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今のところ“あたり”の気配を感じさせない闘神時代の遺跡内部は、居ても魔獣だけ。
その魔獣も、今まで歩いてきた街道沿いの魔獣よりは強い、と言う程度。
その上、なぜか群れで行動する性質を持たないのか、ご丁寧に少し進むごとに一体ずつしか出てこなかったから、先に気付いた方が倒す、と言う戦い方で一貫していた。
連戦と言えば連戦だが、弱いし単体出現だし、体力もほとんど削られないし、楽勝、楽勝。
魔獣は魔物と違って希少性がないので素材採取の為に無駄に時間を取られることもなかったので、さくさく遺跡内部を進む。
遺跡の特性上なのか、全ての魔獣は倒して暫くすると淡い色を帯びた光の粒子になって消えて行くので、酸素がきちんと確保できるか判断できない状態の閉じた空間で、火を起こさずに済むので色々とありがたかった。
心霊魔物になった雑魚に背後からぶすり、なんて笑えない。
この遺跡は、どういう原理なのか光苔以外の、壁や柱も薄く光を帯びているので、今の所松明の類も必要ない。
魔物にやられるでも、罠にかかるでもなく、酸欠により全滅なんて恰好がつかないにも程がある。
風の精霊術がもう少しまともに扱えるようになったら、その心配も減るんだけどなぁ…
「……失くした記憶の中にあるであろうトラウマを抱えている状態、と言うのはやはり、不安なものか?」
ふてくされながら両手を握ったり広げたりしてそこに視線を落としていると、エリーヤが心配そうな声をかけてきた。
あぁ、紛らわしい動作をしてしまったか?
心の傷云々に関しては、正直、何年もこの状態で生きてきているから特に不便だったり不安を覚えたりって無いんだけどね。
イヤ、本当に。
ずっと一人で旅をしてきたから、それこそ、握手を求められるような機会なんて早々なかったし。
見てくれが子供だから舐められたのか、依頼を斡旋された時の依頼主との顔見せがあったとしても、こちらに握手を求めてくることなんてなかったし。
どちらかと言うと不遜な態度をとられてため息疲れる事の方が多かったしなぁ…
依頼完了の報告自体は完全事務手続き状態だったし、そんな失礼な奴に『またよろしく頼む』なんて言われる前にさっさと退場したし。
一か所に留まるつもりが微塵もなかったから頼まれても困るしね。
不便はなかった。
不安は……まぁ、微塵もないかと言えば嘘になる。
自分が過去に何をしていたのか、自分が理解・把握出来ないのは不安を覚える。
それこそ、“おれ”が会ったことのない人間から過去の“おれ”に対して何かを言われたりしたことがあったなら、今以上に不安だったし、情緒も不安定になっていたかもしれない。
だが、幸か不幸か、今の所それはない。
義両親に保護された後の、“おれ”を構成している大部分である今ある記憶はかけがえのないものだし、とても大切なものだ。
些末な不安に押しつぶされてしまうような軽いものじゃない。
「この状態で何年も生きているんだ。
特に気にしていないし、お前も気にする必要ないよ。
そうじゃなくて、魔獣が消えていったり壁が光ってたり、不思議だな~火を焚かなくて済むから便利だな~って思ってただけだよ」
「遺跡の中で火をたくと、亡霊に憑りつかれると言うからな。確かにこれは助かる。」
同意を得たけど、なんか変な言葉聞こえた。
『亡霊に憑かれる』
え、なにそれ?
一般常識なの??
聞けば、遺跡によっては火に寄って来る亡霊が居り、軽い頭痛やめまいを覚え、風の晶霊術を使って目に見えぬその亡霊を吹き飛ばしたり、火を消して魔法陣の中で暫く安静にしていないと症状が悪化。
猛烈な眠気に襲われることもあり、敵と相対しているにも関わらずそれに逆らうことがなかなか出来ない。
回復の呪文も薬草も一時しのぎにしかならず、そして、最終的には死に至ってしまうとか。
なので、遺跡の調査の際はなるべく松明や火の精霊の力を借りずにしなければならないことが多く、そのせいもあり、なかなか遺跡の意味を解明が進まないそうだ。
光の精霊の力を借りることが出来る術師がいればその問題は解決するそうだが、火の精霊よりも制御が難しく扱える人間はほとんどいないのだとか。
ごく少数の扱える人間は、小国に留まってなんてくれず給金が良い国や自分の望む実験環境に身を置ける場所に移ってしまうので、エリーヤの所属する国には残念ながらいないと。
遺跡内の魔獣を全て排除できれば、亡霊に憑かれた人を避難させ、別の人間が入れ替わりで調査をし…と繰り返すことが出来るので、王様の観光地開発うんぬんの我儘を抜きにしても、歴史的建造物の解明の為、魔獣討伐は必須なのだそうだ。
どう考えてもそれ、一酸化中毒じゃない??
