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瞼を持ち上げてもさして明るさの変わらない時分。
扉を軽く叩く音が響く。
寝ぼけ眼のまま……とまではいかないけれど
寝ぐせも放置しベッドから這い出て叩かれた扉を開ける。
見覚えのある老齢の執事さんが朝の挨拶をしながら腰を折った。
睡眠誘導の術でも使われたのではないか
と疑いたくなる勢いで爆睡してしまったせいで脳みそが動いていないのだが
考えてみればかなり失礼な状態で応対してるよね、おれ。
にも拘らず執事さんはおれの姿を見て笑うではなく
眠りの邪魔をした事に対する謝罪を述べた。
重ねて申し訳ないが主──公爵が話がしたいと言っているので
朝食の席を共にして頂きたいと願い出られた。
是非2つ鐘が鳴る頃に
プライベートダイニングルームに来て欲しいと頼まれる。
どこを指しているのか判らなかったので首を傾げると
昨日食事を摂った場所はグレートホールと言う外交向け
お客様向けの多目的室で普段は使っていないそうで
そこのさらに奥にある公爵の私的な部屋の事だと説明された。
良かった。
あんな目が痛くなる金ぴか仕様の花の香りと食事の匂いが
混ざってしまうような場所で最低限とはいえ作法を気遣いながら
ごはん食べろってどんな苦行だよと思っていたので
誘われても拒否するところだった。
今の時刻は1つ鐘が鳴ったばかりなので準備するのにも随分余裕がある。
ってか、外まだ暗いじゃん。
そりゃ眠くて当然か。
んで、ハッサン含めこの屋敷の人達はこんな朝早くから起きているんだな。
お貴族様って大変。
執事さんも仕事が残っている為おれの準備が出来るまで
ここで待機している事が出来ないので
2の鐘が鳴る頃本館まで行けば場所は案内すると言われた。
快諾して別れを告げた後どうすべきか悩む。
最近陽がある程度高い所に来るまで寝ていたから余計に早起きが応える。
だからと言って二度寝したら2の鐘までに起きる事も
人前に出ても恥ずかしくないよう格好を整える事も出来ないだろう。
昨日のように突然の申し出ならまだしも
今日みたいに時間に余裕があるのに身支度もきちんとせず
公爵様の所に顔を出すのは流石に憚られる。
そう言えば昨日はせっかくいつでも入れるのに風呂に入らず寝てしまった。
この時間なら雇われている冒険者はまず起きていないし
屋敷に務めている者も仕事をしているから利用者はいないだろう。
と、言う訳で!
ひとっ風呂浴びますか!!
おっふろ♪
おっふろ~♪
鼻歌混じりに誰も居ない事を良い事に着替えをぶんぶん振り回しながら
浴場へ続く廊下を軽快に小躍りしながら進む。
実を言うとおれは滅茶苦茶風呂が好きなのだ。
一般的には風呂と言うと蒸し風呂が多い。
それも嫌いではないのだが浴槽に浸かる風呂だとなお良い。
お湯をふんだんに使う後者の風呂は温泉が湧いている地域か
余程清潔好きな民衆性があるか
もしくは珍しい物好きの貴族位しか入らない。
候補が多いから結構割合として多いんじゃないのか?
と思われるかもしれないが
貴族は全世界の人口割合で考えると一割にも満たない。
その内のどれだけが珍しい物好きかって話なので
下手したらお貴族様でも両手で足りる程度の家にしか
入浴設備は設置されていないんじゃないだろうか?
温泉が湧いている地域は非常に限られてる。
おれの出身であるオルサ村近辺では
熱水泉が湧き出している場所がいくつもあったし
そこから湯をひいて村の中でも温泉に入れるようにしてあった。
いつでも源泉かけ流しと言う贅沢仕様。
素晴らしいね。
そう言う土地で他にぱっと思い浮かぶのは
紅燿が守護していたゴンドワナ大陸の諸国だが
あそこは熱水泉を街までひいてくる技術も金も漏れなくないので
風呂は残念ながらなかった。
地熱を利用した蒸し風呂文化ならあるそうだが。
ゴンドワナの最北端レビの隣国であるクノドマル帝国では
入浴の文化があって身分ごとに公共施設として風呂があるそうだよ。
そのためクノドマルの国民は非常に清潔好きで
ごみのぽい捨てでもしようものなら財産刑
酷いと凌遅刑に処されてしまうとか。
やだ、こあい。
風呂なんて入らなくても死なない
身体の汚れは水行すれば良いじゃないって考えの人が多いし
臭いは香水で誤魔化す方が手軽だし
どうしても入浴文化って浸透しないんだよね。
そもそも飲み水すら満足に確保できない人もいるんだから
確かに水の無駄遣いの極致とも言える風呂は贅沢品だし
文化として広がらないのは仕方ないか。
でも!
