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おれのぽつりとこぼすように口にした小さな言葉を、聞き漏らすことなく拾ってくれたイシャンは腕を組み眉間にしわを寄せながら、途切れ途切れに答える。
「2分?……き、びし…い……なぁ。」
話しながら頭の中で試してみたようだが、流石に難しいようだ。
大金だし、金庫に入れてあるとか、分散して隠してあるとかしているのだろう。
いずれにせよ人目につきにくい場所に置いてあるのは間違いない。
母さんもへそくりは分かりにくい所に分けて隠していた。
…父さんは、分かりやすい所に隠すように置いていたな。
なんでだ??
場所を把握している持ち主でも、その全てを回収するのに2分は流石に短すぎるか。
1分は心に余裕を持つためにも余分に取っておきたいし、全ての作業に提言された5分ギリギリまで時間をかけてしまったら、ジューダスを説得するのは無理だし、それじゃあこの案は却下だな。
浮かんだ案を心の中で棄却しようとしたのだが、具体的に『“2分“以内で出来るか否か』を聞いたせいか、二人の視線が『なぜ?』と疑問を投げかけてきた。
「あ~。
侵入経路の確保が出来なくてもさ、考えてみれば転移の術を使えば何とかなるよなって思ったんだ。
って言っても、そもそも妊婦への影響がどう出るか判らないからラシャナは連れていけないし、離脱後の転移先に目印になるような霊力の持ち主が必要だからジューダスも離れた場所で待機して貰う必要がある。
だから……」
「待て。
転移の術が扱えるのか?」
「ん?あ、あぁ、うん。
父さんから教えて貰ったのと、ヴェルーキエの研究者達の実験資料を基に自分で作ったのと、2種類」
今回この案が通るなら、自分で作った方になる。
転移の術をおれが扱えることならイシャン達は知っているけれど、父さんから教わった詠唱は、人前であまり使わないように、とくぎを刺されているからね。
自作の転移術はまだイメージだけで飛ぼうとすると多少ではあるがズレは生じてしまう。
出現場所が地面の上ではなく空中になる事が多いんだよね。
それでも、その覚悟さえしておけば、転移直後に風の精霊術を使って物音を立てずに着地する事も可能だ。
地中に転移してしまう、と言う事はないから転移した途端窒息死、と言う事はない。
少なくとも、今の所は。
使用回数の分母がまだ十数回と小さいので、要検証事項である。
座標の指定は、それでも少しずつ精度を増してきている。
ズレても、ほんの数歩程度の距離だ。
最初のうちはメートル単位で違った事を考えれば、随分進歩していると言えよう。
目印さえあれば、ほぼ正確にその目印目がけて転移できる。
建物内部に転移をした事は一度しかないから、もしかしたら一階部分ではなく二階部分に転移してしまう、なんて可能性も、あるにはある。
なにせ、空中に飛んじゃう位だし。
しかし、イシャンの部屋の真上は備品室。
人が寄りつく事は滅多にないので問題はない。
なんなら備品室の床に穴開けて侵入しても良い訳だし。
え?修理代?
オレナンノコトカワカラナイナー
さすがに、目印に目がけて飛ぶのだから、屋根の上に転移しちゃって即侵入しようとしている所を見つかっちゃいました、と言う事はないだろう。
うん、ないない。
精度は増しているとは言え、それでも不安はある。
なるべく少人数で済ませたい。
おれはイシャンのへそくりの在り処は分からないのでイシャンは絶対に連れて行く必要がある。
先ほど言った通り、妊婦への影響がどう出るのか不明なのでラシャナは絶対に連れていけない。
特にお腹の大きさからみても、赤ん坊がいつ生まれたっておかしくない、と、思う。
医者でもなければ助産師でもないので、さすがにそこまでは判らない。
その何が不安って。
転移の術は術者が対象の人・物をイメージして飛ばすことになる。
ラシャナに付属している衣服のように、一個の同一の存在だと精霊が赤ん坊の事をみなしてくれれば問題はない。
だけど、お腹の中では、すでに立派に手足も脳もある立派な人間が形作られている訳だろ?おれが上手く想像できず胎児だけこの場に残るなんて恐ろしい事が起こりうるかもしれない。
そんな猟奇殺人のような現場、想像すらしたくない……
なので!
