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ジューダスは一つ、あからさまにため息をついて『少々、席を外す』と言って、パッとこの場から消えてしまった。
うん、消えた。
詠唱もなく。
跡形もなく。
前触れなく。
え、えぇ~…
あ、ありえねぇ…
え、精霊術使った時の残留物すらないんだけど。
どうなってんの??
大抵精霊術を使う時、大抵必要な霊力の量よりも精霊に渡す為に集めた霊力の量が多過ぎて、術発動後にその過多分がキラキラと粒子として周囲に残る。
必要な量より少しでも足りなかったら術が発動しないからね。
それならば最初から余分に用意した方が良い。
術が大きければ大きい程、渡す霊力が多くなるので調整も難しくなり、結果、残留物も多くなる。
術師がどれだけ正確に霊力をコントロールできるかで勿論変わって来るけどさ。
術を発動させるのに必要な霊力を、正しく精霊に渡すことが出来るなら残留物は出ない。
足し引き零にすれば良いだけの話だから。
言葉で言うのは簡単だし、机上の計算では可能な話だ。
だけどそんなことが出来る人、今まで見たことないぞ…
おれでも、最近試しまくって使いまくった飛鶸を出現させる時には多少残留物が出てしまう。
霊力をほとんど持たない人間でも使えるような初級の術なら、まぁ、制御もしやすいし普段から使い慣れているからと言う理由でほぼ出さずに使えるけど……
あくまで“ほぼ”だ。
今ジューダスがしてのけたように、何の片鱗も残さずには出来ない。
しかもさ…
居なくなった理由が、おれと稜地がお馬鹿な会話していてそれに呆れたから、なんて更に馬鹿馬鹿しい理由じゃないよね??
違うよね??
「……あのお方がレイシスの代役をしてくれたら良いんじゃないかしら?」
「と言うか、あの方が代わりにしてくれたら簡単に問題全部解決するんじゃないか?」
「おれもそう思うけど…あくまで、商会への侵入はお金回収って言うイシャンとおれの我儘。
魔薬やアハマドの件も、基本おれ達の問題だから過干渉しませんって姿勢を崩すつもりはないんでしょ」
突然消えた、ジューダスが座っていた場所を見つめて同意に同意を重ねる3人。
ってかさ、分かってはいるけど
『お前役立たず』
発言されているようでちょっと悲しい。
また弱気なおれが顔を出してしまうぞ!
いじけちゃうぞ!!
「その通りだ」
その言葉に被せるように、消えたはずの人間が現れた。
パッと消えたと思ったらパパッと戻ってくるってなんなんですか、あんたは!?
心臓に悪いわ!!
役立たずって自分の事思っていた所に現れたらお前にまで同意された気分になるから辞めて!!!
ほんと!!!!!
「アスラを一発、殴って来ただけだ」
『ちょっとお花摘みに行ってきました』
程度の軽い言葉で言うようなことじゃないと思うよ?
転移の術って、おれも結構簡単に使っちゃっているから忘れがちだけど、一般的な術じゃないし、かなり霊力を消費するから、詠唱を学んだとしても使える術者は限られてくる。
かなり大ごとだからね??
「あんた見ていると、おれの精霊術って程度が低いんだな~ってへこむわ~
常識が崩れる」
「俺からしてみれば、レイシスの精霊術も、充分常識から外れているからな。」
はて?
稜地と契約する前は、経験値の低さを精霊術で補助している感があったし、冒険者になりたての割には周りの足を引っ張る事もなく、かと言って頭二つも三つも周りよりも秀でていると言う事もなく。
いたって普通の冒険者として過ごしてきた。
稜地と契約して以降は、おれの術が通用しない相手との戦闘が相次いでいるし、何度か死にかけてもいるし。
おれの精霊術は世界に通用しない脆弱さだと突き付けられている。
常識はずれと言われてもなぁ…
今の状態ではまだまだだって思っているのに、既に常識から外れているとな。
現状から更に精進しようとしているおれって一体…
そのうち、化け物呼ばわりされてしまうんじゃなかろうか。
でも少なくとも、さすがに知り合いを殴りつける為だけに転移術なんて疲れること、おれはしないぞ。
「経験を積めば嫌でも使えるようになる」
ジューダスは、軽口を聞き流し、何事も無かったかのように先ほどと同じ位置に腰を下ろした。
今ジューダスがやってのけたように、パッと任意の場所に移動できれば楽なのになぁ…
飛鶸に目印になって貰わなくても気軽に正確に転移できるのに。
イシャンの部屋に一直線に飛ぶことだって出来るだろうにな。
さすがに、行ったことがない場所には、目印になるようなものがなければおれの力では転移出来ない。
あ、ジューダスもそうは見えなかっただけで、父さんを目印に飛んだのかもしれないか?
