60
”大地の記憶”と魔族や精霊が読んでいる宝玉がある。
この世界に刻まれた歴史そのものを見ることが出来る代物だ。
嘘や誤魔化しの一切利かない事実のみが映し出される記録媒体。
世間一般には知られていない、それ。
魔族に示され見た時は
その魔族がおれに見せたかった歴史だけが抜粋されていた。
だからおれも世界の中心に霊力を流す時に感じとった”大地の記憶”を読み取った時
望む部分だけ見る事が出来るのだと思って軽率に手を伸ばしたのだ。
だがそれは失敗に終わった。
ジューダスによって現実に戻されたから。
それもある。
それ以上に”大地の記憶”を手にした瞬間に流れ込んできた膨大な歴史の数々に翻弄され
自分が得たい情報を想像し損ねたと言うのが一番の原因だと思う。
使い方の説明をして貰っていれば結果は違っただろうに。
悔やまれる。
おれが得たのは霊力を流していた時に考えていた”大晶霊”に関する事。
どうしても耳から離れなかった魔王(?)に告げられた”メイヤ”と言う人物に関する事。
そこから派生してジューダスが固執しているように見えた”魔王”に関する事。
それらの情報を主に断片的にではあるが無理矢理頭に突っ込まれた。
意識して大晶霊がどこにいるのか探して居た事も有り
意図せず他の大晶霊がどこにいるのか具体的に知ることが出来た。
妨害されて上手く居場所を探知できなかった時の大晶霊たちも含め。
そこから派生して大晶霊に関するあれこれと
おれが記憶を失うに至った経緯が少しだけ判明した。
雷の大晶霊は現在存在していないそうだ。
そして雷の大晶霊が失われるに至った経緯に
記憶を無くす前のおれが関わっているようだよ。
全く覚えていないし思い出せもしないのでいまいちピンとこないが。
なにをやっているんだ、おれは。
って言っても大晶霊は消滅する事はない。
力が失われ今は眠っているような状態らしい。
魔族は消滅するのに同じ半精神体の存在である大晶霊は死なないんだな。
あ、精霊は力が失われると輪廻へ至るそうだけど。
転生するからやはり消滅ではない。
そこが神様側にいるか否かの差になるのかな。
魔王(?)がおれに告げた名前である”メイヤ”は
古代の魔王”メイヤー”と同一人物のようだ。
なにせ何千年も前の話だ。
名前が多少違って伝えられているのも仕方ないだろう。
長音符一つなら大差ないしな。
トールと言われている英雄の一人も実はテツと言う名前だそうだし。
歴史的な新事実!
と言いたい所だが証拠がないので発表した所で眉唾だと失笑されて終わるだろう。
んで。
厳密に言えば性別が男ではないのでこう言って良いのか微妙だが
魔王御子息であると”大地の記憶”から情報をもたらされてしまったおれが
どの魔王の子供なのかと考えた時
魔王(?)ではなく古代魔王がおれの親にあたると判断して良いだろう。
その部分の知識は残念ながらおれの中に入ってこなかったので断言は出来ないが。
髪色が伝わっている青銀で同じだし。
何より火の大晶霊がメイヤと似ていると言っていたし。
魔王(?)もおれの顔を見てメイヤと言ってたし。
余程おれは古代魔王と似ているのだろうね。
しかしそうなると、おれは一体何歳なのだろう。
自分の意識としては十年ちょっとしか生きていないというのに
実際は一万歳、とかなったら父さんよりも年上になってしまう。
年下の父親とは笑えない。
古代魔王は人間なのかエルフなのか魔族なのか。
これも疑問に思う所だな。
頭良くないんだから断片的な情報を突っ込むくらいなら
各項目全部丸っとくれれば良いのに。
そうすればこうやって悩む必要もないのにさ。
……その際は脳みそが情報の処理を仕切れなくてはじけ飛びそうだけど。
こあい、こあい。
おれがエルフの血を引いていると言っても
純血なのかたんなる混じり物程度なのか不明だし。
古代魔王じゃない方の親がエルフなら魔王が人間の可能性だって捨てきれない。
いや、元人間だった可能性、だな。
半精神体の存在は子を成さない。
肉体を持つ生命体とは違うし
不死及びかなり長寿であるので子孫を残す意味がないからだ。
しかし神々に与えられた力を持っていたとされる古代英雄と戦ったことから
かなり強い力を持っていたと想像出来る。
魔族である可能性を捨てきれない。
なのでおれが生まれた時は少なくとも人間かエルフだった。
その後魔族になって英雄たちと戦った。
この説を推したい。
推したい、が。
そうなるとおれって本気で何万歳?????
