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たった5分。
されど、慌ただしくも確実性が要求される、重い5分だ。
イシャンがへそくりを回収できないだけならまだましだ。
彼も言っていたが生きていれば金額としては大きいが取り戻せる損失だし
命には代えられない。
無理は禁物だ。
だけど、もし。
向こうがこちらの行動を先読みして待ち構えていたら。
おれ一人でイシャンを守りきり、こちらに戻ってくることが出来るのか?
いや、その場合は戻って来るだけじゃ駄目だ。
追跡されてしまったら
せっかくおれ達の我儘に目をつぶってくれるジューダスにも
ラシャナや部下の人たちにも迷惑をかける。
彼女たちを危険に晒してしまう。
最悪な状況に陥ったその時
おれは責任を果たせるのか。
いや、考えてても仕方ない。
考えれば考えるだけ悪い事しか思い浮かばないし。
万事上手く行くと思って行動しなければ。
段取りを確認しよう。
おれの技術では転移の術を杖に待機状態にしたまま
更に転移の術を発動する事は出来ない。
杖に溜めて置くこと自体は可能だ。
しかし、術そのものの霊力の消費量が半端無い上に
集中力と想像力を要するため
二つ目の術を唱えるまでは可能だが
発動させた途端杖に溜めて置いた分の術まで発動させてしまう。
より確実性を増すために、と思って
霊力消費量の少ない方の転移術で実験してみたが駄目だった。
それなら、一つ分の術に集中してより精密さを追求する方が良い。
転移術を待機状態にしたまま出来るのは
稜地に補助をして貰える土系の術と
霊力消費量が少なくて済む風系の術
あとはこの土地に多く精霊が住む火系の術だ。
万が一潜入した後見つかってしまい戦闘になったら
使えるのは風系の術だけになるだろう。
火事になってはいけないから室内で火系の術は使えないし
土系の術は地面が無ければ霊力消費量が上がる。
あくまでこれはおれとイシャンの我儘から来る寄り道だ。
今後の行動に支障を出してはいけないし
無駄に霊力を消費するのは避けなければいけない。
ただでさえ、転移でかなり消耗してしまうのだから。
まぁ、久しぶりにゆっくりぐっすり眠れたおかげですこぶる快調だけどね。
無事、遥か彼方にあるメネスのアハマド商会の本部
その一室であるイシャンの部屋に辿りつけたら問題なし。
ここから先は時間との勝負だ。
ジューダスと約束した時間は五分。
五分以内に全ての金貨を回収し無事に戻ることが出来れば大丈夫。
回収には3分あれば充分だとイシャンからは言われている。
悠々と
とまではいかないにしても時間にある程度の余裕を持って行動できる。
もし、万が一転移先がズレてしまったら
その余裕は無くなるし即行場所の把握をしてイシャンの部屋へ急行する。
全て回収できなかったとしても時間が来れば撤退。
どちらにしても
おれはイシャンが家探ししている間に
転移の術を唱え周囲から襲撃がないか気を配る。
襲撃も何も問題なければそれで良し。
あった場合。
イシャンの身の安全確保と撤退が最優先となるが
相手が魔族のような確実に倒すべき相手だったら
可能な限り戦力を殺げるように尽くす。
追跡を免れる事が出来るし、今後の行動の事を考えれば
折角機会を得たのであれば
出来るだけ敵を弱体化させておいた方が良い。
そうすれば、わがままを言った甲斐もあるもんだ
と自分の行動を正当化できるしね!
