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おれが真っ直ぐ火の大晶霊に突っ込むと
氷壁を作りこちらに熱が来ないようにしてくれていた葵帷さんが
瞬時にその壁をひっこめてくれる。
熱をまとって無効化しようとしていたんだけど
手間が一つ省けた。
その代わり周囲の温度は急速に上がり
熱を持った水蒸気によって不快指数が一気に上がる。
火傷をする程の高熱に至らなかったのが幸いだな。
しかし視界を塞がれてしまったので慌てて減速し風を起こして景色を晴らす。
数秒遅れを取ったがその間に抜刀を済ませ
相手がどんな行動を取ってきても対処しやすいように中段で構える。
足場を熔かされる可能性を考慮して稜地には足場の確保をお願いしてある。
霊力の動きを察知しておれ直接攻撃をしてくるのではなく
間接的に仕掛けて来た時それを無効化して貰うのが稜地の主な役目だ。
だが、その間におれの思惑を微塵も汲まない葵帷さんが
周囲に氷の霧を作り再び温度を下げた。
勿論、稜地に頼んでいた足場も含め。
それも無効化してくれたのか
先ほどの様に霜が張る事も靴底が凍りつくこともなかった。
いや、稜地のおかげ、とは断言できないか。
今度は周囲は凍らず、しかし溶岩は固まりここら辺一帯の温度が一定に均された感じだ。
身体を動かすのに支障が出ない、ちょうど良い温度である。
火の大晶霊に張り付いていた氷も霜も既に溶けて消えて居た。
先ほどまでは炎そのものと言えるほどの熱を放ち
足元の地面は燃え上がり
頭上の天井はぼたぼた岩が熔けて滴っていたのに
周囲にまでその影響を及ぼしていたその熱が
今では随分と落ち着いてしまっている。
氷の術により弱体化し放熱量が減った、という事なのだろう。
こんふぃ・ぱれっど、だっけ?
一回目の術こそ作用にばらつきがあったし
文句を言いたくなる程威力が強すぎたが
たった二回であれだけの熱を鎮めてしまうとは。
しかも二回目は調節も完璧だ。
さすがは大晶霊、という事か。
それこそ大晶霊様の力を無駄遣いするわけにいかないので
稜地に足場の確保に使っている力の解除をお願いする。
神威をしてからこっち、全然稜地に頼っていなかったので
意気揚々と力を奮ってくれたというのに申し訳ないな。
あからさまにおれの中で消沈している。
こき使われる事に悦びを見出すなんて君は変態か?
とは思えどもありがたい事なので見せ場は作らねばな。
拗ねていじけられて、ここぞという時に力の出し惜しみをされたらかなわん。
火の大晶霊は稜地を幼くしたようなよく似た顔をしているが
その持っている雰囲気は異様である。
正気を失った瞳はどこを見ているのか
虚ろに視線を彷徨わせどこを狙っているのか
誰を標的としているのか全く予測する事が出来ない。
時折喉の奥から吐き出されるようなくぐもった声は
聞くだけで胸を押さえつけられる気分になる。
不快、と言うのもあるが
それ以上に悲哀を感じさせるものがあった。
瘴気のせいでこんな状態にはなっているが元は気の良い奴なのだろう。
だって稜地の弟だし。
メネスや麻薬の事を抜きにしたとしても早く助けてやりたい。
瘴気を祓うのはジューダスと白亜の得意分野だ。
それが完了するまで邪魔が入らないように
火の大晶霊の気をおれへと向け囮になれば良い。
すばしっこさには定評がある。
少々暴走気味だが葵帷さんもいるし
ちょっと拗ねて不貞腐れているが稜地だっている。
神威はまだ慣れないし霊力の消費量も多いからしない。
放つ力が大きすぎて神殿が崩れたらいけないし。
神殿の外部や道中を見ていればどのくらいの耐久度があるのか
考慮しながら戦う事も出来るのだろうが
どこからどう見たってここは人工物には見えない。
自然の洞窟だ。
神殿はどこに行った。
いや、そうじゃない。
溶岩洞は基本的に浸食に脆く、崩れやすい。
先ほど使った視界を晴らす程度の風なら問題ないだろうが
強風で壁が削られる可能性がある。
ここで火の最大の弱点とされる水の術なんて使ったら
乾いた壁や地面に吸い込まれて瞬時に泥化し足元が掬われる。
下手をしたら土砂崩れが発生してしまい
生き埋めになる危険性が高い為使えない。
小さな術を連発して体制を崩し戦いの流れをこちらに向け
向こうからの攻撃は刀でいなせるものはいなしその隙をついて反撃する。
倒す必要はないのだ。
手数を稼いで洞窟を傷つけず相手の動きを封じる。
ジューダスが洞窟内の、火の大晶霊の瘴気を浄化するまでの辛抱だ。
むしろ、倒してはいけない。
弱体化させすぎてコア化してしまい契約出来なくなってもいけないしね。
浄化が主な目的だとは分かっているが
ついでに契約出来たら手間も省けるし良いじゃん?
