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のっぺりとした凹凸の無い、つなぎ目すら見えない、鈍色に光る壁、床、天井。
それらに囲まれ窓1つない、天井こそ高いものの、窮屈な印象を受ける廊下、部屋、大広間。
自然物の無いそこを疑問に思う人は誰一人おらず、娯楽もなく刺激もない日常をひたすら繰り返す。
誰もがどこか貼りついたような、同じ表情をしているように見えるのは、ある意味必然なのか…
恐ろしいと思うと同時に、なぜか、どこか懐かしいとも思う、そこ。
見たことがないはずなのに、なぜか、既視感を覚えてしまう、ここ。
ココは、どこなのか…?
疑問に思っていると、後方から走り寄って来る二人の……いや、三人の子供。
自分の腰へ飛び付き、人懐っこそうな顔で見上げてくる自分を兄と慕う少年と青年。
そして青年よりも若干年の若いその半歩後ろに控える子。
前者二人は髪色も共通しており、とてもよく似た整った顔立ちをしている。
見覚えがある気がするのは、なぜなのか。
年のころ15歳程の後ろに控えている子も……よく見知った顔のような気がするのだが、思い出せない。
浮世離れした美しさを持つ美貌は、染色され長くのばされた髪では隠しきれず見る者の心を惹きつける。
「×××、×××
あぁ、×××もいるのか。」
自然と口から出る、三人の名を呼ぶ、おれ。
しかし、その名前を認識することが出来ない。
腰を落とし、少年と合わせた視線、その先にある瞳に映る自分の姿。
これは、この人は──……
≪…──主って、器用な寝相するよね≫
……うっせぇやい。
寝床から落ち、でんぐり返りをしている途中のような、頭上に足があると言う鋤のような恰好で目を覚ましたおれを、若干呆れの入ったため息をつきながら言葉をかけてくる、宙に浮かんだその人物。
怪我はないにしても、背骨が思いきり伸ばされ若干の痛みを感じる。
寝惚けてするには、なるほど、器用と皮肉を言われても仕方がない格好のように思えるが、少しは心配してくれても良くないか…??
頭から落ちているんですけど。
「おはよう、稜地。
相変わらず綺麗なお顔をしているね。
や~、朝から眼福だわぁ」
≪そうやってからかわないでよ!≫
眼福、眼福。
と満腹と言う言葉とかけて、お腹をさすりながら本当の事を言うと、顔を赤くして照れてくる大晶霊様。
実体がないので痛みこそ感じないが、ベシベシと軽快な音が響きそうな勢いで肩口を叩いてくる。
逆の手で耳まで赤く染まった顔を隠しているあたり、人間臭さを感じずにはいられない。
どちらかと言えば、吟遊詩人や踊り子でもしてそうな程に派手な見た目と整った美貌を持っていると言うのに。
これが地を司る精霊の一番偉い存在だと言うのだから、なかなか世の中と言うのは面白い。
夢の──夢を見る事の意味や、夢が見せた物に隠されている意味、と言うのがあるのは多少ながら知っている。
不安を解消したり、状況打破をする為のお告げ的なものだったり。
誰かの姿を借りて“何か”を自分に教えてくれることが多いそうだ。
過去にあった事の情報を整理する為に見る夢もある。
おれが時々見る、嫌に生々しい炎に包まれた夢なんかは、これだろう。
これは、おれが手を伸ばした先に居た、誰かが死ぬ夢でもある。
ある一定の時期以前の記憶を失っているおれだが、それを完全に忘れさせないために、戒めの意味を込めて定期的に脳みそが見せて来るのかな?
呪い師じゃないので、詳細は解らない。
さっきまで見ていた夢は……どういう意味を持つのだろう。
誰かになりきって、その人が経験した過去の断片を見る、なんて事があるのだろうか?
見た事の無い場所のような、懐かしい場所のような、何とも言えない無機質な場所で……おれは、稜地になっていた。
少年の瞳に映っていた顔は、多少の違いこそあれども間違いなく、稜地だった。
大晶霊が人間のように生活をしていた施設のようなものがあると言うのだろうか。
聞いた事も見たこともないし、あった、と言う表現が正しいか?
精霊には基本的に寿命と言う時間の限りがなく、最古の精霊は何万年と言う時を生きている、と書いてある書物を見たことがある。
単なる夢、として片づけるには妙に現実味のあるものだったな。
夢なのに現実味、と言う言葉もおかしいが。
しかし、ついこの間大昔には精霊が人間に下る事も、人間が精霊に至る事もまれだがあった、と言う話を聞いたところだ。
地下に隠された遺跡に共通して見る灰色の壁や、出てきた人物に見覚えがあるせいもあり、妄想と錯覚がごちゃまぜになってしまって、見せられた夢なだけかもな。
なにより、これから稜地の弟を探す旅程に至るのだ。
そのせいであんな、“稜地の弟”が出て来る夢を見たんだろう。
思い返してみると、おぼろげながらも火の大晶霊と夢に出てきた弟の一人の顔が似ていたようにも思える。
脳みそはすぐ自分の都合の良いように錯覚を起こすから、今現在持っている情報から自分勝手な想像をしてしまったのだろう。
まだ夢に囚われている思考を現実に叩き戻す為両頬を叩き、完全に目を覚まし、荷物をまとめて一階にある食堂へと向かった。
町中とは言え、護衛の依頼を受けた冒険者として、今日も責任のある行動をしなければね!
