61
大きく、燃える炎を見ていた。
その場に響くのは鎮魂歌と軽やかな鈴の音だ。
ただただ単調に課せられた作業をする。
そんな何日も続いた日々も今日で終わる。
魔薬の栽培地を発見しては燃やし
製造工場を見つけては燃やし
保管倉庫を見つけては燃やし
イシャンとラシャナが走り回って住民を避難誘導してくれたお蔭で
燃やした煙を吸って体調不良を起こすような二次被害が出る事もなく
見つけた魔薬は全て処分する事が出来た。
そしてそれが終わると顔の広い街や商会の長だけ避難場所から呼び戻し
王宮の広間に集められていた遺体の出来る分だけでも身元の照合をし
人数を数え犠牲者の把握に努めた。
おれはそこでは全く役に立たず全てジューダスがしてくれた。
惨状を見た時の反応から向き合うのは無理だと判断され
最初から戦力外通告をされたのだ。
積み重なっていた人たちを浮かせ広間に並べ
これ以上遺体が痛まないようにと氷まで用意してくれたそうだ。
生きている人間には厳しいくせになかなかの気遣い屋である。
全員の身元の照合が終わったのは作業を開始してから丸三日後。
ジューダスがどこから調達して来たのか
用意した大量の聖水で指示されたように描いた方陣と
火の大晶霊も手伝い浄化の炎を呼び出す。
魔族により犠牲になった人達が身分や性別年齢関係なく等しくそこに包まれた。
放って置けば疫病や不死者の怪物になる危険性がある。
遺族を呼び戻している時間の余裕はなかったため
代表として身元の照合をしてくれた各長だけが立ち会った。
力なく壁によりかかりその様子を遠く離れた場所からイシャンが見ていた。
虚ろで無気力な瞳で。
……──ラシャナと、二人の赤ん坊もあの炎の中にいる。
おれたちは、間に合わなかった。
四肢は冷たくなりかけており既に魂も離れていた。
悪足掻きとは分かっていたがそれでも一縷の望みをかけて蘇生の術を施した。
だが、駄目だった。
「任せろと言ったのに。」
そう責めても良いのにイシャンは逆に術をかけるおれを止めた。
湯灌をしたいからとその場を離れようとした彼を『彼女のそばにいてやれ』と引き留め
病院を漁って道具を用意し逆さ水を用意した。
湯灌を手伝う訳にもいかないからとイシャンがラシャナの身体を清めている間に
彼女が寝ていた寝床の処理をしながら何が原因だったのか考える。
寝具は大量の血を吸っていた。
出血多量によるものか。
前期破水により感染症に罹ったのか。
手足からぬくもりは失われ始めていたが
死んでから何時間も経過はしていないようだった。
イシャンがおれたちを呼びに離れた直後に亡くなったのだろうか。
……何を考えても、もう、遅い。
赤ん坊は生まれてくることなく死んだ。
外科的な処置をすれば外へ出すことも可能だと進言したのだが
イシャンはラシャナの身体に傷を残すことを好とせず
お腹が膨らんだ状態で荼毘に付す事となった。
あれだけ溢れんばかりにまとって居た霊力も
死んだためか一切感じられなくなっていた。
死後暫くは霊力をまとって居るものだが
既に魂がないせいなのだろうか。
ラシャナも赤ん坊も違和感を覚える程に一切の霊力を持っていなかった。
今でこそ周囲に瘴気を感じないが二人が亡くなった時どうだったか解らない。
もしかしたら瘴気の中和に使われてしまったのかもしれない。
そう思うとやるせない。
イシャンは、泣かなかった。
黙々とラシャナの身体を清め死化粧をほどこし
おれに商会本部から持って来るように指定した白い服を着せた。
死に装束と言うよりは婚姻衣装のようなそれを。