ちゃっかり諦めてないぞ。
今のおれにはコアに霊力を注げるだけの霊力は残っていない。
稜地がコア化した時の様子を考えると
あまり居心地の良い状態ではないようだし
ただでさえ瘴気に侵され気分の悪い思いを長い間していただろうに
せっかくそこから解放された直後に
狭い場所で窮屈で不快な思いをさせるのは気が引ける。
手加減できる程相手が弱いわけじゃないのが辛いな。
力量差さえあればいくらでも
そこそこ弱体化させそこそこ無力化させ結構な時間を稼ぐことが出来るのに。
刀に冷気をまとわせ攻撃を仕掛ける方法もあるだろうが
鋼だって激しい熱量の差が生じれば脆性が高まり壊れやすくなる。
あちこちに冷気まき散らして壁や足元が崩れる危険度よりリスクは低いが
火の大晶霊がまとって居る温度は下がったとはいえ
それでも百度は余裕であるだろう。
確実に折れる。
そもそも葵帷さんの放つ氷の粒は
千度を超える熱を瞬時にそこまで下げるだけの力がある。
まとわせただけで薄氷のように刀があっさり砕けてしまう可能性がある。
おれの相棒にそんな無体な事出来る訳がない。
愛剣家の父さんにも怒られる。
そんな恐ろしい目にあう位なら素手で挑んだ方がましだ。
葵帷さんとさほど言葉を交わせていないのが悔やまれる。
何が出来るのか、何が出来ないのか
使役する側のおれが把握できていなければ力を揮う事もままならない。
いや、彼女はおれの命令の範疇にギリギリおさまる範囲で
結構好き勝手に霊力を盗って行き術を放っている。
むしろ力を揮われすぎて非常に困っている。
持って行かれる量と術の威力が比例していない事をうっかり忘れており
幸いまだ被害者は出ていないが
術の威力が強すぎて方々に影響が及んでしまっているのだ。
少しは慣れたが今でも無効化する作業が間に合わず時々
方陣の方へ氷塊が飛んでいき風穴を一瞬だが開けてしまったり
火の大晶霊の放つ術とぶつかりあって爆発をしたりしている。
一部ではあるが、洞窟の内部も崩れてしまっている。
転移で脱出が出来れば問題ないが
逃げ道はいくつか確保しておきたい事を考えると
塞がれたあの道が崩れても今後の行動に支障が出ないのか不安になる。
そんなことを考えて気を取られている間にも
冷気弾が当たった火の大晶霊の腕がはじけ飛んだ。
方陣内部はラシャナがイシャンの補助をしてくれているようで
馬が低体温で倒れたとか
凍えて鼻水垂らしているだとか
そういう様子はない。
だが方陣の方はそうはいかない。
穴が開くたびそれを塞ぐために通う霊力量が減少してしまい
氷壁が徐々に薄くなってしまっている。
出来れば一度戻り霊力を補充したいが
心の声が届かないのか葵帷さんがとにかく言う事を聞いてくれない。
稜地のように契約して居る訳ではないので繋がりが希薄なのはわかるが
繋がりが微塵もない白亜の声はおれに届いているし会話も出来る。
彼女におれの声が届いていないのはおかしい。
無視されていると考えて良いだろう。
もしくは高揚しすぎて周囲に向けられるべき感覚器官が
全て麻痺して遮断されてしまっているのか。
現状、葵帷さんが自由気ままに力をふるい
その尻拭いをおれがしている形になっている。
ちなみに頭に響いてくる白亜の声は葵帷さんに静止をかける怒鳴り声だ。
最初こそ気後れしてしまい強く言えない立場にあるおれの代わりに
