鬼武蔵 三
さすれば森殿はますます感心して、
「おお、なんと賢い子であろう」
楽しげに笑い、肯き、手を打って岩松丸殿を褒めちぎるのです。
子を褒められて嬉しくない親がおりましょうか。
義昌殿の青白い頬に赤みが差しました。ただし、ほんの一瞬のことです。
義昌殿が何か言おうと口を開き掛けたとき、森武蔵殿はすっくと立ち上がり、
「気に入った! 岩松丸殿を我が猶子としよう!」
言うが早いか、小さな岩松丸殿の体を抱きかかえたのです。
そして、森長可殿は童子を抱いたまま木曾義昌殿の傍らに進み、その真横にドカリと腰を下ろされました。
よく、「あっと言う間」などと申しますが、この時の義昌殿には「あ」の声を上げる暇すらありませんでした。
幼い嫡男が、退治するつもりの「鬼」の膝に抱きかかえられています。「鬼」はニコニコと笑っております。そればかりか、当の岩松丸殿も笑っておったのです。
森武蔵守長可という御仁は、その外見だけを見ますれば、それこそ十六の面そのものの美しいお顔立ちで、優しげな方であったと、私めも聞き及んでおります。
それ故、小さな子供には「鬼」には見えなかったのでありましょう。むしろ自分を褒めてくれた、頼もしい大人に思えたのやもも知れません。
森長可殿が本心岩松丸殿を買っておられたのか、あるいは、童子の器量など最初から眼中になかったのかは、私には計りかねます。されどこの時の森殿は、膝に抱いた岩松丸殿の屈託のない笑顔を見るとさも嬉しげに、
「岩松丸は豪い子だ。我はよい子を得たものである。イヤ目出度い、目出度い。誰ぞ酒を持て! 肴を持て!」
まるで自分の屋敷に居られるかのような口ぶりで、他人の家人に物を言い付けられたそうです。
この振る舞いに、流石に木曾義昌殿も腹を立てたものでありましょう。
「武蔵殿っ……」
何か言いかけたのですが、次の言葉が出せません。
森長可殿の膝の上で笑う愛児の首もとで何かが……鋭い鉄色の何かが、灯明の光を弾いたのを見た為でありました。
義昌殿は眼を森武蔵殿の顔へと移しました。
鬼は静かに笑っておりました。
「伊予殿は、証人として預けたお身内を武田四郎めに弑られたとお聞きするが……?」
この言葉に木曾昌義殿の心胆は凍り付いたことでしょう。
岩松丸が「証人」にされてしまった。差し出すつもりも、無論差し出したつもりもないのに、すでに「証人」として扱われている。岩松丸の生殺与奪の権を《《鬼武蔵》》が握ってしまった――。
そのことに気が付かぬほど木曾伊予守義昌が……己が一族を守るために妻の実家を「裏切る」ことの出来たほどの男が、鈍物であろう筈がありません。
義昌殿は震えました。薄闇の中だというのに、傍から見た者がはっきりと気付くほどであったそうです。
「母上……於岩……千太郎……ッ!」
歯の根の合わぬ口から、漸くその名を絞り出したかと思うと、直後、義昌殿は裏返った声で、叫んだのです。
「岩松丸が目出度い門出だ。酒を持て、肴を持て。さあ、誰ぞ踊れ、謡え!」
夜を徹しての宴会が開かれました。
死に物狂いの酒宴です。
木曾勢にとっては、まさしく宴という名の戦でありました。それも、勝ちのないことが決まっている戦です。
兵糧蔵が開けられ、食料と酒とが運び出されると、森殿配下の方々は牛飲馬食されました。それこそ城内の蓄えを総て腹の中に流し込み、落とし込む勢いであったそうです。
それでいて、その方々が心底楽しんでいるようには見えなかった、と云います。
森長可殿は終始にこやかに笑っておられたのですが、配下の方々、ことに兵卒足軽の者共は、ただ飯を喰い、ただ酒を呑むばかりで、さながら餓鬼のようでありました。
眼前の食物を睨み付けている者達の前に立ち、木曾殿配下の方々は、震えながら唄い、泣きながら舞いました。