広間に集められていた遺体の中にラシャナと親交のあった人も居た事も有り
全て一気に終わらせようと棺に冰華をしきつめ今日まで安置させた。
どうせお別れをしなければならないなら手間を増やすのは忍びないからと言って。
そんなの、手間でも何でもない。
言おうと思ったが辞めた。
事後処理で忙しい時に自分の妻子だけ抜け駆けして特別扱いするのは体裁的に良くない。
そう言う考えもあるだろうと思ったの以上に
お別れをし自分の気持ちと向き合う時間が必要だと思ったからだ。
万が一後追いでもしてしまったらいけないからとイシャンの行動を監視する。しかし覇気こそないが
現在のアハマド商会代表としてするべき事以上の事を淡々とこなしていた。
忙しければ直面しなければならない現実から逃れられると言わんばかりの勢いで。
日中は忙しなく働き夜になればラシャナの棺の元へと向かう。
そんな毎日を繰り返す。
彼はラシャナと二人きりの状況になっても一切泣かなかった。
神経が張りつめているせいで監視を気取られてしまい泣けないのかと思ったが
触れる訳でもなく語りかけるだけでもなく
ただただ呆然と同じ部屋にいるだけ。
何を想っているのかおれには分からなかった。
そして今日。
多数の犠牲者と共にラシャナ達の火葬が行われた。
他の人達全員に死化粧を施すことは出来なかったので
ラシャナ一人だけ綺麗な状態になっているが
それに不平を言う人は誰もいない。
同席しているのはおれ、ジューダス。
あとはイシャンとも顔なじみの長たちだけだ。
送られる人たちの人数と比べると随分少ない。
街に残っていた人達は既に別の都市を経て隣国へと続々避難している。
今この都市に残っているのはここにいる人だけだ。
父さん達村の人間は後処理を継続して行っている。
大陸全体の瘴気は一時的に消えて居るが
霊力の循環機能が弱まり瘴気や魔力が溜まりやすくなっている事には変わりない。
状況によっては大陸ごと放棄しなくても良いそうだが
バルナ共和国は水も土地も汚染されてしまっており
人が住めるような土地ではなくなっている。
難民の受け入れ態勢が整っている国へ避難させることは必至だ。
日常を突然奪われた摩擦による衝突が起きない為にも
村の人たちがしなければならない事は多い。
各国の王位は魔族によって空席になっている。
せっかく魔族の支配から解放されたのに
王位争奪戦や内乱によって無駄死にする人が出ない為にも
落としどころを見つけなければいけない。
こういう時父さんの名声が非常に役に立つ。
父さん達も猫の手を借りたいだろうに
それでもメネスの事後処理で人手が足りないのは事実だからと
一人で何人分も働いてくれるジューダスを置いて行ってくれたのは有難い。
ただ単に外交に向かない見た目だから
と言う理由もあるかもしれないが。
父さんに葬送の目途が立ったことを報告した際立ち会いたいと言ってくれたが
まだやらなければならないことが山積みである事と
村から出られる時間の制限があるという事で
死者よりも生者を優先する運びとなった。
どれだけイシャンとラシャナの二人が仲睦まじかったのか知っている人たちは
本当に皆と同じで良いのか彼を気にかけていた。
ゴンドワナでは遺骨を納めるような風習は無い。
しかし火葬した後の遺灰や遺石を取っておく人もいる。
一気に火葬したらそれらを手元に残して置くことも出来ない。
代表達も暇ではないはずだが
時間は取れるし希望すれば別枠で葬儀を執り行う事も可能だと
後悔しないようにと最後まで説得をしていたが
天涯孤独の身だった彼女を想うと賑やかな方が良い
と言ってイシャンは頑なに断っていた。
