第7話 除冶の迦音(じょやのかね)
これにておしまい。
ご愛読ありがとうございました。
「良くぞここまで来た勇者よ」
長く苦しい旅の末、遂に鍛砕坊は諸悪の根源たる魔王と対峙していた。
「だが我が肉体は魔の概念の塊。貴様お得意の直接攻撃で発動する魔法も無意味だ!」
魔王の言う通りであった。
魔王の肉体は通常の物理法則から隔絶された概念で構成されていた。
通常概念というものは物理的な力を持たない認識上の存在、否存在ですらない。
だが、魔王は違った。
魔王を魔王たらしめる魔の概念は、物理的な干渉力を持つまでに高密度化されたエネルギーと化していたのだ。
「ならば、南無阿弥陀打つ!!」
鍛砕坊は木魚を取り出すと、16ビートで木魚を叩き始めた。
「お経とはなんかありがたい言葉だからソレを聞くだけでありがたい効果があると思えば実際そうなるもの! つまり幽霊に効くと言う事だ!」
鍛砕坊の木魚が高速で叩かれる事で木魚内に広がる無限の宇宙の如き空洞部の空気を振動させる。
振動した空気が木魚内でありがたいお経の力を蓄積、増幅してゆく。
すなわちお経ブースター!
限界まで蓄積されたありがたいエネルギーが木魚の口から噴出し、犬の骨っぽい輪郭のエネルギー波となって魔王に襲い掛かった!
だがお経エネルギーは魔王の体をすり抜け、全く効果がある様には見えない。
「フハハハハ! 我はこの世界全ての命が放つ負の想念が淀み生まれた概念生命体。すなわち、世界には邪悪な存在がいるのだから魔王がいる筈だという思い込みが形になったものよ!!」
なんという事か! 魔王の正体は思い込みであった。
いかにありがたいエネルギーでも思い込みを攻撃する事はできない!
「何と!?」
「それに対してこちらは一方的に攻撃が出来る!!」
魔王が手をかざすと、その先から幾百もの黒いエネルギーの蛇が飛び出し鍛砕坊を襲う。
「ぐぁぁぁぁぁ!!!」
鍛砕坊は必死になって黒い蛇を振り払うが、鍛砕坊の手は蛇の体をすり抜けるばかりでむしろ彼の手が蛇のエネルギーで傷を負っていく。
「フハハハハハ! 言ったであろう! 一方的に攻撃できるとな!」
360度全方向からの攻撃を受けた鍛砕坊はぼろきれの様になって地面に崩れ落ちる。
そんな彼の体に破壊された木魚が振りかけられた。
「これで武器も無くなったな。もはや貴様に勝ち目はないぞ!!」
魔王が勝利の哄笑をあげる。
「思い込みである我を倒す事は誰にも出来ぬ! 勇者であってもだ!!」
絶対的な絶望。
攻撃を当てる事も出来ない相手に勝つ方法など絶無。
絶無なのである!
「……」
だが、それでも諦めない漢は確かに存在した。
「ぐっ……うっ、く……」
鍛砕坊は立ち上がる。
その瞳に絶望はなかった。
あるのは覚悟だけである。
「ならば……ならば、魔王なんていないと、魔王など怖くないと拙僧が世界中の人々に殺法を説けばよい!!」
「なんだと!?」
魔王は驚愕した。
鍛砕坊は魔王に侵略され崩壊寸前の世界で魔王の存在を否定させると宣言したのだ。
馬鹿げた発言である。
およそ正気の人間が口にする事ではない。
「馬鹿が! その様な事が出来る筈がない! 人間は何もない闇の中を見ても悪魔や邪霊を創造するのだぞ!? 我が世界を襲っているこの状況でどうやって我の存在を否定させるというのだ!?」
「こうやってだ!」
鍛砕坊は己の体に破壊された木魚を貼り付けた。
「魔王が魔王がいる筈だという思い込みから生まれた思い込み生命体ならば、拙僧は世界中の人々にお経を聞かせて魔王の存在を忘れさせてくれよう!」
鍛砕坊の体が振動を始める。
ソレは恐怖から来る震えでも、戦いを前に高揚する武者震いでもなかった。
これは、ドラミングの振動であった。
鍛砕坊は自らの体を高速振動させることで全身に貼り付けた木魚を叩いていたのだ。
手で木魚を叩いて16ビートしか出せないのなら、全身に貼り付けた100の破片を同時に振動させれば1600ビート!