そうだとしても、霊力の残骸すら残さないのは驚嘆に値するが。
「一つ、助言をしようか。
お前がアスラに習った転移の術の有効範囲を思い返してみろ」
過干渉しないと言う割には助け舟出してくれるの!?
意外といいやつね!
しかし、父さんから習った転移術の、有効範囲?
有効範囲??
術者であるおれと、おれが触れている上で、『こいつも一緒に転移するぜ~』と念じた対象の人物が転移の有効範囲になる。
それは別に、父さんから習ったものに限定せずとも、転移術は指定した対象をイメージした任意の場所に移動させるものである。
衣服や装備品など身に着けている物は基本的に『対象の人物の付属品』としてみなされ、イメージに組み込まなくても勝手に一緒に転移してくれる。
身に着けていなくても無機物なら、転移対象が触れていれば付属物認識されるかな。
ただ、大きいものの場合はイメージしないと駄目。
付属物とみなされるかどうかの可否が存在するのだから、境界線があるんだろう。
単純に“大きいもの”の基準が体積なのか質量なのかは実験した事がないので不明。
またどの程度の大きさまでなのかも実験した事がないので不明。
とりあえず、馬車の場合は無理だったな。
馬だけイメージして馬車を転移できないか試したことがあるけど、その時は馬と、馬に付けられた馬具だけが転移された。
しかし、そこに馬車にのった馭者がつくと、馬車ごと転移される。
この差は何なんだろうなぁ~
全くわからん。
消費される霊力の量で対象の範囲が広がることくらいは分かる。
ヴェルーキエでは、十人以上の術者によって指定された特定の三人を同時に数キロ先の同じ場所に転移させていた。
意思さえ疎通して対象を絞っていれば、複数の術者によって一人の対象を転移させることも可能だ、と言う事である。
精霊術大国であるブリタニアだったら、王族の身に危険が迫った時に王宮術師によって国王をはるか遠くの国に亡命させて逃がす、なんて事もできるかもしれないな。
抵抗値が上がってしまうせいか霊力の消費量が爆上がりするが、そこに転移させられる対象の意思は関係ない。
国民思いの可憐なお姫様なんかが
『大事な国民を置いて逃げるなんてことできません!』
と泣いて抵抗したとしても無意味なのだ。
単なる妄想です。
ジューダスは“父さんから習った”と指定した。
つまり、父さんが教えてくれた原初語で唱える術は、ヴェルーキエで学んだものとは勝手が違うと言う事なのだろう。
おれはジューダスの前で自分で作った転移術を使った事がない。
なのにも拘らず、指定したと言う事は違いが明瞭にあるということだ。
違う所……はて?
「お前、アスラに言われて学校に通わなかったのか…?」
「え?性に合わないからすぐ辞めた」
おれの言葉に、ただでさえしかめられていた目元が、更に歪む。
もう、その目が『信じられない…』と不快を通り越して呆れているのだと語ってくる。
なんだよぅ!
蔑むどころか言葉を失うほど呆然としなくたって良いじゃんかよぅ!!
「……精霊術を扱う際の詠唱の文句一つ一つに意味があるのは知っているか?」
「それは勿論!
その言葉を持つ意味と、自分で思い描いたイメージを合致させて、それに応じた霊力を精霊に渡して協力を仰いで術を発動させるんだろ?」
「まぁ……、大体は合っている。
アスラが知っている術は、基本、原初語の物だけになるだろう。
原初語で精霊に語りかけた場合、原初語が一般的に使用されていた年代から存在する精霊のみが、その言葉に応じる特徴がある。
古代より存在している精霊は、自我を持っており、そのせいで術者を選り好みこそするが、その分力が強く、そして術者の力量によっては意図しない範囲にまでその効果が及ぶ。
都市を1つ消滅させることもあれば、1つの大陸全土を浄化させることもある。
…術者側が想像できないような場所に転移する事も、な」
ぽんっと間の抜けた、合点がいったと手を叩いた音が響く。
いまいちピンと来ないジューダスのセリフに疑問符を頭の上で大行進させていたのだが、最後に付け加えられた言葉でようやく思い至った。
そっか。
父さんが教えてくれた方の転移術なら、わざわざ飛鶸を飛ばさなくても、イシャンに自室を想像して貰ってそこに転移するようにおれがイメージを乗っければ良いんだ。
そうすれば飛鶸分の霊力を無駄に減らさずに済むし良いこと尽くし。
その上で、イシャンの部屋に侵入者が出た時に警備にその報せが入るように方陣が組まれていたとしても、ごくごく短時間で事を済ませられれば、警備が到着する前に撤退も出来る。
稜地がいた、ドハラ神殿に転移する時にやったじゃんね。
あの時なんて、意識を失っているエリアンニスの記憶に無理矢理侵入までしたんだった。
最近、自分で考えた方しか使ってなかったから、すっかり忘れていたよ。
うっかり、うっかり。
あっはっはっ。
父さんには
『なるべく人前で使うな』
って言われたけど、実はあまり隠し立てしなくても良いと言う事なのだろうか?
