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結局、まだ日は高いが今日はここで野宿する事になった。
しなければならない話も沢山あるし、聞きたいことも山ほどある。
亡くなった従者の埋葬もあるし。
従者の皆さんは洩れなく吐き気と戦っているし、こんな状態では馬車も使い物にならないし。
色々スッキリしない状態で先に進むのは、リスクが高いしね。
「なんか、俺の知らない所で色々迷惑かけてたみたいだな。
…スマン。」
「いや、そういう精神的な護衛も含めての依頼だから。
特に妊婦相手だもの。
感情の乱高下が激しいのは仕方ないさ」
「あぁ~、ヒステリー起こすって言うもんな。」
「ひすてりぃ…??
脳から出る物質のせいで、精神状態が不安定になりやすいんだよ。
人間一人腹の中に宿してるんだ。
色んな負担がかかるんだろうよ。
突然怒ったり、寝たり、さ。
まんま、今のラシャナだね」
「あはは、子供みたいだよな。」
言って、イシャンは自分の膝枕で静かな寝息を立てているラシャナの頭を愛おしそうに撫でた。
おれの頭を酒瓶でかち割った後。
内容こそ知られていないにしても、イシャンに重大な隠し事をしている事がバレ、酒の匂いに酔ったのもあり、そもそも妊娠中で体調が良いとは言えない中の緊張感を持っての長旅の、その途中。
糸が切れたように、ラシャナは抱かれたイシャンの胸の中で眠ってしまった。
おかげで馬車はそのまま。
馬たちは、酒と魔薬の匂いによりどんな影響があるか解らないし、従者たちと同様に離れた所にくくりつけ休ませた。
荷台は幌を上げ濡れた床を乾かすことを優先させることにした。
少しでも乾いてくれれば良いんだけど。
明日は朝から馬車の中の大掃除をしなきゃだね。
従者たちはゲロゲロになって使い物にはならなかったが、ここまで旅を続けてきた同僚の弔いだけは根性出してしっかり参加していた。
最近では成されていないそうだが、聖水をしみ込ませた布で巻き、土葬をするのがこちらの弔い方だそうだ。
残念ながら、そんな大量の聖水はないし、使えるような布も多くない。
簡易式になってしまって申し訳ないが、イシャンが用意してくれた布に俺の手持ちの聖水をしみ込ませ遺体の一部に巻き付けた。
その後、魔獣の頭蓋の外側に全員で運びだし、壊れなかった酒瓶と一緒に埋めてやった。
その後、吐き気に負けて崩れ落ちた従者たちは早々に寝かせることにした。
『この分、明日遅れを取り戻すから覚悟して置けよ!』
とイシャンに喝を入れられていたが…状況によっては、その遅れと言うのは取り戻すものではなくなるかもしれない。
ラシャナは、諜報員だ。
本来、悪事を働くアハマドのような者を裁ける、ギルド。
その裏の部分。
それはカガミから聞いた情報でもあるし、間違いない。
その本来悪を裁く立場のギルドと悪徳商人アハマドは袖の下で繋がっている事。
身重になり不要となった今では、重要な情報を知りすぎているラシャナは両方の組織から命を狙われる立場だ。
その部分は他人から語られたくないだろう。
したくない事も沢山して来ただろうし、イシャンに対して後ろ暗い気持ちを持つような事もあっただろうから。
それに、彼女の話は所々時系列に矛盾が生じている。
裏がとれていない情報は混乱を招くだけだから、おれの憶測で補完する訳にいかない。
中途半端に口にするくらいなら言わない方が良い。
そこはぼかしたり、省いたりして、なんとか説明しなきゃな。
ラシャナとイシャンの関係を快く思わないアハマドが、二人を消す為に犯罪をわざとさせようと企んでいる事。
それの情報を掴んだラシャナが、それを阻止して欲しいとおれに依頼をしたこと。
赤い積荷の中身が“魔薬”と呼ばれる非常に危険なもので、本来温和な性格だったカガミが暗殺者に変貌するほどのものだと言えばどれ程の物か想像しやすいと思うこと。
かいつまんで大まかな流れを説明した。
「…ラシャナは、何で俺にそのこと相談しなかったんだろうな。」
「そりゃ、
『ご主人様の命令なら喜んで命差し出します!』
みたいな所があるからでしょ?