あと魔王(?)に関してだが
フート達魔族が王と仰ぎ忠誠を誓っている存在で間違いないようだ。
ジューダスが言っていたように古代魔王とは別個の存在。
属性を持って居る訳ではなく
純粋に万物を破壊する力を持っているそうだよ。
抵抗出来る力を持っていないと
その魔王がまとって居る破壊の力で全て消滅してしまう。
魔族に殺され喰われる時と同様に
その消滅に巻き込まれた魂は輪廻へ還ることすら出来ずに消えてしまう。
平等に、全てを無に還す力。
それが魔王が持っている唯一無二の能力。
目覚めてからさほど時間が経っていないので
覚醒した時の強さを100とするなら
今はせいぜい一割程度の力しか解放できていないようだ。
それであの重圧か。
そう考えると対峙するのが本気で嫌になるな。
本気の魔王と正面から向き合ったら
非力なおれなんか羽虫の如くぷちっと潰されそうだ。
アハマドの屋敷の惨状を考えると
ぷちっと潰される、ではなく
跡形もなく消されてしまう、と言う表現の方が合っているだろうけど。
……そっか。
あそこにいた人たちは皆
生まれ変わる事すら出来ないのか。
もたらされた情報だけでは
『あ、そうなんだ。
ふ~ん』
程度の感想だったが現実に起こった事象と合致した時酷く心が痛む。
おれの出自や過去の罪がどれだけ極悪非道なものだろうと
亡くなった人達を悼むこの気持ちは確かなものだ。
おれは、おれだ。
古代魔王の子供だろうと大晶霊様一柱殺した犯人だろうと
”おれ”は世界を救いたい。
父さんや村の皆
旅の道中で逢った人達が生きているこの世界を守りたい。
稜地達大晶霊が望むように霊力の溢れる平和な世の中にしたい。
世界の理を崩し魂すら破壊するような害悪な存在である魔族の脅威から救いたい。
何かしらの理由があるなら……
そう。
ヴォーロスの母親のように魔族に堕ちるに至った悲痛な理由が
それぞれあるのだとしたら。
消滅させるのは何か違う気がする。
しかし少なくともおれたちが居る世界とは相容れぬ存在なのだ。
父さん達三英雄が過去にやったように
この世界ではない別の所に隔離するのが良いだろう。
封印を過去の物よりも強固な物にして。
封印を破ってでもこの世界を滅ぼそうとしている魔族の思惑が知りたいな。
互いに勢力を削り合い仲間が死んでいくのを良しとしてでも
この世界に拘る理由があるのだろうか。
破滅を望むのが魔族だと言われているが
ただ滅亡する事だけを望むのなら
おれたちはそれを望んでいないのだし
どうぞ別の世界へ行って自分たちだけで消えてください
って感じだし。
生きたいと望む人たちを巻き込まないで頂きたい。
何にせよ未だに詰め込まれた知識が整理できず頭がふわふわしているし
アハマド含む魔族勢がどうなったのか解らないし
次にどうするべきかも考えなきゃいけないし
やる事は多いが落ち着ける所で休みたい。
そして情報整理がしたい。
今回のような事が頻繁に起こる可能性があるなら
父さんと密に連絡が取れるようにしておいた方が良いだろうし
自分の無力さを実感したのでジューダスに稽古付けて欲しいし
火の大晶霊は結局おれと契約してくれるのか否かも確認したいし
得た知識から父さん達に確認したい事も沢山あるんだよな。
おれの身体がもう一つ欲しい。
やりたいこともしなきゃいけないことも多すぎて
目が回りそうだ。
階段を下りて行く途中から喧噪が聞こえてくる。
この声はイシャンだな。
無事で何よりだ。
だがその口から出てくる言葉は不穏なものだ。
「助けてください!ラシャナが……っ」
イシャンは膝を折り手を組んで必死に二人の英雄に訴えかけていた。
しかしジューダスはともかくとして
父さんまでそれを見ても何も行動しようとはせず腕を組んでいた。
階段を降り切る前に何があったのか尋ねると
その声を聞いたイシャンが弾かれたように頭を上げこちらを見る。
その目からは涙が流れておりラシャナの身にかなりの危険が及んでいることが分かる。
彼はおれの成長した姿か稜地に抱きかかえられているという現状か
はたまたその両方を見てか。
虚を突かれたような顔をしたがそれも一瞬の事。
駆け寄ってきて震える声で訴えてきた。
「ラシャナが破水したんだ!」
≪あぁ~産気づいたの?≫
単なる破水なら何の問題もないはずだが
イシャンの様子を見るにそんなのんびりした雰囲気ではないようだ。
「熱が酷いから休ませてたら破水したんだ!
