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真田源三郎の休日  作者: 神光寺かをり
宗兵衛殿
3/36

宗兵衛殿 三

 後々弟から聞いたのですが、宗兵衛殿は握り拳を結んで、手の甲に固く盛り上がった骨の先で、私の頭を軽く小突いておられたのだそうです。

 こう聞かされて、私の尻の穴はまたぎゅっと縮んだものでした。

 拳骨げんこつほど恐ろしいものは無いというのが、私の持論です。

 殴打の武器としても、他のどの道具よりも自分の思うた通りに操れますし、防御の術としても、どのような楯や鎧よりも軽く取り回せます。

 己が痛みを堪えさえすれば、そして、《《拳一つ潰してでも勝ちたい》》、《《生き残りたい》》との思いがありさえすれば、これほど扱い易い武具はありません。

 ただ、この時の宗兵衛殿には、拳を武器として使う気は無かったことでしょう。おそらくは、からかい半分に私の頭を小突いていただけです。

 所がそのからかい相手が、

「むぅん」

 と唸ったかと思うと、突然ゴロリと転がって、そこからぴくりともしなくなったとなれば、驚かないはずがありません。

 いえ、何分私は気を失っていたのですから、実際の所は判りかねるのですが、多分驚かれたことでしょう。

 宗兵衛殿ばかりでなく、一益様も、ご一同様も、そして我が父や弟も、皆驚いたはずです。あるいは、私の小心振りに呆れたことでしょう。

 私は気を失ったまま、我らの仮住まいの館へ戻りました。

 無論、我と我が足で歩いた筈はありません。

 私は背負われて帰ったのです……父の背に。

 父は馬にも乗らず、私を負って歩いた、らしいのです。

 らしい、と遠回しに言うには理由が二つあります。

 当の私がそのことにまるきり気が付かなかったからという、情けないものが一つ。もう一つは家中の者が「そのこと」について口を閉ざしているということです。

 茶会の翌朝、私は

「どのように戻ったものでしょう?」

 という、至極当然な疑問を口にしました。

 答えてくれる者は一人としておりませんでした。皆口ごもったり、俯いたり、私と目を会わせないのです。

 ただ源二郎だけは私から目を反らさずに、生真面目くさった顔つきで、

「兄上は父上の『お背な』にぴたりと貼り付くようにして、そふわりふわりと歩いて戻られました」

 と答えてくれました。

 納得の出来ない私は、同じ疑問を幾度も口にしました。しかし何度聞いても、源次郎の口をついて出てくる答えは一緒です。一言一句間違いなく同じ言葉です。まるで子供が論語を諳んじているかのようでした。

 と、なれば、この言葉をそのままに受け止めることができましょうか。

 私は思いめぐらせました。

 確かに私は父の背中にぴたりと付いていたのでしょう。私の体は間違いなくふわふわと揺れていた筈です。しかし歩いたのは私ではない。

 父に違い有りません。

 亡き信玄公から「我が眼」とまで言われた無双の武士である父のことですから、気を失って手足に力のない者を負って歩くことぐらい、造作もないことでありましょう。

 父は小柄な男です。

 私は哀しいかな父に似ず背ばかり高い独活の大木です。

 小柄な父が大男の私の足を地面に引き摺りながら歩いたに違い有りません。

「そうか、私はつま先や足の甲で立って歩いていたか。道理で足袋ばかりか中の足までちりまみれだ」

 私が少々意地悪く申しますと、源二郎は

「はい、兄上は大層器用なお方にございますれば」

 と、臆面もなく申したものでした。

 途端、私の、事の次第を父に確かめたい、という考えは消え失せました。

 元より、訊いたところで本当のことを教えてくれるとは思うておりませんでしたが、答えが出なくても訊くだけ訊きたいという心持ちだけは有ったのです。

 父が何を思うて「莫迦息子」を負って歩いたのか、その胸の内を聞いてみたいとも思っておりました。

 家中の者に口を噤ませたのは、おそらく嫡男の「失態」を恥じてのことでしょう。茶席で失神したなとと、しかもその失神者が親の背に負われて帰ったなどと言うことが広まれば面目が立ちません。

