ある日の地獄
「おっと、済まない。 シンイチの体の全権限をシャットダウンしてしまった。 ……よし、これなら大丈夫だろう」
ヘルディオスがそういうと、体こそ見えないが、なんとなく体が動けるような気がする。
試しに声を出してみると、当然のことながら自分の声が聞こえてきた。
「おい、これはどういうことだ!? 俺はどこにいる!?」
「安心しろ。 お主の体は元の場所にいる。 意識だけここに飛ばしてきた。 今の現状、我とシンイチは混ざり合っている状態だ。 だからこそ、こういった芸当もできる。 まあ、こういう事ができるのも、我のおかげだがなぁ?」
暗闇の中、ヘルディオスの声が響く。
なんだか無性に腹立つが、事実、今起こっているのは普通の人間が到達しえない体験だ。
文句も一つ言ってやりたい。
しかし、もしヘルディオスの機嫌を損ねて、これが中止となったら、もしかすると二度と体験できないかもしれない。
……だが、そんなヘルディオスの言葉に、俺はある一つの疑問が生まれた。
「なあ。 こういう事ができるのなら、俺を操ることもできるんじゃないか? 事実、俺の体をどうこうできるんだろ?」
「むぅ……できないことはないが……そんな手間暇はないし、なにより……」
「なにより……?」
「面倒だからだ。 確かにそういう事をすれば手っ取り早いが、我の負担が大きいし、何よりつまらない」
「はぁ?」
「我とて、シンイチが数え切れぬほど世界を選定し、滅ぼしては救ってきた。 普通のやり方では些か飽きてきたのでな。 それならばお主に知識を与え、代わりにやってもらった方が愉しみではある」
「おいおい……飽きた、ってお前……」
呆れてものが言えない、というのはこのことだろう。
世界を生かすも殺すもできる神様は、人の人生を自由に弄りまわすことに、なんも罪悪感はないらしい。
だからと言って、命を助けてもらったヘルディオスに歯向かうなんてできないし、今の俺にはそのつもりはない。
いや、むしろ、もしかしたら……俺は感謝しているのかもしれない。
事実、ヘルディオスのおかげでこういった体験ができているし、俺の中にあったこの世界の価値観が180度変えてくれた。
退屈で閉鎖的だった俺に、未知の領域に踏み込ませてくれたのは、他ならぬヘルディオスだ。
……ああ、いいじゃないか。
ならば、とことん付き合ってやる。
「なにか文句でも?」
「いや、何でもない。 あんたは俺を助けてくれた神様だ。 何も文句言えないさ」
「ふむ、では話を戻そう」
ヘルディオスがそういうと、俺の視界いっぱいに光が広がる。
そして光が落ち着くと、そこは空だった。
いや、俺が空にいるのか?
……なるほど 俺は空を飛んでいるんだ。
「この映像は我がこの世界、『オリジン』に来る前に訪れた世界の映像だ。 この世界はすでに消滅させる事が決定しており、人間以外の知的種族は別の世界へ避難させられていた」
「んじゃ、お前は俺に世界が消滅させる瞬間を見させるのか?」
「いや、見せたいのはそこではない。 ……そろそろだ。 町の様子を見てみろ」
すると、ヘルディオスの言うとおり、町が見えてきた。
高層ビルに様々な建造物。 俺が知っている建物ばかりが立っている。
どうやら、思ったほど異世界というのは、幻想的ではないらしい。
俺がいる世界にもあるような、似たり寄ったりの建物を見て、少し幻滅していた。
……しかし何だ? 妙に違和感がある。
確かに見慣れた光景だが……何かがおかしい。 明らかに何かが足りない。
まるで模型を見ているような……
「気づかぬか? ……人がおらぬ」
「ああ、確かに。 ……でも、この世界滅んだんだろ? 人間もどこかに避難したんじゃ?」
「この世界の人間は異世界転移の技術はない。 よってこの世界の人間は滅ぶのみだったのだが……」
「じゃあ、何で人がいないんだよ? ……て、あれ」
視界の端に何か動くものが見えた。
映像のヘルディオスも気づいたのか、視界がそれの中心に動く。
よく見るとそれは車だった。
黒い高級車でかなりのスピードを出している。 どうやら、かなり急いでいる様子だ。
「なんだ、人間いるじゃん」
「いや、あれは違う」
「は? でも車が……」
その間に、車はある建物の門を、まるで映画の様に突っ込んだ。
派手な衝撃音が辺りに響き渡る。
……どうやら、車が突っ込んだ建物は病院のようだ。 建物の上に十字の赤いマークが見える。
しかし、そんな病院のイメージとは合わない、多数のバイクが乗り捨てられていた。
「何やってんだ、あれ?」
白い煙を上げる黒い高級車から……人影が降りてくる。
降りてくるのが、二人。
一人は男性用の紳士服を着ており、もう一人は……恰好からして女だろうか?
『人』だった。 しかし、俺が知っている『人』ではない。
獣のような耳に、人間では見られない毛皮……まるで狐が二足歩行しているような恰好をしている彼らは、ゲームやアニメに登場する獣人を連想させた。
「おい、この世界の人間ってあんな姿をしているのか?」
「いや、彼らは違う。 この世界の人間たちは……」
ヘルディオスがそういううちに病院から何かが飛び出してくる。
それは先程車から出てきた者たちとよく似ていた。
「……あれだ。 あれがこの世界の人間だ」
「はぁ? いや、どう見たって、さっき車から出てきた奴らと同じ格好しているじゃないか?」
「いや、よく見ろ」
武器を持ち、獣人のような風貌をしているが……確かに何かが違う。
なんか、こう……病院の奴らは何かしら歪だ。
つぎはぎの肉人形。
何かと何かが混ざって出来たような、そんな感じ。
一方、車から出てきた奴らは本当に存在するんじゃないのか、と思えるほどに自然に見える。
だが、あれは……なんだか、嫌悪感を抱かせるような、そんな感じだ。
明らかにあれは自然にできたものじゃない。
それに、この感覚。 どこかで……
「まさか……」
「ようやく気づいたか。 あれは何らかの形で魔獣と化した人間たちだ。 お主を見たであろう?」
「嘘だろ!? でも俺が見たときは知性も何もない、ただの化け物だったぞ!?」
「恐らくだが、人間が魔獣に変貌した直後は何も知性が残ってないのだろう。 それが徐々に回復してきて、あのように武器を持てるほどになる。 しかし、知性が回復したとしても、あやつらは人食衝動という本能には逆らえん」
「じゃあ……あいつらは病院を拠点にして、集団で狩りをしてるのか?」
「ああ。 あいつらはこの世界の魔獣になりそこなった人間を中心に狩りをしていたようだ。 ……人間がいない場合は敵対する別のグループを狩り、共食いしていたようだがな」
ヘルディオスの言葉に、俺は絶句していた。
化け物と化した人間が、人を襲い、喰らう。
かつて、同じだった人間なのに、だ。
まさに俺が見ている光景は地獄そのもの。
……こうなってしまった以上、ヘルディオスが世界を滅ぼすのも理解できる。