいない。
避けられた!
いや。
今の一撃が防護壁で受け止める事をせずに避ける程の脅威だったと
思って貰えたのだと誇りに思おう。
しかし初手を入れられなかった時点でおれの勝ちの目は無くなった。
足元の砂場を利用し体制を崩しつつも身体を回転させ
ジューダスの放つ霊力の直撃を避け
避けきれなかった攻撃による痛みに顔をしかめながら踏ん張り転倒を回避する。
蛙のように砂漠に手足をついて身をかがめ後転。
一度距離を取って屈伸の勢いを利用して再び肉迫。
横薙ぎに振りぬいた刀身を振り払うように手を出すジューダス。
が。
その手を切り裂くよりも先に刀が軽い音を立てて、折れた。
折れた刃はジューダスの外套が脱げぬよう留めてある組紐を切り裂き
砂の中へと消えた。
それに気を取られ出来た、一瞬の隙。
突然の意図しない出来事によって隙が出来たのはお互い様だったが
おれは即座に気持ちを切り替え折れた刀の先を補うように
霊力を刀身に這い纏わせ上段から振りかぶり
そのまま無防備な肩へとそれを振り下す。
キィぃン……ッ
しかし乾いた高い音が響くと同時にジューダスの左肩に
切り込みを入れる筈だった一太刀は防がれてしまう。
腰に差した刀を器用に逆手で抜刀したジューダスによって阻まれたからだ。
驚きに見開かれたおれの顔がジューダスの瞳に映る。
月のように金に輝くその瞳に。
「誇れ。
私に剣を抜かせた事を」
その瞳が細まれると同時に
いつの間に持ち替えたのかしっかり両手で柄を握り晴眼へと構え
そのまま狙い定められた場所へとまるで吸い込まれるかのように自然な流れで
獲物であるおれの頭部を突いた。
その一撃は防いでくれた鉢金を凹ませるだけでは足りず二つに分かれ
役目を全うさせる事なくおれの額を切り裂く。
血飛沫は黄土の砂と視界を赤く染める。
鼓動に連動してどくどくと流れ続ける血により足元はとめどなく
その色を変えていく。
まだ。
まだ大丈夫。
この程度じゃ死なない。
まだ戦える。
この程度じゃ鈍らない。
まだ大丈夫。
この程度じゃ呑まれない。
破壊衝動に支配されてなんていない。
おれは、正気だ。
折れた刀を構え再び飛びかかる。
血が失われた分軽くなったと言わんばかりに切り結ぶその速度を上げ
幾度となく刃を交え詠唱を経ずに術を放つ。
鍔迫り合いに持ち込んで体制を崩させるなんて終わり方なんて嫌だ。
初手を外した時点で勝ち目が潰えたのも分かってる。
だけど……
それでも!
振る刃の型は出鱈目。
想像する間もなく放つ術は威力が伴っていない。
血を失いすぎて頭はくらくらするし
切り結んでいる間に出来た傷から滴る血のせいで
柄を握る手が滑りそうになる。
それでも勝ちたい気持ちには変わりない。
まだ諦めきれない。
諦めたくない。
なにか……何かないのか!?
焦り逸る気持ちと同時に湧いて出た黒い衝動を抑え込む。
出てくるな。
手加減して勝ちを拾えるような相手じゃないとは言え
破壊し殺すような相手じゃない。
過去のおれは必要ない。
出てくるな。
……──あ。
光明が、差した。
過去のおれではなく、今のおれが持っているもの。
今のおれが勝てる方法。
あぁ、そうだった。
おれは、一人じゃなかったんだよ。
何で一人で挑もうと思ったんだか。
いつの間にか塞がった傷痕を見て思い出した。
──地神招来
静かに唱えた短い言葉。
兄のようにおれを見守ってくれてる温かい存在と一つになる言葉だ。
──氷神招来
続けて唱える初めて紡ぐ言葉。
おれの中にはいなくても確かに繋がっている
頼りになる新しい仲間を呼び出す言葉だ。
二人とも、今のおれを主と認め共に在ろうと言ってくれた。
記憶を失くす前の魔王の子供であるおれではなく
未熟なおれを選んでくれた人たちだ。
不甲斐ない主人に対しもっと頼れと優しい言葉をかけてくれた人たちだ。
使命に関係のある闘いじゃない。
紅耀は命をかけろと言っていたが稜地含めた他の人がそれを許さない。
その中には父さんやジューダスも含む。
英雄たちに言われては流石の大晶霊も前言撤回せざるを得ないだろう。
だからこれは一種の戯れのような試合だ。
それでも、勝ちたい。
その思いに呼応して稜地は勿論
忙しいだろうに葵帷さんも召喚に応じてくれた。
不慣れな状況だったとは言え稜地との神威じゃ勝てなかった。
精霊術には通常の単一属性の精霊から力を借りて発動する精霊術の他に
複数属性の精霊から力を借りる混合術とがある。
属性の組み合わせによっては霊力の消費量を抑え
爆発的な威力を持つ術を発動させることも可能だ。
地と氷の混合術の相性が良い事も威力が十全に発揮されることは
アガンジュ遺跡で証明済み。
そして神威は感覚として精霊術の上位互換に近い。
ならば神威も二つの属性を合せれば威力が増すはず。
──轟け地脈
朽ち果てぬ霊名宿りし不変の大地
凍てつけ灰塵
絶対零度の終焉紡ぎし怨嗟の氷霧
幽玄なる殲滅の脈動を刻み
凍てつく抱擁と共に黄泉に沈め
瓦解の棺!