積荷の中身が危険な物ですよって言われた所で、
『それが仕事だから』
って言ってラシャナの忠告を素直に聞き入れなかっただろうが」
おれの決めつけた言い方に口をとがらせ眉間にしわを寄せるも、腕を組み真面目にうんうん唸りながら考える。
「う~ん、そうだなぁ…
今回の仕事の、最初の方だったら、確かにそう言ってたと思う。
俺、妊婦がどれだけ大変かもわからずに、国に残したらラシャナが危ないから、って理由以上に、何か月も、下手したら年単位で会えないのが嫌だからってワガママで連れてきちゃったんだけどさ。
ラシャナも、いいよ、わかったよ、っていつも通り笑って言うもんだから、簡単にものごと考えていたんだけど。
隠れて吐いたり、あからさまに体調悪そうなのに大丈夫って言ったりしてんの見てさ、あ、親になるってそんな簡単な事じゃないって気づいたんだよ。
単なる恋人気分で、『俺の代わりなんていくらでもいる』『俺が居なくなったら次を探せば良いじゃん』としか思ってなかった時は、命を救って貰った恩もあるし、ご主人様の命令なら、それこそどんな罪でもかぶるし死んでも良いや~って思っていたのは事実だけど。
ラシャナは、”俺“の為に色々なことに耐えてくれている。
感動したんだ。
ラシャナにとって、“俺”の代わりはいないんだって、気づいた時に。
今、俺の命は俺のためだけに使っちゃダメだし、ラシャナが大丈夫じゃない時に、きちんと頼って貰えるだけの人間にならなきゃいけない。
赤ん坊だって、生まれたら勝手に育つわけじゃないのは孤児院で経験してるし。
諸々自覚が出た今なら、ご主人様よりも、ラシャナ達を選ぶよ、確実に。」
おぉ…!
話を聞いていると、その自覚が芽生えたのってつい最近なような気がして、それってどうなの?と思わずにはいられないが。
ラシャナはイシャンに隠し事をしている事が後ろめたかったようだけど、そのおかげで誰も失わずに事が上手く運べるかもしれない。
少なくとも、イシャンはアハマドよりもラシャナと子供を優先して行動してくれることが分かった。
今後の動き方も変わると言うものだ。
「ただ、その魔薬って言うのは一体なんなんだ?
黄昏の変貌ぶりには確かに驚いたけど、人間、あんな飲み物で変わるもんなの?」
「脳みその一部が破壊されたり、分泌物が過剰に放出されたり…おれも詳しくは知らないけど。
色々、やっかいな作用があるらしいよ。
なんか、三日三晩寝ずにいられるようになったり、病気が一時的にでも良くなったり、万能薬みたいな良い効果はあるんだって。
なんだけど、依存性が強いのと、過剰摂取で死ぬ危険性が高いのと、あとはカガミみたいに暴走したりする奴が出るから他の国では販売が禁止されてるってさ」
「ふ~ん。
正しく酒に近い効果があるんだな。
んで、積荷の無事なのと無事じゃないの、差は中身がその魔薬だったかどうかで違うんだろうけどさ。
なんで、魔薬の方は割れてしまったんだ?」
「……魔を退ける働きが宝珠にはあるし、“魔”薬って言う位だから何か、魔力が込められたりしてるんじゃないの?
詳しく調べてみないと、それは判らないな…」
……魔力が、込められている…?
いや、違うな。
自分で言ったは良いが、違和感を覚えその考えを即座に否定する。
魔力の流れは、片眼鏡を使わなくても、結構意識せずとも感じられるようになっている。
積荷に不審な物がないか確認する時にも視た。
ただ、そう。
なんとなく、違和感はあった。
微弱ながら、気のせいと思って見過ごしてしまった程度の違和感が。
きちんと慎重に視たか?
と聞かれたら……いや、気のせいだと思って片眼鏡を使ってしっかり確実に胸を張って『確認した!』と言える程の確認はしていない、と答える。
その胸につかえた違和感が、実は、本当は見過ごしてはいけないようなものだったのだとしたら…?
「イシャン。
あの馬車は、お前の私物?」
「そんな訳ないだろ。
馬車一台いくらすると思ってんだ。
ご主人様から借り受けている物だよ。
…一台大破しちゃったから、減給されちまう。」
おぉう、それはご愁傷様。
機会があったらカガミに請求してね。
金持ちみたいだし。
おれには請求しないでね。
あの、違和感を覚えた時を思い出してみる。
おれお手製の小屋を出る時に確認作業を手伝った時には、微妙な違和感を一瞬覚えはしたえれど、改めて視た積荷に不快感を覚えなかった。
なので気のせいだと思って特に何もしなかった。
しかしその後、カガミの襲撃により破壊され、燃え残っていた積荷には多少ながら嫌な感じがした。
なのに、先ほど馬車の中でポーションの瓶が砕けていた時には、感じなかった。
あぁ、魔薬の臭いには嫌悪感を抱いたが、そうではなく。
木を隠すには森の中、とは言うが…
積荷自体に疑惑の目を向けられないために、何か馬車に細工がしてあったのだとしたら?