1600ビートのありがたい木魚エネルギーが鍛砕坊に力を与える!!
「南~ぁ無ぅ阿~弥ぃ陀ぁあぁ~打ぅ~南~ぁ無ぅ阿~弥ぃ陀ぁあぁ~打ぅ~南~ぁ無ぅ阿~弥ぃ陀ぁあぁ~打ぅ~南~ぁ無ぅ阿~弥ぃ陀ぁあぁ~打ぅ~南~ぁ無ぅ阿~弥ぃ陀ぁあぁ~打ぅ~南~ぁ無ぅ阿~弥ぃ陀ぁあぁ~打ぅ~南~ぁ無ぅ阿~弥ぃ陀ぁあぁ~打ぅ~南~ぁ無ぅ阿~弥ぃ陀ぁあぁ~打ぅ~南~ぁ無ぅ阿~弥ぃ陀ぁあぁ~打ぅ~南~ぁ無ぅ阿~弥ぃ陀ぁあぁ~打ぅ~南~ぁ」
鍛砕坊の口から発せられたお経がありがたい木魚エネルギーで増幅され魔王城中に響き渡る!
「何が忘れさせるだ! 所詮は只のお経ではないか!」
魔王が鍛砕坊を嘲笑する。
だが魔王は気付いていなかった。
この魔王城の空間に響き渡ったお経は更に増幅され、魔王城の外へと広がって行った事を!
1600ビートの木魚ブースト効果によって鍛砕坊のお経は魔族の領域一杯に広がっていく。
それどころか海を越えて人間達の国まで響き渡った。
「な、なんだこの妙にリズミカルでありがたい感じのする歌は?」
「おおおおぁぁぁぁぁぁぁ!!」
たまたまその辺りを通りすがっていたサグジョ達元弟子達が恐怖で泡を吹いて気絶する。
「ひぃぃぃぃぃ! 何だこの頭にこびり付く声はぁぁぁぁぁ!!?」
鍛砕坊の元から逃げだしたケンジンが悲鳴を上げてのた打ち回る。
「ひ、ひひひひ……お、お許しください勇者様、逃げてしまって御免なさい勇者様ぁぁぁぁ!!!」
何処まで逃げてもお経が響いてくる事に恐怖したヨウエンは、これが勇者の下から逃げ出した事を攻められていると思いひたすらに謝罪を繰り返した。
「これは勇者様のお声! ああ、勇者様が戦っておられるのですね」
少女こと姫は、勇者のお経を聞いて彼の事を思い出す。
ついでに彼がモンスターと戦う際に上半身を脱いだ姿を思い出してほほを染めた。
世界中で鍛砕坊のお経が鳴り響く。
全く知らない赤の他人の歌声? と思しきものがいつまでも鳴り響く事に人々は恐怖した。
「ひぃぃぃぃ何だこの地獄の底から鳴り響くおたけびはぁぁぁぁ!!!????」
恐怖!
そう恐怖であった!
今、一部ピンク色の思考を除いて世界中の人々の思考が魔王を忘れて謎のお経に恐怖した!
◆
「な、何だ!? 我を構成する思い込みの力が弱まっていくだと!?」
魔王はあせっていた。
これまでどれほどの兵であろうとも自分には指一本触れるすら出来なかったのだ。
だというのに、目の前の勇者は触れる事無く自らの存在を崩壊させようとしているのだ。
「や、やめろぉぉぉぉぉぉ!!!」
魔王が再び黒い蛇を現出させ鍛砕坊を攻撃する。
「南無!」
だが、その攻撃は突き出された鍛砕坊の掌底に弾かれる。
「馬鹿な!?」
魔王は驚愕した。
誰であろうとも抵抗などできる筈のない自分の攻撃は弾かれたのだ。
そう、触れる事の出来ない自分に対してだ。
(これこそが阿弥打流最終奥義、除冶の迦音己自身を鐘とする事で肉体のくびきから逃れ即身仏となる奥義よ!)
鍛砕坊の口はお経を唱え続けているというのに、彼の言葉が魔王に響く。
「莫迦な、ありえぬ! 余は思い込み生命体だぞ……何人も思い込みを攻撃することなど出来ぬはず!」
(出来るのだ!)