観ていたのは、森殿と、そのご近習が数名ばかりでした。
ことに森武蔵殿は大層楽しんで居られるように見受けられました。手を打って、
「流石に旭将軍義仲公が嫡流を称さるるお家柄だけのことぞある。ご家中皆々芸達者であられることよ」
褒められれば、返礼しないわけには参りません。義昌殿が奥歯を噛みつつ、
「お褒めに与り……」
漸く形ばかりの返礼をしました。しかしその言葉尻も消えぬ間に、森武蔵殿は、
「しかし折角の舞い踊りも、こう暗くてはよう見えぬな」
何が「暗い」だ。今は真夜中だ。明るいはずが無いではないか。
義昌殿は胸の奥底ではそのように思われたことでしょう。あるいはそれを思うほどの余裕は無かったかも知れませんが、あったとしても、それを口にするわけにはゆきません。
「……では明かりを増やしましょう」
暗いのならば、灯明、燭台の類の数を増せば良い、というのが常人の考えです。義昌殿は家人を呼び、城内の別の部屋にある灯明をこの場に集めさせようと考えられました。
ところが、森長可という仁はさすがに「鬼武蔵」であります。そのお考えは常ならぬものでありました。
「床に炉を開けて焚火をしましょう。さすれば部屋は明るくなり、また酒を温め、米を炊き、魚も肉も焼くことが出来る」
木曾のご家中の方が呼ばれるよりも早く、森の近従の方々が立ち上がりました。木曾方が何かを言うよりも早く、森方は動きました。
床板を割り、剥ぎ取り――無論、床に張られた木材が、簡単に割れるものであったり、剥がれるものであったりするはずが有り得ませんから、造作もなくそれを行ったと云うことが、如何に「恐ろしい」ことであるのか知れるでしょう――見る間に囲炉裏のような大穴が開いたかと思えば、剥ぎ取られ割られた床板が炉に放り込まれ、その殆ど直後には炎は天井近くにまで立ち上っておりました。
この期に及びますれば、木曾義昌殿には悲鳴を上げる力も残っておられなかったようです。
森家のご家中の方々が件の囲炉裏の回りに集まって、酒を温め肴を炙って、酔いしれ腹を満たし、この宴会を「楽しんでいる」その様を、うつろな眼で眺めるばかりであったそうです。
夜は更け、やがて明けました。
木曽福島が焼け落ちなかったのが不思議ではありますが、城内はまさに杯盤狼藉の有様です。
木曾勢の方々は衣服も髪も乱れ、眼は濁り、顔色はくすみ、力なく立ちつくしています。
ことに、木曾義昌殿と申しませば、小姓に両脇を支えられてもなお、ぐらぐらと身の置き所が定まらぬようにして、漸く立っておられるといった具合です。
森勢の方々は、甲冑軍装に身を包み、髪は櫛目鮮やかに整えられ、眼は燦々《さんさん》と輝き、血気溢れ出る顔色をして、威風堂々《いふうどうどう》と隊列を組んでおります。
先頭には、名を百段という駿馬にうち跨った森武蔵守長可殿が、その腕の中にはぐっすりと眠る岩松丸殿がおられました。
「いや伊予殿、馳走になり申した。御蔭で我が勢は本領まで駆け戻る力を取り戻せた。礼を申す。では!」
森武蔵殿が号令すると、軍勢は整った隊列のまま、打ち壊された門を潜り、堂々と木曽福島城を出立しました。
城内の方々も、また城外の方々も、誰一人その行軍を止めることが出来ません。
隊列の先頭に……鬼武蔵の前鞍に岩松丸殿が居られるのです。
岩松丸殿の体には太い紐が打ち巻かれ、その先は、森武蔵殿の胴の背の合当理に結びつけられていました。
森武蔵守殿が川中島から「脱出」する道すがらの「出来事」を、多少なりとも小耳に挟んだ者であるなら、手出し口出しすればこの小さく新しい証人がどのような目に遭うか、すぐに察しが付くことでしょう。
かくて鬼の隊列は悠然と木曽路を進み、国境を越え美濃に入り、何事もなかったかのように金山のご城内へと消えていったのです。




