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霊力が発生する中心であろうジューダスがいる方向から
金属がぶつかり合うような
大きな力が衝突し合うような
物騒な音が時々微かにではあるが響いてくる。
合間に会話が繰り広げられているのだろうが
さすがにそれだけの小さな音は残念ながらこちらには届かない。
耳をすませば単語くらいなら拾えるかもしれないけど。
出歯亀している余裕なんざ一ミリもない。
稜地が話をつけてくれたようで葵帷さんから貰った指輪へと
取り込んだ霊力が途端に流れやすくなった。
受け入れ態勢が整ったようだ。
一杯一杯になった水瓶の底に穴が開いたように
緩やかに
しかし確実に吸い込まれるように流れて行く霊力の量の調節はおれがしなければならない。
稜地がおれへ流れてくる量を加減してくれているのでなんとかなっているが
この作業と平行して世界へも送る手を緩めてはいけない。
とてもじゃないが場に満ちている霊力が多すぎる。
おれの身が持たなくなってはじけ飛ぶのは勘弁して欲しい。
そうならない為にも必死で方陣に霊力を送り込む。
稜地がおれへ送ってくる量を十とするなら
割合として葵帷さんに送るのが三
方陣へ送るのが七と追ったところか。
葵帷さんに送る量をこれ以上増やすと余剰分が耳飾りへと送られてしまうのだ。
既にかなりの霊力を溜め込んでいるはずだ。
逢った事はないし何の懐古心も抱かないが
せっかく血の繋がりのある親からの物だと言う贈物を壊してしまうのは忍びない。
それに記憶の手掛かりになりそうな手札は少しでも手元に置いておきたいからな。
どれだけの時間そうしていただろう。
いつの間にか音は鳴り止みやはり会話も聞こえず
光の向こうがどうなっているのか全く伺えなくなった。
慣れてきたからとそば耳を立てようとすれば
稜地が送ってくる霊力量を増やしてくるのだ。
休む暇も手を抜く事もできやしない。
すぐ気を抜く癖のあるおれにはこれ位厳しいのが丁度良いのかもしれないが。
敵わない魔族の相手をしてくれている父さんとジューダスは手が離せないのだから
おれがこの溢れた霊力の処理をしなければいけないことは分かってる。
単なる足手まといではなくおれにもできることがあるのだ。
それ自体は喜ばしい。
だけど目に見える進展もなく
延々同じ作業を続けるのは精神的に辛い。
せめて溢れている霊力の処理が終わる目処だけでも立たないだろうか。
それよりも切実なのが額を伝ってきた汗が目に入りそうなことだ。
誰か拭ってー!
そんな事を考えていたら余裕ありと思われたのか
送られてくる霊力量が上がった。
稜地さん、まじ厳しいっす。
送るのに慣れ送られてくる量が増えてくると
霊力の道筋のようなものが感じられるようになった。
火の大晶霊は自分の身体で処理した霊力を
空へ向かって放ち世界へと送っている。
火の精霊がそれを受け取り
宝珠を通し街の守に使い
土地に熱を持たせ季節外れの花を咲かせる。
幻想的な景色が頭に流れ込んできてとても美しい。
おれが送る霊力は同じように精霊が受け取る訳ではない。
稜地が直接世界へ送れば火の大晶霊と同じように
宝珠が加護を与えたり痩せた大地が復活したりするだろうに。
何か理由があるのだろうか。
葵帷さんへ直接送った霊力は
彼女を通して遺跡の内部に雪の結晶となって降り注ぎ瘴気を中和する。
そして魔獣が内包する瘴気や魔力も浄化され害のない動物に戻って行く。
魔力溜りは消え失せ火の神殿の名にそぐわない見事な銀世界へとその姿を変えていた。
葵帷さんの領域に下ったアガンジュ遺跡から
霊力が溢れるくらいに満ちるのを感じると同時に
指輪に流していた霊力がぐんと押し戻される手応えを感じた。
これ以上は要らない
そう言う事だろうか。
そうは言われてもこっちも未だ収まる事を知らない霊力の渦中にいる。
アガンジュ遺跡に限らず是非とも他の場所へも霊力を巡らせて欲しい。
ゴンドワナ大陸全体が既に浄化されたなんてことはないだろうし。
世界中に散らばっている他の大晶霊は
何の説明もなしに世界の中心へ押し付けた霊力をせっせと処理し続けてくれているだろう。
同じように様々な霊力が足りない場所や
魔力溜りが発生している場所
瘴気が充満している場所へとどんどん霊力を巡らせて欲しい。
そうは言っても許容量を超えた霊力を扱うことが出来ないのは重々承知している。
葵帷さんへ流す量を抑え世界へ送る割合を増やす。
押し戻される感覚が無くなったのを確認すると同時にあることに気づいた。
感じ取れる霊力の流れは近くにいる火の大晶霊と繋がっている葵帷さん。
あとは方陣へ送るものだけだった。
しかし葵帷さんから指輪へと溢れた霊力が押し戻された時
おれへと戻された分の他に方陣を通さず世界へと送られた分があったのだ。
そして葵帷さんが世界へ送った霊力を
率先して引き取った気配を感じ取ることができた。
世界各地に散らばる大晶霊が送った霊力を処理してくれている
と頭では分かっていたが
実際にそれを感じ取り世界を隔てた向こう側に
確かに大晶霊が存在していると言う事を実感できて場違いにも気分が高揚する。
葵帷さんの時のように意識を集中したら探したり喚び出したり出来ないだろうか?