毎日入浴するのが当たり前の感覚で育つと
贅沢だって分かっていても入りたいんだよ!!
冒険者するにあたって何よりも心配だったのは
風呂に入らずにおれは正気で居られるのだろうか?
って事だったからね。
いや、まじで。
ごはんの確保よりも風呂の方が切実だった。
だって魔獣の肉も食べれるから食料調達なんて心配する余地ないじゃん?
勝手に向こうから食べてって言って襲ってくる訳だし。
ゴンドワナの魔獣って食べられない種類が多いから
索敵からの即撃破訓練やっていた所があるんだけど
他の食べれる魔獣が出る地域だとやめておいた方が良いよな。
保存食の持ち歩ける量って限られている訳だし。
そ・し・て!
ハッサンはその物珍しい物好きの貴族なので
蒸し風呂でも窯風呂でもなく浴場が設置されている。
就寝前出来なかった分今日の予定でも組めば良いのに
欲望に忠実な考えばかりを脳内に巡らせていると
目的の『大浴場』と案内書きされた扉の前につく。
浴場、でも浴室、でもなく大浴場ですって!
やったぁ!テンション上がるね!!
話には聞いていたがいざ期待感を爆上げさせる言葉と
それに見合う大きな扉を見ると明け方に似合わぬ気の高ぶりに支配される。
意気揚々とその扉を勢いよく開ける。
勢いが良すぎて扉を破壊しかけてしまったので慌てて直し振り返ると
入ってすぐ正面にあったのは姿見だった。
実物よりも身長を高く映す姿見なんてあるんだな~
なんて思ったのも束の間。
違和感を覚えだす。
おれ、髪の毛街に到着する前に改めて染めたよな?
目の色も違うしこんなに面長じゃないぞ??
ん???
そもそもまだ服脱いでない……
姿見からこちらへ手が伸びて視界を塞ぐと同時に
「忘れろ」
聞き覚えのある声が鼓膜を震わせる。
脳みそが痺れるような刺激が一瞬襲って来る。
が、甘い!
手を振りほどき頭を麻痺させる感覚を取り除く。
ずびしぃ!!
っと姿見と間違えた目の前の人物に指さして
「甘いな、ジューダス!
お前のその術はおれには効かないぞ!!」
腰に手を当て偉ぶってそう宣言した。
自慢するだけあって広く作られた洗い場。
外交向けの部屋とは違い落ち着いた雰囲気の
薫り高い木材で作られた浴槽は想像していた通り泳げる程広い。
なのにも関わらず四人の人影がほぼ密着した状態で湯に浸かっている。
確かにゆっくり話したいとは思っていたけど
まさか裸の付き合いというものをする事になるとは思わなかった。
口元まで湯船に浸かりぶくぶくと湯面に泡を浮かべながら
どうしてこうなった??
と疑問が浮かんですぐに消えた。
うん、おれが犯人だもんね。
霊力の無駄遣いだとジューダスには小言を言われ
なんで僕がこんなことをと紅燿に文句を言われ
そんな二人を稜地に窘めて貰いながら
大晶霊二人を顕現させ唯一の退路である大浴場の出入り口を三人で塞いだ。
因みに稜地は窘めつつもこの状況を楽しんでいるようで
によによと口元を歪ませていた。
脱いだ衣服で膨らんでいる訳でもない胸部を隠し、暫し。
ジューダスは観念したように深いため息を吐く。
そして着衣服を脱ぎ手拭いで下半身を隠してさっさと浴室へ向かった。
もうあと二、三回は攻防戦を繰り広げなければならないかと思っていたので
正直拍子抜けした。
話をするなら中でしろと言う事なのだろうか。
存外素直だ。
せっかくだし稜地と紅燿も入ろう
と二人を誘いぱっぱと服を脱いで浴室へを向かう。
隠すものもないし見られた所で父さんから聞いて
ジューダスならばおれの身体的な事情も知っているだろう。
手拭いなんて面倒臭い物は持たずに逸る心のままに
浴室へと続く扉の取っ手を持つ。
そう言えば顕現した大晶霊ってどうやって服脱ぐんだろうね?
