ウソみたいな現実で
「鬼灯先生!」
魔法薬教官室の扉を大きく開ければ、中にいた人影が動く。
「騒々しい。もっと静かに入ってこれないのか…あ?」
「すみません。…じゃなくて、このひとたち看て貰えませんか?」
ずずっと水無月智昭を前に押しやる。
「え?百目鬼ちゃん?なに?」
「看ろって、ここは医務室じゃないんだが?」
「わかってます。でも、症状が…」
説明しようとすれば、残りの3人も部屋に入ってくる。
「おい、何でトモと逃げ出してんだよ。俺だけを見てろ、バカ」
「百目鬼せんぱい、置いてくなんて酷いよ!」
「百目鬼、隼人さんの傍じゃなくてオレの傍にいてよ」
と好き勝手言ってくれる彼らをほっておいて、鬼灯先生の方に向き直る。
「………百目鬼、モテ期を見せ付けに…」
「なんでそんなメンドクサイことをしなきゃいけないんですか!じゃなくて、これ、変ですよね。急に3…4人?が好意を見せてくるなんて。まるで魔法にかかったよう。」
「そうか?ただのモテ期…悪かった。」
ぎろりと睨めば、鬼灯先生は口を紡ぐ。
それを尻目に持ってきたチョコレートを机の上に置く。
「これは?」
「彼等のいたテーブルにありました。」
「ただのハート型のチョコレートのように見えるが…」
チョコレートを割って中身を見せる。中には果実…さくらんぼが入っていた。
「これは…」
鬼灯先生の表情が引き攣る。その表情が全てを物語っていた。
崩れるように机にもたれかかれば「うあぁ…」と思わず呻きたくもなる。
「百目鬼?」
「落ち着いて聞いてください。これ、惚れ薬の一種です。」
心配そうに私を見る4人に対して、そう告げるのだった。
女子のなかで口伝てに伝わる噂がある。
“央都の外には本物の惚れ薬を作る魔女がいる”と。
惚れ薬とは黒魔法の一つである精神魔法だ。
深層心理に働きかけて、好意の種類を恋愛感情にすり替えてしまうというもの。しかし、市場に出回る惚れ薬は大抵ニセモノ。思い込みが成立させているものだ。そういう意味では「効果がある」といえるのかもしれない。
しかし、例外もある。それが噂の『恋の秘薬』だ。
小さなアンプルに入った薄紅色の液体。無味無臭でそのままだとただの水。けれど、ある条件を満たせば甘い香りと共に、たちまち惚れ薬として効果を現す。
それが、『“ハート型のチェリー入りチョコレート”を食べさせて、名前を“呼ばれて”“視線を合わせる”』
なかなかハードな条件。
しかも、一度食べると魔法耐性がついて2度目以降は効きにくくなるという。
結構鬼畜な魔法薬だ。
そんな惚れ薬の条件と効果に目の前のチョコレートと先程までの状況が酷似している。
その上、鬼灯先生の反応…ほんと、笑えない。
「つまり、俺たちはその惚れ薬を飲まされたと?」
不満そうな声を上げるのは焔火隼人。
「そんなはずないよ!この気持ちが嘘な訳ない。ボク、先輩のことが大好きだよ!」
そう言って抱き付いてくるのは五十嵐陽翔。
「隼人さん達はほぼ初対面だけど、オレは百目鬼のことずっと見てきた。惚れ薬のせいなわけない」
断言してくる大地亜樹。
惚れ薬って怖っ!こんなにも人を変えてしまうなんて…。
「鬼灯先生…」
「これを解析して解毒剤を作ろうにも、そんなすぐには出来ない。早くて…2、3週間ってところか。」
「そんなに…」
「魔法薬の権威である鬼灯先生でもそんなにかかるんですか?」
水無月智昭が怪訝そうに訊ねる。
「口伝てに伝わってる魔法薬だ。俺も本物を見るのは初めてだからな。成分もなにも分からない」
鬼灯先生は肩を竦めて笑う。
「この惚れ薬の効果も個人差はあるらしいが、2、3週間ほどだと伝わってる。解毒剤が出来るのが先か効果が切れるのが先かというところか…」
鬼灯先生の言葉に肩を落とすしかなかった。
「とりあえず、このチョコレートは預かっていいか?成分解析して解毒剤を作ってみる。」
「お願いします、鬼灯先生。私も出来ることがあれば手伝います」
「あぁ。百目鬼も何かあれば頼りにしてくれていい。その4人だと苦労するだろう」
くしゃくしゃと頭を撫でられれば、その様子が気に食わない男。
「おい、百目鬼。あんまり他のヤツを見るな。」と抱き寄せられる。
メンドクサイ。
「はいはい、スミマセンでした。先生、また。」
と頭を下げて魔法薬教官室を後にする。
オレたちも彼女の後を追って教官室を後にしようとする。その背に鬼灯先生の声がかかる。
「焔火、五十嵐、大地、それから水無月。」
「なんでしょうか?」
オレが振り返れば、鬼灯教官は苦虫を潰したような顔をしていた。
「アイツは俺の可愛い教え子だ。それを覚えとけ。」
「覚えておきますよ。」
隼人さんの背を追って歩き出した。