方陣の向こう側。
霊力が流れていく世界へ
そしてその更に向こうへと意識を向ける。
枝分かれしている霊力の流れを感じ取れた。
それと同時に世界と一体化しているような一種の浮遊感を抱く。
不思議な、しかしどこか安らぎを覚える感覚だ。
一番近くに感じる気配は北北西。
葵帷さんの霊力を積極的に受け取った気配は遥か南東。
より強い力を真北と北東から感じる。
北東と言うとおれが来た道だ。
まさか村の近くにあった遺跡に大晶霊がいるというのか?
他に遺跡があった覚えはないが…
どぷん、と
水の中に落ちたような感覚と共により深く、深く
意識を世界と同調し大晶霊を探す。
稜地、葵帷さん、白亜、火の大晶霊。
残る属性は風、水、雷、闇、時……
あぁ、ジューダスは時の大晶霊と対で元素を司る大晶霊もいるって言ってたっけ。
しかし霊力の流れをどれだけ辿っても
至れるのは風・水・闇の大晶霊の元だけで
時と元素の大晶霊へは妨害が入り至れないし
そもそも雷の大晶霊に関しては参加していないらしく
枝の分かれ道は六本しか伸びていない。
見落としてしまったのか?
雷の大晶霊を探すため
あとは妨害を乗り越え高位大晶霊へと至る為
世界との同調率を上げると
自分とそれ以外の境目すらあやふやになるような溶けて行く感覚があった。
肉体を支配する五感の代わりに
知覚できないモノが丸裸の精神に直接接触してきた時のあの感覚。
嫌悪感こそ抱かないが魔族にされたあの脳みそが乗っ取られそうになった時と近い。
あぁ──……
思い出した。
?
思い出した、ともなんか違うな。
おれの中にあった記憶が世界と同調する事により呼び起こされた。
”大地の記憶”を見た時のあの映像が流れ込んでくる時に近いな。
思い出したのは魔王と対峙した時の感覚。
ずっと思い出せなかったのだがすっきりした。
ドハラ神殿で死にかけた時に語りかけてきたあの声に
支配されそうになった時に似ていたんだ。
稜地の声だと錯覚していたが思い出した今では違うと断言できる。
《汝の心を我に委ねよ》
そう囁いて来た声は確かにあの魔王と同じものだった。
そしてヴェルーキエで魔石を破壊しようとした時に
内側からこみあげてきた破壊衝動。
そこに誘致したのもあの囁き声と同じものだった。
……──しかしそれは、おれの中にあったものだ。
外部から浸食された訳ではなく
内部からじわじわと染み出て来たあの黒い気配。
それが魔王と同じものだったのだ。
やはり、おれ自身が魔王なのか?
でも、実際に魔王らしき人物はおれと対峙している。
半精神体なのだしおれを支配できないと思って身体から出て行ったとか?
違うよな。
転移の直前に見た顔は確かにおれと似ていなくはなかったけど
同位体と言われたら首を傾げる。
おれが成長したらあんなふうになるのか?
と考えると似るかも知れないけど、やっぱりちょっと違う気がする。
疑問は尽きない。
意識しても思い出せなかったことや思い至れなかったこと。
世界に溶け込むことで随分容易に頭に浮かぶ。
”大地の記憶”に接触する事で世界が歩んできた道程を見る事が出来る。
宝珠のような道具だと思っていたが
見たい記憶を指定し取り出した時にああ言う宝石のような形になるのだろう。
今は世界そのものに溶け込み
大地に刻まれた歴史の頁をめくりやすくなっているのかもしれない。
もしそうなら、おれの失われた記憶を覗くことが出来るだろうか。
望む記憶を呼び起こすため
霊力の塊である世界の核へ
輪廻そのものへと手を伸ばし、そして。
……──扉を開けた。
と、思った。
のだ、が。
突然耳元で鳴り響く軽い音で物質界へと意識を強制的に戻された。
目を白黒させて周囲を見渡すと
先ほどまであった輝く霊力の渦は消え失せ
窓からのぞく空は瘴気をまとわず青く澄んでいる。
そしてそんな清々しい様子とは真逆の雰囲気をまとい
張扇を持ったジューダスが不機嫌そうに横に立っていた。
……なにごと??