疑問に思い振り向くと既に裸に手拭いで局部を隠す格好になっている。
さすが半物質。
服の脱着も一瞬ですか。
是非とも生で見たかった。
いや、野郎の生着替えを見たいのかと聞かれたら断じて否と答える。
単なる好奇心だ。
出来るならば葵帷さんのものを所望する。
性別としては真ん中だけどあのおれの胸部にはついていない
双丘には多少なりとも興味がある。
……変態すぎる考えなのでなかったことにしよう。
この際は例え同性だとしても
じろじろ裸や着替えている様を見られて喜ぶ人はいないだろうからね。
うん。
そういう趣味の変態さんは除く。
と、言うか。
大晶霊もお風呂入るんだね。
元人間だし習慣としては無くても誘われれば一緒するって感じなのかな?
オルサの家屋でよく使われている
ここら辺では珍しい横に滑らせる仕様の扉を開けると
丁度ジューダスが身体を洗い終えて浴槽へと入る所だった。
いけすかない言動が多いくせに見落とされがちな作法を
きちんと守るとは意外と良い奴だ。
入浴前に身体を流す為専用に用意されている
少し温めのお湯が張ってある流し場で
稜地に紅燿共々頭からお湯をかけられ身体を洗われ
しっかり泡が落ちたのを互いに確認しあってから
ジューダスのいる浴槽へと向かう。
いくつか趣の違う浴槽が並んでいるのだが
今一番優先させたいのはジューダスとお話をする事だ。
逃げられないように陵地と紅燿に左右を固めて貰い
その正面におれが向かい合う形で湯船に浸かる。
丁度良い温度で筋肉が弛緩する。
このまま心までふやかしたい気分になるが目の前のこいつと
話をするのが先決である。
何から言うべきだろう。
聞くべきだろう。
恩も借りも歯がゆい微妙な勝利した記憶すら消そうとした事に対して?
あの後何をしていたのか?
今何の為にここに居るのか?
聞きたい事は沢山あるのだが……
「お前のそれって、染めてあんの?」
おれの口から出たのは全ての優先順位を無視した
眼前に居る人物の気になる頭部の特徴だった。
おれも被害に遭った事があるからひた隠しにする理由は解る。
理解はできるがそれでも尚もったいないと思わせる程
ジューダスの髪色は、それはそれは綺麗な空色をしていたのだ。
光の加減で虹色に見えるのはおれと同じだが
濡れてもその輝きは淡く透き通るようでこの世の物とは思えない。
目が離せない程に美しい。
質問こそしたが染めた場合はこんな鮮やかな色にはならないだろう。
意外と、魔王の特徴とされる髪色の人間っているんだな。
なんて呑気に思うべきか
肩よりも下まで伸びているその髪の隙間から見える
首の傷や
脱衣所で隠しきれていなかった胸元の傷から想像に行き着く通りの答えなのか
言及するべきなのだろうか。
掌にある貫通した傷に首・胸の傷。
魔王が古代三英雄に倒された時についた傷の特徴と一致する。
いや、でも。
それらは言い伝えに準えた大罪人の処刑方法でもある。
見事な青銀の髪だとしても染めた物の可能性だって否定できない。
長生きしているんだから冤罪も含め罪の一個や二個や十個や百個
犯すことだってあるだろ。
おれだって脱獄の罪を幾度か犯してる。
いやいや、でもでも。
言い伝えは掌ではなく手首の傷だし?
本物だからこそ言い伝えとは異なる傷がついているのかもとか思ったり?
もし古代倒されたとされる魔王ならあれだけ強いのも頷けるし?