『指定された5分どころか、な、なぁんと!!
一分も早い4分以内でなんとか全部済ませるからここで目印としてラシャナと一緒に待ってて下さい!!!
お願い、ぷり~ず!!!!!』
とジューダスに拝み倒そうとしたんだ。
行動に移すのがバルナ国の領土に入ってからなのか、メネスにまでたどり着けてからなのかは、まぁ追々状況によって決めるとして。
転移する前に飛鶸に内部のひと気が無い場所を探して貰って、飛鶸を目印に内部に侵入。
そこからイシャンに案内して貰って英金貨を回収、即撤退、と言う流れを考えたんだ。
イシャンの私室に直接飛べれば何の問題もない。
しかし、世の中そうそう都合よく物事が運ぶわけではない。
ラシャナの話では、屋敷全体にではないが、侵入者予防の方陣が組まれているそうだ。
方陣の仕組みが分からないラシャナには、その方陣が何の目的で描かれていて、どんな条件でどんな作用をもたらすよう術式が組まれているのかは分からない、との事で残念。
組まれている場所は、彼女が把握している箇所だけで玄関・食堂・宝物庫・執務室の四か所。
他にもある可能性はある。
潜入捜査に就いてから何年たっているんだよ、と言う話ではあるのだが、方陣は結構特殊な精霊術で、法則性や術式をある程度暗記していないと読み解く事が不可能だ。
そう言う勉強をしていないのなら、ラシャナが全容を把握できていないのも、仕方のない事である。
むしろ、方陣の存在に気づいてから独学で学んでそれだけの数を調べ上げただけでも、彼女の有能さが理解できると言うものだ。
危険を避けるために、それに触れてはいけない。
飛鶸は微精霊を核にしている。
精霊術に反応する方陣だとしたら飛鶸が触れた途端侵入を悟られてしまう。
方陣の種類にもよるが、高度な侵入者防止用の方陣となると、下手をしたら術者であるおれの居場所や霊力の波長まで探知されてしまう。
居場所がバレれば奇襲される危険が増すし、ひとそれぞれ微妙に違うと言われている霊力の波長を向こうに認識されてしまうと、街の出入りの際検問に引っ掛かって不法侵入の罪でお縄になってしまう。
勿論、探知される前に退避が出来れば問題ないが…
問題ない、と甘く見ていたけれども相手の方が一枚上手で実は丸っと全部把握されていました、となったら最悪だ。
そんなリスクは負いたくない。
イシャンは精霊術や魔術の類を自分の部屋で使った事は無いと言う。
彼の部屋にもその方陣が組まれている可能性が出てきてしまう。
もしそうなら、直接彼の部屋に転移することはできなくなる。
部屋の扉前に転移できれば、まだマシだけど…
商会本部となれば、人の出入りが激しいだろうし、どの人間にも発動してしまうような方陣は組まれないだろう。
侵入者を警戒するあまり、そんなものあちこちに組んでしまったら仕事に支障が出てしまう。
しかし例えば、冒険者証のように、商会の人間や内部へ招いた人間に対して目印になるようなものを持つことを厳守させられており、断りなく屋敷に侵入した人間に対してのみ発動する方陣が組まれていたら?
ラシャナに確認を取ったが、そういうものはないそうだ。
ただ、本部玄関手前の軒で身体検査を終えた後、必ず玄関に組まれている方陣が作動すると言う。
それが侵入者か客かの選別のために組まれた方陣だとしたなら、玄関から招き入れられた者以外全員もれなく侵入者とみなされてしまう、とか。
……と思ったのだが、イシャンは面倒臭がって正面玄関から本部に帰らない時もあれば、孤児をこっそり部屋に招いて食事を振舞ったりした時もあったから、それも無いと言う。
守衛に見つかった時に注意はされたが、それ以外の時も特に問題はなかったそうだ。
後で呼び出しを喰らって厳罰を申し渡された事もないし、孤児の方に何かあったと言うこともない。
孤児の中には、何度か出入りをするうちに道や手順を覚えてしまい、勝手にイシャンの部屋に上がり込んでいた事もあったそうだ。
それこそ、不法侵入である。
なのに、何も無い。
どんな方陣なんだ?