どれだけ待っても陣痛は来ないし産婆もつかまらないし。
出血も酷くなる一方だし……」
「待って。
出血ってどれ位!?」
「え、ど、どれ位……」
「何mlとか具体的じゃなくても良いから!」
「ラシャナが腰に巻いていたスカートから滴り落ちるくらい…?」
慌てて聞いた言葉に質問で返してくるイシャンに思わず
『聞くな!!』
と怒鳴りつけたくなる。
やばい。
陣痛が来る前の破水となると前期破水だ。
母子の危険性が一気に高まる。
しかもラシャナが巻いていた腰布は結構厚手で長いものだった。
そこから滴り落ちる位となると500ml以上の出血をしている可能性が非常に高い。
赤ん坊が産まれていない状態で陣痛も来ていないのにそれだけの出血量。
出産で1リットル程度までの出血ならよくあることだ。
産褥期は安静にして血を作る食材を多く摂取すれば問題ない。
通常のよくある出産ならば。
少量の出血、長い陣痛期間が続き、その間隔が狭まったら出産準備、出産。
かなり大雑把に言えばそれがよくある流れだ。
出産の際に出血はあるが、それは内膜と胎盤がはがれるから、だったかな。
当然あることだ。
珍しい事ではない。
出産後の出血ならば。
しかし胎児は未だ腹の中だ。
通常の出産ですらちょっと手伝うくらいなら出来るよ
程度の知識しかおれにはない。
初産で出産経験者も居ない。
助産経験者も当然医者も居ないような状況だ。
手助け出来る人間が一人もいない。
そして陣痛が来ていないという事は赤ん坊を生む準備が
母体に整っていないという事。
そんな状態でこれ以上の出血が続けばラシャナも危ないぞ。
熱が高いというのも気になる。
「あ、あと血の塊も出てた。」
悪露は産後に出る物のはずなのに?
おれが知っている出産とは何もかも違いすぎる。
≪主は行かない方が良いと思うよ≫
口に出してではなく心の方へ稜地が語りかけてきた。
何故か問うても顔を逸らし俯き返答を寄越さない。
はっきりしない態度にいらっとしてしまい
無理矢理稜地の腕から逃れたたらを踏みながらも
イシャンの首根っこを掴み共にラシャナの元へと走る。
父さんもジューダスも稜地も
その場から動かずおれたちを見送るだけだ。
≪とっくに手遅れなのに…≫
頭に響いたのか鼓膜を震わせたのか
稜地の言葉が嫌に鮮明に聞こえて恐怖を振り払うようにがむしゃらに走った。
慣れない身体につまずきそうになりながらとにかく走る。
イシャンはおれの速さに付いてこれないようで繋いだ手に半分引きずられている形だ。
「破水したのっていつ!?」
「じ、10時間は経って、る。」
息を上がらせながらも質問に答えてくるあたり偉いな。
いくら初産とは言え破水してから10時間も陣痛が来ないのはおかしい。
こんな状況だし清潔感も何もないような所に寝かせているだろうし
熱が高く既に破水しているとなると感染症を起こしている可能性が非常に高い。
稜地の言葉もある。
考えたくはないが言って置かなければならない。
「イシャン。
ラシャナと赤ん坊、どっちをとる」
ラシャナとまともに会話できる状況かわからない。
その上男尊女卑の考えが一般的な世の中だ。
旦那であり家長でもあるイシャンが決めるべきだ。
今把握している状態だと両方とも助けられる確率は無いに等しい。
妊娠30週を超えているのはお腹の大きさや二人の話から確実なようだ。
運が良ければ心肺が停止した状態で産まれてきても
蘇生措置を正しく行えば息を吹き返す可能性もある。
そうすれば二人とも助かるかもしれない。
適切な処置をしてくれる助産師と医者がいてくれればの話だが。
付き添うのがおれとイシャンだけでは
それは産後のラシャナの処置を後回しにしなければ出来ない。
正直言って現状では二人とも助かる可能性は、零だ。
稜地はもう手遅れだ、と言った。
信じたくはないが仮にも神と称される存在の言葉だ。
無視は出来ない。
その場合は一刻も早く
赤ん坊を母体から出して適切な処置をしないと二人とも死んでしまう。
ここでイシャンがラシャナを選んでくれないと
その処置を行う事すら出来ない。
助かるかも分からない
その上何らかの疾患を抱える可能性のある赤子を優先するか