 失神した当人にも黙っている理由は判然としません。あるいは、父に私の口が一番軽いと思われていたのやもしれません。

 私の失態はさておいて。

 茶会が済み、私たち一族は今度こそ砥石の山城へ向かおうと準備を整えておりました。

 ところが、なかなか滝川様から出立のお許しが出ません。

 私どもは数日厩橋の館に留め置かれました。

 暫くして、滝川様からの……厳密に申しますと、前田宗兵衛殿からの……ご使者が見えたのです。

 呼び出されたのは私一人でした。

「一勝負、お付き合いいただきたい」

 と言われて、恐々として宗兵衛殿の御屋敷に参ったところ、挨拶もそこそこに碁盤が運ばれてきたのでした。


 一度盤上を埋めた……絶対に私の四目勝ちの筈の……黒白の石が取り払われ、更地になった「戦場」を前に、宗兵衛殿は

「滝川一益はああ見えて好き嫌いの激しい男でね。趣味の合わぬ者、気の合わぬ者とは口も聞かぬ程の困ったオヤジなんだがね」

 ご自分の血の繋がった伯父であり、上役でもある方のことを、同年配か年下の仲のよい友のように仰いました。

 それが厭味にも増長にも聞こえないから、本当に不思議な方です。

「その伯父御が、お主の父御をたいそう気に入ったんだそうな。なんでも……」

 宗兵衛殿は私の顔をじっと見て、

「特に《《唄が下手》》なのがよいそうな」

 と仰り、ニンマリと笑われました。

「はあ、お恥ずかしいことで」

 私は顔から火が出る思いでした。紅潮した顔を伏せようとしますと、ひらひらと手を振って、

れ言、戯れ言。気にするな」

 ひとしきり笑われると、

「出来るだけ自分の近くに置きたいと駄々をこねておるよ。信濃衆の取り纏めのためには、喜兵衛殿は信濃に戻った方が得策なのだがな。全く困った年寄りだ」

 と、何やら楽しげですらある口ぶりで仰せになりました。

 私が返答の言葉を愚図愚図と選んでおりますと、碁盤の中央の天元の星の辺りに、黒い石が一つ落ちました。

 今度は私が白を持って、後手となり、もう一局と云うことか、と、私は慌てて顔を上げると、碁盤の向こうに宗兵衛殿の顔があったのです。片目をつむり、碁盤の一点をにらんでおられます。