でももしそうなら何で今は世界平和の為に動いてるのさって話だし。
と言うか一体何歳だよ、お前!?って突っ込みがね。
改めてね。
出てきてしまうって言うね。
のぼせてしまうんじゃないかと心配する怒涛の勢いで
疑問が頭の中を駆け巡る。
時間に換算すれば一瞬だろう。
その疑問に答えたのはその髪の持ち主ではなく左右の大晶霊たちだ。
「綺麗でしょ?この子の髪の毛」
「主君と同じで昔は染めまくってたせいで傷んでたけど
今はキューティクルも復活しているし元々猫ッ毛だし手触り良いよね」
「……昔って、どんだけ前の話?」
おれの重ねた質問に
今度は稜地はにっこりと笑顔を作り
紅燿はにやりと意地悪く笑って黙り込む。
ぶぅ。
仲間はずれ禁止ー!
「詳細は、まだ語れない。
精霊や魔族の正しい立ち位置。
古代より更に昔、神代の時代に何があったのかを学び
時期が来たら、包み隠さず教えよう」
「ん。
んじゃ、約束ね」
ふくれっ面から一転。
小指を差し出し指切りをねだると『遊女の戯れか』と苦笑しながらも
差し出したそれに自分の小指をひっかけ応じてくれた。
それに満足して見上げるとすぐ近くにジューダスの顔があった。
神威の時にも素顔は見ているが改めて見ると綺麗な顔立ちをしているな。
姿見と勘違いした事実に今更ながら恥じ入ってしまう。
これと自分の顔を比べたら失礼なまでに似ていないだろう。
髪色こそ共通項だが今おれの髪は染められ茶色っぽい色になっているし。
ジューダスの方が鼻高いしまつ毛も長い。
骨格も意外としっかりしており筋肉も無駄なくついており
見る人が見たら芸術品だと言って彫刻にでもしそうだ。
外套で普段隠しているせいもあるだろうが冒険者とは思えない程
その肌は透き通るように白い。
それでも。
それでも、共通項をいくつも見出してしまう自分が居る。
「人の裸体を無遠慮に見るのは失礼だと思わないのか?」
「おっと、こりゃ失礼」
つい夢中になってしまった。
ぺしっと自分の側頭部をはたいて距離を取った。
はたくついでにのど元まで来ていた
『お前は古代の魔王なのか?
もしそうなら、お前はおれの父親なのか?』
と言う疑問を頭から追い払った。
ジューダスはここに仕事で来た訳ではなく
いつぞや言っていた『探し物』がここにあるかもしれない
と情報を得て来たのだそうだ。
どうやら闘技場の地下施設にそれがあるようだが
見張りが鉄壁でジューダスですら侵入する事が不可能で
それならば敵陣に堂々と乗り込んだ方が早いと昨日紹介状を
発行して貰ったんだって。
虎穴に入らずんば虎子を得ずって奴だね。
まさかおれがここに居るとは思わなかったって言われた。
おれの気配は判りやすいそうで
近くにいれば感知出来るはずなのにと首を傾げる。
それこそいつぞやの時と同じで霊力が乱れていて
気配が察知しにくくなっているのかもね。
それもあるが大晶霊との契約を優先させるだろうと思っていたから
この街は素通りすると思っていたそうだ。
コンパス・キーを使ったらその大晶霊がこの街に居るって
指示したんだって言うと今度は反対方向に首を傾げる。
少なくともジューダスが感知出来る国内の範囲には大晶霊は居ないそうだ。
コンパス・キーは方角は示すが直接的な場所は示さない。
あくまでどこへ向かうべきか参考にする指針程度のものなので
闘技場やこの屋敷を示した訳ではなく
更にその向こう──ユークレシナ公国に居る大晶霊を示したのだろう
と言われた。
なんてこったい。
えぐい範囲まで索敵広げられるこいつが感知出来ないって事は
カハマーニュ国内には大晶霊は居ないと断言出来る。
ジューダスと再会出来てあれこれ腰を据えて話をする機会が得られたのは
喜ばしい事だけれど大晶霊に関する事だけに焦点を当てるなら
完全な徒労じゃないか。
詳しい使い方を教えてくれなかったヴォーロスのおっさん、恨むぞ。
いや、ハッサンやこの街が抱える問題を放って置く訳にはいかないし
おれが立ち寄りもせずさっさと街を通り過ぎた後何かあった場合
どうせおれは気に病むのだ。
あの時あぁしてれば良かった、こうすべきだったんじゃないかって具合に。
なら今こうしてここに居るのが最善なのだ。
そう納得しよう。
村と連絡がつかないのはたまたまだそうだ。
本当か?