先ほどまでの状況と全く違う為に思考が現実に追いついていない。
混乱しているおれを見下ろし深い、ふか~い溜息をついて
「終わった。
アスラを回収するぞ」
とだけ言って謁見の間を後にする。
え、終わ、え?????
「アハマドはどうなったの!!?」
やっと思考と現実が合致し出てきた疑問。
おれからしてみれば
ついさっき
と言う感覚なのだがどうやら違うようだ。
世界へ流れる霊力と同調を続けてどれくらいの時間が経っていたのだろうか。
いや、それよりも。
同調したと感じた痕その更に奥深くまで世界そのものと関わっていた。
覚えはある。
あの時は何の疑問も持たずに行っていたが
考えてみれば世界に精神体が直接触れる事
それはすなわち魂が輪廻へ帰る時だ。
一歩間違えたら死んでいただろう。
おれは何故そんなことをしたのだろう。
いや、覚えている。
世界へ干渉し”大地の記憶”と呼ばれる世界そのものに刻まれている歴史を垣間見れば
おれの失われた記憶を取り戻すきっかけの一つでも手に入るかも
と安易に考えたからだ。
だからと言ってそんな危険極まりない事を
なぜあの時のおれはしでかしたのだろう。
危機意識が低すぎる。
低いというか全くなかった。
おかしい。
いくらおれがうっかり八兵衛だろうとさすがにそんな死に急ぐようなこと
普通ならしない。
変だ。
むしろ心地好いとすら感じた。
不思議だ。
肉体を持たない状態だったので
”手を伸ばす”
と言う表現が合っているか微妙なものだが
世界の深淵にある”大地の記憶”へ手を伸ばし”なにか”の扉を開いた瞬間
膨大な量の情報が頭の中を駆け巡り脳みそが焼き切れるかのような感覚があった。
それへの拒否感だけでは戻って来れなかっただろう。
ジューダスが張扇で叩いてくれなければ
輪廻へ干渉した云々ではなく
多分流れ込んできた情報により脳みその許容量を超えて
精神崩壊を起こしていたに違いない。
なにせ未だに頭がくらくらしているのだ。
未だ夢うつつで前後不覚な状態だが父さんと合流したいし
アハマドがどうなったのかジューダスに聞きたいし。
置いて行かれる訳にはいかない。
立ち上がろうとしたが膝に力が入らず崩れ落ちそうになる。
が、顕現し肉体を得た稜地に支えられ無様に床と接吻せずに済んだ。
「ありがと、稜地」
≪主……?≫
稜地は視線を合わせお礼を言ったおれの顔を見て眉を寄せ顔を強張らせる。
しかし頭を振り≪なんでもない≫と一言だけ告げ
おれの手を取り歩くのを支えてくれる。
何かおれの顔に付いているのだろうか?
稜地に支えられているのとは逆の手で顔を撫でてみるが
特に何も付いている感じはしない。
うん、顔に違和感はない。
だけど……うん。
違和感を覚えるのは顔に触れる方の手
あとは自分の身体に対してだ。
上手く立ち上がれなかったのは
精神体が肉体から留守になっていたせいかと思ったのだが
どうやらそれだけが理由ではないようだ。
オルサ村特有の衣服のおかげでそこまで切実ではないが
腰帯が腹部に食い込んで苦しいし手足もかなり窮屈に感じる。
この短時間で何故かおれの身体は成長したようだ。
ただ歩くだけでも痛みを感じた足は
階段を下りるという動作をしたら激痛を伴いとてもじゃないが進めなくなった。
靴を脱ごうとしたが階下で父さんがどんな戦闘をしたかによっては
裸足になったら危ないからという事で稜地に抱えられた。
子供のように軽々と腕に座るような恰好で抱きかかえられ必死に抵抗したが
≪肩車とどっちが良い?≫
と問われこの状態に落ち着いている。
なぜその二択なのか。
おんぶでも良いじゃん。
横抱きよりは良いか……?
いや、良くない。
矜持も関わってくるが
何より成長したであろう姿で幼児のような扱いをされるのが恥ずかしい。
体制が崩れないように稜地の肩に回した腕を見てその延長の手を見て
本当に自分の身体なのだろうか?
と疑問を持たずにはいられない。
紅葉のような手とまではいかないにしても
幼さの残る短めの指が生えていた手はどこにもなく
すらりと細く伸びた指にはやはり少し伸びた爪が付いている。
握ったり開いたり自分の意のままに確かに動くが視覚的には違和感しかない。
そして、気づく。
「り、稜地!