原初語の精霊術を知らなさそうな二人が聞いている前でも、普通にどういうものなのか話しちゃっているもんね。
「助言ついでに聞きたいんだけど、乳幼児や、胎児への影響とかってなんか出る可能性あるの?」
「過去その例がないだけで、確実に否定は出来ないな」
まぁ、そうそうそんな場面に出くわす事なんてないもんね。
やっぱり、リスクが伴う以上、ラシャナは置いて行くべきだ。
「ふむ……
ジューダスは、さっき指定してきた5分以内、って言うのが守られるなら、その間のラシャナの護衛って引き受けてくれる?」
「人に物を頼む時、どうするよう教わった?」
だから、質問に質問で返すなよ。
頼む立場で指摘できないのが辛いな。
「おれ達が席を外している間、ラシャナの護衛をして下さい。
宜しくお願いします」
言って、頭を下げた。
まだ、他の案がない訳ではない。
だから土下座まではしなかった。
そんな簡単にするものではないからね。
「5分厳守だ。
それが果たされるなら、承った」
わ~い!
ありがたぅ!!
ジューダスも、おれが自分の意図した方向に話を持っていく事が出来たからか、心なしか声が明るいように感じる。
うん、気のせいだろうけど!!!
「んじゃ、それならイシャンの準備が出来次第、ぱっぱと商会本部に飛んでしまった方が良いね。
転移の術の存在自体一般的じゃないんだし、さすがに、この距離を瞬時に移動できると向こうは思わないでしょ。
往復分の霊力が足りなくても、まだ父さん印の回復薬があるし。
ジューダスが目印になってこの場に留まってさえくれれば霊力消費量が少ない方の術で帰って来れる。
5分…様子を見る為にも、10分だな。
10分経ってもおれ達が戻って来なかったら、作戦は失敗して捕えられたか死んだか、何かしら起きたと判断して、ジューダスは父さんに報告するなり、自分の当初の目的通り動いてくれれば良い。
ラシャナは…まぁ、そうならないように気を付けるけどさ。
その時には、国外逃亡して、自分の身の安全確保に努めて。
それが元々のイシャンからの依頼な訳だしね」
言って、カガミがイシャンに渡した宝珠に更に霊力を込めて手渡す。
先程込めた霊力程度では、身を隠しながらの移動では時間がかかる。
国外に出る前に宝珠の効果が切れてしまう可能性があるし、子供が大きくなるまで世を忍んで生活をする、と言うのは中々骨が折れるだろう。
諸々考えて、宝珠の限界ギリギリまで霊力を込めた。
どうせ、この程度の霊力だったら今さら減ろうが足されようが、おれの霊力の全体量の一割にも満たない。
ラシャナは、何か言いたそうだが、自分が無理について行った時に足手まといになる事が明白だからか、言葉を飲みこんでくれた。
大丈夫だよ。
念のため言っただけで、おれだってこんな所で死にたくないし。
大金とは言え、イシャンだって『また稼げば良い』と言っていた金額なのだ。
つまり、また稼ごうと思えば稼げる程度のお金。
命をかける程ではないと言う事。
囚われそうになったら首根っこ捕まえてでも離脱する。
勿論、バレないのが一番良い。
イシャンがメネスにいると言う事がアハマド側に知れたら、厳戒態勢を取られてしまい、今後の作戦に支障が出る。
そうならないための『原初語転移術で私室に一直線作戦』なのだから。
…そのまんま過ぎて面白みがない名称だな。
ジューダスは、様子見のために10分、と言ったのに特に異論は唱えてこなかった。
信用してくれているのか、異は唱えないけど5分しか待たないよ、と言う事なのか。
白亜にある程度回復して貰えたとは言え、そのジューダスとの戦闘で、霊力枯渇まで行ってしまったのが悔やまれるな。
疲労までは解消されていない。
疲労は、判断力を鈍らせる。
作戦に支障を出さないと良いんだけど…
まぁ、そこは気力と根性でなんとかなる。
…と、良いな!