殆ど寝ていないのか憔悴している彼の顔を見て
深くは聞かず開始の合図を出すのを請け負おうとしたのは街長だ。
自分の最愛の妻を燃やす
その指示を出させるのは酷だと思ったのだろう。
しかしイシャンはむしろ自分で言いたいと進言し
目を閉じ
深く深呼吸をし
再び開いた瞳でおれとジューダスを真っ直ぐ見て
「宜しく、お願いします。」
そう言って頭を下げた。
巨大な方陣を挟んで向かい合いおれとジューダス二人で霊力を注いでいく。
死化粧までは出来なかったが
何も映さず虚ろに開かれた瞳は閉じられ
無残に扱われていた身体には
この地で信仰が深い火の精霊を表す貴色である緋色の布がかけられていた。
勿論これにも聖水を染み込ませてある。
これ以上、万が一にでも死者を冒涜するような事が起きないように。
方陣の軌跡をなぞり霊力がこもった場所から徐々に光の線が走る。
大きい上に複雑な術式が描かれているせいですぐには火が燈らない。
聖水で引いた線の全てが光がついた後一拍置き一気に炎が上がった。
遺骨を残さないようにする為かなり高温にしなければならない。
胸の奥につっかえるものがあるが
ジューダスに負けないようにと必死で霊力を注いでいく。
浄化の炎からは不思議と熱さを感じない。
燃えているはずの遺体から臭いも感じない。
お蔭で霊力を注ぐのに集中できた。
死者を悼む歌を長たちが歌いだす。
淡々と。
寧々と。
その歌に誘われるように火の大晶霊が方陣へ近づき剣舞を行う。
それは祝福となり浄化の炎はより一層勢いを増す。
魂が存在していればその舞に呼応し火の大晶霊が放つ清浄な霊力と共に
輪廻へ還って逝ったのだろう。
しかしそこにあるのはただ燃える屍のみ。
手を離し霊力を注ぐことを辞めてもなお昇り続け消えることの無い炎を見て
やるせない気持ちだけが心を占める。
火の大晶霊が足に付けている鈴の音がやけに悲しく響いていた。
炎が消え黙禱を皆で捧げた後も日が暮れた後も
イシャンはそこから離れようとしなかった。
次の日。
代表達と共にミスル・マスルを経由して残っている人たちを回収し
リヤド共和国へと向かう日が決まった。
おれとジューダスは護衛をかねてそこに同行する。
イシャンにもそのことを伝えなければならないからと彼の姿を探すが、居ない。
就寝前と寝起き直後に様子を見に来た時はまだいたのに
いつの間に離れたのか方陣があった場所に彼の姿はなかった。
首を傾げ慣れてきた索敵……ではない捜索をする。
ろくに食事も睡眠も摂っていない上に
霊力の代わりに内包されていた魔力が全て浄化されてしまっていて
イシャンの気配は異様に薄くなっている。
探せるだろうか?
不安に思いながら集中力を高めるとアハマド商会の本部に居る事が分かった。
近いうちに移動しなければならないことは伝えてあったし
荷物をまとめているのだろうか。
商会本部には嫌な思い出しかないのであまり近づきたくないが仕方ない。
皆休みなく動いており一番手が空いているのはおれだ。
重い足を引きずり向かった。
日の高い時間帯に見る商会本部はそれはもう凄い立派な建物で
アハマド商会がどれだけの規模で事業を行っているのか
疎いおれでもすぐに察する事が出来た。
確かにこれはアハマド商会が潰れたらゴンドワナ大陸全体に影響が出るわ。
下手をしたらジャーティ共和国の領主よりも茫洋な家を持っていそうだと
慄きながら鍵のかかっていない扉を開ける。
誰も聞いていない事は分かっていてもつい
「おじゃましま~す」
と小声で恐る恐る中へと入った。