ま、言葉にするととても単純だ。
転移→金貨回収→撤退
問題が起きれば臨機応変に対応。
それだけの話だ。
大丈夫。
何か…胸につっかえているものがある気がするが
問題ない。
大丈夫だ。
「そんじゃ行ってくるし、カレーでも食べて待っててよ」
ジューダスから譲り受けた外套を普段の装備の上から羽織り
なるべく軽い調子で待機組に声をかける。
おれの身長では少し……だいぶ長かったので簡易的に裾上げして貰った。
まだまだ身長を伸ばす気はあるので切らずにきちんと縫合したいのだが
今はそんな時間の余裕はないし
日が昇りきっていないので針仕事は出来ない。
その上で。
丈夫な外套が故に通常販売している裁縫道具では
切ることも縫う事も出来ないのだとか。
信頼できる武具職人に直して貰わなければどうにもならないって。
どうにもならない
って言って放置して外套の裾踏んずけて転んでしましました~
って言ったらシャレにならないので
ジューダスに簡単にして貰った。
精霊術を使って滅茶苦茶頑丈な針と金属で出来た糸を作り
それを使用して無理矢理縫っていた。
縫う、と言うと裁縫職人に針坊主にされてしまう程度のものだったが。
ジューダスが不器用と言う訳ではなく、それ位大変なのだろう。
点で合計十か所程留めて貰っただけだ。
それでも、引っ張られたり雑に扱わなければ、まず問題ない。
横ではイシャンとラシャナが今生の別れの如く
ちゅっちゅいちゃいちゃ猪目を乱舞させている。
うっとうしい。
縁起でもないからそう言う事はしないで頂きたい。
イシャンの部下たちは
自分たちが酔いつぶれている間に何が起きたのやら??
ってか誰だ、こいつ??
と言わんばかりにジューダスを見ながら混乱している。
ラシャナに説明しておくように頼んだから
おれ達が消えた後その混乱状態解除してね。
そのジューダスは視線にたじろぐこともなく
平然と、おれ達に興味もないように自分の武具の点検をしている。
軽装だから、さして点検するものもないだろうに。
まぁ、おれがこいつの防具一個貰っちゃった訳だし
防御力を数値化した際それが下がっていることになる。
いつもの調子で戦闘をして、防御力が下がっていることを忘れていて
怪我をしてしまいました~
と言ったら間抜けじゃすまされないもんね。
念入りにするのは当然か。
そもそもおれじゃあるまいし
ジューダスにはそんなうっかり似合わないもんね。
……言ってて悲しい。
今すべきことではない意味の無い事をわざわざする人ではないんだよな。
もしかして
『さして、気負いする事ではない』
そう態度で表してくれているのだろうか。
このツンデレさんめ!
……とか言ったらまた顔を歪めそうだな。
やめておこう。
「じゃあ、十分以内に戻ってくるから」
イシャンをラシャナからべりっと首根っこをつかみはぎ取る。
依頼主と言う枠からもう半分以上外れている訳だし
存外適当な扱いになってきてしまっているな。
彼から文句も出ないし良いのだろう。
父さんから教えて貰った原初語の転移術、久しぶりに使うな。
間違わないと良いんだけど。
深呼吸して息と気持ちを整えイシャンの身体に触れる。
直接肌を触った方が良いのだけど
彼の肌が露出している部分は顔と右手のみ。
顔をずっと触っているのも変だし
……おれは、手を取れないから。
その分稜地に鍛えられた想像力で補てんするさ。
──ピョエスァ ヤムドゥ ワー スィア ピュンワール クィルンワンス
唱え始めた途端、周囲の霊力が上がっていくのが解る。
以前よりも霊力の流れを敏感に感じ取ることが出来ている証拠だ。
それは、精霊に渡す霊力の流れと量を把握し
高度な術をより正確に、より精密に扱えるようになっていることを表す。
おれの力では、時の大晶霊を呼び出すことは不可能だ。
それでも、彼の存在を感じる事が出来る。
遥か彼方、別大陸。
強大な……稜地よりも、白亜よりも、なお
おれでは到底抱えきれないような大きな力を持っている存在を感じ取れる。
今までは出来なかったことだ。
力を、直接貸してくれている。
イシャンが想像している先に、転移を。
心の中でそう願った、その瞬間。
おれ達は、無事に砂漠地帯から姿を消えた。
転移をした後の、若干頭が揺さぶられたような感覚。
集中する為閉じていた目を開くと見覚えのない部屋が視界に映る。
夜明け前だから、という事と
この部屋の持ち主が不在だから、という事
二つの理由で室内は暗く、少し埃っぽい。
目を閉じて居た事も有り既に暗闇に目が慣れたが
イシャンの方はどうだろうか。
おれではこの部屋がイシャンのものなのか
はたまた別の人物のものなのかが判断つかない。
……いや、イシャンの部屋ではない気はする。
埃っぽくはあるが、嗅ぎ覚えのある甘い匂い。
これは……
「ここ、ラシャナの部屋だわ。」
やっぱりぃぃぃ!
