家内安全 二
つまり、山道を登ってくるのは、少ないとはいえ護衛の侍を付けることが出来る程度の身分のある「貴人」、それも恐らくはご婦人で、上州から逃げ出そうとしているのだ、と見るのが自然です。
換え馬や、駕籠や長持の担い手の交代要員がいないところからすると、遠くへ行くつもりが無いのでしょう。さもなければ、急いでいてそれだけの人数を集めきれなかったのかも知れません。
問題は、その「貴人」が誰であるか、です。
信濃へ向かっているからにはその「貴人」は、信濃に何かしかの縁がある方でしょう。
とは申しても、北条殿に縁のある方である可能性も無いとは言えません。北条に縁のある方が、本心は相模の方へ行くことを願っていたとしても、その願いが叶うとは思えないからです。
考えてもご覧なさい。滝川様、あるいは旧武田の陣営の者が、北条殿に縁のある方が国外へ出ようとするのを見過ごすことなどできおうものですか。
それでも、どうあっても上州から出たい。むしろ出ることのみを考える、というのならば、幾分か手の薄いであろう信濃を目指す。そんなことも有り得ないとは申せません。
とはいえど、やはりそうである確率は低い。大体、動くこと自体が大層難しい筈です。
件の一団は信濃に縁者がいる方である公算が高い。
そして、滝川様の陣営がその方を戦場から離脱させても良いと考えている、あるいは離脱させたいと願っている方、つまり、滝川一益様や織田方に縁の深い方ということが想像できます。
そうであるならば、我らはあの方々を庇護する必要があります。
父がどのような腹積もりであるかに寄りますが、その方をお助けすることによって、有り体に言えば「滝川様に恩を売る」ことができます。
あるいは、証人とすることができるのです。
非道と思われましょうや?
そも、戦とは人の道に外れた行いです。それを行うのが武士です。道ならぬ道を通るのが戦乱の世の侍の役目です。
少なくとも、我々がここであの方々を助けて差し上げれば、その方々は命を拾うことになります。
例え証人としてであってもです。
命を拾い、生きてゆくことが出来れば、そこから先に何かが起きるやも知れません。何かを起こせるかも知れぬのです。
判っております。言い訳に過ぎません。
あの時の私もそれが判っておりました。そうやって言い訳にならぬ言い訳を心中で己に向かって言い聞かでもせねば、私はその場所に立っていることができなかったのです。
私は、小心者ですから。
それでもこの時は、己に言い聞かせるにしても、実際に声に出して言う訳には行きません。私は我が胸の内でだけ己に言葉をかけました。いや、そのつもりでありました。
しかし私という鈍遅の口先は、その主に輪を掛けての粗忽者であったのです。
「業盡有情、雖放未生、故宿人身、同証佛果」
後々幸直らが私に、笑い話として語った事が本当であるならば、初めのうちはそれでもモゾモゾと口の中で言うだけであったようです。
ところが声音は次第に大きく高くなり、最後に、
「家内安全!」
と、幸直に、
「訳がわからない」
と頭を抱え込ませた一言を口にした頃などは、殆ど叫び声に等しいものになっておったのです。
私はといえば、名も知らぬ鳥共が一斉に叫び、翼で自分を鞭打つようにして塒から飛び立ち、森の木々の枝が大風にまかれたかのように揺れ、擦れ合う枝葉の悲鳴があたりに響くに至って、漸く己の失態に気付いたという、情けない次第でありました。
私は倒れ込むようにして地に伏せました。
一呼吸の遅れもなく、その場にいた者達総てが、私と同じように身を低くしました。
その鮮やかな隠れ振りを見た私は、火急の事態の最中であるというのに
『我が家のことであるが、真田家中の者共は、全く良く訓練された者共であることよ』
などと、いたく感心したものです。
しかしまあ、その時の皆々の視線の痛いことといったらありません。ことさら禰津幸直の眼差しときたら、槍で腑をこね回されているかと思われるほどのものでありました。
自業自得はあります。それはその時の私にも判っていたことです。それでも、私は恐らく恨みがましい目を幸直に向けていたのでありましょう。幸直はギリリと奥歯を軋ませると、
「お覚悟めされよ」
と低く唸り、腰の刀の鯉口を切ったのです。
「心得た」
私は、笑っておりました。作り笑いでも嘘笑いでもなく、本心から笑っておりました。
幸直が斬り掛かろうとしている相手が、自分ではないと確信していたからです。
……主に対しては刃を向けかねるからか、とお訊ねか?
いや、禰津幸直は忠義者です。私が主だからという理由ぐらいでは、私を殺さずにおくことはないでしょう。
お解りになりませぬか?
例え主人であっても、あるいは親兄弟であっても、言動に謬りがあれば、これを正さねばならぬでしょう。
涙を呑み、歯を食いしばり、血を吐く思いをしてでも、黒い物は黒いと断じなければならぬのです。
阿附迎合して己の正義を誤魔化すようなことがあれば、元は些細な過ちであっても「二人分」に倍増いたしましょう。その上、回りの者がみな阿諛追従したなら、過ちはたちまち数十、数百、数千に膨れ上がるのです。
膨れ上がったモノは、針の如き小さな力で突いただけでも容易に弾けましょう。
外から突けば血膿が吹き出し、飛び散ります。あるいは内から突き上げる針のために、骨肉露わになるほど大きく皮が裂けることもある。
そうなってからでは遅いとは思われませぬか?
過ちは芽の内に摘み取らねばならぬ。腫れ上がる前に潰さねばならぬ。
それが小さくとも摘み取れず、潰しきれぬほど、根深く、また取り返しのつかぬ事であるなら、例え主人であろうとも、斬ることもやぶさかでない。
それこそが真の忠義だと、私は思うのです。
私ばかりか、真田の家にいる「忠義者」は、大体同じように考えているのではないでしょうか。
あの時私は、一つ部隊の全員の生き死にに関わる、大層な失敗をしでかしました。これは間違いのないことです。「誅殺」されても文句の付けようがありません。
それなのに幸直が私を斬ろうとしなかった理由は、忠義だ友情だなどという情のゆえの事などではないのです。
ここでこの莫迦者を斬ったなら、こちらの「手駒」が一つ減ってしまうから、です。
何分にも、この折の我が隊は「少数精鋭」でありました。
万一戦闘となれば――私は最初からそのようなことはないと踏んでいたのですが、それでも万が一に――全員が兵卒として闘うことになります。例え大将格であっても、指揮を執りながら歩行兵と同じ闘い振りをせねばならぬのです。
ここで一つでも駒が落ちたならどうなることか、想像に硬くないでしょう。
禰津幸直は、私のような鈍遅とはちがって、すこぶる良くできた男です。自分の手で自分の部隊を弱らせる真似が出来ようはずがありません。
これでも一応は王将の役を負っている駒なのですから、なおさらです。いや、飛車角金銀、あるいは歩の一枚であっても、落とすことが出来ましょうか。
幸直にはそれが判っている。それが私にも判っている。
それ故、私は笑ったのです。
申し訳なく、心苦しく、情けない、自嘲の笑みです。
真の本心からのモノでありましたが、強張った笑顔であった感は否めません。
己の頬骨の上に本心からの笑顔の皮が貼り付いた、そんな心持ちです。
私の――作り物じみていながらも命のある、さながら名人の打った猿楽の面のような――奇妙な顔を見て、幸直めは今にも泣き出しそうな顔で、唇を噛みました。
それきり、誰も動かず、誰も物を言いません。