おれの想像を具現化するべく体内に溜め込んだ残りの霊力が解放される。
圧縮した霊力を使い稜地が、葵帷さんがおれの意図を酌み
形にするための力ある言葉を教えてくれる。
脈動する大地に足着く目標を氷の霧で視界を塞ぎ捕え身動きを取れなくし
その目標の周囲を囲うように隆起させた地面を軸にして氷の監獄に閉じ込める。
その監獄に囚われた者は霊力を檻の維持に吸い取られ一切の抵抗は出来ない。
物理的な強度は大晶霊二人がかりと言う時点で推して知るべし。
そんな術だ。
想像した全ての効果をもたらすのならば
牢屋はその後氷の霧の収束により出来た棺へとその姿を変える。
氷で出来た棺は地面からの振動により細かく砕け散り
内に捕えた敵を無抵抗のまま倒す。
そんなことをしてはジューダスが死んでしまうので今回は閉じ込めて終わり。
おれに勝ちの白星が描かれたら氷と土とで出来た牢獄を解除するつもりだ。
氷の霧は辺りに立ち込めたままなので
術者であるおれ以外は身動きを取る事は出来ない。
……はず。
ジューダスがいくら強力な術者であろうと
氷点下200度以下になっている空間内で動くことは出来ない。
火の精霊術を使って居るそぶりも召喚した様子もない。
紅耀は戦いの行く末をおれの中で大人しく見守っているし。
まず、間違いなくジューダスは土と氷の檻に囚われ身動きが取れない。
……はず。
一度に使える霊力を増やした事。
同時に使える属性を増やした事。
霊力を緻密かつ繊細に扱えるようにした事。
この約十日間での訓練の成果と今のおれが頼れる仲間の力。
その全てを生かした術だ。
これでも駄目ならもうどうにもならん。
反動により上がった息を細かく呼吸し整える。
氷の棺を中心としてそこから離れている場所から少しずつ霧を晴らす。
晴らすと言っても油断は出来ないが。
何の行動を起こすそぶりも見せないのだから単純に考えれば
ジューダスは凍っているだけだ。
長時間凍らせてしまっては細胞が死んでしまう。
早く術を解除しなければいけない。
そう思うのだが……
この静寂が逆に不気味だ。
刹那。
稜地と葵帷さんの警告の声よりも先に本能が訴えた。
屈めと。
太陽光の輝きを受けてきらきら輝いていた氷霧が突如割れ
飛んできた斬撃は髪の束を切り裂きおれの後方へと抜ける。
鎌鼬のように鋭い切れ味を伴ったその衝撃波は数センチの髪の毛と共に
纏っていた霊力を切り飛ばす。
そのせいで均衡が崩れ遠くから召喚した葵帷さんが剥がされ神威が解除。
アガンジュ遺跡へと戻って行くのが分かった。
稜地との神威は解除されずに済んだが体制を立て直す前に追撃が来てしまう。
体制が崩れている今躱すことは不可能だ。
せめて致命傷を負わないように防御しなければ。
巨傀の腕を作り出し次の斬撃に備える。
斬られた霧の向こうから覗くのはありえない光景だ。
いや、斬撃が飛んできたのだからあり得ないと思う方がおかしい。
ただ、頭がそれを理解したくないためあり得ないとそう叫んでいる。
二つの属性を組み合わせた分強度に優れている牢獄は切り倒され
その下半分すらも存在していない。
衝撃により全て吹き飛ばされたのだろうか。
円を描くように残骸が散らばっていた。
よほどの自信があったのだろう。
稜地が息を飲むのが分かった。
その、更に向こう。
剣を横薙ぎに振りぬいた体制でジューダスが静止していた。
精霊術が使えないはずなのに固まることのなかった身体が、動かない。
寒さにより凍った訳ではない。
視線はおれの方ではなく自分の足元。
「……私の負けだな」
斬撃を放った瞬間に踏み込んだのだろう。
一歩前に出ていた右足を元にあった場所に戻し
刀を鞘に納め白い息を吐いて、あっさりとそう言った。
納得できない!