小市民にこの規模の建物に堂々と立ち入れと言うのが無理な要求だ。
前は転移で直接中に入った上に未明で暗かったし
ラシャナの死装束を取りに来た時もものぐさって転移でぱっと移動したため
ろくに散策していないのでので判らなかったが
外観から想定していた以上に滅茶苦茶広い。
特に廊下が広く作られている。
王宮並、下手したらそれ以上だ。
幹部であるイシャンの部屋ですら目を見張るほど大きかった訳ではないのに
何故こんなに建物が大きいのだろうかと疑問に思ったのだが
商品の搬入出をする時に都合が良いようにと設計されたのだろう。
よく作られている。
魔族の囁きに魅入られなければ
大成して羨まれるような人生を歩むことも出来ただろうに。
それでも、アハマドの幸せと言うのは
出世したり不自由ない暮らしをすることではなく
飽きの来ない刺激的な日々を送る事だったのだから
最期こそどのようなものだったのかジューダスからは聞いていないが
ある意味本望だったのだろう。
国や家族を巻き込み不幸を沢山作った上での幸せを享受できるその神経は
どうやっても共感できないが。
開きっぱなしの扉から室内を覗きこむ。
イシャン自身の部屋にいるのかと思ったのだが
開かれていた扉の向こうはラシャナの部屋だ。
一段落してやっと泣けているのだとしたらそっとしておいた方が良いだろう。
そう思ったのだが寝具に上半身だけ大の字に放りだしてぼーっとしていた。
こんこん、と軽く扉を叩いて声をかけた。
しかしイシャンの反応はない。
聞こえていないことはないはずだがと首を傾げながら部屋へ立ち入ると
かすかにだがラシャナのまとって居た甘い香りが鼻腔をくすぐる。
……随分、薄くなったな。
部屋の持ち主が不在になって数か月。
その上扉を開けっぱなしにしていたら
そりゃあいくら部屋中の物に匂いが染みついていたとしても薄れるだろう。
「これ、月花香って花の香水の香りなんだ。」
前触れもなく丁度頭に思い浮かべていたことに対して応えるように
突然語りだしてちょっと驚いた。
何の反応もないから目を開けたまま寝てるとか気絶してるとか
そういう事態も有り得ると思ったのに。
違った。
「アメイジア大陸の方にあるシウって名前の国の特産物でさ。
ラシャナのイメージにぴったりだったから買って贈ったんだ。
アハマド様と初めて別大陸に買付に行った先で初めて貰った給金全部使って。
俺、一目逢った時からラシャナにメロメロでさ。
花が好きって事は聞いてたし何とか気に入られたいって思って
大枚はたいて買ったのにそれ贈った時のラシャナ。
何て言ったと思う?」
「……口ぶりからして、イシャンの思っていたのとは違う言葉を言われたんでしょ。
文句とか」
「そうそう。
『コレは嫌味?』
『あなたどこまで知っているの?』
って言われたんだよ。
ラシャナが花を好きなのは知ってたんだけど
贈る花に意味があるって当時は知らなくてさ。
単純に似合っていると思ったから買ったのに喜んで貰えなくて
超凹んだ。」
「何を知っているのかって聞かれたのか分からなくて
ラシャナの過去をそこから調べるようになって姉弟って事実知って。
でも止められなくて。」
「ラシャナも最初拒否していたのにどんどん壁がなくなるっていうのかな…
受け入れてくれるようになって。」
「子供さえ出来なきゃ良いって調子乗って
乗りゃできるのは当然なのに楽観視してて。」
「でも、本当に嬉しくてさ。
親として、主人として
アハマド様に何て言われるのか想像も出来ないまま報告行ったら
条件付きだとしてもOKだされんじゃん?
ガッツポーズしてよっしゃやるぞー!