もしくは二酸化炭素中毒。
阿呆の子なのだろうか?と呆れ顔で進言すると、目の前の剣士は「なにそれ?」ときょとんとした顔をしてくる。
えぇ……さすがにこれは常識の範疇じゃないの??
騎士団長ともなれば、ある程度頭良くないと務まらない、って印象があったんだけど、おれの思い違いなのか??
なかなか見下した考えをぐるぐる巡らせていると、
「炭素はわかるとして、一酸化、や二酸化とはなんだ?」
ととどめの一言が発せられた。
うん、こいつは馬鹿なんだな。
……と思ったが、実はそうではないらしい。
炭素、は石炭や燃料として日々扱っているから知っている。
が。
酸化や還元、そもそも化学反応と言う概念を初めて聞いたそうだ。
そりゃ、見聞きしたことがない初めての言葉が理解できないのは当然だろう。
だがしかし。
それってエリーヤが阿呆の子で、勉学を収めていないからとかそういう理由じゃないの??
「そもそも、勉学を収めるような施設がわが国にはないし、余程発展した国の大都市じゃないとないのではないのか?
世界的に有名な所なら、ジャーティ共和国のジュミ学院、ブリタニア公国のロメオ精霊術研究所くらいだ。
ヒュケビスに建設予定と聞いたことがあるが、政治的理由からそれも進んでいないそうだぞ。」
馬鹿にされたことを察したのか、君は端々で酷い物言いをするなと眉間にしわを寄せながらため息をつかれた。
苦労性で大変ね。
どうやら、おれの常識とエリーヤの常識は大きくかけ離れているようだ。
田舎育ちだから一般常識、と言う物から外れることもあるだろうな~とは思って居たし、親からも言われていたけれど、とりあえず今までの道中、何の問題もなく過ごせていたから特に気に留めなかったし、それを意識することもなかったのだが…
エリーヤが阿呆の子説も勿論あるが、それこそ、小国の騎士団長ともあれば、国王の外交についていくこともあるだろうし、ある程度の一般教養は必要だろう。
おれの常識とのずれを感じる以外、エリーヤの言動は至極まともだし、戦い方を見てても型にはまっている気はするが、だからと言って不測の事態に対応できないかと言ったらそうでもない。
何も考えず本能の赴くままに戦闘をしている訳ではなさそう。
地中から突然現れた大きい日不見みたいな魔獣に、完全に不意を打たれた襲撃を喰らった時も、咄嗟に後方に大きく飛びながら臭い袋を投げつけ日不見の感覚を鈍らせ、着地と同時に足首の柔軟性を利用し大きく前へ踏み込み魔獣を一刀両断していた。
経験と判断力、また知識がないと出来ない戦闘方法だ。
日不見は目がほとんど見えない代わりに聴覚と嗅覚が発達している。
人体にはほぼ無害な臭い袋の中身を直接顔面にかぶせられたら、その鋭い嗅覚が仇となり動きが鈍る。
そこを一刀両断。
うむ、あざやかな手際だ。
だけれど……
「臭い袋持ってるなら、最初からそれ撒きながら歩いていたら魔獣に襲われる事なかったんじゃないの?」
もっともな指摘を聞いて、馬鹿にされたことを怒ってますよ!と言う態度で腕を組んでいた彼の頬を汗が一筋伝ったのを、おれは見逃さなかったぞ。
馬鹿と言うよりは抜けている、が正しいのだろう、この男は。
なので、さっきの『亡霊に憑かれる』と言う言葉は、あくまで化学に対する知識がない故の発言なんだろうな。
精霊も悪霊も居るのだから、化学の知識がなければ、まぁ、そう考えてしまうのは当然と言えば当然なのかな?