妻であるラシャナを優先するか。
辛いだろうがイシャンには決めて貰わなければいけないのだ。
母子共に安全な出産なんてない。
その上一歳未満の乳児死亡率は20%程。
成人する確率なんて50%未満だ。
それがこの世界の常識である。
普通の夫婦なら次世代に命を繋ごうと沢山子供を作る。
『赤ん坊の死は大人のそれよりよくあること』
そう割り切って心を麻痺させなければとてもじゃないが生きていけないから。
そうじゃなければ生命としての役割を果たせないから。
しかし、イシャンとラシャナには次がない。
次を望めば調停者であるジューダスに粛清されるから。
次がないからと
助かるかも判らない赤ん坊を選べばラシャナが死亡する確率が一気に上がる。
ラシャナを選べば赤ん坊の死は確実となる。
選べと言われても無理だろう。
おれは他人だから
『より助かる確率が高い方を選べば良い』
と軽率に考えられるが
二人は本当に心から赤ん坊の誕生を心待ちにしていた。
親に捨てられた二人が家族を持てると心から喜んでいた。
せっかく生まれてきた子供を育てられないからと捨てる親もいる中で
どんな風な子に育つのか将来を話し慈しんできた。
世の中は非情過ぎる。
望む者達から奪うような真似を簡単にしてくる。
それでも……
選ばなければいけないのだ。
一分一秒の迷いで二人とも手遅れになってしまう前に。
イシャンからの返事はない。
ちらりと見た時は俯いたまま青を通り越して土気色の顔をしていた。
どれだけ考えても悩んでも答えを出せないのだろう。
ラシャナを選べと言ってしまいたい。
でも、イシャンの恨みや命の重みを請け負うだけの
強靭な心をおれは持ち合わせていない。
一緒に笑い合ったり二人でラシャナに怒られたりした。
数か月に及ぶ時間を共に過ごし依頼人と護衛以上の感情を持っている。
彼に窮地を救って貰った恩もある。
……言えない。
悪役にはなりたくない。
ぎりっと奥歯を噛み葛藤する。
イシャンを引く手に無意識に力を込めてしまったのか
痛みをこらえるような声が聞こえた。
謝罪の言葉を述べようとしたが
急に走るのをやめたイシャンに引っ張られその期を逃す。
二人して肩で息をして
イシャンは更に汗をぬぐい呼吸を整えようとしている。
完全に息が上がっている。
精霊術を使って加速したり本気で走ったりはしていないが
それでも彼には速かったのだろう。
無理矢理引きずり回したせいか腕をさすり労わっている。
「…………ラシャナを…頼む。」
顔を逸らして罰の悪い顔をしてかろうじて聞き取れるような声で告げた。
「わかった。
任せろ」
おれは、その苦渋の決断を下したイシャンに応えるように頷く。
魂さえ輪廻へ還って居なければ。
その考えが頭をよぎる。
魂が肉体から離れていようと無理矢理戻す術をおれば知っている。
死者を甦らせる術は一般的には知られていない。
本来ならば人の目がある所で使うべきではない。
しかしいつぞや死にかけていたエリアンニスに施したあの精霊術なら。
二人とも助けられるかもしれない。
言葉には出さないが一縷の希望は持っておきたい。
霊力があの頃と比べたら格段に上がった今なら
メネスを取り巻いていた魔力の消え失せた今なら
補助する道具が無くても場の霊力が少なくても使えるはずだ。
脳内地図に表示されているラシャナの気配はここからもう少し先の位置になる。
手遅れになる前に、と再び歩みを進めたがイシャンが付いてこない。
眉を寄せながら力ずくで引っ張るが彼の足取りは重い。
自分の子供を殺す判断を下したのだ。
現実から目を背けたくもなるだろう。
だが……
「ラシャナまで殺す気かっ!?」
おれの喝にぐっと涙と言葉を堪えイシャンは走り出した。
痛ましく映るその背中を追いかける。
昇りきった滲んだ太陽の光が目に痛かった。
血と独特な臭いが混ざり合い鼻の奥を刺激する。
辿りついた場所は元は病院なのだろう。
入ってすぐ正面には薬の材料になる薬草や診療道具が棚に並んでおり
奥には寝床がいくつか備わっている。
人の気配はなかった。
規則正しく並んだ寝具の一つにラシャナが横たわっていた。
静かに、眠っているようだった。