注意をしてくれるなんてなんと頼もしい事だろうと思っていたのだが
徐々に語気が強くなり発する言葉も怖くなって行き
今では言うのを憚れる程の罵詈雑言が脳内にがんがん響いて怖い。
”光の精霊の長”
と言う慈悲深く神々しい想像をする人が多いであろう聖なる存在なのに
これはアカン。
光晶霊信仰をしている人たちには絶対に見せられない。
ジューダスはと言うと既にこの場に居ない。
戦闘開始直後、葵帷さんの暴走が始まり
それの影響により火の大晶霊が弱体化したのを確認してから
この場より早々に颯爽と立ち去った。
逃げたわけではなく。
確かに最初葵帷さんの術による被害が酷過ぎて
『え、逃走すんの!?』
と思ったのだがそうではなく。
この場に残った白亜から説明された所によると、
もともと火の大晶霊がいた場所にコアがある。
今対峙している具現化している大晶霊を倒そうが浄化しようが
その核を浄化しない限り意味をなさないので
元凶である瘴気に汚染されているはずのコアを浄化してくるのだそうだ。
結局は、ジューダスが浄化を完了させるまで
時間を稼ぐのがおれの仕事だという事だな。
浄化する対象が変わっただけで、おれのすべきことは変わらない。
てっきりジューダスを軸として戦うもんだと持っていたので
文句の一つでも言ってやりたかったのは事実だが
コアの方が瘴気の内包している量は多いだろう。
そうなると、下手すればおれはこれ以上先に進むと
メネスの時の様に重圧に押しつぶされ動けない可能性がある。
召喚された精霊は基本的には召喚者の命令しか聞かないとされている。
葵帷さんはおれが召喚したのだからここで二人で足止め役をするのが一番良い。
この場所も瘴気の結構な量が渦巻いているが
身体に多少負荷がかかっている程度で済んでいるし問題なく動ける。
白亜が居ない状態でどこまで出来るのかは不明だが
浄化の術は使い慣れているだろうし
霊力の総量もおれよりはるかに多い。
効率よく確実に出来るのはジューダスだ。
適材適所と言えるだろう。
葵帷さんさえ言う事聞いてくれればね!
いや、おれの力量不足で聞いてくれない可能性もある。
本来なら過ぎたる力を召喚した身の程知らずは
召喚した精霊によって殺される運命にある。
それと比べたら霊力を不快指数半端無い盗まれ方をしようが
命令無視されて味方にまで被害を及ぼすような術を放たれようが
我慢せねばなるまい。
……って出来るか!
ちゃぶ台があったら是非ともひっくり返したい気分だぞ!!
我慢なんて単語、おれの脳内辞書には存在しない!!!
──蓮葉穿つ青藍なる凍てつきし瀧を統べる者よ
我が意志に背きし愚かなる者よ
金色の腕に抱かれその動きを止めよ
巨傀の握緊
稜地の力を借りて
ゆうに5メートルは超える巨大な岩で形成された手を作りだし
言う事を聞かない葵帷さんをとりあえず捕縛。
なんだか小難しい詠唱だが
『召喚者であるおれの言う事聞かないお馬鹿な氷の大晶霊さん
ちょっとこの手に捕縛でもされておとなしくしなさい』
って意味だ。
要約すると
『暴走してんじゃねぇよ、この阿呆』
泥人形を生成する術に着想を得て稜地と一緒に考えた
霊力をふんだんに込めて作られた巨大な腕を作り出しその掌により
防御力を無視し敵を握りつぶすために作った術なのだが
上手くその手中に葵帷さんを収め
込めた霊力により身動きできない状態を保ってくれている。
やり過ぎかな?