そう両手を上げて怒ってみても結果は覆らない。
おれが放った初手や二人の放つ剣気と
過度に放出された霊力によって方陣はその姿をかろうじて保っている程度。
セリエルがどれだけ修復しようとしても
途中からひび割れた部分から霊力は漏れだし
冷気が砂漠を凍らせおっさん連中が醜く抱き合う図が展開されたそうだ。
おそろしや。
その時点で勝負は引き分けのはずだったのだが
中の状況が判らない事には勝敗の宣言すら出来ない。
どうしたものかと迷っているうちにとどめの一撃が飛んできて方陣は瓦解。
今度は何事かと思いながら霧が晴れるのを待っていたら
ジューダスが敗北宣言をしたと、そういう訳だ。
おれからしてみればジューダスが自滅しただけの
この勝敗の付け方は納得いかない。
しかしそれを考慮に入れた上でのハンデだから納得する他ない
と長連中にたしなめられた。
忙しい葵帷さん無理矢理呼びつけてまで勝とうとしたのに。
誰の目から見ても文句なしの勝利を得たかったのに。
ぶ~っ!
頬を膨らませあからさまにいじけているおれを見て
ジューダスは盛大に溜息をついている。
……口元に充ててる布がふわふわと揺れてちょっと面白い。
≪勝ちは勝ちでしょ~
あの人に剣抜かせた時点で凄いんだしそこは素直に喜んでおこ~よ〜≫
≪ま、善処したし?
本契約結んであげても良いし?
それで機嫌なおしておきなよ≫
まじで!?
現金な奴、と言われてもこの際良いや。
紅耀と契約を結べば雷の大晶霊が居ない今
これで三分の一の大晶霊と契約出来た事になる。
半年経たずに三柱と契約出来るとなれば良い感じじゃない??
あと一年かければ全員と契約する事も可能かも!?
なんて握りこぶし作っている間に紅耀は左手と口に軽い口づけをして
さっさと中に戻ってしまった。
……何の感慨もない上に何の許可もなく口吸いしやがったな。
人差し指に輝く紅い宝石を見下ろしながら一人ごちる。
せいぜい父さんと母さんからおでこや頬にされた事がある程度なのに
どんどん人以外の存在から口づけされる回数と人数が増えていっている。
おれの人生それで良いのか!?
と頭を抱えたくなるが、まぁ。
見た目綺麗な人達ばかりだから役得と思っておこう!
そうじゃないと空しくなるからな。
しくしく。
リヤド共和国の主要都市サウィーヤの第一印象は白!である。
日干し煉瓦で作られた街並みが中心地に行けば広がるそうだが
その周囲を大きく囲む商業街も一般居住区も
布が天井に張られただけの家の機能を果たしているのか疑問に思う
かなり簡素な作りのものでしかなくまるでメネスの貧民街のようだ。
バルナ共和国はゴンドワナ大陸一の国家だと知識では分かっていたが
そう思わせるに至る光景が目に付かなかったので
いまいち信用していなかったのだが……なるほど納得せざるを得ない。
おれの常識の中ではメネスも大概酷い惨状だったが
他の国は更に酷いと言うだけの話なのだ。
リヤド国内の都市でこれなのだから
他の小さな町となるとどれほどの生活水準になるのだろうか。
毎日を生きていくのに精一杯で
国王がすげ変わったとか魔族に支配されていたとか
自分に直接関係のある身近に感じる事柄じゃない限り興味もなかったのだろう。
反旗を翻そうと思う余力がなかったのも頷けるし
金品の提示程度で難民受入がされたのも
この布の面積が広がるだけと考えればさして問題視するような事はないのだろうな。
明日をも知れぬ身である小市民には
自分たちの生活が改善されないのであれば
飢えから逃れられないのならば国を治める者が誰であろうと
無意味だし無関係だという事何だろう。
そして直接被害が出ないのならどうぞご自由にって感じか。
そこは難民側のバルナ国民の皆様には不自由な思いをさせてしまうが
今回連れ戻った長達の指示に従って諍いを起こさないよう
バルナが再び住める土地になるまで辛抱して貰いたい。
「え!?