それ??
何の意図があって組まれた物なのかが微塵も想像できない…
方陣と言うのは、専門的な知識がないと組むことが出来ない。
単純な算術・計算式と精霊術を組み合わせたようなものではない。
いや、そういうものも中にはあるけどさ。
持ち運び式の使い捨ての方陣が描かれた巻物が売られている。
焚き火用の火を熾す為のものとか、暗い場所を明るく照らす為のものとか。
精霊術の使えない人向けの物は結構単純な作りになっている。
しかし、大陸一の商会本部に常置されている方陣がそんな単純かつしょぼい作用しかもたらさない訳がない。
方陣が設置されている箇所は人の出入りが激しい場所だ。
侵入者防止のため以外の、何か凡人のおれでは想像もつかないような意味を持つ大仕掛けなものに違いない。
うん、きっとそうだ。
どんなものか把握できない以上は安全策を取る必要がある。
一番安全なのはイシャンに箪笥預金を諦めて貰う事。
しかし金額が金額なので、出来れば回収の方向で動きたい。
イシャンの部屋に飛べるなら何の問題もない。
それが出来ない時、飛鶸にはなるべくイシャンの部屋に近い位置、かつ誰もいない、方陣が組まれている気配もない安全な場所で目印になって貰う。
ラシャナが把握している方陣が描かれている場所は、全部で4つ。
そこ以外の、ひと気が無い、転移する先として想定される場所。
その中で一番遠い所。
警備や務めている人間がいる場所によってはどうしても離れた場所に飛ぶことになる。
そうなると、そこからイシャンの部屋に移動するまでに、どれだけ急いだとしても2分はかかる。
そうなると、イシャンにはどうあがいても2分以内で事を済ませて貰わねばならないのだ。
イシャンが回収に集中している間に帰る用の転移術を唱えて待機状態にしておいて、回収終了と同時に発動させれば、時間の無駄なく行動できる。
ジューダスが目印になってさえくれれば、飛鶸以上に強力な目印になってくれるし簡単に離脱できる。
そう思ったんだけど…
まぁ、そもそもジューダスがお守り対象のおれと離れる事を好としてくれなければ、この案は無理だ。
説得材料として
『指定された時間よりも1分短く全部済ませるから!』
と言うのは、考えておきながら言うのもなんだが弱い。
稜地をラシャナの護衛兼目印に置いて行くわけにもいかないしな~
泣いて抗議されてしまう。
そりゃあもう、宝石化?コア化??してしまった時以上に泣いて鬱陶しい事この上ない事になるのが容易に想像できてしまう。
精霊は生殖により増える訳ではない為性別が無い、と言われている。
とは言え、見てくれとしては稜地は男性型だ。
立派な筋骨隆々とした身長も高く、ヴォル君を持つ姿が様になる格好良い成人男性だ。
そんなのに号泣して抱きつかれてみろ。
怖気が走るぞ。
≪あるじ……俺がツッコまないからって、言いたい放題し過ぎじゃない…?≫
半泣きのしょんぼりとした声で中から突っ込みが遂に入る。
うん、大丈夫。
場を和ませるための冗談だよ?
半分は。
≪つまり、半分は本気なのね……≫
いや、だってさ。
おれの性自認はどっちでもないって言ったってさ。
稜地の顔がいくら綺麗だって言ったってさ。
筋肉にむぎゅむぎゅと押しつぶされるのは良い気分しないからね??
いつぞや見た事がある、魅せる為に最大限まで肥大させた筋肉を持っていた、完全逆三角形の体型の男性と比べれば、稜地はほっそりしている。
無駄な脂肪もついていなければ、無駄な筋肉もついていない。
そんな体型。
鍛え上げるならこんな筋肉の付き方を目指すと、戦闘に向いた柔軟性のある良い筋肉になるだろうな。
筋肉に押しつぶされるのが嫌なら、美女の柔らかい胸の谷間だったら嬉しいの?
って話だけれども……
……うん。
結論。
どっちも苦しそうだし嫌だ。