「おはよーございまーす」
「おはようさん。」
「お早うございます」
階段を下りて行くと、既に依頼人を含めた他の宿泊客たちや村人達は食事を始めており、机は一つも開いていなかった。
おれが最後らしい。
稜地と戯れていたせいで寝坊したように映ってしまうじゃないか。
まいったね。
「すみません、寝坊してしまったようで…」
「いやいや。
出立に間に合いさえすればいいよ。」
朝食一式を注文し依頼人と合席をさせてもらう。
小さい町に一個しかない、小さい宿屋の一階に構えてある食堂。
冒険者がわざわざ立ち寄るような名産品がある訳ではないのだが、朝食を作る手間を惜しんだ町民が多数利用する為、いつもこれくらい混雑しているそうだ。
運ばれてきた焼き立て熱々の麦餅とおかずが乗ったお皿を受け取り、おばさんには代わりに銅貨を数枚握らせる。
ここら一帯の国は、世界共通で使えることが多いヤーンと言う単位のお金は使えず、代わりに金銀銅貨を使用するのだが……これが、なかなか感覚が解らず多目に渡して損をしたり、逆に少なく渡し過ぎて怒られてしまったりして大変なのである。
未だに勝手がわからず『今回は大丈夫か!?』とドキドキしながら様子を窺うと、おばさんは銅貨を握った拳を軽く上へやり
『あんがとさん』
と言って厨房の方へと戻って行った。
とりあえず、少なすぎって事は無かったみたい。
「屑銭は持っていないんだっけ?
今日くらいの食事だったら銅貨三枚はちょっと多いかな~
二枚だと気持ち少ないけど。」
「それを考慮に入れれば、適当と言えるでしょう?
レイシスさん、お食事が終わり次第今日のスケジュールの相談をしたいのでよろしくね。
…でも、焦らなくて良いから」
付け加えられた気遣いの言葉にお礼を言い、合掌をして有難く朝食を頂く。
銅貨一枚、300ヤーンから500ヤーン相当と言う相場になっている、らしい。
確かに、食事の内容から考えると銅貨三枚は多かった気もするが……温かい、久方ぶりの自分以外の誰かが作ったご飯だ。
それだけで決して
『高い買い物をしてしまった!損した!!』
とは思わない。
なにより、村で獲れた野菜を使っていると言う事で食材の味が濃くとてもおいしい。
味付け自体はそんな凝っていないようだが、盛りも良いし育ち盛りには嬉しい限りだ。
「レイシスさんを見ていると、この子もちゃんと食のありがたみを分かる子供に育つと良いなぁ…って思ってしまうわ。
おいしそうに食べている人を見ると、こっちも嬉しくなっちゃう」
「それはまだ気が早い話だって。
なにより、無事に生まれて来る事を願うのが一番だ。」
言って、依頼人のイシャンは奥方であるラシャナの大きく膨らんだお腹を愛おしそうに撫でた。
その顔は、自分の子供が生まれて来ることを心から望んでおり……目尻が垂れ下がりすぎて少々だらしがなく映る。
親ばかと言うのはこういう人の事を言うのだろう。
なにせ、自国に置いておくのが危ないから、と言って身重の奥さんの為に高い護衛費払ってまで連れ歩いてしまうような人だ。
親ばかと言うよりは、奥さん至上主義と言うか?
今も付き合いたての恋人のような甘~い、ももいろの雰囲気を漂わせながらお互いに朝食を食べさせ合うと言う、若干遠い目をしたくなる行動をとっている。
猪目のような紋様が空中に漂っている錯覚を覚えてしまう位には、仲睦まじい。
はーとまーく?と言う奴が頭にぶすりと刺さりそうですよ。
いや、大変よろしいと思いますよ。
おかげでおれも、徒歩で見ず知らずの過酷な土地を横断しなくて済む訳ですし。
本来なら、馬車に乗って目的地まで一直線に向かう事が出来る依頼が受けられたと手放しで喜び、とても良い旅になる予定だったのになぁ…
……ギルドの、黒い依頼さえ入らなければ。
通称で『黒依頼』と言われているものは、冒険者ギルドに張り出される通常の依頼とは少々毛色が違う、やっかいな仕事が多いそうだ。
要人の暗殺だったり人為的に災害を起こしたり、箝口令をしかれる類の後ろ暗い依頼が主になる。
冒険者への負担が大きい分、口止め料も含めた依頼料は跳ね上がる。
ギルドの、闇の部分の仕事になる。
だから“黒”なのだろうね。
イメージカラーと言う奴だね。
暗殺ギルドと言うのが世の中にはあるのに、何で単なる冒険者にそんな“黒依頼”なるものを押し付けるんだ!
