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真田源三郎の休日  作者: 神光寺かをり
歩き巫女
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歩き巫女 三

 さても、こういった具合でありましたので、私は、この娘はおそらく武家の出身であろうと踏みました。

 よし農民であったとしても、戦になれば武士に変ずるような半農の一族、あるいは武士が帰農したような家柄だったのではないかと思われました。さもなくば、そこそこの武家に生まれて後、事情があって農家へ預けられた、とも考えられます。

 それにしては、礼儀作法がなっていない気もしましたが、少なくとも、ノノウの修行を始める以前から、ある程度学問ができる環境にあったには違いないでしょう。

 そんな垂氷のことで私がもう一つ驚いたのは、その脚の丈夫さ、速さでした。

 厩橋の城下で「巡礼」している仲間のノノウと繋ぎを取らねばならなくなった時のことです。

 本来ならこういった仕事は繋ぎ専門の者がするのですが、その日は頃合い悪く繋ぎ役が皆出払っておりました。

 そこで垂氷がその役を買って出たのです。

 垂氷は岩櫃から厩橋までの、途中険しい山道もある十里以上の道程を、まだそれほど日の長くない季節だったというのに、明るい内に苦もなく往復してのけました。それは徒歩軍かちいくさにも劣らない健脚ぶりでした。

「脚が頑丈なのは当たり前です。何分にもわたしはノノウ。歩くのが商売の歩き巫女の端くれで御座いますよ」

 垂氷は、少々自慢げに申しました。漢字の読み書きの時もいくらかは自負が感じられましたが、脚自慢はそれ以上でした。余程に己の健脚が誇りなのでありしょう。

「歩く仕事が一番好きでございますよ」

 胸を張って言うと、垂氷は厩橋のノノウからの繋ぎの書状と、もう一つ別の書状を差し出しました。

 繋ぎの書状は薄い紙を折り畳んで結封むすびふうにしたものでしたが、もう一方は折紙を切封きりふうにした書簡でした。

 細い筆による柔らかい筆致で書かれた宛先の文字は「真源三どの」となっておりました。私宛の物であることは間違いありません。

 差出人の名は「慶」一文字です。

「私が読んでも良いものかね?」

 私は結封の方を指して尋ねました。

「読んでいけない物は別にして砥石へ送ってございます」

「成る程、それはそうだろう」

 腹の奥にチリチリとしたものを感じました。くだらない嫉妬心です。

「それよりも……」

 なにやら言いたげな垂氷の目の奥に、幽かな嗤いが見えた気がしましたので、

「それよりも?」

 と重ねるように尋ねました。その声音には、いくらか険があったかもしれません。

「そちらの立派な文の方です。それは厩橋に反故紙ほごし漉返すきかえしを商いにしている者から……」

「もしや、紙座かみざよろず屋のことか?」

「あい」

 反故紙というのは、書き損じや使い古しの紙のことです。

 紙は高価な物です。書き損じたぐらいで捨ててしまえば、それは金を捨てるのと同じ事でしょう。古い紙を水に浸してほぐし、出来るだけ墨を抜き、もう一度紙に漉き直せば、それだけ無駄が省けるというものです。

 そういった漉返紙は、どれ程丁寧に叩いても元の書類の墨が残っているため、薄い鼠色になります。このため薄墨紙などとも呼ばれます。

「あそこは薄墨紙ばかり扱っている訳ではない。三椏紙みつまたがみ楮紙こうぞがみも、麻紙ましも、雁皮紙がんぴしだって扱っている」

 甲州、というよりは、武田信玄公の領していた土地では、信玄公の御意向により、製紙産業に力を入れておりました。

 元より高価な紙を、国外の産地より取り寄せていては、運ぶ手間賃がかさみ、益々値が上がります。それ故に信玄公は、領内で三椏や楮といった紙の元となる木々を植えさせ、紙座を置いて、紙の生産を奨励なさいました。