おれの育った村では、精霊術と化学は切っても切れない関係性を持っていると言うのが常識だった。
空気は窒素と酸素とその他の気体の混合物。
限りなく密室に近い状態で火を焚けば酸素濃度が低下し命の危険が出てくる。
その際は風の精霊の力を借りて僅かな隙間があればそこから空気の入れ替えをして貰ったり、高度な技になるが二酸化炭素から酸素のみを分離・抽出して生物が活動しやすい空気の状態にすることも可能だ。
水は水素と酸素の化合物で熱すれば昇華し気体になり、気化した水は冷やせば凝華し氷になる。
一見、精霊の力を借りて様々な事象を起こせるように思えるが、質量保存の法則があり、化学変化や物理変化を起こせ得たとしても無から有を生み出すことは出来ない。
その逆もまた然り。
精霊はこの世に存在する元素に直接干渉する術を持った存在である。
それがおれの村での常識だった。
だが、エリーヤ含め、世界の常識は違うらしい。
精霊とは神である。
この世にあふれるもの全てに精・晶霊が宿っており、また、この世のすべては精・晶霊が作りたもうた存在である。
それは火・水・風・土の四大精霊を中心として、雷・氷の派生精霊、その上位に光と闇があり、最高位に時、それら全てを統べるものとして元素がくる。
精霊には霊力と信仰心を、晶霊にはそこに付随しそれぞれの晶霊が好む傾向にある石や珠を対価に力を貸して貰い、または分け与えて貰い様々な事象を起こすことができる。
何もない所から水を出したり、道具を使わなくても火を熾せるのも精霊の力である。
長らく眠りについているが、それぞれの精霊には長がおり、それを人は晶霊、及び大晶霊と呼ぶ。
“かがく“とは精霊科学であり、霊力の消費を抑え、もしくは零の状態でも精霊術を扱えるようにする道具を作り出すための学問である。精霊術を扱う際、ある程度の想像力が必要になるが、この道具を介せば任意の言葉を紡ぐか印を結ぶかするだけで術を行使できる。
それが学問であり、世界の常識である。
人の事を前時代的、と言っておきながら随分とまぁ……前時代的なものの考え方だこと。
確かに、精霊を一個の生命体と捉えた時に説明しきれない事は多い。
物理的な存在ではないから“生物”ではないしな……
属性を持つ精神体なのに物質に干渉できる存在、と言う表現しか出来ない。
だからって、神様ですが……
化学と言う概念がそもそもない場合、確かに説明は難しい。
こういうものだ、と教える事は可能だが、全ての不思議現象や自然現象を精霊のせいにするという発想を持っている人間にそれを説明したところで、不敬罪だとか言って激怒されそうである。
ってことはあれですか。
竜巻の被害や豪雨、山火事、地震の類は全て精霊のお怒りのせいじゃー!とか言うんですかね。
まじか。
勿論、そういう天災に精霊が関わってくることもあるだろう。
それを扱える術者がそうそういないから問題視されていないだけで、術によってはまさしく天災級の被害をまき散らすものだってあるのに。
魑干戈時代や、その更に前の宣託示現時代では、誰もが精霊を扱えるくらいに精霊の恩恵が満ち溢れ、ジャーティ共和国から延々と連なる天山山脈はその時代の偉大な術者:オラクルの術により出現したと言われている。
また、ここより南東に存在していたと言われるタスマンティスやレラティスと呼ばれる幻の国は、魑干戈時代の精霊術による戦争で蒸発したとも沈んだとも言われているそうだ。
大小さまざまな離島から成る南国、オネスト連邦の遺跡には確かにそれらの国が存在していた軌跡が残っている。
翡翠がよく採れる土地で、歴代のお偉いさん方が私財を投入して手がかりをつかもうともがいたが、どれだけ探しても見つからなかったと歴史上の文献として残っている、なると、眉唾程度の逸話も現実味を多少なりとも帯びる。
翡翠は風の精霊との相性が良いからな。緑柱石よりも鮮やかな緑色をして居る為か、力の還元率がとても高い。
その上で加工もしやすいから需要もある。
一攫千金を狙う人間が欲丸出しで躍起になった様を思い浮かべると滑稽である。
いずれも、歴史に残っている天災ではあるとされているが、同時に術者が起こした人災でもある、と言う研究者もいる。
そういう災害が起こった時代には、偉大な現在まで名が残っている術者が存在していたからな。
おれは後者の意見を推しているし、それが疑いようのない事実だと思っている。
何の前触れもなく島が消えるとか、自然現象ではありえないからな。
しかし、前者の考えが未だに根強く残っているのは、一般常識が『精霊は神と同等』と言う考えの元あるからだったんだな。
「この世の全てを精霊が作り出したって事は、生命体も精霊が作り出したと?