「っ!?」
(お主が思い込みから生まれた生命体ならば、こちらも殴る事が出来るという思い込みがあれば殴れる!!!!)
「っっっっっっ!!!!!?」
真理であった。
思い込みに勝てるのは思い込みのみ。
概念で肉体を構成した思い込み生命体である魔王に対し、鍛砕坊は自らが肉体を捨てた仏になって木魚で思い込みエネルギーを集める事で同じステージに立ったのだ。
全世界の人間をリフレインお経で恐怖に陥れた事で魔王の存在は揺らいでいる。
(これより先は一対一の殴り合いすなわち大文字焼きの時間である!)
大文字焼き、ソレは大という字を分解すると一人になる事から付けられたどちらが正しいかを決める説法合戦の事である。
もちろん負けたら焼かれる。
これは大という字が縛られた人に見えるからだ。
(南無阿弥陀打つ!!!!!!)
鍛砕坊が殴った。
精神生命体となった彼の拳はもはや骨電動お経などと言う生易しいものではない。
いうなれば襲狂!!
(南無阿弥陀打つ!!!!!!南無阿弥陀打つ!!!!!!南無阿弥陀打つ!!!!!!南無阿弥陀打つ!!!!!!南無阿弥陀打つ!!!!!!南無阿弥陀打つ!!!!!!南無阿弥陀打つ!!!!!!南無阿弥陀打つ!!!!!!南無阿弥陀打つ!!!!!!南無阿弥陀打つ!!!!!!南無阿弥陀打つ!!!!!!南無阿弥陀打つ!!!!!!南無阿弥陀打つ!!!!!!)
ひたすらに鍛砕坊が魔王を殴る。
阿弥打流最終奥義除冶の迦音。
その真髄は108発打撃を与える事で相手の煩悩を打ち払う事である。
そして邪悪な精神生命体である魔王にとって煩悩を払われるという事は存在が消える事と同義であった。
「莫迦な! 莫迦な! 莫迦な!」
反撃を試みる魔王であったが、全世界の魔王がいるという思い込みが鍛砕坊の奏でるお経への恐怖で塗り替えられている為に力が抜ける一方である。
「やめろ! 我はこの世界の魔の概念でもあるのだぞ! 概念がなくなるという事はすなわち世界が欠けると言う事だ! 欠けたものはいずれ崩壊をはじめる! 我を滅ぼせば世界が崩壊するのだぞ!!!」
なんという事であろうか。
ここに来て命乞い&世界道連れ宣言である。
汚い、魔王汚い!
だが、それでも、坊主の拳は止まらなかった。
それどころか拳の勢いは増し、1600ビートは3200ビートに、3200ビートは6400ビートとドンドン速度が上がっていった。
「き、貴様! 世界がどうなっても良いというのか!」
(否!)
否定の意思が魔王を突き刺す!
(世界が欠けて滅びるというのなら、隙間を埋めて接着剤で固定すればよいのだ!!)
「な、なに!?」
魔王は困惑した。
概念たる自分の替りなどある筈がないのだ。
しかし、次の瞬間、魔王はある事に思い至って恐怖した。
「貴様! まさか!? 成り代わるつもりか!?」
それは確信であった。
「この魔王に、魔の概念に貴様が成り代わるつもりか!!?」
(然り! この世界から魔の概念がなくなるのならば! 拙僧が仏の概念となって世界を埋めようぞ!!!)
「莫迦な!莫迦な!莫迦な!莫迦な!莫迦な!莫迦な!莫迦な!莫迦な!莫迦な!莫迦な!莫迦な!莫迦な!莫迦な!莫迦な!只の人間にそのような事が出来る筈がない!!!」
(拙僧すでに即身仏で只の人間ではないので問題なし!!)
「そうであった!!」
魔王は納得した。
そして納得した瞬間、最後の一発、108発目の拳が魔王の体を貫いた。
「安心するがよい。欠けたこの世界は拙僧の仏の教えで満たすゆえ」
「全く安心できん」
こうして、魔王は無念の内に消滅した。
世界は救われた。
魔王を打ち倒した世界は、魔王の替りに仏という恐怖の存在が誕生したからだ。
南無阿弥蛇打つ
それは困ったことがあったらとりあえず殴って何とかしろという拳の教え。
こうして世界は更なる争いの世になるのであった。
めでたしめでたし