このボケ!!
出発前にいちゃこらしてたからそっちに思考引っ張られたな。
この阿呆!!!
「お前の部屋、ここから近いの?」
来てしまったものは仕方ない。
あとでしばき倒せば済むことだ。
今は時間が無いんだ。
さっさと行動しなければ。
「夜這いかけるために作った隠し通路あるから
そこ走ればすぐだよ。」
ぐっと親指を立てて即行仕掛けを発動させようと
壁の一部をまさぐり始める。
理由は不謹慎だが、まぁ、良いや。
おかげで少し、良い感じに気が抜けたし。
きついがなんとかギリギリ横並びになれば
二人が入れる程度の狭く開かれた通路に入り込み
イシャンが再びそこの扉を閉める。
おれは既に術を唱え終え杖に待機完了させてある。
ここに飛ぶ際の感覚が今までの転移と結構違ったのだが
その差のせいなのか、霊力消費量は想定よりも随分少ない。
この分なら待機状態でも結構な術が使えるかも。
いや、使わない状態で居られるのが一番良いんだ。
下手な事考えるのはよそう。
淡く紺色に光る杖を見て
イシャンもあとは自分の目的が果たされれば戻るだけ
という事を理解したらしく
靴を脱ぎ無言でうなずき走り出す。
あ、音出さないようにって配慮ね。
おれは一応気を付けていれば無音で走る事も可能なので脱がないが。
走ること数十秒。
イシャンは多少だが息が上がっている。
単純に走る事に慣れていないのだろう。
冒険者じゃないんだ。
自分の足で走る機会がある人なんて
かけっこをして遊ぶ子供以外、そうそういない。
そんな全力で走って
力が入らなくて高い所に隠した金貨が取れませ~ん
とか言うなよ。
おれに救いを求めるなよ。
行き止まりにたどり着き、そこを開ける為の目印なのだろう
かすかに光っている壁の一部を押し扉を開く。
塗料でも塗ってあったのかな。
もしそうなら普段光にさらされていないと光らないし
自然発行する苔でも生やしているのだろう。
なんとも気持ちの悪い
胸の奥を渦巻く嫌な感覚こそ拭えないが
開かれた扉の先には
誰が居る訳でもなく、待ち構えて居る訳でもなく
広いが少ない家具しか置かれていない
なんとも簡素な部屋が広がっていた。
寝床に、机と椅子
そして大小さまざまな引き出しがついている箪笥。
この三つだけだ。
こちらの地方ではかなりの高給取りだろうに。
旅業の最中だからかと思ったが
彼の着替え含む持ち物が少ないのはもともとだったのか。
ラシャナとの結婚資金や
自分を育ててくれた教会への寄付金
メネスに居る孤児たちの面倒もみていると言っていたし
自分に全然お金使っていないんだろうな。
んで、こんな何もない部屋のどこにお金隠してんの??
疑問に思っていると
イシャンはまっすぐ箪笥の方へ向かう。
箪笥の引き出しが二重になっていて
その底にでも貼り付けてあるのだろうか。
周囲の気配を探りつつ見守ろうと腕を組むと
彼は一つの引き出しを引っこ抜き……
また別の引き出しを引き抜いた。
???