と疑ってかかったら緊急連絡がジューダスの所に一切入っていない事。
母さんは定期的に行っている村に一番近い場所にある
遺跡の様子を見に調査隊を組んで赴いている事。
父さんは先日のゴンドワナの一件があるから身体を休める為
村に居るはずだが他の面々は全て仕事で村から出払っているし
おれが持っている通信機と繋がる受信機の近くにいなければ
応対する事は出来ないのだし仕方ないだろうと。
携帯式の通信機もあるにはあるが
数が無い為村の精鋭にしか持たせられないし我慢しろと言われた。
『何かあれば私が持たせたフィリグリーを使えば良いだろう』
なんて言うけどおれがジューダスに関わる一切の記憶を無くしてたら
使う事も出来なかったでしょうに。
文句を言うとジューダスが渡してくれた丸い銀細工
──フィリグリーは一方的な呼び出し限定で
おれのジューダスに関わる記憶が抜けてたとしても
大晶霊の誰かが使ってくれれば駆け付けられると思ったし
『ま、良いか』
と結構適当に考えていたんだって。
霊力はその時の気分や状況によって形が少々変わるので
その微細な変化で助けを求めているか否か判るし
誰が霊力を流しても問題はないそうだ。
決して忘れていた訳ではないと念を押される。
存外大雑把な奴である。
おれが関わっているこの街を中心として現在抱えている問題を
かいつまんで説明すると腕を組み眉間に皺を寄せて黙り込んでしまった。
手拭いで海月を作ったり水手砲で攻防戦を繰り広げている大晶霊組が
その空気をぶち壊しており緊張感のかけらもない。
はしゃぎすぎじゃなかろうか。
と言うか紅燿さん?
手拭いは浴槽の中に入れてはいけませんよ。
「何と言うか、お前は巻き込まれ体質なのだな」
「村から出て三年程はこんな大きな事件に巻き添え喰らった事ないよ。
稜地と会ってから……って言うよりは
エリ……ーア助けてから累が及ぶ事ばかりになったかな」
まずい、まずい。
エリアンニスって本名で呼ぶ所だった。
「なんだ?
エリアンニス王子から求婚でもされたか?」
「もうこれが!
主ったらそれに気付かずスルーしちゃってんの!
可哀想だったよ~、元王子!」
「僕が神威した女の子のお兄さんだよね?
へぇ~、それは是非とも見たかったね」
おれ達の話がん無視で遊んでいたくせに突然話に混ざって来る大晶霊組。
にやにや厭らしい笑みを浮かべながら三人寄ってたかって囃し立てる。
女三人寄れば姦しいって言うけど、男でもそうだと思うんだよね。
もしや謀ろうとでも言うのだろうか?
何をだよ。
「もう、今更お前が何を知ってようと驚かないけどさ。
エリーヤの本名含めた秘め事ぺらぺら吹聴するのは感心しないぞ。
しかも恋心とか勝手に周りが憶測立てて囃し立てるもんじゃないだろ。
稜地と紅燿も。
悪乗りしないの」
『こんなこと言ってますわよ、奥様』
『自覚がないってやーねー』
なんて井戸端会議しているおばちゃんみたいな口調で
未だ悪乗りを続ける所を更に咎めると
『ごめん、ごめん』なんて特に悪びれた事もなく軽い謝罪をする二人。
こんにゃろう。
「それこそ、エリーヤはあそこで国諸共死ぬ運命だったからな。
決定づけられた人の生死に介入する力をお前が持った事で
運命そのものがお前を殺しにかかって来ているのだろうな」
どういうことだ??