「さようですか。わたしどもなどは、安い紙しか使いませんので、てっきりそうなのだとばかり」

 確かに「草の者」が密書に厚手の奉書ほうしょ紙を使うことは、贋手紙を仕立てるのでなければ、そうはないでしょう。

「ともかく、その文は件の紙屋さんからあずかってきたのですが」

 垂氷はニコリというか、ニタリというか、何とも言い様のない笑みを満面に浮かべ、

「何処の娘ごからの付文つけぶみですか?」

 紙座の筆頭である萬屋は、元を辿れば信濃者だと称しており、そのため私たちが上州にいた頃から懇意にしておりました。

 何分、我が父は表に裏に、諸方へ様々な文を発するのがたいそう《《好き》》なものですから、紙屋と仲が良くなるのは必然でありました。

 武田が滅び、甲斐に織田様がお入りになって以降も、萬屋は商いを許されて、滝川様の御屋敷にも出入りしています。

 ですから、萬屋が厩橋にいる真田に縁のある者達からの様々な『文』や『届け物』を――表向きにして良い物もそうでない物も含めて――預かり、使いを立てて届けて寄越すことは、有り得ることです。

 もし万一、本当に私宛に付文を寄越そうという女性にょしょうがいたとしたなら、萬屋に頼むのが一番確実なのは確かです。

 しかし残念なことに、そう言った女性は居りません。

「男だよ。この手紙の主は男だ」

 私が苦笑いして言いますと、垂氷の目の奥の嗤いが、艶笑えんしょうじみたものに……あくまでも私が見たところなのですが……変わりました。

「まあ、《《そちらの方》》で」

 垂氷はその笑いを隠しもせずに、顔の上に広げました。

「お前は何を考えている」

 と、口に出して問いましたが、実際の所おおよそのところは判っておりました。

 垂氷はあの文を付文と信じて疑っていないのです。例え、差出人が男であっても。

「若様は、おなごがお嫌いなのかしら、と」

 にこりと、実に面白げに、垂氷が笑って見せました。

 私はすこしばかり中っ腹になりましたので、狭量にも何も答えずにおりますと

「若様は、ご自身がどうこう言うのは別として、殿方から好かれる方なのですよ。つまり男好きのする良い男」

 恐らく褒めてくれているのでしょう。

 後にすれば、そう思えます。しかし、その時にはそうは思われませんでした。

「あまりうれしくないな。殊更お前に言われると、何故か面白くない」

 わたしは件の文を、我ながら態とらしく横に避け、結封を開きました。

 厩橋の曲輪の内に大層立派な「人質屋敷」が建てられたこと、わけても立派な一棟は、どうやら我が妹於菊(おきく)の住まいに当てられるらしいということ。

 滝川様が軍馬の補給に苦労しておられること。

 駿河するがを知行することとなった徳川殿が盛んに街道筋の整備をしていること。

 そして、小田原の北条殿の動きがなにやら活発であること……。

 大体そのようなことが細かい鏡文字で書き連ねられておりました。

 大方は予想通りの事でした。私は文を手焙てあぶりの熾火おきびの上に置きました。

 立ち上がった小さな炎が、北条勢の動きに見えました。

 北条殿はこの度の「武田討伐」では一時的に徳川様の旗下に入り――武田方であった我らから見れば口惜しい事この上ない――存分の働きを成されたのですが、織田様からの恩賞は殆ど無かったと言います。

 織田様はあるいは北条殿との「同盟関係の維持」こそが、恩賞であるとお考えなのでかもしれません。

 ですが北条殿にしてみれば、それは目に見える結果ではありません。このために、ご家中には織田様に恨みを抱いている者が多くいる様子でした。

 今北条殿が半ば公然と軍備を整えているのは、あるいは織田様の本隊が離れた甲州・上州を狙ってのことかもしれません。

 炎は、あっと言う間に小さな紙を蹂躙じゅうりんし尽くしました。しかしやがて自らも衰え、一条の煙を以外には何の痕跡も残さず、掻き消えました。

「寒いな」

 私は独り呟きました。誰かに対して呼びかけたわけではありません。それが判っているのか、いないのか、垂氷は何も答えません。

 私は火鉢の中の熾火が静かに揺らめくのを、しばらくの間眺めておりました。


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