 その険しい顔で、宗兵衛殿は黒い碁石を摘み、それを碁盤の端に置き、右の中指と親指とで輪を作られました。直後、中指が勢いよく起き上がり、碁石がぴしりと音を立てます。

 宗兵衛殿は幼い《《おなご》》が手慰てなぐさみに遊ぶように、碁石を指で弾き飛ばしておいでたのです。

 天元てんげんの碁石めがけ、二つ三つと石を弾きながら、宗兵衛殿は私の顔などまるで見ずに、言葉をお続けになりました。

「何分、信濃者は頑固者がんこもの揃いだ。余所者の言うことなど、さっぱり聞き入れぬから、これも全く困ったものだ」

 まるで思案投首であるかのような言葉ですが、その時の宗兵衛殿はこれっぽっちも困っていないような口ぶりでした。

 むしろ何やら楽しんでおられる風でありました。

 何を楽しんでおいでなのかと言えば、「扱いづらい信濃の武士達を切り崩し籠絡する術を思案すること」か、あるいは「碁石のおはじき」か……。

『やはり、両方、かな』

 碁盤の上を滑る石を眺めながら、私は私自身も何やら笑っているようだと気付きました。

 私は白の碁石を一つ、碁盤の端に置きますと、指でぴしりと弾きました。

 石は余りよく飛びませんでした。碁盤の半分の、そのまた半分のあたりで滑るのを止めたにも関わらず、何時までもゆらゆらと揺れ続けます。

「難しいものですね」

 何が難しいのか、私は申しませんでした。宗兵衛殿も訊ね還すようなことはなさらず、

「ああ、意外に、な」

 鉄砲の撃ち手のように片目を瞑って狙いを定め、黒石をはじき飛ばされました。

 パチリと音がして、揺らいでいた白い石は碁盤の右手の外へ弾き飛ばされました。黒い石は白い石に突き飛ばされ、碁盤の左の隅へ飛んで行きました。

「父も私も、信濃者でございますれば」

 白い石が先ほどの石よりは少しばかり威勢よく碁盤を滑りました。石は天元よりも二目ばかり手前で止まりましたが、やはりゆらゆらと暫く揺れ続けました。

「うむ、頑固だな」

 黒い石がまた揺れる白い石めがけて滑り、白い石を弾き出し、それ自身もまた奇妙な方向へ吹き飛ばされて行きました。

「お恥ずかしいことで」

 それこそ、全くお恥ずかしいことに、私は何度も同じことを言っておりました。己らの田舎者振りが本当に気恥ずかしくてならなかったのですから、仕方がありません。

 私が別の白い石を取ろうとすると、宗兵衛殿が

「お主、何処で生まれた?」

 唐突な問いに思われました。顔を上げると、宗兵衛殿は碁盤でも碁石でもなく、私の顔をしげしげと眺めておいでです。

「甲府……ですが?」

「甲州生まれの、信濃者か?」

 宗兵衛殿の顔の上には、まるで子供が同輩の揚げ足を取るような、少々意地悪な笑顔が浮かんでいました。

 私は中っ腹になって、

「己が何者であるのかは、生まれ在所によってではなく、周りの者達からの影響で決まるのではありませんか? 私は甲府で生まれましたし、今まで甲州から出たことはほとんどないようなものですが、父祖が故郷と呼んで懐かしんでいる所こそが我が故郷と思うております」

 口を尖らせて申しましたが、すぐにその言い振りが、あまりに生意気に過ぎたと感じ、座ったまま後ずさって、

「出過ぎたことを申しました」

 床に額をすりつけました。

 頭の上から、爆ぜるような笑い声が致しました。

 私は頭を伏せたままでおりました。顔を上げずとも、宗兵衛殿が立ち上がり、碁盤をぐるりと避けて私の背中側に回り込む気配は、ひしひしと感じられます。

「全く信濃者は、頑固よな」

 声と一緒に、どすんと重みが両の肩に落ちて参りました。

「その上、お主は面白いと来ている」

 私の体は、両肩を掴む宗兵衛殿の両の腕によって前後に大きく揺すられました。私は声も上げられず、ただ宗兵衛殿のなすがままに揺すぶられておりました。

「伯父貴は親を欲しがっているが、儂はやはりせがれを連れて行った方が良いと思うと、進言することにする」

「宗兵衛殿?」

 私は漸くそれだけの声を出しますと、殆ど必死の思いで首をねじり、どうやら宗兵衛殿のお顔を拝見いたしました。

 宗兵衛殿はニタリと笑い、

「それからだ、源三郎。以後、儂のことは『慶次郎』でよい。これはな、儂が親父殿が儂にくれた《《特別な名》》だ」

 その時から、宗兵衛殿は私がその名でお呼よびすると、酷くお怒りになるようになりました。

 それも口でお叱りになるだけではなく、本気で殴りかかってくるのです。

 拳が風を切って飛んでくる度に寿命が縮む気がいたしますので、私はこの後は慶次郎殿と呼ぶように努めることにしました。

 それでもまだ宗兵衛殿……いえ、慶次郎殿は

「お前は友に対して他人行儀に『殿』付けをするのか」

 などと文句を仰りましたが、どうやら殴られずに済むようにはなりました。


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