促すと脳味噌が茹で上がってしまいそうな勢いであれこれ説明される。
簡単に言うと。
この世界は未来がある結果に至るように決まっている。
その為の死も生も定められており
そこから逸脱させようとする存在は世界の意志が
その対象を殺しにかかるそうだ。
うむ。
指示語が多い説明になってしまった。
核心をぼかした要領を得ない話だからどうしてもこうなっちゃうの!
世界の意志って聞くと大晶霊や精霊もその類じゃないの?
と思うがそうではないそうだよ。
あまり話すとおれの為にならないからこれ以上は自分で調べろって言われた。
そんな調べてわかる事なの??
文章にしたためられたりしているのだろうか??
ちらと大晶霊達を見るが胡散臭い程に善い笑顔で首を振られた。
彼らに聞くのは駄目らしい。
合成魔獣を禁止したのはブリタニア初代国王を筆頭に
父さん含めた三英雄と当時の三世界国際連盟加盟国の王様達で
今もなおその効力は残っているそうだ。
大昔の決め事が何百年経っても発揮できるって凄いね。
王様達って責任重大で大変だ。
この件は略称:界連の人達が既に動いており近日中に解決する見通しだから
おれは積極的にかかわるなと釘を刺される。
率先しなければ良いのか。
なんて思っていたら巻き込まれてしまったら致し方無いと言うだけで
基本首を突っ込むなと言う意味だと怒られた。
ぶぅ。
って言っても、ハッサンの事はどうにかしたいんだよね。
この国においては公爵が人に裁かれる事は無いと断言された。
貧富の差がゴンドワナ並み、もしくはそれ以上に激しく差別も酷い。
金と地位があれば命も買えるような国だから心配する必要はないって。
路地裏に年端も行かない子供の遺体が打ち捨てられている事もない。
物乞いも居ないし公共の厠も設置してあり清潔感だってある。
どこが??
そう疑問に思うと同時にあの門が思い出された。
どんなに大きな国でも見る貧民層の人間が全く居ない。
公爵含む貴族の悪口を酒の席でも誰一人口にしない。
ギルド以外で女性の姿は微塵も見ない。
その異様性。
……住み分け、させられているのか。
「表面上は繕っているが、酷いものだぞ。
門一つ違うだけであそこまで鬱屈した雰囲気になれるものかと
逆に感心してしまう程にな」
まるで公爵の心そのものを表しているような国だと言葉を付け加えられた。
ハッサンが複数の人格持ちかもしれない事は確かに話した。
でも、そんな言い方ってないんじゃないか?
彼は親から虐待された被害者だ。
「下手な同情をするな。
何かしらの被害者だから加害側に回って良い訳ではないだろう?
誰一人としてそんな権利を有する資格は本来無い。
金や地位、性別や生まれ……様々な外的要因で
錯覚する者が多いのは事実だが。
被害者が加害者側に回れば負の連鎖が続いていくだけだ。
『自分と同じ境遇の者を作ってはいけない』
そう他者を気遣えるか否かの、本人の心次第でその連鎖は断ち切れる。
その選択をせず父親と変わらず差別を野放しにしている
公爵を救う理由がお前にはあるのか?」
「何が良い事で、何が悪い事か、本来親が教えるべきだったのに
彼は一方的な暴力しか親から与えられなかった。
……人を気遣う優しさって言うのは自分独りじゃ育てられないよ。
ハッサンは、おれの事を友だって言った。
おれは友達として、彼を救いたいだけだ」
「毒親に育てられた子は優しさや安らぎを与えたモノに
依存し執着する傾向にある。
お前の為すべきは大晶霊との契約だろう?