壊れた馬車は、その細工も壊れてしまったが故に、積荷への嫌悪感が酷くなったのだとしたら?
「……って!あぁっ!!」
「ラシャナが起きる!!!!!」
「あ、ごめんなさい」
思い至ってしまった事があったので、つい大声を上げたら怒られました。
静かに怒る、なんて事が出来るあたり、ご姉弟ですね。
似てますね。
いやいや、その事実は忘れる事にしたんだった。
さすが、ご夫婦ですね~
そうだよ、なんで気付かなかった、おれ。
と言うか、何で思い至れなかったんだかな。
フートの呪具の文様と、馬車の幌に描かれたアハマドの紋様が似ているって、そこまでは気づいていたのに。
雨で濡れて落ちてはいけないだろうし、油性絵具で描かれているのかな。
「イシャン。
荷物の中の酒瓶、一個貰って良い?」
「どうせ今さら、売り物には出来ないからな~
良いよ。」
おぉ、太っ腹!
さっそく、ラシャナが避けていた無事な瓶の蓋を一本開け、おもむろに幌へとかける。
ある程度浸透したのを見計り、次は精霊術により発生させた水をぶっかける。
「うわ、えっぐい…」
思わず、口に出してしまったが、それも致し方ないと思って欲しい。
アハマドの紋様の下から出てきたのは、血によって描かれたフートの紋様。
幌に大きく描かれたこれ一個の紋様に、一体どれだけの血が使われたのか。
想像するだけで吐き気がする。
誰の、何の血なのかは判らないが、人の場合で換算するならば一人二人の犠牲では済まないだろう。
アハマドの紋様は、一台に付き三つ描かれており、なおかつ五台すべてに描かれている。
その下すべてに、この血の紋様が描かれているのだとしたら…?
最悪だ。
わざわざ血文字で書いているのには、意味があるんだろう。
精霊術にも、術者の血を用いる事によって術の効果を何倍にも引き上げる事が出来る裏技がある。
非人道的なため禁術とされており、今では使える人もいないだろうけど。
おれも、学校の立ち入り禁止区域の書庫室でそういうものがあると知っているだけだ。
フートの紋様が刻まれている物の効果。
カガミ然り、ヒロさん然り。
おれが把握しているのは思考誘導か。
あと、魔力の影響を受けやすい場合や、受けやすい状態に陥った場合には肉体的な支配もある程度出来るようになり、結果、魔堕ちさせられる。
そして魔族に肉体を乗っ取られる。
もしくは、人間が魔獣に変貌してしまう。
もしくは、魔力に肉体が耐えられず、死に絶える。
死んだ従者は、アハマド側の人間だったようだし、魔堕ちしかけていたか、もしくは魔薬を使っていた可能性がある。
魔の属性が肉体に浸透しており、宝珠による作用で排除させられた、と言う事か。
おれ個人に敵意を向けていた訳ではないから、領域によっては排除されなかった、のか?
いや、そうではなく。
このフートの紋様の効果の一つなのだろう。
あの村でもそうだった。
宝珠の効果が、フートの支配下にあった人達には及ばなかった。
あの宝珠の込めた霊力は、おれと稜地の霊力が混ざり合った、地の霊力。
今回の宝珠は火の霊力の効果。
カガミが言っていた
『フートは稜地の子供』
と言うのが、にわかには信じられない。
だが、ヴォーロスの母親は、元雷の精霊に連なるモノだったという。
そんな存在が人間同様肉体を持ち、魔堕ちし、魔族に転じた。
火の大晶霊は稜地の弟だと言う。
家族関係が精霊間にもあるのなら、フートは元々地属性の精霊で稜地の子供。
それが何らかの経緯で魔族に転じた、と言う事もありうるかもしれない。
≪あぁ~…ごめん。
その推理は違う≫
ちゃうんかーい!
ちぇっ。
おれ、珍しく冴えてる!?にやり!!
って思ったのに。
違うのか、残念。
フートは元精霊説はナシね。
はいはい、わかったよ~だ。
まぁ、火の精霊の領域に転じた途端アハマド側の従者は倒れ、魔薬入りポーションは全滅。
フートは火属性が弱点なのかもしれない。
だから、魔薬をばら撒き火の大晶霊を弱体化させようとしたのかもな。
本来、精霊術同士のぶつかり合いなら地属性の弱点は風なんだけどな。
魔族相手だと変わるのかな。
あくまでも、対フートの場合火が弱点になるって事なのか?
魔族の生態は、精霊以上に分かっていない部分が多いとは言え、自分の持っている情報に囚われた考え方をしていたらまずいのかもしれないな。
奴等の存在は、非常識すぎる。
散々周りに”非常識”呼ばわりされる、おれが言うのもなんだけどね。