とも思ったが、稜地の力を借りて良かった。
巨傀から伝わってくる抵抗値から推測するに
そんじょそこらの精霊の力を借りただけではすぐに突破されてしまい
その動きを封じる事は出来なかっただろう。
流石、頼れる大晶霊様である。
……あ、そっか。
「葵帷さん。
久方ぶりの娑婆ではしゃぎたい気持ちは解るけど
召喚されたからにはおれの意志を無視したり
許可なく霊力盗んでいくの辞めて。
一応でも、今おれは君の主人なんだから」
強気な発言で機嫌を損ねてしまわないか心配だったのか
動きを制御され冷静になったのか
口をとがらせつつも謝罪の言葉を述べてくれた。
≪あるじさまにも言いたい事が一つ、出来ましたわ≫
と不穏な言葉も付け加えられたが。
こあい。
しかし、言う事を聞いてくれるようになったのなら
この戦闘も間もなく終わるだろう。
白亜も葵帷さんが大人しくなったことを確認し
≪それじゃあ頑張ってね≫
と頬に口づけをした後ぱっと消えた。
ジューダスの元へ移動したのだろう。
去り際に霊力補給をしてくれるとは過保護な人だ。
とてもありがたい。
白亜が消えた途端、瘴気による圧迫感が何割か増した。
特に術を使っていた雰囲気はしなかったので
彼女にはただそこに居るだけで周囲を浄化をする特殊能力があるという事か。
素早さは落ちるだろうが、まだ動ける。
囮役をするわけではないので速さにこだわる必要はない。
その分、少ない脳みそを充分に活用すれば良いのだ。
まずは足場の確保をしたい。
さっきみたいにおれの周囲だけではなく
行動しうる範囲の全てだ。
葵帷さんの術の余波により凍り
火の大晶霊の攻撃の飛び火のせいでそれが融け
あちこち地面が粘土状になっている。
壁は一部崩れ刺激を与えたら地滑りを起こしそうだ。
『ここって火の大晶霊の加護領域になるんだろうし
第三者が外部から術を使って地面の補強って出来るもんなの?』
心の中で稜地に訊ねる。
加護は瘴気に汚染された事により消滅してしまったのだろうが…
…いや、そうじゃないな。
本来ならば聖なる力を巡らせ生物に良い方向へ向かうべき領域の効果が
瘴気の影響で悪しき力が巡り生物に悪影響を及ぼすようになっている
が正しい。
そのせいで葵帷さんの術が触れると水分を含む、と言う理由以上に
汚染された地面や壁が多少でも浄化され脆くなってしまう。
一時的に浄化されても
ジューダスがコアをどうにかしない限りその浄化された部分は瞬時にまた汚染される。
葵帷さんの術の影響が及んだ範囲は結構広い。
いくら稜地が強いとはいえ土砂崩れが起きないように
ぬかるんだ地面に足を取られないように
物理的にも霊力的にもその全てを強化をするなんてこと出来るのだろうか。
≪目に見える範囲位なら出来るだろうけど…
その場合は主に術を唱えて欲しいなぁ…≫
『え、ぱぱっとしてくれれば良いのに。
いくらでも……って訳にはいかないけど霊力は当然渡すよ??』
≪そうじゃなくて……≫
隠し事をする時に言いよどむことなんて珍しくもないが
今この場において何を隠すことがあるんだ??
まぁ、良いや。
詮索した所で言ってはくれないし
無理に聞き出すのも失礼だしな。
『んじゃ、詠唱教えてよ』
≪あぁ、主には術を発動するための
いわゆる”力ある言葉”を言ってくれれば良いだけだよ。
そのためのサポートは全面的に俺がやるから≫
余計になんでやと突っ込みたくなる。
うずうず。
想像するのは地面、壁の補強と強化。
範囲は……目に見えている所。
土の内部を汚染している瘴気を
指定した範囲に限られてしまうで浄化しそこに霊力を注ぐ。
それだけでは足りない。
場がこちらに有利になるように一時的でも稜地の加護領域をここに展開させたい。
ヴェルーキエを覆ったあの聖なる力。
ドハラ神殿で見たあの楽園のような美しい空間。
温かみのある、気分も身体も軽くなるような、あの感覚。
──豊沃の大地
刹那
山吹色に輝く光が爆ぜ周囲を飲み込む。