……って、マジで今まで生きて来た中で一番力入れてやったのに
なんか、色々罠しかけられてるし。
殺そうとしてくるし。
……ラシャナも、赤ちゃんも…………死んじゃうし。」
途切れ途切れに思い出話や今までの経緯を
笑い混じりに身振り手振りを交えて喋っていたのに
突然脱力したように再び寝具の上に大の字になった。
「実感、ないんだ。
待ってろって言って病院から飛び出す時ラシャナは『待ってる』って
笑って言ってて。
戻って来たときラシャナは寝てるみたいに穏やかな顔してたし。
気配も匂いも、変わらずあって。
姿だけが見えない状態で。
……なのに、いないんだよ…
おかしい…よな……」
現実を受け入れられないらしく呆然と力なく言葉を繋げていく。
何て声をかけたら良いのか、分からない。
死は、身近なものだ。
死ぬのは怖いし死んでも良いと思って生きて居る訳じゃない。
でも、それでも死ぬという事は常に身近に感じている。
単身で旅をしていれば人間にも野獣にも襲われやすくなるし
下手こけば食料が調達できずに飢えて死ぬ。
だから毒を持たない食べられる野草の知識は必須だ。
おれは水の精霊術が使えるから飲み水には困らないが
術を使えない人達は水の確保も考えなければならない。
熟睡出来る機会が少ないから心身ともに疲れが溜まるし
そうなると病気に罹るリスクも高くなる。
安寧を求めるなら定住場所を決めてそこで家庭を持つべきだ。
実際、死を間近に感じて冒険を辞めた人は結構いる。
住民権を買える程の蓄えが無くて泣く泣く冒険場を続ける人も居るけど。
それはさておき。
冒険者と比較した時安全だからと定住したからと言って
死から逃れられる訳じゃない。
こんな世の中だ。
老衰で亡くなる事の出来る人の方が少ないだろう。
強盗や奴隷狩りに襲われたり
戦渦に巻き込まれたり不作で飢えたり。
……出産の際に命を落とすことだって決して珍しい事じゃない。
それでも、なんでその不幸に見舞われるのが自分なのかと
声を大にして世の中の理不尽を嘆きたくなることもあるだろう。
特にイシャンはあともう一歩の所で望んでいた幸せを手に入れられるはずだった。
全ての幸せが風にさらわれた砂のように掌から流れ落ち消えてしまったのだ。
愛した女性も、その間に生まれてくるはずだった子供も。
親も約束されていた地位も何もかもが。
現実を受け入れられなくても、仕方がない。
よくあることさ、なんて気軽に言えないし
大変だな、なんて当事者でもないおれが言える台詞じゃない。
そう、思うと慰めの言葉の一つすら出てこない。
「……大丈夫、だなんて言えないけどさ。
死なないよ。
死ねないさ。
親の不祥事の後始末しなきゃとかそういう意味もあるけど。
ラシャナが、拾ってくれた命だから。」
けだるそうに持ち上げた左手の甲には
あったはずの魔族による呪紋が消えて居た。
呪いをかけた魔族が死んでも尚その文様は消えなかったそうだ。
父さんにいつの間に聞いたのか
魔族が倒れた時間とイシャンの手から文様が消えた時間帯に
かなりの齟齬が生じるそうだ。
おれは確認していないのだが
ラシャナの遺体の左手には本来イシャンの手にあるべき文様が浮かんでいた。
制約は多いが呪いを別の人物に移すことは出来る。
死期を悟りラシャナはイシャンの分まで呪いの肩代わりをしたのだろう。
待っている、と優しい嘘で見送って。
独りで死ぬのは怖かったに違いない。
嘘を吐いた後ろめたさもあっただろう。
もう少しで手に入った幸せの全てが自分の死が原因で無くなっていくことを
どれほど悔やんだ事だろう。
依存するまでに愛情を自分へ向けるイシャンが
自分が居なくなることで生き地獄を味合わなければならないか想像に難くない。
それでも、イシャンを生かすことを選んだ。
イシャンが生きてくれることを願った。
「酷ぇなぁって思わなくはないんだ。
ラシャナなしじゃ生きていけないって数えきれないくらいに伝えてたのに
それでもこんな状況になったら生きていくしかないじゃん。
『出会う前に戻っただけ』なんて割り切れないし。
何をするにしても思い出しちまうからな……
いっそアハマド様みたいに魔族にでもなって
理不尽なこの世界ぶっ壊してやりてぇ!