小さめのその二つの引き出し二つ分の大きさの引き出しと入れ替え
パッと見ただの台輪にしか見えない
箪笥下部から自動で飛び出してきた収納に入っていた引手を取り出し
棹通しと合体させて帯金具に差し込む。
すると……
な、なんと言う事でしょう!
片開き戸についていた帯金具が外れ、中から一枚金貨が現れたじゃありませんか!
ようは絡繰箪笥だったって訳ね。
よくできてるな。
更にその外した帯金具を持って慌ただしく机に向かう。
椅子を引き机の下に潜り込み何やらごそごそもぞもぞ。
出てきた彼の手には更に二枚の金貨と金具が握られており
その金具を寝床の横に差し込みがさごそやって
また二枚、手中の金貨を増やした。
うん、へそくりって隠すものだとは思うけどさ。
こんな絡繰満載の面倒くさい手順使わないと
取り出せないような仕掛け使っているやつはそうそう居ないと思うよ。
まぁ、お金大好きイシャンらしいと言えばらしいか。
聞いていた金貨の枚数は五枚。
無事、全額回収出来たようで何よりだ。
時間も、残り一分は切ってしまったが問題ない。
安心し、ほっと息を吐いた、その、瞬間。
得も知れぬ重圧感が一気にのしかかる。
魔力を扱える、と言っていたイシャンなんかは
この重圧にある程度抵抗できるためか
前傾姿勢になった程度で踏ん張りとどまっているが
おれは完全に気が抜けた所に襲いかかった事と
最近、稜地に言われ魔力をなるべく使わないようにしていた事
この要因が重なり前のめりに倒れ込み膝をつく事となった。
≪これは、フートの……≫
稜地の言葉が響くが途中でかき消される。
契約した大晶霊の言葉を消す程の力ってどんなんだよ。
ジューダスにやられたように、繋がり自体は切れていない。
稜地の力がおれに及ばないように無効化されているか
もしくはおれの霊力に制限を加えたか。
精霊の力が人間に加護を与え安寧をもたらす領域を生み出すなら
魔族の力は混沌と殺伐、そして破壊を招く領域を作り出す。
魔力に劣る霊力はその領域内では制限され思ったように振るえなくなる。
やばい。
どこにいるのか把握できない現状ですらこの重圧だ。
対峙したら撤退できなくなる。
イシャンに目を向けると、
重圧に顔をしかめ立っているのもしんどそうだ。
なのに、こんな状態でも彼の手にはしっかり金貨が握られていた。
素晴らしいね。
苦笑と共にイシャンに杖を向ける。
怪訝な顔をしたのもつかの間。
その顔が怒りの表情に変わり罵倒が放たれそうになった、その瞬間。
待機させていた術を発動させ、彼はこの場から姿を消した。
そう、イシャンだけ。
この領域内では彼を転移させるだけでも
二人分を転移させる霊力でなんとかぎりぎり足りるか足りないか
と思っていたのだが、一応足りたみたいだ。
良かった。
なんとか霊力の流れがジューダスの元へと
辿りつけた事だけは把握できた。
結構、おれってば霊力の扱い長けてきてるんじゃん?
それとも、単なる火事場の馬鹿力ってやつかね。
近づいてくる重圧感をまとったナニカ。
それと対峙する気は毛頭ないけれど……残念ながら
稜地を含め微塵もこの場に霊力を感じることが出来ない。
もう一度転移の術を使って離脱する事は叶わないようだ。
どんだけ力強いんだよ。
稜地が、フートの、って言ってたな。
なんだっけ?
魔王の直属の部下的な存在の三人のうちの一人だっけ?
正直、甘く見ていたな。
一度闘って負けなかったし、今まで見て来た魔族の程度からしても
魔族と言うのがここまで強大な存在だとは思わなかった。
アハマドが妻子犠牲にしても自分の身を差し出した気持ちが解らんでもないな。
いや、奴は恐怖から従った訳じゃなく、自分の欲に従っただけだっけ?
ま、良いや。
どうでも。
扉が、音を立てて開かれた。