相変わらず成す事がブレているが大丈夫か?」
毒にしかならない親って、正しくその通り過ぎる言い方だな。
勿論、依存されても執着されてもおれにはそれに応える事は出来ない。
そうだね。
一方的な文通位なら定期的に出来るだろうけど。
だっておれあっちこっち行ってるから手紙送られても受け取れないし。
その程度じゃ駄目なんだろうなって事は想像できる。
下手に中途半端な救いを与える方が酷な場合もあるだろう。
短時間であれだけころころ人格が変化していたのは
表面に出ている人格を守る為に交代していたのだと思う。
誰かにとっては些細な刺激でも
彼には酷く耐え難い苦痛に感じる事が多いのだろう。
その苦痛を和らげてくれる人
その苦痛を遠ざけてくれる人が目の前に現れたら。
縋ってしまうのは当然の事だ。
誰だって、辛くて苦しいのは嫌だもん。
互いを支え合えるようなつがいや家族が出来れば。
身近な友人が出来ればそれに越した事はない。
人じゃなくても良い。
愛玩動物や趣味のような物でも良い。
自分を支えてくれる存在が多ければ多い程好ましい。
沢山あればその分安定するからね。
一個の点で支えるよりその点が沢山集まって面になった方が
その上に乗っかるものが安定するのは道理である。
精神的なものも同じだ。
……と、思う。
おれだって、一人で、本当に一人で冒険していたら
哀しくて辛くて寂しくてすぐにとんぼ返りしていたと思う。
父さんには最初内緒で出て行ってしまったけれど
相談をした母さん、村の人達が
いつでも戻って来て良いんだよって見送ってくれて
頑張れって激励してくれたから一人じゃないって思えた。
大切な人達が互いに助け合って生きているのを知っているから
安心して外に出る事が出来た。
今もそうだ。
今は稜地や紅燿、葵帷さんのような大晶霊と繋がっているし
イシャンのようにおれの旅を支えてくれる
一緒には行動していないけど仲間もいる。
余計なお世話だと思ったけど実際役に立っている”金”の冒険者証を
発行してくれたヴォーロスのおっさんにだって感謝している。
実際の関係はいまいち分からないけど
何だかんだ言って悩みを聞いて助言してくれるジューダスもいる。
おれは、周りに恵まれている。
独りで居ても『今あの人は何しているかな』
良い事があったら『あの人にも知らせたいな』
そう思わせてくれる誰かが居るから。
だから一人旅していても折れないし挫けない。
でも、ハッサンはそう言う人が居ない。
実際には執事さん達はハッサンの事を心配しているようだった。
特にあの老齢の執事さんは親が子を見るような目でハッサンを見ている。
それは、外から第三者が見て判る事だ。
ハッサンには主従関係以上の心の機微を感じ取る事が出来ない。
細やかな心配りや表面に解りやすく出ている優しさじゃなければ気付けない。
それを学ぶべき幼少期に虐げられて来たから。
理解が出来ないのだ。
なんて残酷で哀しい事だろう。
大人になっても優しさや気遣いを理解出来なければ
周囲は『ここまでしてやったのに』と憤って遠ざかってしまうだろう。
本人は何故周りが離れていくのかも理解できず
自分の悪い部分が分からず
それでも自分自身が悪い事だけは理解できるから自分を責め
自分の中に閉じ籠ってしまう。
周囲を理解できず恐怖を感じるから周囲を遠ざける。
そして余計に孤立してしまう。
正しく、負の連鎖だ。
誰かが手を差し伸べなければそこから抜け出せないと言うのなら
出来る人間がするべきだ。
助けて欲しいと手を差し伸べられた者がその手を掴むべきだ。
一から信頼を築かなければならない人よりもその人の方が
状況を打破し改善できる余地がある。
ハッサンにとって状況を打破してくれるかもしれないと思ったのが
たまたまおれだった。
ならばおれはそれに応えたい。
「自分の出来る範囲で誰かの救いになりたいって
したい事は変わっていないしそこからも外れていないよ。
全部をぱっぱと救える程の力が無いのは相変わらずだ。
その力を得る為に早く大晶霊全員と契約すべきだって事は分かってる。
だからって目の前で困っている人を蔑ろにして良い理由にはならない」
「全を救うために個を犠牲とするのを好としない。
……変わらず、か」
薄く笑みを浮かべた口でぽつりと零したあと
ジューダスはざっと浴槽から上がり脱衣所へと向かう。
「お前がそうするように、私も自分の為すべき事を成す。
せいぜい、足を引っ張らないでくれ」
「お前もな!」
嫌味な台詞に聞こえるが軽口を叩きあうような雰囲気で言葉を交わした。
おれの言葉を受けた背中にはその綺麗な肌に不似合いな
大きな傷跡がついていた。