って考えも少しはしたけど。
そうしたらラシャナたちがいるはずの輪廻へは至れないし。
もう、生きるしかないんだよ。
どれだけ辛くっても。
どれだけ苦しくっても。」
上体を起こし寝具に座る形に姿勢を変えたイシャンは
かなり無理をして作ったのであろう酷く歪んだ
それでも笑みを浮かべた表情で
「ありがとうな、レイシス。」
そう、お礼を言った。
……おれは、結局何も出来ていない。
していない。
約束したラシャナも赤ん坊も守れず
今回の騒動の原因である魔族は父さんとジューダスが倒した。
事後処理だって手伝いをちょこっとしただけで
他は忙しなく動いている人達の邪魔にならないようにしてただけだ。
お礼を言われるようなことは何一つ出来ていない。
イシャンはおれの心境を酌んだのか
俯いて黙り込んでしまったおれを優しく抱き寄せる。
「本来なら俺もラシャナももっと早くにくたばっていた。
魔薬の酒で捕えられて商隊全員もれなく拷問受けて
路地に打ち捨てられてたかもしれない。
カガミに襲われて誰にも気づかれないまま砂漠に消えていたかもしれない。
呪いに喰われて
いっそ殺してくれ!って言いたくなるような死に方をしていたかもしれない。
行きずりの幼い一人の冒険者が解決するには大きすぎる問題だ。
それをお前は自分に出来る事をって奔走してくれたじゃないか。
そもそもガラルで自分たちの保身に走ってろくな説明もしないままお前を巻き込んで
負わなくていい傷を負わせた。
もっと俺がうまく立ち回れれば良かったのに。
……すまない。
お前はもっと俺を恨んでもいいのにそれをしない。
優しい、奴だ。
自分の弟との子供を妊娠したラシャナはその罪の重さを誰にも相談できなくて
不安のせいか心から喜ぶことが出来なくて
どんな子供が生まれるのか
どんな子供に育って欲しいか
口にするようになったのはお前と逢ってからだ。
心から生まれてくることを望んだのは
お前と逢ったからなんだ。
クルクル表情の変わる裏表のない
今まで会った誰よりも強いくせに驕ることなく周囲に気を使ってくれる
優しい空気をまとっているお前のおかげだよ。」
俯いたままのおれの顔を覗き込み頭をなでながらイシャンは続ける。
「もし、レイシス。
お前が気にしなくてもいい俺たちに関するアレコレを気負ってしまうなら
一つお願いをしていいか?」
「……なに?」
「お前は大晶霊様と契約をして三英雄たちがやったように
世界を救う使命を持っているって言ってたよな?
俺は使命云々関係なく、世界に危険が迫っているなら
お前が持ってるその力で世界を救って欲しいと願う。
ラシャナが生きた世界をあんな魔族たちに壊されたくない。
俺たちみたいな不幸なヤツを増やしちゃいけない。
魔族の蹂躙は理不尽そのものだ。
リネアリスの村人もゴンドワナ大陸の住民も
皆来世へ魂を繋ぐっていう自然の摂理から外されてしまった。
希望も何もない。
自分の命を世界を壊すために使われる上その先にあるのは完全な無だ。
そんな人を増やしたくない。
……でも、俺にはなんの力もない。
だから、ワガママを許されるなら俺の気持ちを託したい。」
言って硬貨を数枚おれの手へと押し付けた。
それは回収した英金貨だった。
この部屋に間違って転移して慌ててイシャンの部屋へと急いだあの時から
そんな日数は経っていないのに随分前の事のように思える。
あの時はまだラシャナも生きていた。
……こんな辛い未来が待ってるなんて思いもしなかった。
自然と視界が滲んできてしまう。
「一枚はラシャナの棺に入れたから勘弁な。
戦闘のサポートは出来ないけど
約束通り商会をもっと大きくして金銭的なのと道具的なのと、あとは宿か。
お前の旅を応援させてくれ。」
言ってぐしゃぐしゃと無遠慮に髪を掻きまわす。
振られた頭がくらくらした。
おれのおかげだ、感謝しろ!
なんて傲慢な事は言えないしイシャンの言葉を聞いてもまだ
おれに何か出来たとは思えない。
おれは、無力だ。
無力だった。
そのおれを応援してくれる人がいるのなら……力強い。
打ちのめされてる暇があったら頑張ろう。
そう思う。
打ちのめされて世を儚んでもおかしくない奴が
前を向いて生きようとしているのだ。
その理由におれを支える事を挙げてくれた。
その心に報いたい。
イシャンの歪な微笑みに釣られて苦笑するおれをまじまじと見ながら
彼は『ところで』と前置きをし
「お前ってそんなにデカかったか?」
「いまっさらだな、おい!」
余りに今更な指摘に涙も引っ込んだ。