ジューダスここで別れるの!!?」
明確な国境も都市の境界線もないので
入国手続きに相当するものを冒険者ギルドでしなければならない。
そう説明され街をきょろきょろ見回していたおれに
苦笑しながらイシャンがこの後すべきことを説明していた時だ。
出入りする者こそいないが街の入り口でたむろしているのも外聞が良くないと
移動を促されたと同時に発せられたのがジューダスからの
別れを告げる言葉だった。
街に着いた時点で護衛の必要が無くなった事
護衛の任務完了の手続きは依頼を受けたおれがすべきことであり
単なる善意の同行者であるジューダスは無関係である事。
そう説明された。
って突然言われても……
納得できない手合せの再戦もしたかったし
稽古だって全然つけて貰っていないのに。
おれの心中をよそに道中の護衛の礼やおれとの手合せの賞賛を
口々に述べ別れの言葉を告げる面々。
最後にイシャンも謝辞を述べ握手を交わす。
セリエルはその様子をおれの隣て仁王立ちで見ている。
彼女は父さんからの命令でおれに同行しているから
諸々の手続きが必要だしこの後も一緒に行動するのか?
理不尽を強いて来た時に彼女よりも強い立場の者が居てくれないと
虐げられるだけになってしまうから正直そういう意味でも
ジューダスと別れるのは痛恨の極みなんだけど。
イシャンとジューダスの別れが終わると同時に
そのセリエルがずずいと一歩前に出る。
「例のモノは如何様にしますか?」
「……お前が渡してお「ご自身でお渡しください」
自分から質問したくせにその返答をしたジューダスの言葉を遮り
有無を言わせぬ主張をするセリエル。
つおい。
父さんも愛娘にはめっぽう弱いし今の様子からしてジューダスもそのようだ。
もしかしてセリエルが世界最強だったりする??
阿呆な事を考えているとジューダスがこちらに近づいてくる。
おれに、ではなくセリエルの元に。
彼女から受け取った何かを一目見た後
イシャンにそれを投げつける。
綺麗に放物線を描いたそれは彼の両掌に収められた。
「やる」
「『やる』って……コレラシャナの棺に入れた金貨じゃないですか!?
何考えてんですか!!?」
倉庫での一件以来イシャンは明け透けな態度でジューダスに接している。
男同士は拳と拳で語り合うと心の距離が縮まると言うし
一方的ではあるだろうがイシャンが殴る事によって仲良くなったのだろうか。
イシャンが持っていた英金貨は
ラシャナの棺に入れた物以外はおれが持っている。
そして英金貨は大量に出回っている物ではないし
まず間違いなくジューダスが放り投げたのは本来メネスの土に還っているはずの
イシャンが所持していた英金貨だろう。
棺に納めてあったものを回収するって罰当たりな…
そう思ったのだが
イシャンが文句を言いながら掲げているものは何か、雰囲気が違う。
近づいてよくよく見ると輝石のようなものが金貨を覆っている。
これが融けた骨とかだといやんな気持ちになるけど……
うん、やっぱり輝石だ。
それも純度の高い透明な輝石。
「なに?これ??」
「核だ」
「角田??」
「ちっ。
イシャンとやら。
その金貨に霊力を込めなさい!」
ジューダスが単語しか言わないせいで噛み合わない会話に
セリエルが苛立ったように舌打ちしながらイシャンに命令する。
しかし、今現在イシャンは物心ついてから魔力ばかり使っていた上
その魔力も今回の騒動で消え失せたために体内に力が全然ない。
なけなしに残っている霊力を込めるとなるとかなりの集中力を必要とする。
落ち着いた所に移動してからじゃないと無理だろう。
「今それをされても困る。
まずは別れを済ませる。
その後はセリエル。
お前に任せる」
「……任されました」
何か段取りがあるようで金貨に霊力を込めるのは後回しになった。
霊力を込めた結果をジューダスの前で披露してはいけないのだろうか。
渋い顔をしながら頷くセリエルから離れ一歩こちらへ歩み寄り
顔を隠す帽子を少し後ろへ引き目をのぞかせる。
別れの挨拶位は目を合わせてしましょうって事か。
「お歴々。
短い間だが世話になった。
私はここで失礼させて頂く」
丁寧に一人一人と目を合わせながら別れの言葉を言い、直後。
≪──私の事は忘れろ≫
鼓膜を震わせるのとは違う声を響かせると同時に踵を返し颯爽と立ち去った。
最後の言葉、なんだったんだろう??
「来るのも突然なら去るのも突然だな」
「?
何のことだ?」
頭を掻きながらイシャンに同意を求めると
なんのことだかさっぱりわかりません
と言わんばかりの間抜け面で首を傾げている。
「だ~か~ら!
ジューダスだよ、ジューダス!!
せめて一泊して長旅ご苦労様でした~って言って
謝恩会の一つでも開いても良かったじゃん?」
「長旅ねぎらい合うのは大事だもんな。
確かにやっと一段落ついて落ち着ける訳だし。」
「だろ?
だいたいジューダスは……」
唇を尖らせ本人が居ないのを良い事に今までの文句全部吐いてやろう!
そう思って罵詈雑言の発射準備完了!!
と心に決めた瞬間
「ところで、そのジューダスって誰だ?」
イシャンの言葉に凍りついた。