って話なのだが、この土地特有の物らしいので、お国柄、と言う奴なのだろう。
きっと、暗殺ギルドだけでは仕事が追い付かないのだろう、うん。
嫌な国だな。
何に置いてもその遂行を最優先とさせなければならない、ギルドから階級及び名指しをされての任務依頼となる。
基本的に、ギルドの依頼は一人が重複して負う事は禁止されている。
『限りがあるからみんなで仲良く分けあいましょうね~』
と言う理由もあるが、
『きっちり一つ一つの依頼を責任持って遂行しろ』
と言う理由が一番大きい。
複数人でパーティと言うのを組んで行動している場合、複数個依頼受注する事も稀にあるようだけど、それもなるべく避けるように、とされている。
避けるように、と任意のように言われているがその実は『余程の例外じゃない限りはするな』と半ば強制である。
単独でこなせない依頼も、複数人で行動する事によってより確実に遂行できることもある。
その利点を得る代わりに依頼料は折半し徒党を組んで行動するのがパーティだ。
あれもこれもと良い事ずくめだと、単独行動をしている冒険者にとって不利ばかり目立ってしまう。
だから避けましょう、とされている部分が表向き。
まぁ、それは事実問題としてあるのだろうが、おれも含め、あえて単独行動を選んでいる時点で自己責任の問題だとは思う。
なのだが、なかなか悪知恵だけは働く能無しさんが昔居たそうで。
複数人で行動しているパーティが高額依頼を人数分確保してしまい、他の冒険者に仕事が行き渡り難くなった上に、確保された依頼は遂行されるまでに時間がかかってしまい依頼人に多大な迷惑がかかった、なんて話が昔あったんだって。
大昔過ぎて定かではないそうだが、まぁ、禁止しなければ起こりうることだな。
それから基本的に、
『単独行動者は当然一つの依頼を受けたらそれ以上は受けてはならない。
パーティを組んでいる者たちも、むやみやたらと複数の案件を抱えてはならない。
ってかするなよ、ボケェ!』
…と定められるようになった。
冒険者証を発行された時に渡される冒険者の手引きにも書いてある。
今では、二件以上の依頼を同時に受けようとすると斡旋所の窓口であからさまに怪訝そうな顔をされる。
許可が下りるのなんて、素材収集くらいじゃないだろうか?
“い”と“ろ”二つの依頼で、指定されている素材が同じ地域にあるから二件同時に受けて両方採取してきます。
って効率の良さを推してだだをこねた時にのみ許可が下りる。
依頼にだって限りがあるので、通常はまず下りない。
そんな中、おれがイシャンの護衛と並行して受けた、と言うか受けさせられた依頼は、大きな商隊を率いている彼が運ぶ荷物を破壊する事、である。
おれがイシャンから受けた依頼は優先順に
・奥方であるラシャナの身を守る事
・ラシャナのお腹の中の子を守る事
・イシャンを守る事
・最終目的地であるバルナ共和国の首都・メネスまで商隊のメンバーを護送する事
・馬車に積んである荷物を守る事
の五点だ。
商売人と言えば、一にお金二にお金、三四もお金で五もお金!とする人種だろうに、そのお金の素である商売道具である荷物を守ると言う項目は優先順位の一番下位。
イシャンは商人の中ではなかなか変わり者のようで、理由を尋ねたら
『ミスをしたら信用を落とすことになってしまうが、命さえあればまたやり直せるから』
との事だ。
魔獣が溢れるようになり、平和とは言い難いこのご時世では、なかなか珍しいものの考え方である。
今日生きるのだけでも精一杯、明日の事なんて考える余裕がない、なんて人はごまんといるからね。
5つ全ての任務が遂行出来れば割増料金が貰える。
受けた当初はやりがいがある!と張り切ったものだ。
だが、しかし。
黒い依頼を受けた時点でそれは不可能になってしまった。
優先順位が一番低い項目とは言え、護衛対象である積荷を破壊する事こそが、黒い依頼の内容なんだもの。
それ自体は、まぁ、おれも納得した上で受けたので別に文句はないんだけど…
この依頼を受けた経緯がまた厄介ごとに巻き込まれた形で……アゼルバイカンと言う小国にある依頼斡旋所に赴いた時の話だ。
いや、それよりも、タタール国の首都・ヴェルーキエを出発した所から遡るべきなのか…??
もう、本当に。
どうしてこうなった??