お前だって生みの親くらいいるだろうに」
「…それこそ、神の領域の話だ。私にはとてもじゃないが理解できない……」
少々青い顔をしつつ、嗜好の放棄をしたエリーヤにやれやれと肩をすくめながらも道を進む。
彼は一度最深部付近まで到達しているので、道に迷うことも罠にかかることもしなくて済むから楽だ。
あたりはずれに関係なく、遺跡によっては侵入者防止のための罠があちらこちらに張り巡らせており、慎重に進まないと命を落とす場合もある。
今回の遺跡の表層部は、少なくとも前回エリーヤとその仲間たちが赴いたときそういった類の罠はなかったそうなので安心だ。
それこそ、松明を点けて進んでいたら途中で“亡霊に憑かれて”しまったかもしれないそうだが、前述の通り、あちらこちらが淡く光っており火を熾す必要がない為その問題はない。
一刻ほど、雑談をしつつ、襲ってきた魔獣を倒しつつ歩みを進めると、今までの道中にない大きな扉が曲がり角の奥にそびえていた。
当時これを作った人間が、どれだけ精霊を崇めていたのかが遠目から伺う素人でも判るような、左右対称の文様が美しく繊細に施された美術品と言っても良い歴史の遺物に思わず息を飲む。
明かりが周囲の自然発光しかないので厳かな雰囲気が更に増して見えるのだろうが、これはすごい…
「前回調査に来たときは、この扉の前に3つ首の魔物が、扉を開けた所でレイシスが倒してくれた、あの6つ首の化け物が控えていたのだ。
連戦で体力・気力共に消耗していたことと、3つ首の魔物の時点でかなり兇悪な相手だったために、そいつがここのガーディアンだと認識を見誤ったせいで撤退を余儀なくされてな。
あの扉の奥がどうなっているのかは私は知らない。」
ガーディアンと言うのは遺跡の深部に必ずいる守護者の事だ、と注釈を入れて説明をしてくる。
エリーヤは、言葉の端々で知らない言葉こそ出してくるが、きちんとおれが理解できる言葉が見つかるまで同じ意味を持つ言葉を繰り返し、その上で説明してくれるのでとても助かる。
会話も円滑に進むし、おれの時代遅れらしい言葉しか登録されていない脳内辞書に新しい言葉が更新されていくので勉強にもなる。
騎士団長よりも教師の方が合っているのではないだろうか?
教え、導くという意味ではどちらも適任と言えば適任か。
その守護者と言う存在は、一定の時間が経つと魔獣の肉体を媒介に、遺跡に充満している霊力や魔獣から発せられる負の力により再び蘇るのだそうだ。
なので遺跡調査をする際は、遺跡の魔獣に限らず生物全てを殲滅しなければならず、重労働になるそうだ。
動物の突然変異が魔獣なのだから、当然と言えば当然だけど…面倒臭い上に、それって限りなく不可能に近いんじゃないだろうか。
ねずみとかこうもりならまだしも、それよりも小さい蜘蛛や蟻になったら無理だろ。
「四大精霊様の力を借りるのだ。
大抵深部は供物や祈りを捧げるために大広間になっている作りが多い。
そこで水の精霊様から頂いた聖水を撒き、まじない言を唱え火の精霊様による聖火を奥から順に灯していく。
土の精霊様のお力により遺跡の入り口を塞ぎ、三日三晩聖火が消えないよう祈祷を捧げる。
それが終えたら塞いだ入り口を再び土の精霊様のお力で開けて頂き、最後に仕上げとして風の精霊様の清らかな風を遺跡内すべてにそそぐ。
そうすると、遺跡の中の生き物は穢れないものしか残らず、魔獣や魔物がはびこることが無くなるのだ。」
世界各地の浄化された遺跡全てで行っている伝統的な方法なのだぞ!
と自分がする訳でもないのに胸を張り『えっへん!』と言わんばかりに威張るエリーヤ。
なるほど。
土の精霊の力を借りて密閉空間を作って火の精霊の力で中の酸素を零にして生物が死に絶えた頃に風の精霊を使って中の空気を一掃入れ替えすると!水の精霊は……まぁ、儀式っぽくする為にわざわざするんだろうなぁ……
そんなことに付き合わされる水の精霊、あわれなり。
広い遺跡だと5日は聖火による浄化にかかる、だとか、判断を誤り浄化される前に入り口を早く開けてしまうと火の精霊の怒りを買いあたり一帯炎に飲まれてしまうのだとか。
それも、急激な化学反応による一種の爆発現象だよねぇ…
化け学分野に無知ながらも、一応過去の経験から危ない事をしないようにと学んではいるわけだし、特に「それ化学現象だから!!」とかいちいち言わなくても良いんだろうけどさ。
妄信的とも言える勢いでつらつらと熱弁をされると水を差したい欲求に駆られてしまう。
どうせ言っても話が進まず平行線になるだけだから、言わないけど。
「3つの次が6つの首を持つ魔物ってなると、次はもしかしたら9つの首を持つ魔物でも出てきそうだよな~…」
「はっはっはっ
さすがにあの6つ首で最後だろう。
いくつか遺跡攻略をしたことがあるが、3つ首ですら他の遺跡のガーディアンより強かったというのに、それより更に強い6つ首以上の魔物がいる訳ないだろう。」
快活に笑い飛ばしながら大きさに比例せず見た目よりも随分と軽いのりで扉を開くエリーヤ。
扉の向こうを一瞥して、再び扉を閉めて、ぎこちなくこちらを振り返り、一言。
「……いる。」
あ~…これは、あれか。
定石、と言うやつですな。