おれ!!髪!!!
伸びてる!!!??」
おれの慌てっぷりとは裏腹に
稜地はいつも通りのんびりおっとりした雰囲気でおれを見上げ
≪確かに伸びてるねぇ≫
と言いながら胸元まで伸びている染められた髪を手に取る。
あぁっ!
視界の端にちらちら映っていたのはおれの髪の毛だったのね!?
20cmは余裕で伸びてるぞ!!
自分でも血の気がさっと引いたのが分かる位に狼狽える。
やばい。
何がやばいって再三言うがおれの髪色は古の魔王と同じ色だ。
どんな屈強な男でも泣いて命乞いをする程に畏怖されると言われているのだぞ。
そんな頭で外に出て見ろ。
魔族の支配から解放された人達は歓喜との落差により大混乱に陥るに決まっている。
おれが石を投げられるくらい別に良いが
混乱によってけが人が出るのは非常にまずい。
「ちょ、ちょっと待って!
止まって!!止まって!!!」
おれがなぜそんな狼狽しているのか全く分かっていないのか稜地は首を傾げる。
さっきの質問で察しておくれ。
「隠さないとっ!」
慌てすぎて主語が抜けたおれの言葉に稜地は自分の身体を見下ろして
≪……やっぱ、通報されちゃうかな?≫
馬鹿みたいに真面目な顔をして声を震わせながら言って来た。
自分の事で一杯一杯でそこまで頭が回っていなかったが
確かに稜地の格好は精霊特有の身体の線が分かるかなり肉体に密着した衣装だ。
しかも見た事のない緩やかに波打つ透き通った絹のような輝きを持つ
見るからに高級そうな素材で装飾が施されている。
通報……も下手したらされるし
そうじゃなくても取り調べ位はされてしまうかもしれない。
まとう雰囲気こそ聖なるものだがお仕事をしっかりする憲兵がいたら見逃して貰えないだろう。
それ以上に追いはぎに遭う可能性の方が高い。
そうなったらすっぽんぽんになってしまって
露出狂の変態が出たと通報され確実に牢屋行きになってしまう。
そうじゃない、と突っ込みを入れる余裕もなく
あばばばばと主従揃って慌てていると
とっくに一階に行ってしまったと思っていたジューダスが戻ってきて
どこからともなく大小二枚の布を出し
「ターバンとドウティーにでもしておけ」
と面倒くさそうに顔をしかめながら言って再び一階へと降りて行った。
稜地から断りを入れられてから一旦下される。
彼は渡された大きな布を器用に洋袴を着用したかのような装いに巻きつけた。
その後おれの長く伸びた髪をひょいと持ち上げ
髪留めもないのに一つにくるりとまとめあげ頭頂部を布で隠した。
ゴンドワナの人は屋内でも夜でも頭に布を巻いていることが多いので
これで目立たないだろう。
首を傾げたり頭を振ったりして布がほどけないか確認するが
頭皮に締め付けられる感覚はないのにしっかりと固定されている。
問題ない。
お礼を言うとどういたしまして、と頭を軽くぽんぽんと叩かれた。
その様子を剣呑な雰囲気で見下ろしてくるのは火の大晶霊だ。
存在を忘れていた。
お兄ちゃんを盗られたとでも思っているのだろうか。
≪似てる似てるとは思ったけど
……お前、本当にアイツの子供なんだな≫
≪こら、紅耀!≫
おれを覗きこんだ顔に手刀を喰らわせ
ぷりぷりと怒りながら稜地は再びおれを抱えて階段を下りる。
火の大晶霊が言う”アイツ”の心当たりと言えば魔王だろう。
正直、あまり驚きはしなかった。
自分の失われた記憶を求めて世界に干渉した時に視た知識の中にあったから。
思考の海に潜らないようにしようと
確かにここに自分が居る事を実感したくてぎゅっと、稜地にしがみつく。
親を求める子供のように。
彼はおれの不安を感じ取ったのか宥めるようにあやすように背中を叩いてくれた。
自分が求めた結果とはいえ
まさか知りたくない情報まで押し付けられるとは思わなかった。
そして知りたい情報は断片的にしか得られなかった。
骨折り損、とは思わないが
どうせなら知りたい歴史だけ抜粋して見たかったよ。
魔王そのものだという可能性もあった中
そうじゃないと分かっただけでも気分的には楽だし
何故おれの髪色が魔王と同じなのか判明したのでそれ自体は喜ばしい事だろう。
しかし……
手放しでは喜べない。
おれは、どうやら魔王の子供らしいよ。