霊力が完全回復していないのも、一応問題と言えば問題なんだよな。
何かが起きた時、霊力の残量が多い方が当然良いに決まっている。
霊力枯渇を起こすまでドンパチする事はないけど、万が一のことを考えるとね~
回復薬があるって言ったって、量は飲めない。
回復薬だって腹にたまる。
飲み過ぎたらお腹がたぷんたぷんになってしまい、走ればたゆみお腹に穴が開いたらそこからぴゅ~っと水芸のように漏れ出てしまうことだろう。
後半は冗談とは言え、ようは行動に制限が出てしまう。
完全回復する迄飲み続けるなんてこと、おれには出来ない。
地図を見る限り、おれがドハラ神殿まで転移した距離と、現在地からバルナまでの距離は比較した時、およそ5倍。
単純に、あの時使用した霊力の5倍値を消費すると考えれば良いだろうか。
精霊術は、上位のものであればある程、当然霊力の消費量は増える。
単純に倍、倍と増えて行く訳ではないし法則性がある訳でもない。
しかし、転移の術に関しては、幾度かしか使っていないため、法則として確定しているとは言えないが、距離に比例して霊力消費量も増える、気はする。
あの時消費した数値を30とするなら、150……まぁ、多く見積もるに越したことはないから200消費する、と考えておけば良いだろう。
それなら、片道分の霊力なら充分あるように思える。
商会本部に到着次第、イシャンが家探ししている間に回復薬を1,2本飲めばいける。
おれが考えた転移術は、精度こそ原初語の転移術には劣ってしまうが消費霊力はその半分~2/3程度で済む。
他の術と比較したら、そんな回数使った事がない術だから断言が出来ないのが怖い所だけど。
想定よりも霊力を消費してしまった時には、仕方がない。
吐き気と戦いながら回復薬一気飲みしますよ。
残り少ないし、作らないとな。
作ろう作ろう思ってて忘れていた。
こういう、細かい部分の失念が多いのがおれの悪い所だな。
積もり積もると大ごとになってしまいかねない。
「急いては事を仕損じる。
お前も、霊力を回復しておいた方が良い。
とりあえず今日はゆっくり休め。
攻城戦の最も効果的な時間は早朝とも言われている。
行動するなら、真夜中か早朝だろう。
馬車の細工は既に無力化してあるから、安心して休むと良い」
あ、さっき馬車の方でゴソゴソ何かしてたの、細工を見る為じゃなく解除をしていたのか。
すんごいね。
見た目全然変わっていないのに。
「って言ったって、無力化した事アハマド側にバレたらまずいんじゃないの?」
「一定時間経過ごとに現在地が発信される単純な物だ。
でたらめな信号が出るようにしておいた」
おぉ~、そんな事が出来るのか。
凄いね。
最初の印象こそ、いけ好かない不遜な態度をとる嫌な奴、って感じだったけど、博識だし意外と世話焼きっぽくアレコレ助言や補助をしてくれるし、何より父さんが全幅の信頼を寄せている人物だ。
この人から学ぶべきことは多いのかもしれない。
「んじゃ、お言葉に甘えて寝させて貰う。
ジューダスは?」
「見張りを受け負おう」
「良いの?」
「悪いなら最初から言わない」
「……ありがとう!」
不遜な物言いこそ少々引っ掛かるが、それは気にしないふりをしてニカッと笑ってお礼を言ったら、目元が綻ぶのが分かった。
うん、やっぱり目元だけでも意外と感情の確認は出来るものだ。
先程の声の調子が上がったのは勘違いだったとしても、今回のは見間違えじゃない。
なんか、手負いの野獣を手懐けていくような気分だ。
攻略していく感じ?
血沸き肉躍るぜぇ。
手をわきわきしていたら、先ほどとは打って変わった冷たい声で
『早く寝ろ』
と言われた。
ちょっとは仲良くなれたかも!?と気分が高揚しかけていた所に、冷や水をぶっかけられた気分だ。
攻略までの道のりは、まだまだ遠いようだ。
ちぇっ